2011年10月30日日曜日

ダメじゃん小出、S市に見参!

昨日何気なく「河北Weekly」を見ていたら、この土日にS市内の商店街で「杜のカーニバル」なる大道芸イベントをやるという記事がのっていて、なんと(!)ダメじゃん小出さんが来るということが分かってしまった!

仕事だよ〜、どうするよ〜?!と悩みましたが、昼休みを調整すれば見にいけると計算し、公演時間ピンポイントで見にいきました。

やっと果たせた「初・ダメじゃん小出」!うれしーぞ!
商店街のイベントだったので、相当加減なさっていた様子ですが、客あしらいの旨さ、媚びのないブラックでシニカルな香りぷんぷんで、虫六はまりそうです。目つきが凄い(笑)
単独ライブを見にいきたい!



2011年10月29日土曜日

ピーターパンに青山陽一ライブを聴きに行く

土曜日、ロック喫茶「ピーターパン」に青山陽一さんが出前ライブに来るというので、家人Tにくっついて行きました。

以前に青山さんのライブに行ったのは、虫六子がまだ3歳かそこらの頃…。しかし、青山さんはあいかわらず若々しくて、嬉しい限りです。ちなみに同じ年。



今年は、『Blues For Tomato』という5年ぶりのアルバムを出したので、そのツアーなのですが、本当は4人のバンドで作ったアルバムなのに、1人ライブである意味寂しいと言ってました(笑)
でも、アルバムの曲を中心に、懐かしの代表曲「難破船のセイラー」や「So Far, So Close」なども織り交ぜて2時間半に及ぶたっぷりライブで、贅沢でした。確かなギターテクニックに圧倒されました。ピッキングっていうんですか?とんでもなく耳触りのよい、気持ちいい音が聞こえてくるのですが右手の動きは楽譜に隠れて見えず、悔しかったね。ソウルフルなボーカルもいいんですよ。これまた。
それから、おひとりライブなんですが…。
自分でハミングしたり演奏してサンプリングした音をループマシンでその場で重ねていって、即興で厚い伴奏音を作り、それに合わせてボーカルやギターを演奏する妙技(?)は、ただ感動。その緊張感と音楽の完成度が凄い!これまでも「ロンリー・インベーダー・ツアー」というテーマでこのようなスタイルの1人ライヴをやっていたそうです。
っていうか、こういうの巷ではよくあるんでしょうか?準備した打ち込みではなく、その場で音を作って重ねるんですけど…。固唾をのんで音楽が出来ていくのを見て聞くという体験でした。

ピータ−パンでは、青山さんを迎えるにあたり、氏が敬愛する「TRAFFIC」のLPを店内に飾ってお出迎え…。ホスピタリティーが行き届いていますね、長崎さん!

そういえば、青山さんは先頃、「SW YouTube Contest 」という、スティーヴ・ウィンウッド・オフィシャルサイト主催の"Can't Find My Way Home"カヴァー・コンテストで、世界中から応募がある中で第2位という快挙に輝いたそうなのです。これは、相当凄いことだそうで、家人Tも熱弁しておりました。



そんなわけで、"Can't Find My Way Home"のカヴァーも聞かせていただいて、満足満足。
会場で買った『Blues For Tomato』のアルバムは、さっそくiPadに入れました。へへへ。


2011年10月27日木曜日

黒テント仙台公演 「窓ぎわのセロ弾きのゴーシュ」

いつもお世話になっているIさんに誘われて、「黒テント」公演を観に行きました。



原作/宮沢賢治
作/山元清多
演出/斎藤晴彦

出演:斎藤晴彦、小篠一成、宮崎恵治、久保恒雄、光田圭亮、山本健治、冨田訓広、平田三奈子、伊達由佳里、滝本直子
ピアノ:住友郁治

   2011年10月26日(水)
時間 19:00〜(開場18:30)
会場 エル・パーク仙台 スタジオホール
入場方法 一般2,500円、学生2,000円(全席自由) ※当日500円増し
[友の会料金]一般2,300円、学生1,800円
問い合わせ 仙台市市民文化事業団 総務課 TEL 022-727-1875


…黒テント。すごい久しぶりだった気がします。
かつて、西公園にテントを張って公演をぶちかましていた頃にいろんな形で支えていた方々が、今も、ずっとファンでいらっしゃるのですね。全体にクロワッサン世代のお客層という印象で、知っている顔がいっぱいありました(笑)。
ご存じ宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」のプロットを、主人公を窓際族のしなびたサラリーマンに替えて展開する脚本。残業をして今晩中に仕上げなければならない見積書を作っていると、次々に邪魔をする訪問者が現れて…。
テレビでも見たことがある斎藤晴彦さんお得意の「クラシック替え歌」が、ゴーシュのセロの代わりに満載されていて、愉快でシニカルな音楽劇になっておりました。

でも、「Glee」(米国の青春ドラマ)とか見慣れてしまうと、「大人しくて理屈っぽいなぁ、日本のコーラス劇は…」という印象もぬぐえません。豪勢なエンターテイメントは望まないけど、芸があるなぁと思わせて欲しいとは感じたのでした。贅沢を言えば…ですが。

チラシのレタリングが、今も平賀甲賀さんだったのがなんだか嬉しかったです。舞台にあった看板もそうなのかな?



2011年10月26日水曜日

映画「一命」

週末出勤の代休が火曜日(レディースデイ)だったので、迷わず映画に…。
お目当ては「一命」です。

海老蔵丈が、あの修羅場を見る事件を起こしたのは、この映画の完成記念の打ち上げの帰りでなかったでしたっけ?…事件の影響でだいぶ公開が遅れたんですね。一応、歌舞伎復帰を果たしての映画公開と…。

というわけで、まだ揚げ揚げで調子に乗りまくっていた頃の海老蔵丈のぱりぱりした演技。
これはこれで、見るべきモノがあった様な気がしますね。まぶしいおす。
オリジナルの「切腹」は見ておりませんが、きっと別な映画になっているんでしょう。海老蔵丈のやった津雲半四郎役は、当時、仲代達也さんが演じたそうです。「武士道」に対する感性が2011年と1962年ごろともまた違うだろうと想像できます。

…(以下ネタばれ注意!)…
「狂言切腹」の目論見が失敗してなぶり殺しにされた求女(瑛太)の敵討ちで、討たれる覚悟で井伊家の屋敷に乗り込む半四郎(海老蔵)が、自分を取り囲む井伊藩士に向かって、「運ひとつでそちら側に座ることもあればここで切腹させられることもある。同じ武士なのに、食い詰めて妻子を守るために命を投げ出さなければならなかった男を哀れとは思わなかったのか?」(意訳)と問い詰めると、「俺たちは間違った対応なんかしていない、何を甘っちょろいことを言ってんのか」(意訳)と役所広司が扮する家老・斎藤勘解由がやや後ろめたい気持ちを隠して一笑に付すのですが、このあたりが今どきのリアルなのかなと。

でも、能力も頭もいい人たちなのに、そこまで貧困に陥る前に、したたかに生活をなんとかする手立てはなかったのか?江戸時代でも…。とは思ってしまいました。脚本には。冷や飯の武士ってそこまで生活能力なかったのか?

海老蔵丈は迫力ありましたが、カッコ良すぎて渋さがないというか、瑛太たちの親世代という設定にリアリティが無かったです。お肌つやつやだし。暮らしに疲れたぼろぼろ感も無かったかな。
むしろ、瑛太は静的な演技がとても良かった。どうしようもなく憐れでした…。竹光の切腹シーンも近年稀に見る印象に残る映像でした。瑛太は役に恵まれているね。

それからお菓子を食べる場面がうまく使われていました。でも、「あの」とっても大事な場面のお菓子は、紅葉じゃないだろう冬なんだから。(完全にネタばれ…見た人はわかると思います)
屋敷内もおどろおどろしくて、形骸化した武家社会の象徴って感じでしょうか。だれが描いたのかな?あの襖絵。

場内は、お年寄りを中心にほぼ席は埋まっていた感じです。レディースデイだったからでしょうか?


蛇足ですが…。
MOVIXのシアター入り口の電光表示の案内が、ただの看板になっていました。
地震で壊れてしまったのかな。

2011年10月21日金曜日

「震災のあとで〈表現する〉こと」を聞きにいく

メーディアテークせんだいのオープン・カフェに「震災のあとで〈表現する〉こと」を聞きにいきました。

出演:いがらしみきお、クマガイコウキ
司会:南蛇楼綾繁
2011年10月21日(金)
18:00〜19:30
せんだいメディアテーク1F オープンスクエア


クマガイさんが新しい詩を読むというので、とても楽しみだったのと、なんといっても月刊IKKIの表紙にもなったというあのチラシの絵を描かれたいがらしみきおさんの話は万難を排して聞かなければならないと、直感で確信して足を運んだわけです。

もちろん、いがらしさんとクマガイさんは師匠と弟子というか、原作者と監督というか仕事上の相棒でもあるわけで、気が置けない間柄と申しますか、普段の息の合った会話を公開したというような感じなので、(本当は緊張もあったかも知れませんが)、はじめからラフな雰囲気で差し障りありありなギリギリのトークショーでした。

はじめは詩の話。
震災以後、文筆を家業にする作家の文章でそれを描いたものに出会っていない。誰もが現実に捕まれて身動きできない状態にあった。ツイッターを含めて、自己肯定を求める言葉ばかりで息が詰まりそうだった。言葉からいちばん自由であるはずの詩人もまともな表現をしていないことに、「違和感」があった…と。
余裕(アソビ)があってはじめて表現はできるのに、こう言わなければいけないから言っているかのような言葉の氾濫。それをもてはやす社会。
(…正直、私も違和感だらけでした。)

2人とも気になる詩人は「まどみちお」さんとのことで、クマガイさんは震災後に書いた何編かの詩の中から「仮称松岩と四千万円とマッチ売りの少女と私たち」を朗読。さすが、詩のボクシング宮城県代表。津波に襲われた気仙沼信用金庫から現金四千万円を盗み出した事件をモチーフに詠った、ハードボイルドチックな映像的な詩で、一本映画が撮れますね?監督。他の詩も、朗読して欲しかったです。あの津波や瓦礫の映像を見ながら、監督はこんな詩をイメージしていたんですね。
いがらしさんは、実は「詩作は苦行」とか言い訳しつつ、まどさんの物真似の読み方(うけてました)で新作の詩「地震のこと」を朗読してくれました。これが、震災以来もやもやしていた気持ちの奥に滑り込んでくる良い詩でした。(*翌日のNHKのローカルニュースの特集でいがらしさんが取材されていて、詩の一部が出ていたのですが、原発に触れたくだりや肝心の部分が割愛されていて、NHKもダメだなあと思いました。)
ネットのどこかに発表していないかな?と思いましたが出ていませんでした。
最初のフレーズはこんな感じなんですけど…「地震のことを地震にきいてみた 地震はこたえてくれない しばらくしたら地震が言った。でも生きていくんだろ? 僕は答えた。まぁ、そうだけど。…(中略)生きているのがなんだか悔しいことがある。…」う、お伝えしたいです。

いがらしさんは、月刊IKKIに「I(アイ)」という連載を発表していて、東北を舞台に生と死、神の存在を探すという(これ、直球じゃないですか?というような)哲学的命題をテーマにした作品で、その第一巻目の単行本が8月に刊行になり話題になっています。凄い作品です。この巻の最終話を編集に届けた翌日にあの地震が来て、シンクロニシティとかそういう感じも超えて、震災を自分がよんでしまったようで気味が悪くなったそうです。
(うわぁ、見えですまったの。)
そして第二巻目からは震災後に描かれた分となるわけで、物語の続きとしても、いがらしさんの表現の分岐としても、興味を持たずにいられません。何か振り切れるような作品になっているらしい…すでに。
と、いうわけで、もし「I(アイ)」を未読の方がいたら、ご一読をお勧めします。

いがらしさんは、仙台の事務所で被災されたあと、津波にのまれた七ヶ浜地区に行ってみたそうです。そこで、呆然とその荒景を見て、ただ見て、その波の中に沢山の人が沈んでいることを思い、「ここには俺が出来ることは何もない。」とすごすごと仕事に戻ってとにかく漫画を描いたそうです。しかし、いつかこれを描かなければいけない時がくるだろうと、目を反らさずに全てを見ておかなければならないと思っていたそうです。
被害者でも加害者でもなく、ただ自分の情けなさや不甲斐なさを受け入れて、自分がなすべきことには確信を持って、その時を待っている。

こういう表現者がいたことにちょっと救われる思いがしました。

トーク後、質問コーナーがあり、会場から「まだ仮設に住んでいる人もいるし、原発も進行形で、メディアもウソばっかりついている状況で、震災がもう終わったかのような前提で話をするとはどういう了見か…」というような発言があり、ちょっと会場が緊張したのですが、ここはクマガイさんが先鋒で「政治的なことはいろいろあろうし、メディアに対する不信感もありましょうが、自分はそういう次元で表現しようと思っていない。」と切り返し、(あにき〜ぃ!)って感じだったのですが、その言葉をいがらしさんが継いで「震災は過去形にしなければいけないんです。少なくても表現のレベルでは過去形にしなければ何も進まない!」と断言していて、いきなり手榴弾を投げてました ( ̄◆ ̄;)

(ああ、この作家はもうとっくに<震災後>の表現に取り組んでいるんだなぁ)


2011年10月20日木曜日

「水俣・白河展」を見に行こうと思う

震災・原発事故のあと、熊本の水俣病資料館で「水俣の経験をフクシマに活かして」というテーマの展覧会が開かれていることをネットニュースだかなにかで見て、強い興味を抱いていました。しかし、さすがに熊本は遠く、断念していたんですが、それと同じかどうかは分からないけれど、白河市で水俣の展覧会があるというので言ってみることにしました。


  2011年11月11日(金)-20日(日)
  午前10時-午後5時
  マイタウン白河(福島県・白河市)

○白河展講演会「水俣病から福島原発事故を考える」
  11月13日(日) 1時30分~4時30分
  ホテルサンルート白河(700席、全席自由)
[講師] 緒方正人(水俣病患者、漁師)
      鎌田慧(ルポライター)※
      森達也(映像作家)
[司会] 竹下景子(女優)

興味深い話が聞けそうです。

せっかくなので、講演会の日に行こうと思い、事務局に連絡してチケットを入手しました。丁寧なメールの返事をいただき、チケット代を振り込んだら、すぐにチラシとチケットを送ってくれました。
講演会は、本当は講師に澤地久枝さんがお出になる予定でしたが、今日HPを見たら、健康上の理由でご講演いただけないこととなったということで、澤地さんに代わってルポライターの鎌田慧さんにお話しいただくそうです。う、残念です。でも鎌田さんのお話も聞きたいので良かったです。

水俣の教訓を深く理解して、フクシマの明日のために希望ある考えを持てればと思います。

問題は、白河市という微妙な距離感…。交通手段は何で行こうかな。


2011年10月16日日曜日

慙愧丸Pの芋煮会

今日は慙愧丸プロジェクトの芋煮会です。
N良君が、芋煮会対策本部室室長として、七北田川河川敷に場所取り、および、火おこし準備をして待機してくれました。

今日は、「仙台風」(豚肉・味噌味)と「山形風」(牛肉・醤油味)の2種鍋。

N良純風。
N良家直伝の手前味噌が入ります。

慙愧丸P行事には珍しく秋晴れです。(写真/虫六子)

鍋ができるまで、クマガイ監督は釣りに興じて(?)おりました。(写真/虫六子)
「何か釣れるのこの川は?」
「いや、釣れなくてもいいの」

子供らは、落書きして自然破壊…(写真/虫六子)
おいおい、足のつく落書きはやめてくれよヽ(;´Д`ヽ)

できた〜!芋煮!(すみません、山形風のを撮り損ねました。写真は虫六子)

夕べ夜中まで栗剥きをして仕込んだ栗ご飯です。(写真/虫六子)
やっぱり、秋は栗ご飯。

イベントの季節で、今回は参加者が少なめでしたが、のんびり時間を過ごしました。
鰯雲を眺めながら、スティーブ・ジョブスが亡くなった喪失感が予想外に監督にとって重大だった話とか、映画「アサシン」の撮影の手伝いをした話とか、I先生の家族が韓流ファンだって話とか…とりとめなく。
でも、今日は大人も子どものややお疲れモードでしたかね。

なんだか、「痩せた?」とみんなに言われていたN良君。(写真/虫六子)
今回もいろいろありがとうございました!

で、コウモリが飛びはじめ、まわりのグループも去っていったので、そろそろ片付けるか…と、記念撮影などしたら…。

突如乱入のこの犬は…。お、来たか!(写真/虫六子)
(ガス君パパ&ママさんへ。それにしても、せっかく来たんだから芋煮を食べて帰ってよ〜!芋煮を。)

そんなわけで、夕食もまったく同じメニューの虫六家でした。たぶん、クマガイ家も。

2011年10月15日土曜日

相馬より、古米届く

先日来、我が家のコメの在庫がなくなっておりました。例年なら、コメが無くなっていようが余っていようが、実家からどどーんと新米が送られてくる季節であるわけです。
「相馬の米」であります。

つい先日、福島県の米の放射線量が規定値内であるので出荷できるという福島県の発表と、放射線量がND(不検出)の米以外は出荷させないというJA福島の発表があったばかりです。

正直いいまして、放射能のことは置いといて、相馬の米は美味しいのです。マジで。
被災見舞いで、知人のSさんが京都のお米屋さんが扱っている新潟産コシヒカリを送ってくださったので、いま、そのお米を有り難くいただいておりますが、天下に名高いブランド米よりも相馬の米の方が粒も大きくて艶もあり美味しいのです。
虫六子も「相馬の米ないの?!」と無責任に贅沢を言っている始末。(この罰当たりが!)

福島の米生産の主幹地は会津および中通りなので、浜通りの米が出荷制限になってもあまり影響ないとかいうツイートも目にしましたが、何をいうか!我が家的には大問題です。

何より、もう引退モードで、娘家族に「新米」をいち早く食べさせることくらいしか楽しみがなかった両親のことを思うと、さすがに「今年の米はいらない」とは言えません。しかし、不安な米を毎日食べるというわけにも行かず、ずっと連絡するのを躊躇っていました。こんなことが自分の人生に訪れるなんて…、本当に。

しかし、相馬の状況も心配なので、思い切って電話してみました。
虫「相馬のお米ってどんな感じなの?」
父「うん、新米は採れているんだけど。県は出荷してもいいって言ってるみたいなんだな」
虫「でも、それって規定の範囲の数値だっていうだけで、どこの米が何ベクレルとか不検出とかハッキリ出ていないよ」
父「そのうち発表されるのかもしれないけど、様子みたら?とりあえず、まだ去年の米もいっぱいあるから、米が無いなら古米を送ってやるから」
虫「えっ。でも古米は貴重なんじゃないの?」
父「なんだか、去年の米売ってけろって、よく頼まれるんだな。だから、今回は古米を送るから、古いの食べなさい。」

そんなわけで、実家から古米が送られてきました。
なんとも複雑であります。

昨日、やっぱり心配で、福島米の産地ごとの線量データを調べてみました。

米(本調査) 相馬市(旧中村町) ヨウ素131_ND セシウム134_13Bq/kg セシウム137_ND サンプル採取日_2011-09-21 結果公表日2011-09-28

やっぱりNDではなかったか。
このお米、結局相馬の人たちが食べちゃうのかな。
う〜〜〜〜ん、う〜〜〜〜ん。

相馬にあった大事なモノが1つ、また1つ奪われていく…。


2011年10月10日月曜日

お浚い会間近!気合い入れたとたんに、まさかの皮破裂

気がつけば、お浚い会まで1ヶ月を切っておりまして、我が忠美恵一門もエンジンが掛かってきまして、特訓モードであります。
まじ、やばいッス。(譜が頭に入ってないよ〜。 (。>0<。) )

で、この週末(虫六は土曜日ないので2連休)に練習してましたら、なにやら急に音色が変わりまして…、や〜な予感に襲われつつ、お三味線の太鼓の裏を見てみましたら…あちゃ〜 (lll゚Д゚)。
あー、あ。破けてしまいました。なんでまた、このタイミングか。
そんなわけで、さっそくお三味線やさんに修理に持って行かれたマイお三味線でした〜。

2011年10月4日火曜日

板東玉三郎特別舞踊公演_日生劇場

奇跡のようなゴールデンチケットが手に入りまして、やってきました日生劇場へ!!
うほ!
玉さま等身大パネルがお出迎えであります!

○日生劇場「坂東玉三郎特別舞踊公演」
平成23年10月2日(日)~26日(水)

一、傾城 吉原絵巻(けいせい よしわらえまき)
       傾城  坂東 玉三郎

二、藤娘(ふじむすめ)
       藤の精  坂東 玉三郎

三、楊貴妃(ようきひ)
      楊貴妃  坂東 玉三郎
      方士  坂東 彌十郎

こんな前の方で、申し訳無い。
つか、この状況下、虫六ばかりがこんないい思いをしていいのかという思いはよぎるのだけど、どうか勘弁してください。

舞踊公演の時の玉三郎丈は、歌舞伎で出演する時とはまた違うんですね。もともとまぶしいばかりのオーラを放っているのに、さらに役者がひとまわり大きく見えるし、まさに水を得た魚というか、神に選ばれた舞踊家というか。
かつ、地方さんも最高のメンバーを選んでくるし、演出も凝っているので、本当に満足度が高いです。それだけにチケットも争奪戦…。
みなさん楽しみにされてお召かししていらっしゃるようで、旅先モードの普段着で座っていたら、ちょっと浮きましたかね (^-^; 

それにしても、やっぱり圧倒されました。
ネタばれになるので、あまり申しませんが…。
「傾城」は、半端な女形さんでは表現できないであろう、まさに「傾城」とはこういうものという、絢爛たる存在感。幕開きの演出で「籠釣瓶花街酔醒」の八ッ橋がフラッシュバック、そのまま玉様ワールドに誘っていただきました。会場内に波状に漏れ出るため息。
廓情緒の中に織り込まれる四季の風情。
長唄演奏は、立唄は杵屋直吉、立三味線は杵屋勝国!待ってました!!阿古屋の玉三郎でもお馴染みの「直吉・勝国」。うひゃあ、贅沢です。これ一演目で元を取った気分の虫六でした。

玉様の「藤娘」を拝見するのは、初めてではありませんが、毎回進化しているのが凄い。この人、本当に踊るの好きなんだろうな。恋心をくどく娘の可愛いこと、酔っ払って千鳥足になる娘の色っぽいこと、理屈でなく何かを凌駕していて、言葉がでません。しかも、これも「直吉・勝国」の長唄 (* ̄ー ̄*) 今回は長唄が2曲で、本当に嬉しい。こんな贅沢は滅多に出来ない。舞台のセットも凝ってます。本当に藤の精に見えますよ。

最後は、「楊貴妃」とこちらは中国ものなんですが、開演前に、年季の入ったファンらしいご婦人に「こういうのもやるんだけど、やっぱり玉三郎は日本舞踊がいいのよね」と、ポスターの前で講釈をいただきまして、私もそんな風に思っていた節もあったのですが…。なんの!「楊貴妃」素晴らしい。何が凄いかっていうと、中国をモチーフにしたもので、昆劇など中国の演劇に通じた玉三郎だから、そのようなモノかと思うと、これがちゃんとした日本舞踊として演出されているところ。それぞれの伝統をきちんと取り入れて、玉三郎丈でないと表現できない、極めてオリジナリティの高い表現になっていることに、感動しました。

玉三郎を生で見られる時代に生まれて良かった。歌舞伎の神様に、また感謝しなければなりません。100年のストレスがすっ飛びました(1日だけでも)。

それにしても、玉様の公演はサービスが行き届いています。
冒頭に見つけた等身大パネルは、記念撮影用でした。群がるお姉様たち…。
公演2日目で生写真などあるわけ無いか…と、あきらめていたら、以前の公演のブロマイドも少し売ってました。至れり尽くせりです。

劇場の面のポスターにも、撮影隊が群がっておりました。
もちろん、虫六もちゃっかり撮りましたが…ほほほ。

歌舞伎座工事中_定点観測

秋晴れのこの日(10/3)、次の黒い目的が午後1時半からなので、ちょっと銀座界隈をぶらつきました。

例のパワースポットは、どうなっておりましょうや。
あら〜、何にもないね、まだ。

でっかいクレーンが二台立ったようです。

地下工事が進行中のご様子です。
奈落を掘っているのか…。

ご苦労様です!

亀治郎「當世流小栗判官」_芸術祭10月花形歌舞伎

これも10/2の日記です。
今回の黒い目的の一つ目は、市川亀治郎率いる澤潟屋一門の芸術祭10月花形歌舞伎、新橋演舞場です。
先日、突然の四代目猿之助襲名というビックニュースで、歌舞伎ファンをビックリさせた亀治郎丈。もっとビックリしたのは、香川照之さんの中車襲名と梨園デビューでしたが…。亀治郎丈の「猿之助」という名跡への執着がないニュアンスの発言と、香川さんの「船に乗らねば」発言からして、名前を亀治郎に預かって(育てて)もらい、ゆくゆくは香川さんの息子・政明君へ嫡流を戻すって約束ができているのかな…とか、妄想を逞しくしますが、大変そうだなぁあ…この世界も。それにしても、香川さんの大挑戦には感服。相当の勇気をふるっての決断と思いますが、頑張ってください。6月、観に行きます!(←なにげに、黒い告白)

というわけで、
○新橋演舞場「芸術祭十月花形歌舞伎」 〈初日です!!!〉

【夜の部】
猿之助四十八撰の内
「通し狂言 當世流小栗判官(とうりゅうおぐりはんがん)」

 市川亀治郎 市川笑也
 天馬にて宙乗り相勤め申し候

  小栗判官兼氏/浪七/娘お駒  亀治郎
            照手姫  笑 也
          鬼瓦の胴八  右 近
    横山次郎/膳所の四郎蔵  猿 弥
           後家お槙  笑三郎
         浪七女房お藤  春 猿
           横山郡司  寿 猿
           横山三郎  薪 車
           局 藤浪  竹三郎
    矢橋の橋蔵/上杉安房守  獅 童
           遊行上人  愛之助
           横山大膳  段四郎

「スーパー歌舞伎」というものを見たことがないと自分を振り返ってみると、我ながら歌舞伎歴が浅いなと思いますが、若い頃、三代目猿之助丈がひとつ演目を仕掛けるたびにそれはそれは話題になっていて、(たぶん、今の平成中村座とか新感線とかの比じゃないと思う)、伝え聞くものはあったけど、観に行ったことはありませんでした。ま、田舎のビンボー学生だったからですが。

でも、今回の澤潟屋のお芝居をみまして、あー、チャンスがあったかも知れないのに大事な芝居を見逃していたのか!!感に襲われました。

中世の説教節で知られた「小栗判官」。寓話ちっくもあり、愛憎や善悪、因果応報あり、ミラクルな霊験譚ありのとんでもストーリーに、早変わり、アクロバチックな馬の曲芸、立ち回り、「俊寛」と「大物浦」を足してさらに輪をかけたような浪七の断末魔の場面、そして天馬に乗った宙乗り…と、まさに歌舞伎ファンタジーに脚色されて、次から次と見どころ満載でした。というか、大口開けて楽しんでしまいました。ψ(`∇´)ψ
なにしろ、花道脇の良いお席でしたので、天馬が頭の上を…。(ご利益、ご利益)

亀治郎丈は1人3役の大奮闘。鮮やか!気品があるね、この人は。いまはまだどこか小ぶり感があるけれど、襲名で大きく成長してくれるでしょう。
右近丈も大活躍で、澤潟屋って亀治郎の1枚看板じゃない(!)ことを実感。笑也丈の照手姫、愛らしい…後から50歳と聞いて、驚愕しました ( Д) ゚ ゚

獅童丈が照れながら道化役で付き合っていて、これも客席を沸かせていました。がんばっているなぁ。好印象。

これはくるね、歌舞伎界に嵐が…6月は。なにしろ楽しみです。
(しかし、切符取れるのでしょうか?)


蛇足。iPadって接写は苦手なんですかね?


畠山直哉 Natural Stories_東京都写真美術館

昨日までのてんやわんやに一区切り付けて、10月2日、虫六が黒く変身してお江戸の空の下にやってきました。
今回の黒いミッションは、例によって新橋、および、有楽町あたりなんですが、ちょっと時間に余裕があったので、久しぶりに恵比寿の東京都写真美術館まで足を伸ばしました。

というのも、「畠山直哉 Natural Stories」が、ちょうどはじまるという情報をかぎつけたからであります。

今回のテーマは初期から現在に至るまでの仕事のうち、自然と人間との関わりを改めて俯瞰するような作品を中心に構成しているとのことで、「LIME WORKS」や「Underground」のシリーズはなくて残念でしたが、

「Untitled /Another Mountain(タイトルなし/もうひとつの山)」(2005)
「Terrils(テリル)」(2009-2010) *最近写真集が出たばかりの新しいシリーズ
「Atmos(アトモス)」(2003)
「Ciel Tombe(シエル・トンベ)」(1991,2007)
「Zeche Westfalen Ⅰ/Ⅱ Ahlen(ヴェストファーレン炭鉱Ⅰ/Ⅱアーレン)」(2003-2004)
「Untitied / Moon(タイトルなし/月)」(1999)
「Lime Hills(ライム・ヒルズ)」(1986-1990)
「Blast #12113-#12117(ブラスト #12113-#12117)」(2005)
「A BIRD/Blast#130(ア・バード/ブラスト#130)」(2006)
「TWENTY-FOUR BLASTS 2011」(2011)*35mmフィルムの連続写真を高解像度でスキャンした動画

…という構成。
発展し膨張する都市の、その対極に存在する削り崩される石灰石の山、鉱山、溶鉱炉、取り壊される炭鉱の建物…を俯瞰に捉え、肉眼では見えないだろう光のない洞窟の中の岩肌や、発破をかけられ爆発する岩石の飛び散る瞬景を印画紙に収めた作品などなど。
自然の、圧倒的なエネルギーや、存在自体の神々しさが圧巻の、静謐な作品群。
入り口付近に細密なスケッチが1枚あり、「うわぁあ、畠山さんて描ける人なんだ!!」と驚きまくったのですが、これはカメラ・オブ・スキュラで転写した作品のようでした… ((・(ェ)・;))
リトグラフのようなマチエールの写真ぽくない作品もありました。
なんというか写真なんだけど、絵を見るような濃密さがあるのですね。(こってりしているという意味ではない。ある、心地よい濃度があるのです)。何故か17世紀バロック絵画の光など思い出してしまったのは、私だけ?

写真家の作品は、世界のどこかにあるのだけれど、当たり前には目にすることのない光景の表現が魅力ともいえましょう。

この時期の展覧会ですから、震災の前から時間をかけて、写真家と美術館が準備してきた内容なのだとおもいます。これだけで、充分に満足できる展示です。
しかし、展覧会には、こららのシリーズとはちょっと異質な作品が入りました。

「Kesengawa(気仙川)」(2002-2010)
「Rikuzentakada(陸前高田)」(2011)

写真家は、陸前高田の出身でした。
震災後、育ったその町に入り撮影した作品も展示されると聞いて、畠山さんの震災後の作品を見てみたいと思い、足を運んだのでした。

しかし、その作品は「震災後」の表現と言うよりも、「震災の」写真でした。

震災の後、眼前に津波被害をうけた場所でこそないけれど、東北の一都市に住んでいる自分は、今も津波が根こそぎ営みをさらっていった町の光景や、瓦礫が山になったり、建物や大木をなぎ倒したり、町中が冠水したり、人気がなくなった廃屋などの映像を毎日毎日目にしています。それは報道カメラマンが映したり、地元のカメラを持っている人が映したり、自分自身が映したりした、夥しい量のイメージです。自然の圧倒的な威力は、「畠山がのぞいたファインダー」に寄らなくても、すでに本当に嫌と言うほど目にしてきました。そういうたくさんの映像と、畠山さんが撮った震災の写真にどういう差があるのか、私には分からないと感じたのです。

「陸前高田」の写真は、212×263mmの同サイズのフレームに収められて60点並べられていました。
対峙する壁面には、同じフレームが1枚あり、震災以前に時間をかけて撮られた「気仙川」のスライド映像。「畠山さんも人を撮るんだ!」と意外な印象を受ける、ふるさとのお祭りやそこに暮らす人々を映した、珍しいテーマのシリーズでした。それが、カシャカシャと留まることなくエンドレスに映写されて、向かいには60枚の破壊された町の写真。
写真で何かを表現しようと言うより、むき身の写真家が、撮るという行為の中で、ごく個人的なご自身の記憶を確認していきたかったのかと感じました。(いえ、あくまで想像なんですが…)。そう思うと抗しがたい喪失感が伝わってきて、私自身の喪失感にも共鳴して、しばらくその部屋から出られなくなりました。
写真家の個人事情もいろいろとあったそうです(それは図録に記述があります)。

写真家・畠山直哉が、震災を超えてどんな写真を撮ることになるのか、期待を込めて注目していきたいと思います。