2015年6月29日月曜日

男と女の杵勝会

「男と女の杵勝会」と先生が誘ってくださいまして、行ってみました「杵勝会東京定期演奏会2015」。振休をつかって、平日日帰りの強行軍でございます。杵勝会はチャリティー演奏会は何度か聴きに伺っているんですが、さすがに定期演奏会は気合いが入っていました。行った甲斐がありました。正午開始の「勧進帳」の大合奏から三部構成で大団円はセリ上がりの「靭猿」まで21曲!終演は夜8時にかかろうとしていました。たっぷり8時間、トイレにも行かず堪能いたしました。みなさまお疲れさまでした。


今回行って良かった感の第1は、
「吾妻八景」 唄_利光・巳之助、三味線_裕光・(上)勝七郎
ですね。
2枚2挺のシンプルな構成ですが、なにしろお三味線の美しいこと!このお二人が元気なかぎりは後20年はこの演奏が楽しめるのだ…と長唄に希望の光を見た気がしました。そして、表情が見えるって珍しいですが、なんだかとても楽しそうに弾いていらっしゃるのですよ、このお二人。合いの手のたびに後席から漏れてくるため息、演奏が終わって拍手の中に「吾妻八景もこうなるのねー」と感嘆の声が混じってました。ほんとね、(関係者の皆さんには悪いけど)オリンピックなんかどうでもいいから、「勝七郎の上調子」を日本国民全員に聞いて欲しいですよ、私は。レコードにしてください。

「春の調」 唄_東成・直吉、三味線_勝国・勝七郎、箏_米川敏子
これも美しい柔らかい曲。うわぉー、立唄が2人って普通あり得ない贅沢。聞き比べる機会もないので珍しいですよね。声質ってだいぶ違っているもんですね。虫六は素人なのでうまく説明できませんが、東成師匠はいわゆる“美声”というのとも違っているけど甘くて色気のある一度聞いたら虜になる魅力的な声、直吉師匠はもう少し太くて(でも低い声ではない)スッキリした声、東成師匠とはまた別の色気があり…それぞれ素晴らしい。(ちなみに勝四郎師匠は華やかな美声ですよね…)堪能させていただきました。また、お二人に曲をつける勝国師匠のこういう柔らかい曲も珍しい気がして、貴重な演奏でした。

「安達ヶ原」 唄_勝良・勝昭・勝一佳・勝眞規・勝乃夫、三味線_勝幸恵・勝如・勝くに緒・勝壽・勝孝、笛_福原徹彦、小鼓_堅田喜三久、望月左京、大鼓_堅田喜三郎、太鼓_堅田新十郎
女流だけの5枚5挺にお囃子という構成ですが、いつもは大楽団を率いる役目が多かった勝幸恵師匠の独奏がたっぷり聴けて痺れました。奥州安達ヶ原の鬼女伝説を題材にした能の「安達ヶ原」(あるいは*観世流以外は「黒塚」)から歌舞伎や舞踊の舞台にも展開しているこのテーマは今もおなじみものですが、長唄「安達ヶ原」はそれを音曲として仕立てたもの。しかし、今回目から鱗がとれる思いだったのは、長唄は芝居のものだ!ということでした。女流だったということもあるかもしれませんが、本当に唄方の皆さんが役者に見えました。勝良師匠が鬼女のオーラを纏っておるよぅ〜〜〜(||li`ω゚∞) 恐ろしくもあり、切なくもあり。旅僧の方々の緊張感もぱりぱり伝わってきて、お芝居を一本観るような満足感がありました。「安達ヶ原」って女流の方がいいね!それにしても、勝幸恵師匠の迫力の演奏…男性以上の力強さ、キレ、繊細さ…。こちらにも“鬼”がいらっしゃいました。カッコ良すぎです。…でも考えて見れば、一流の芸人はみな肚の内に鬼を飼っていらっしゃるのだな。

杵勝会は舞台演出も凝ってます。
「元禄花見踊」「風流船揃」「秋の色種」「鷺娘」の四季四題は、回り舞台でメドレー演奏という趣向。
「鷺娘」のたて唄が直吉師匠で、立て三味線が勝録師匠でしたが、回り舞台が回転したらどよよよ…と、なーんだかデジャブ感が…。そう、さきほどまさかの立唄揃いでお隣だった東成師匠と勝録師匠は双子なのです…、わざとか?

個人的には、勝壽・勝由葵の「梅の栄」…をじっくり膝を正して拝聴(はい、おいらの課題曲「梅の栄」まだ終わっていません!自己突っ込み)。
メリハリあって、合いの手パートの早いこと!良い曲だな—(感心…)こういう風に弾きたいな—と思う、演奏がそこにありました。
あー、練習しよ、練習。

「橋弁慶」では勝十郎師匠の立派な演奏。上手な人は体幹がしっかりしているというか、実に姿勢が良いです。三味線が身体の一部になっているのがよく分かります。

圧倒の三部構成「靭猿」で放心状態で、会場を後に新幹線で帰ってきました。

しかし、平日でも行こうと思えばいけるのか…黒い果実を口にしてしまった気分だ。


2015年6月26日金曜日

福島市広瀬座で檜枝岐歌舞伎を見る

福島DC関連の企画らしいのですが、福島市内にある民家園という移築建造物保存施設群の一画にある「旧広瀬座」(明治20年建造の芝居小屋)で、「檜枝岐歌舞伎」を上演するというので行ってきました。

とにかく土地だけは広いぞ—って感じの運動公園の奥に民家園という区画があり、そこに至る道に、ずら〜と幟が立てられていました。うぉー。(←意味なくテンションが上がってる)

旧・広瀬座です。国の重要文化財です。
普段は施設見学のみで、日常的に芝居がかかるということはないみたいです。

うお、こじんまりしているが良い感じの芝居小屋ですよ。
脇の2階席は今回使用していませんでした。
出し物は、檜枝岐歌舞伎(県重要無形民俗文化財)の「義経千本桜」から「鳥居前の場」。

人口600人の檜枝岐村に270年も昔から伝わる村芝居です。ホームは檜枝岐村の舞台ですが、今回は出張公演。虫六はそれこそ20ン年も前に取材でお邪魔したことがありましたが(…遠い目)、そのとき拝見した村の定期公演はご祝儀飛びまくりでエキサイティングでした。松竹大芝居のような華やかさこそありませんが、気心知れた同志の役者さん達も見ている観客もアットホームで独特の和やかな雰囲気が良い感じです。

今回、ビックリしたのは、義太夫さんが弾き語りでやられていて(床に一人しかおらんのよ〜)、この人がすごく上手い!ここだけプロを雇ったのか??と思いましたが、いただいた新聞『板木』(2015年6月20・21日号外)によると、「南会津町に住む室井一仁さん(27)」だそうで、「昭和26年に亡くなった以前の義太夫に替わり、若き担い手が誕生した」…とのことで、期待の星でありましたかー。
(なんでもいいけど、「昭和26年」は「平成26年」じゃないのかな?ブランクあり過ぎて、継いだことにならないような気がするぞ??)

民家園は、芝居小屋だけじゃなく伝統的建造物がたくさん移築保存されています。
こちらは旧小野家。木造・半切妻造で中二階建構造、茅葺屋根で、養蚕農家のでっかいお家です。養蚕の民具がいっぱい残されていました。

元客自軒(旧紅葉館)では、立派な盆栽の展示会が…。
実生100年にもなる吾妻五葉松とか、なかなか見応えありました。

東棟ではこけしグッズとか売ってました。
迫力の張り子のこけし。

予想以上に堪能できて充実した休日になりました。

2015年6月20日土曜日

本仕込みの芸猿、環クンと椿クン

猿舞座のSendai-Yamagata公演の千穐楽、S市民俗資料館の公演で、耕平さんが小さい猿の二頭遣いをやりました。

椿クン、客さんの前で始めて芸をする。
猿舞座は去年まで相棒だった夏水クンを引退させて、この春から「環(たまき)クン」を遣っています。そして、この日耕平さんは始めて「椿(つばき)クン」という仔猿を舞台にあげました。環クンと椿クンは兄弟の猿で、伊勢神宮の内宮の森で捕獲された仔猿だそうです。

これにはいきさつがあるのですが、なんでも伊勢神宮のご遷宮の行事の祭に、森を浄めるためにいちど猟をして動物たちを追い払うのだそうです。その時に母猿が猟銃で撃たれ、2匹の仔猿が生き残ったそうなのです。それを漁師さんが拾って、巡り巡って猿舞座に相談が持ち込まれ、それは有り難く…と貰われてきたのだそうです。

なんだか神がかった話です。

環クンと椿クンは同い年の兄弟(もしくは同群の仔猿)ですが、だいぶ個性が違うそうです。

環クンは四肢が長くてジャンプが得意な敏捷な猿です。今はまだ小さいので輪抜け「鯉のたきのぼり」までしか飛べないのですが、これからいろいろな芸を覚えてカッコいい花猿として成長して行くと期待できます。
一方、椿クンは母親を仕留めた鉄砲の流れ弾が当たったのか保護された時に背中にキズを負っていて、そのせいで少し成長が遅れているのだそうで、確かに環クンと比べると学年が違うのか?というくらい体格に差があります。しかし、やる気は満々で、気性はむしろ椿クンのほうが激しいくらいなんだとか。このギャップがなんとも可笑しげ…というと叱られてしまいそうですが、見るだけで愛嬌を感じる三枚目役者の資質を感じます。

耕平さんは、2匹の個性を生かして上手に育てていきたいと話していました。特に椿クンは上手に仕込めば年をとっても出て来ただけで喜ばれるような芸猿にできるんだがなーと。
さすがに二頭遣いは難しいらしいのですが、本仕込みでなければ出来ない芸を仕込んで、花猿の芸を見せて欲しいと期待は膨らみます。

そんなわけで「(耕平さん曰く)最初で最後」の二頭遣いの舞台をみた、あの千穐楽はちょっと良いもの見た気分でしたので、お裾分けします。

耕平さんの肩の上が大好きな椿クン
「親方〜、ここどこですか?人がいっぱいいるんだけど〜」

 親方の腰にぴったり寄り添っております。

椿クン、ひとつ芸を見せて…「早く帰ろうよ〜〜〜」
なんかそんな夫婦漫才のコンビありましたね、「母ぁちゃん、はやく帰ろヨ」とかいうの。子供たちは椿クンの仕草に大ウケ、真似してました。本人は必死なのにね…苦笑。

代わって登場の環クン。
すでに舞台慣れしております。若さが輝いておりますね。

環クン「おいら、ジャンプ得意だもんね〜」

鯉のたきのぼり!
来年は「羽ばたけ!オオワシ。楽天イーグルス!」の一節が聞けるでしょう。
まだまだ成長が楽しみです。

2015年6月10日水曜日

5月に読んだ本

2015年5月の読書メーター
読んだ本の数:6冊
読んだページ数:663ページ
ナイス数:10ナイス

二代目中村七之助写真集二代目中村七之助写真集感想
勘三郎の三回忌記念の親子三人の分冊写真集。3・9・7ってことで篠山紀信が撮りためた秘蔵写真とのこと。でもこれまで七之助丈の写真集はほとんどなかったのでこれが一番見る価値あり!(と思って買ったら、2003年に出てたみたいです…爆)でも、このところの脂ののった麗しの舞台写真満載で、やっぱり“買い”に間違いなかった!これは。そして、こうしてみると七之助って幅の広い役者だと言うこともよく分かりました。
読了日:5月31日 著者:篠山紀信

六代目中村勘九郎写真集六代目中村勘九郎写真集感想
勘三郎の三回忌記念の親子三人の分冊写真集。3・9・7ってことで篠山紀信が撮りためた秘蔵写真とのこと。「NO9」はご存じ中村勘九郎!舞台でみると、勘九郎って勘三郎に似ているナーと感じるけれど、こうやって写真でじっくりみていると、かなり個性は違うというのが分かる。それをあぶり出してしまう篠山紀信ってやっぱり鋭い写真家だな。
読了日:5月31日 著者:篠山紀信


十八代目中村勘三郎写真集十八代目中村勘三郎写真集感想
勘三郎の三回忌記念の親子三人の分冊写真集。3・9・7ってことで篠山紀信が撮りためた秘蔵写真とのこと。タブロイド判なので、ポスターみたいで見応えあり。しかも勘三郎巻は特別厚めです。ひとつひとつの写真が懐かしくて、勘三郎に会いたい病がまたまた発病。
読了日:5月31日 著者:篠山紀信



さよならガールフレンド (Feelコミックス FC SWING)さよならガールフレンド (Feelコミックス FC SWING)感想
ジャケ買い。標題作の、主人公とヤンキー先輩との女同士の距離感がなんとも繊細で良い感じ。若い時にはいろんな経験しておくべきだなーと思いました(もう、今さらですが…)大注目新人です。
読了日:5月30日 著者:高野雀





愛猿奇縁 猿まわし復活の旅愛猿奇縁 猿まわし復活の旅感想
雑誌『部落解放』に不定期連載された対談と、2012年に国立小劇場で実現した小沢昭一さん・織田紘二さん・村崎修二さんによる鼎談の載録を核に、長年猿舞座の旅に同行してきた上島敏昭さんの「同行記」、そして大阪人権博物館の学芸員で本書のホスト役でもある太田恭二さんの猿まわし復活における回想と解説文、そして猿舞座年表という構成。上島さんの「同行記」は必読!(ブログにもっと長文の感想かきました。前後編)
読了日:5月19日 著者:村崎修二

東慶寺花だより (文春文庫)東慶寺花だより (文春文庫)感想
たしか去年(2014)のお正月歌舞伎で染五郎が新作にしていたなーと思い、興味を持っていたので積んでました。江戸時代は女性の側からは縁が切れないのですね、それで駆け込み寺(東慶寺)に逃げ込むわけですが、その前に家庭裁判所のような調停を果たす役目のご用宿があったらしい。ここに医者見習いで(つまり男子禁制の東慶寺へも入ることができる)、滑稽本の作家志望の主人公が住み込んでいて、この時代のさまざまな夫婦の有り様に関わっていくという作りになっていて、なんとも魅力的な作品です。そしたら最近映画にもなったそうな…。
読了日:5月10日 著者:井上ひさし

読書メーター

2015年6月5日金曜日

猿舞座里めぐり in Sendai-Yamagata のお知らせ

そんなわけで、今年も「猿舞座」里めぐりやってきます。
分かっている範囲で公演会場をお知らせします。
お近くの方、ぜひ見に来てください。

新人ならぬ新猿、東北デビュー公演!写真は環クン(photo:K.Ishii)
○猿舞座里めぐり in Sendai-Yamagata 2015

6月5日(金)山形県・大蔵村 大蔵村保育園 am10:00〜
6月6日(土)山形県・最上町 松林寺400年祭
6月8日(月)宮城県・仙台市 福寿幼稚園 am10:00〜
              東北福祉大学国見キャンパス中央広場 pm2:05〜
6月13日(土)山形県・長井市 長井あやめ祭り(長井あやめ公園)
6月14日(日)宮城県・仙台市 仙台市歴史民俗資料館前庭 am11:30〜、pm14:30〜

出演
【猿舞座】
 芸人_村崎耕平
 芸猿_環クン or 椿クン (どちらも3才・オス 伊勢神宮の森で生まれた兄弟です)
 お囃子_村崎修二
 ゲスト_イージー・タク(フォークシンガー)

入場無料(投げ銭大歓迎!!!!)

* 『猿舞座』は、猿まわしのふるさと・周防高森(岩国市)を拠点に、昔ながらの放浪芸スタイルと伝統的な調教法「本じこみ」を伝承しつつ、日本中を旅しながら芸を披露している芸能グループです。


2015年6月4日木曜日

村崎修二編著『愛猿奇縁 猿まわし復活の旅』感想文(後編)

猿舞座の村崎修二さんが『愛猿奇縁 猿まわし復活の旅』(解放出版社・2015/4/15)という本をまとめられました。(感想文の後編です。はじめから読む人はこちら

(photo:N.Kumagai)

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○ネットワークの1点として

 さて、せっかくなので、本書に書かれていない部分を少しだけ加えておこうと思います。「同行記」にもありましたが、猿舞座は里めぐり巡業をする上で各地にネットワークを持っています。虫六もその1点を担っております。数えるとぞっとしますが、もう25年余もボランティアでS市での受け皿探しをしているのです。
 上島さんが旅の内側から永い時間を付き合って見ていたとすると、こちらは同じ土地にいて、たまに飛んでくるボールを上手くレシーブするように、公演体制を作るという立場ですかね。
 修二さんが初代安登夢を連れていた、関わりはじめの頃なんかは、私もどうしていいか判らないまま五里霧中のうちに公演会場をセットしていた記憶があります。普通に考えれば、こんな役目は肝煎格の町の有力者がやればそんな苦労もないのだろうと思うのですが、なにしろ、こちらは若干二十代の世間知らずの若造です。とてもそんな器量はありません。人づてにお祭りやイベントプロデューサーを紹介してもらったり、商店街をまわったり、学校やお寺、文化施設に売り込みにいったりしてなんとか2カ所でも3カ所でも…と会場を探し回りました。ずいぶんいろんな人にお世話になった気がするナー(遠い目)。
 気を使うのは上がりです。そのころ、猿舞座として希望のレートはあったのですが、それですと相応のイベントなどに売り込んでギャラを稼がなければなりません。そういう仕事が1カ所でも確保できれば、投げ銭で小さい商店街まわりでも良いというオーダーでした。しかし、バブルもはじけイベント類も予算が圧縮されてなかなか好条件の仕事が見つけられなくなり、また、去年やったから…というニュアンスを持ち出され、なかなか恒例なものとして引き受けてもらえない状況もありました。虫六の自信のなさや押しの弱さもあったのかもしれませんが。
 それでも、やればやっただけ損をさせてしまうような公演にしてはならないという思いもありましたし、自分の力量不足を肌で感じながらも、しばらくは猿舞座の巡業日程にあった実入りのいいイベントはないか、良い条件で公演をさせてくれる受け皿はないか、それを探すことに多くのエネルギーを費やしていたように思います。

 そんな風に苦労してイベントを探しても、それが果たしてOKだったのかというと、いろいろ疑問に思うことも多くありました。

 まず、多くのイベント会場が猿まわしにとっては過酷な環境で、ガラス張りの建物だったり、騒音がしたり、炎天下だったり、お客さんがものを食べていたり、見物客が流動的な場所だったり、逆に異常に集まってきたり…で、猿にとってはストレスも多く、なかなか芸をやらないというのが常態化していました。修二さんの芸は猿がやらない理由をあれこれ説明しながら、ある意味お客さんにも我慢させて、猿に機嫌をとりながらだましだまし芸をさせるようなスタイルでした。テレビでみた猿まわしを当たり前と期待してきたお客さんにとっては、「本仕込み」の猿は、ぽんぽん素直にやらない「ヘタな芸」と受け取られているようで、胃がシクシクすることもありました。あの頃、修二さんがやっていた「風花」などは今見ようと思ってもみられない一世一代の芸なのですが、その素晴らしさがなかなか伝わらないなーと感じていました。いえ、あの芸をみれば最後はみんなアングリするんですがね。人間と目を合わせる「美しい猿」を見せるだけでも、それは修練のいる凄い芸なのですが、そういうことに想像が届かない、なかなか伝わりにくい時代だと思います。

 もうひとつ、猿まわしにとってはやっかいなことがあります。法律です。猛獣扱いのニホンザルは、飼養場所を離れる場合(旅に出る場合)事前に動物管理センターに特定動物を移動するための届け出を提出しなければなりません。なかなか面倒くさい書類なのですが、自治体によって厳しさには差があるようです。ちなみにS市はうるさい方です。そんなわけで虫六は毎年この書類を書くんですが、そのたびに動物愛護法というのは芸能側の見地からはひどい法律だな…と考えさせられるのです。この話も長くなるのでここでは割愛。この定めにより、猿を連れた芸人は基本的に23日以上同じ自治体には滞在できないため、法律的に放浪を余儀なくされます。こんな現実があることを法律を作った政治家は想像もしていないでしょう。

 また、宿も大きな問題です。小さなマンション住まいの虫六は一行に自宅の一部を宿として提供できないので、宿泊先の確保にも苦労がありました。このあたりは「同行記」にもあるので繰り返しませんが、最初はなるべく安いビジネスホテルで、かつ、ワゴン車に乗せている猿がいたずらされず休めるところ…というのが条件でした。こちらも出演料でどのくらい稼げるか想像がつきますので、あちこち情報を集めてとにかく木賃宿を探したものでした。しかし、ある年、急にそちらに営業にいきたいと連絡がはいり、それはちょうど七夕祭りの時期でした。上手い具合に七夕イベントに仕事を見つけることが出来てホッとしたら、今度は観光シーズンとあって全く宿がとれません。野宿させるわけにはいかないと探しに探してZ鳳殿の近くの古い旅館の布団部屋をやっとキープしました。まわりは深い森で猿にはよさそうでしたが、食事なしの上、七夕料金で全然安くありません。あとで、この宿への不満をその時共演していたKさんがブログで吐露されたのを読んで、(限界だな…)と感じたことが忘れられません。

 こんな具合に私自身もずいぶん勉強させてもらいながら、猿まわしの受け入れを続けてきたわけですが、ここ10年くらいはずいぶんスタンスは変わってきたように思います。

 まずは、何が何でもイベントを探すということをやめました。無理にイベントに押し込んでも、猿は荒れる、猿まわしはしんどい、お客は冷たいという負のトライアングルに陥ってしまうと、福を呼ぶはずの祝祭芸がいわゆる“ただの見世物になってしまいます。そしてそんな風に苦労が大きいわりに最近はギャラもだいぶ圧縮されてしまう傾向があるのです。そしてたいがいが1回きり。だから、なるべく質のいいお客さんが「毎年待っている」感じで来てくれる会場を基本にしようと考えるようになりました。運良く8年前にS市歴史民俗資料館が受け皿になってくれたのを幸いに恒例行事化してもらえるようになり、S市巡業は、まずはここの予定を固めて、次に他の会場を探すようにしています。予算の少ない公共の資料館なのでギャラがいいとは言えませんが、歴民さんもだいぶ慣れて来て沢山の人を呼べるように広報をしてくれます。天気がよければ、集客も増え、雰囲気も良く、暖かいお客さんが投げ銭をけっこう弾んでくれるので悪い興行ではありません。(たぶん)。ここ数年はもう1会場(某大学)での公演も恒例化しつつあり、これも本質的なところで共感が得られた成果だとありがたく思っています。そんなわけで、S市のような中規模の都心ではこういう形で受け皿を作っていくのが現実的かなと考えています。
 S市を少し離れて、山奥の村などの巡業についていくと、小さな集落の田舎道を修二さん達が太鼓を叩きながら宣伝に練り歩きます。その太鼓に子供たちがわらわらついてきて、時間になると町の公民館の庭にこの村にこんなに人がいたのかーというくらい人が集まってきて、おじいちゃんお婆ちゃんと子供たちが入り交じって猿まわしののんびりした芸を楽しんでくれます。同じ日本の中にまだこんな光景が残っていたか…と考えさせられます。

 子供たちが追いかけてきたあの村は、いわゆる過疎の集落には違いなく、間違っても新幹線は停まったりしないわけですが、猿まわしが来るよと聞いて「経済効果」などという言葉も発想したりせずに集まって、可愛い猿を見て楽しんで帰っていくのだろうと思います。公演のあとで、おばあちゃんご自慢の激旨な山菜料理をご馳走になったりすると、やっぱりなにが豊かさなのかと思う。実は、こんな公演は、村で顔役の人(例えばお寺のご住職)がちょっと声を掛けてくれただけで、あるいはその方がポケットマネーで出せる程度のご祝儀をはずんでくれただけで実現してしまう。あとは村の人が投げ銭を握って見に来てくれれば公演は成立します。(ま、これだけだと猿舞座は永久にお金持ちにはなれないのですが)

 猿がストレスを感じるような環境で、人間だけは平気と言うことはないわけで、つまり人間は無意識にそうとう我慢しているにもかかわらず、それを快適と思っているんだろうな。
 佐渡でも、能登でも、北海道でも…猿舞座はこんな小さな村々を歩いています。都会と過疎の村々…この狭間を行き来しながら、猿まわしには何が見えているのだろう。「文化」を消費財ととらえず、育てていく道というのは、まだどこかにあるのでしょうか。

 もうひとつ、長年の「宿」の悩みを解決してくれたのはS演劇工房10-BOXの存在です。この施設は倉庫街にあるので夜になれば人気がなくなり、猿が落ち着いて休息でき、また、隣にはおおきな公園があるので朝は散歩にも連れ出してやることもできる上に、駐車場で檻の掃除などもさせてもらえます。10-BOXは、公共施設でありながら柔らかい発想で演劇人の創作活動を支援しているのですが、私の相談にも乗ってくれ、短期のアーティストインレジデンスのようなとらえ方で一行を受け入れてくれました。(もっとも前述の動物愛護法の関係で、猿まわしは長逗留はできないのですが…。)このような施設や自治体がアーティストを受け入れる柔軟な体制をとってくれれば、猿舞座のような芸人たちは随分助かりますが、たぶんS市はこの点では恵まれています。

 こんなところが紆余曲折の末、なんとか落ち着いたS市の受け皿事情です。(もっとも来年も同じようにいくとは限りませんが…。)
 全国で、猿舞座を支援し、受け皿を用意している人や団体は、それぞれその土地の事情に付き合いながら猿まわしの場を作っていることと思います。いつか、そんな皆さんと交流する機会でもあったら面白いだろうなとも考えたりします。

 大病のあと、修二さんは少し活動を縮小して、これまでの旅の記録をまとめていくことにするという話をしていました。その最初の仕事がこの本なのでしょう。積み残した山脈のような資料をじっくりまとめて記録としてしあげて欲しいです。

 そして、猿まわしの仕事自体は二代目の耕平君に引き継がれていきました。ネットワークの1点としては、今後は耕平君の旅をサポートしなければなりません。「文化は継続だ」と宮本常一氏は言ったそうです。なので、虫六が元気なうちは微力でも付き合っていくつもりです。もしかしたら、宮本先生はどんどん猿まわし的な伝統芸能が生きていける社会でなくなっていくことを読んで、猿まわしを復活させることで、私たちのような「猿まわしが入っていける隙間をつくる人間」を養成し、社会に点在させることを仕掛けていったのかも知れないな…と、思わなくもありません。
 だから耕平君にはいい猿まわしになって欲しいです。歌舞伎の名門成田屋の御曹司なみの重圧(いえ、歴史で言ったら猿まわしは歌舞伎の比ではありません!血筋の良さは負けませんが、生涯賃金はだいぶ違いますかね…)に負けないで、がんばってください。


 …それから蛇足ですが、本書を読んで思ったのですが、猿飼・耕平には「椿油売り」がいればいいんでないのかな?(余計なお世話ですが…爆)


2015年6月3日水曜日

村崎修二編著『愛猿奇縁 猿まわし復活の旅』感想文(前編)

猿舞座の村崎修二さんが『愛猿奇縁 猿まわし復活の旅』(解放出版社・2015/4/15)という本をまとめられました。



猿舞座とは虫六も浅からぬ縁があり、編集に加わった上島さんを通じて1冊いただいたのでさっそく拝読させていただきました。思い入れもあるので、客観的な書評は書けないですが、少し長い感想文を忘備録として書き付けておこうと思った次第です。文中、村崎修二さんは「修二さん」、村崎耕平さんは「耕平君」と表記します。

あ、ちなみに長いので興味のない人は読み飛ばしてください。これよりもどうぞ本書を読んでください。
 (長いので前編です)
____

 まず、表紙の写真に向かいます。ん?…修二さんの顔が何やらしんどそうで、30年の艱難辛苦を象徴しているということなのかと、初っぱなから苦笑いであります。あーあ、仙水君(かな?)、ちゃんと箱山に登らないで、修二さんの手の上に腰掛けてさぼっているし…。
 さてさて。

 本書は、雑誌『部落解放』に不定期連載されたという対談と、2012年に国立小劇場で実現した小沢昭一さん・織田紘二さん・村崎修二さんによる鼎談の載録を核に、長年猿舞座の旅に同行してきた上島敏昭さんの「同行記」、そして大阪人権博物館の学芸員で本書のホスト役でもある太田恭二さんの猿まわし復活における回想と解説文、そして猿舞座年表という構成になっています。

 対談は、修二さんの猿まわし復活の旅を精神的・理論的に支え先に導いた伴送者と言うべき方々との対話です。
 猿まわしは、鎌倉時代から馬の厄を祓うという信仰とともに江戸時代を通して伝承されていた芸能でしたが、戦後ほぼ絶滅していました。しかし、かつて猿飼いの集落があった山口県光市にはまだ数人の猿使いが高齢ながら存命していて、それを発掘したのが俳優の小沢昭一さんです。小沢さんの熱意ある働きかけでその復活に取り組んだのが村崎義正さん修二さん兄弟を中心とする村崎一族であり、この復活劇に果たすべき使命を与え、導いたのが民俗学者の宮本常一さんと動物学者の今西錦司さんでした。二人の巨星が動いたことで、猿まわし復活プロジェクトは、「芸能」活動の枠を超えて、「民俗学」や「歴史学」、また「サル学」などの自然科学という学問体系(しかも超一流の)から研究対象としての支援を受けて動き出すことになります。一方、猿まわしに限らないわけですが日本の芸能は被差別階級の人たちが担ってきた歴史があり、もともと遣り手の人権活動家であった修二さんにとっては猿まわしの復活も同じバックボーンに支えられての取り組みだったという側面もあります。また、修二さん自身が若い頃は役者志望だったという経歴や人なつっこいキャラクターも芸人として外せない大切な個性で、それらの人的な交流も大きな支えとなっているようです。

 1匹の芸猿というパスポートを連れて、修二さんは芸能と自然科学、都市と在郷、現代と過ぎ去った時代…を自在に横断できる現代社会においては希有な存在です。このような、ある意味“異様な立ち位置”にあることの経緯と意義が今回の対談の内容として繰り返し語られています。

 普段から修二さんはとても話好きで、すこし関わりをもったことのある人ならこれらの話の断片を聞かされた経験はあると思うのですが、ぽんぽんと登場する名前もどこかで聞いたことのあるビッグな人だったりするので、それが芸能者にありがちな“盛られた話”なのか、どこまで本当なのか判別がつかないことがあったりします。でも、このような本の形になり整理していただくと、ほとんどは意外にも(?)リアルな話だったのか!と合点することも多いと思います。

 対談の最初のお相手は、“猿まわしを初めて論文にした人物”である織田紘二さんで、猿まわしの歴史や復活のいきさつのところから語っています。国立劇場のプロデューサーで『桜姫東文章』や歌右衛門の『阿古屋』を玉三郎に渡すなど復活歌舞伎の仕掛け人でもあり現代の伝統芸能を牽引している人物が、実は猿まわしからスタートしているということを知ると感慨深いものがありますし、とても勉強になる内容でした。また、チンパンジーのアイ・プロジェクトで有名な浅野俊夫先生は、当時、京都大学霊長類研究所と猿まわしの共同研究に参加していたという関係。サル学者たちが猿まわしの何に興味をもっていたのかが浮き彫りになりましたし、研究所との関係のなかで、修二さんの『おサルの学校』という風変わりなプログラムができていったその種明かしのような話でもありました。長年共演してきた高石ともやさん、芸能の上で密接な関係を持ってきた佐渡の太鼓集団「鼓童」の青木孝夫さんとも話題は尽きません。

 さらに、国立劇場小劇場での鼎談の採録は、猿まわし復活の切っかけをつくった小沢さんの最後の証言となっていてとても貴重です。本当はもっと語って欲しいことが沢山あったのだろうけれど小沢さんが亡くなってしまった今ではかなえることができず残念でしかたがありません。個人的にはこんな舞台があったのに見にいけなかったのがこれまた悔しかったな。(悔し紛れに、いまこの感想文を書きながらCD版『日本の放浪芸』を聞いてます。小沢さんの声、若っ!)

 ところで、ここまでの話は、なぜ本仕込みの猿まわしを復活しなければならなかったのか、の“大義”というか“いきさつ”に関わる内容が中心で、現代の猿飼いである村崎修二が見て来た世界がどんなものだったのか、猿まわしを現代に復活するということはどういうことだったのかという核心部分への言及はあまりない気がします。そういう意味では、修二さんがまとめるべき仕事はその先にあるのだろうし、それはなかなか他の誰かが手を出せない領域という気がします。


 かわいいい猿まわしだけ見てもなかなか判らないけれど、常に猿と共に生きなければならない猿飼い芸人である修二さんの人生は、とても制約されていて、それは家族にも及ぶものです。また、個性の違う11匹の猿の成長にあわせて、仕込む芸も違ってきますし、それにより演じる内容も変えなければなりません。大切に育てた芸猿との死別も経験せざるを得ません。それは積み重ねた芸の資本を失うことでもあります。
 さらに、なにより野生動物である日本猿を飼い慣らすのはとても大変です。修二さん自身も命にかかわるような危険な目にあっています。観客の安全を確保しなければならない緊張感を常に抱えながら、しかし猿が受けるストレスをケアしつつ、人前に連れ出し上手に芸をさせる。そして、どんな芸態なら猿が自然で可愛くみえるか、複雑で手間のかかる「本仕込み」にこだわって、修二さんは悪戦苦闘しながら、ながい修練の旅をしてきました。猿まわしでなければ見えないことが沢山あるんだろうなと思います。
 (そして、そんな大変な仕事を後継しようと決心した耕平君の勇気も素晴らしいと思っています。)


 だから、浅草雑芸団の上島敏昭さんがまとめている「同行記」はとても貴重で読み応えがあります。旅の内側からみた実際が感じられ、難しさや試行錯誤が伝わってきます。それでいて上島さんの客観的な視点もいい。もしかしたら、当事者である修二さんではこうはまとめられないのではないか…とすら感じました。想像以上の艱難辛苦、まさに表紙の写真のあの表情が語る仕事なんですね。

(後編につづく