2018年9月26日水曜日

球根の正体

さて、後日談。
大方の予想を裏切ることなく、伸びてきた球根の芽は、この花でありました。
お彼岸に咲く花ね。
茎が短いやつもありました。

「彼岸花」とも「曼珠沙華」とも呼ばれるこの花は、
国立公文書館さんの春分の日(9/23)のツイートによると、「石蒜(せきさん)」とも言うそうで、鱗茎は毒性がとても強いので、くれぐれも口にしないように…とのことですが漢方の外用薬として用いられることがあるんだとか。

国立公文書館 (@JPNatArchives)
今日(9/23)は秋分の日。『庶物類纂図翼(しょぶつるいさんずよく)』より石蒜(せきさん)です。同書は幕臣の戸田祐之による薬草類の写生図画集で石蒜は彼岸花の生薬名。猛毒の鱗茎は服用厳禁ですが、漢方の外用薬として用いられることがあります。
buff.ly/2Nw2Qye pic.twitter.com/reUm9oI49T

2018年9月18日火曜日

松と球根

2年ほど前でしょうか、我が家のベランダのプランターに、どこからか松ぼっくりのタネが飛んできたらしく、それが芽を出したのです。

なんじゃこりゃ?松だぁー!と、なんだかありがたい気分で、そのまま放って置いたら、

松ってけっこう丈夫なものらしく、特に世話もしないのにニョキニョキ伸び出してきたのです。

夏ともなれば、1年ポッキリで伸びて枯れてしまったり、地を這うように枝や根を伸ばすハーブたちに混じって、慎ましく枝をまっすぐに伸ばしている姿をみて、「なんだか小学校の教室みたいだなー、個性色々で…」などと面白がっていたのでしたが…

今年の夏、急に父が逝ってしまい、自分が建てたお墓に隠れてしまったので、また、(神道なもんで)お墓には榊だけでいいというのが父の信条でお花も上げられないので、思い立って、寂しくないようにと我が家の松の木を50日祭の日にお墓の脇に移植してきました。
そのとき、植えようと土を掘ったら、よく分からない球根がぽろぽろとたくさん出て来まして、「なんだ、なんだ、物々交換か?」と、これも父がくれたのかな?とか、いささかセンチメンタルな気分にもなり、家に持ち帰って、松を引っこ抜いた穴に植えておいたのですが…。

なんと!昨日水やりにベランダにでたら、急にこんな芽というか枝がにょっきり生えているではありませんか!!
3日くらい前は気がつきませんでしたぞ…(このところ雨模様だったので水やりを控えていたのです)。

びっくりした…。

たぶんあの花ではないか…と思っているのですが、答えは2、3日後に。

それにしても、あの松は元気で大きくなっているかな?誰かに引っこ抜かれてないといいなぁ。
ヾ(;´Д`A 


2018年9月5日水曜日

このところ読んでいた本

歌謡曲から「昭和」を読む (NHK出版新書)感想
歌謡曲を通してみる文化論。「昭和」の時代に最前線でヒット曲を飛ばしてきたなかにし礼さん。その見識の深さは、自らが闘って来た相手を分析する目なのかもしれない。軍歌と流行歌のことを説得力をもって語れる数少ない書き手だと思う。今のヒット曲の作家達が時流にながされてマインドコントロールの先鋒を担ぐことがありませんように。
読了日:08月30日 著者:なかにし 礼



愛されすぎたぬいぐるみたち感想
愛されすぎて「ライナスの毛布」みたいにボロっちくなっても、まだ大切にされているぬいぐるみの写真集。それぞれのエピソードもいろいろ。持ち主が変わったりして100歳を越えるぬいぐるみもある。「キリンのゲリー」君にいたっては、どこかのお堂の秘仏みたいだった。愛くるしさやふわふわを通りこして、ぬいぐるみの中に魂を育てていくんでしょうね。
読了日:08月25日 著者:マーク・ニクソン



人形有情―吉田玉男文楽芸談聞き書き感想
何かの事情でガチの取材が出来なかったのかもしれないけれど、玉男さんの言葉を拾い集めてでも残したいという宮辻さんの執念が伝わってくる。そして、玉男さんの芸を映像でしか拝見できない後発のファンとしては有り難い。「ぼくは半兵衛(人形の役)の気持ちにはなってませんなあ。半兵衛の気持ちを表そうとしていますけど。」という珠玉の言葉を引きだした時「えー、ふふふ(と恥ずかしそうに笑い)」と入るのは、お二人の距離感が感じられてなんだかいい。イケイケの取材でもなく、俺の話を聞けでも無く、逆に玉男さんの人となりが伝わって来る。
読了日:08月30日 著者:吉田 玉男,宮辻 政夫


頭巾かぶって五十年―文楽に生きて感想
蓑助さんの27年前の芸談。桐竹紋十郎の芸談(安鶴さん著)の続きの勢いで読了。昭和8年人形遣いの家に生まれ、物心つく頃から楽屋に出入りして足遣いに。昭和文楽界の様相や人情が伝わってきて舞台からは見えない部分の描写に引き込まれた。文楽が2つに分断されたのは労働運動だったというのも改めて認識。その時代に組合側だった三和会が上演場所を求め、地方の学校などを会場に旅興行を続けたのが昭和38年まで15年にも及んだそうだが、今の地方公演や学校公演の基盤になったのかな。息子を残して父が組合を抜けるくだりはやるせなかった。
読了日:06月09日 著者:吉田 蓑助


生きるとか死ぬとか父親とかの感想
 ホントは読み途中の本があったのだけど、新刊が届いたので週末の上京の道連れに。往復の新幹線で読んじゃった。魅力的なお父さんと読めるのはスーさんの大人度がなせる技もありなんでしょうね。親の老い、生と死…避けがたく、互いに剥き出しになる現実。他人事じゃないのよ。…それと、スーさんの活躍(稼ぐという意味で)の原動力がお父さんというところは、なかにし礼さんを思い出した、なぜか。
読了日:05月22日 著者:ジェーン・スー



フクシマ・抵抗者たちの近現代史: 平田良衛・岩本忠夫・半谷清寿・鈴木安蔵の感想
 ある日、南相馬市に住む高校時代の恩師(84才)から突然手紙が届いた。偶然図書館でこの本を読んだと、心に思うことが吐露されていた。貧しい土地の歴史、貧しい社会を変えるために人生をかけた先達のこと、そして原発のゆくえについて。すぐに買って読んでみた。自分の故郷にこんな偉人たちがいたなんて知らないことばかりだった。何を教育されてきたのだろう。日本国憲法の実質的な起草者として知られる鈴木安藏の生家は南相馬市小高区で、いまは居住制限の区域内にある。基本的人権が、戦争放棄が、蹂躙されている現状を象徴する出来事だ。
読了日:05月7日 著者:柴田 哲雄


文楽 芸と人の感想
批評というより文楽への愛情がほとばしる著書。古靭太夫(山城少掾)の芸談も、二世桐竹紋十郎の芸談も、間の良い魅力的な文体で快読させていただいた。悔しいのは、名人たちの生の舞台がみられなかったこと。人気絶頂の紋十郎の華やかな芸が、以前、安鶴さんは鳥肌が立つほど嫌いで酷評を書きつづけていたそうだが、ある時から、一転して大好きになったという話が心に残った。文楽が二つに分断された時代の苦しさ、それを乗り越えて紋十郎が掴んだ芸の真髄、さらに苦楽を団結して成長したその弟子たちを見つめる批評家の眼が厳しく、また優しい。
読了日:04月22日 著者:安藤鶴夫

読書メーターより