秋のお浚い会まで残すところ約1ヶ月。先のシルバーウィーク期間中も遠出もせず、練習を欠かさなかった虫六。なんだか曲が折りたたんで身体の中に入ってきたかなーと調子に乗っていたのですが、ここ2日ばかり出張で上京したら練習脳になっていたはずが緊張の糸がほぐれて、また元の黙阿弥…_| ̄|○ 若い時の記憶力が恨めしい。
それはそれとし、今日は今年の春に名取になった姉弟子Oさんのお祝いの会がありました。
そのころ、姉弟子のCさんが大病を患いいろいろ心配したのでしたが、無事に元気になって練習再開となりまして、その快気祝いも兼ねての、嬉しい楽しい会となりました。
お名取かー。そんな日が私にもくるのでしょうか…(遠い目)
今日は、Cさんの小学校(?)の同級生がやられている仙台銀座のお寿司屋さん「鮨 仙一」で、昼から二段重ねちらし寿司をいただきました!
旨しー。鮑も入っておりました。つか、何よりネタがいい!
これに十三湖のシジミ汁とデザートがついて3700円だったかな。サービスで、とろっとろの戻り鰹もいただきました。(念のため、グルメブログではありません)
ずっと喋りぱなしで1時間を過ごし、カフェに移動してお茶しながら、今後の自主連について課題を出されて、散会となりました。
帰りに、演奏会用の帯を「作り帯」に出してきました。(これも自分に負けた気がするのですが、それでなくても緊張でいっぱいいっぱいの朝に帯がうまく締められずにパニックになるのを回避するという意味で、きっと正解だと思いまして…)ふう。
あ、今日は中秋の名月ですね。明るい夜です。
【予告】
このところサボり気味でしたが、溜まった日記をさかのぼって書き留めて行きますです。
歌舞伎などのお芝居や邦楽、さらに大道芸、雑芸などなど、身体と視覚と聴覚が一体となった日本の伝統藝能が面白いなぁと、みちのくS市からウォッチングしております。 (近頃は体調不良のため夜更かし禁止令が出て、更新がままなりませんが、Twitterでは短めに黒い羽根伸ばし(観劇)ネタなども…)
2015年9月27日日曜日
2015年9月8日火曜日
【訃報】紙芝居師・梅田佳声さんに心よりありがとうを
東京の紙芝居師・梅田佳声さんが、8月27日にご逝去されたとのお知らせをいただきました。87才だったそうです。
以下は、私的な回想です。
思い出すのは、2003年11月10日の仙台駅近くの今は亡き喫茶店「goodman」で梅田さんと過ごした時のこと。
その前日、8-9日に私たちが主催した“長編紙芝居『猫三味線』”という3時間におよぶ紙芝居公演を、2ステージ、大熱演で出演していただいての翌日のことで、お帰りになる新幹線が来るまでと、コーヒーを飲んで過ごしていただいたのでした。当時、梅田さんは75才。まだまだお元気でしたが、さすがに連日大舞台を踏んでいたので、お疲れだったのでしょう。昨日の余韻に浸りながら口数少なにポツポツと会話をしていたのですが、ふと何かを思い出したように微笑まれ、「しかし、人の人生というのは面白いね。70を過ぎてこんな面白いことが待っていたなんて…」と愉快そうにおっしゃってくださいました。その時、私もそれまでの人生で味わったことのない胸のすく感慨を覚えたことが思い出されます。
二十世紀が終わる頃に「街頭紙芝居」というカオス怪物みたいな手強い大衆文化をテーマに研究をはじめた私は、実演者を求めて梅田さんとの出会いがあり、一からいろいろと教えていただきました。絵があっても実演がなければ、演奏されない楽譜と同じだということを実感したのは、梅田さんの実演に出会ったからでした。当時、仙台市にはもう現役の紙芝居屋さんはいなかったのですが、絵の保存と実演の伝承をセットで“動態保存”していかないと文化は伝えられないという基本的な考えも、梅田さんとの交流の中ではぐくまれていきました。
梅田さんは、飴売りはせず、紙芝居を芸として高めてみたいとおっしゃっており、その芸風は、かつて紙芝居をはじめ大衆演劇や漫才をされていた経験に裏打ちされ、さらに落語や講談、小唄…など芸事に精通された教養があふれ出てくるような紙芝居でした。大衆の中に豊穣な芸事の地盤があればこその紙芝居文化だったんだ、ということを実感させてくれる実演でした。そしてその思いが結集した舞台が『猫三味線』だったのです。
『猫三味線』は梅田さんの長年の持ちネタで、それまで日本橋亭や四ッ谷・石響で長編ライブに挑戦されていました。その演目をなんとか仙台で上演できないかと、市の企画コンペに応募した結果、採択されて、ようやく形にすることができました。仙台では240人定員のホールで、本物の紙芝居舞台の他に、原画を大小のスクリーンに投影し、三味線・箏のプロの生演奏(山本昌子さん)を劇判としてつけました。大写しになった紙芝居絵(ケイ・タジミ画)の臨場感と梅田さんの外連味たっぷりな語り、加えて当意即妙の三味線のからみが絶妙で、サイレント映画のようでもあり、見世物のようでもあり、また舞台と満杯の客席の一体感も昂揚するもので、ステージ・エンターテイメントとして新鮮な衝撃がありました(これが紙芝居の水平線をみる経験となり、私たちが自前で二十一世紀紙芝居『蛇蝎姫と慙愧丸』をゼロから作っていくきっかけにもなったのは、また別なお話です)。
この公演の前後には、数年にわたり10−BOXなどの会場を借りて、もう少し小さい規模のライブを何回かやっていただいたり、また「まちげき」にも出演していただいたこともありました。地元の俳優・小畑次郎さんとの仙台での古い紙芝居の上演活動にもいろいろお導きをいただきました。また、梅田さんを慕う若者たちが街頭紙芝居に手を染めはじめるということもあり、仙台での梅田さんの影響力は非常に大きいものがありました。
もちろん梅田さんは東京を中心に活躍されていたのですが、全国でもひっぱりだこで、その上演の巧さは、いわゆる教育・手作り系の紙芝居の方々からも高く評価されていました。そのような意味で、昔から溝が深かった教育系と街頭系の、二系統の紙芝居の橋渡し役としても、たいへん大きな存在だったといえます。また、玄人の演芸関係者にもファンはいらしたようで、生前には梅田さんのインタビュー本やDVDの発売計画もあったように噂には聞いています。私たちは親しみを込めて気軽に「梅田さん」とお呼びしていましたが、もっともっと畏敬の念をもってお相手させていただくべき方だったのではないかと思います。
しかし、人を選ばず丁寧にお相手してくださる方でしたので、心のこもった手紙で力をもらった経験は、きっと私だけのものではないでしょう。
そんな梅田さんですが、ご本人の芸歴にはブランクがありました。健康を害し、また、家庭を持つために芸人の道をあきらめて堅気の仕事についたと伺っています。その間も好きで寄席に通ったり、講談落語研究会に参加したり、国立劇場の脚本コンテストで入賞したこともあったそうです。定年にさしかかる頃に、上野の下町風俗資料館で紙芝居の展示をみて、ボランティアではじめた実演。喫茶店でのつぶやきは、そんな人生を振り返っての一言だったのではないかと思います。
昔のような商売は成り立たない社会に、紙芝居を復活させるのは容易ではなかったはずです。飴売りをしないかわりに、資料館やお祭りなどのイベントでギャラをもらって上演するというスタイルの確立に努力なさっていたし、絵も上手なので新作の制作にも精力的でした。晩年、体力が落ちていったり、苦しい闘病生活のなかで、絵の保存や後継者のことなど行く末にいろいろ悩むことは多かっただろうし、胸の内で闘っていることも少なからずあったのではないかと思うと、何のお役にも立てなかった自分の無力が残念です。今年7月7日の七夕の日に、子どもの文化研究所の「紙芝居3賞」の授賞式に病を押してご出席された梅田さんにお会いできたのが、今生の別れとなりました。最後に拝見した紙芝居は、『恩讐の彼方に』でした。
軽妙洒脱な江戸前の語り口、自分で突っ込みを入れながら突いて出る替え唄、あの明るい舞台をもうみられなくなったのは、本当に寂しい。まさに名人芸でした。
弟子は取らない主義だったとはいうけれど、梅田さんを慕い、紙芝居を続けている後継者たちは頑張っています。せめてその紙芝居師の皆さんのことを、梅田さんにかわって応援していきたいと思います。
心から、心からご冥福をお祈りします。
2015年2月4日 八王子市の公園にて |
思い出すのは、2003年11月10日の仙台駅近くの今は亡き喫茶店「goodman」で梅田さんと過ごした時のこと。
その前日、8-9日に私たちが主催した“長編紙芝居『猫三味線』”という3時間におよぶ紙芝居公演を、2ステージ、大熱演で出演していただいての翌日のことで、お帰りになる新幹線が来るまでと、コーヒーを飲んで過ごしていただいたのでした。当時、梅田さんは75才。まだまだお元気でしたが、さすがに連日大舞台を踏んでいたので、お疲れだったのでしょう。昨日の余韻に浸りながら口数少なにポツポツと会話をしていたのですが、ふと何かを思い出したように微笑まれ、「しかし、人の人生というのは面白いね。70を過ぎてこんな面白いことが待っていたなんて…」と愉快そうにおっしゃってくださいました。その時、私もそれまでの人生で味わったことのない胸のすく感慨を覚えたことが思い出されます。
二十世紀が終わる頃に「街頭紙芝居」というカオス怪物みたいな手強い大衆文化をテーマに研究をはじめた私は、実演者を求めて梅田さんとの出会いがあり、一からいろいろと教えていただきました。絵があっても実演がなければ、演奏されない楽譜と同じだということを実感したのは、梅田さんの実演に出会ったからでした。当時、仙台市にはもう現役の紙芝居屋さんはいなかったのですが、絵の保存と実演の伝承をセットで“動態保存”していかないと文化は伝えられないという基本的な考えも、梅田さんとの交流の中ではぐくまれていきました。
梅田さんは、飴売りはせず、紙芝居を芸として高めてみたいとおっしゃっており、その芸風は、かつて紙芝居をはじめ大衆演劇や漫才をされていた経験に裏打ちされ、さらに落語や講談、小唄…など芸事に精通された教養があふれ出てくるような紙芝居でした。大衆の中に豊穣な芸事の地盤があればこその紙芝居文化だったんだ、ということを実感させてくれる実演でした。そしてその思いが結集した舞台が『猫三味線』だったのです。
『猫三味線』は梅田さんの長年の持ちネタで、それまで日本橋亭や四ッ谷・石響で長編ライブに挑戦されていました。その演目をなんとか仙台で上演できないかと、市の企画コンペに応募した結果、採択されて、ようやく形にすることができました。仙台では240人定員のホールで、本物の紙芝居舞台の他に、原画を大小のスクリーンに投影し、三味線・箏のプロの生演奏(山本昌子さん)を劇判としてつけました。大写しになった紙芝居絵(ケイ・タジミ画)の臨場感と梅田さんの外連味たっぷりな語り、加えて当意即妙の三味線のからみが絶妙で、サイレント映画のようでもあり、見世物のようでもあり、また舞台と満杯の客席の一体感も昂揚するもので、ステージ・エンターテイメントとして新鮮な衝撃がありました(これが紙芝居の水平線をみる経験となり、私たちが自前で二十一世紀紙芝居『蛇蝎姫と慙愧丸』をゼロから作っていくきっかけにもなったのは、また別なお話です)。
この公演の前後には、数年にわたり10−BOXなどの会場を借りて、もう少し小さい規模のライブを何回かやっていただいたり、また「まちげき」にも出演していただいたこともありました。地元の俳優・小畑次郎さんとの仙台での古い紙芝居の上演活動にもいろいろお導きをいただきました。また、梅田さんを慕う若者たちが街頭紙芝居に手を染めはじめるということもあり、仙台での梅田さんの影響力は非常に大きいものがありました。
もちろん梅田さんは東京を中心に活躍されていたのですが、全国でもひっぱりだこで、その上演の巧さは、いわゆる教育・手作り系の紙芝居の方々からも高く評価されていました。そのような意味で、昔から溝が深かった教育系と街頭系の、二系統の紙芝居の橋渡し役としても、たいへん大きな存在だったといえます。また、玄人の演芸関係者にもファンはいらしたようで、生前には梅田さんのインタビュー本やDVDの発売計画もあったように噂には聞いています。私たちは親しみを込めて気軽に「梅田さん」とお呼びしていましたが、もっともっと畏敬の念をもってお相手させていただくべき方だったのではないかと思います。
しかし、人を選ばず丁寧にお相手してくださる方でしたので、心のこもった手紙で力をもらった経験は、きっと私だけのものではないでしょう。
そんな梅田さんですが、ご本人の芸歴にはブランクがありました。健康を害し、また、家庭を持つために芸人の道をあきらめて堅気の仕事についたと伺っています。その間も好きで寄席に通ったり、講談落語研究会に参加したり、国立劇場の脚本コンテストで入賞したこともあったそうです。定年にさしかかる頃に、上野の下町風俗資料館で紙芝居の展示をみて、ボランティアではじめた実演。喫茶店でのつぶやきは、そんな人生を振り返っての一言だったのではないかと思います。
昔のような商売は成り立たない社会に、紙芝居を復活させるのは容易ではなかったはずです。飴売りをしないかわりに、資料館やお祭りなどのイベントでギャラをもらって上演するというスタイルの確立に努力なさっていたし、絵も上手なので新作の制作にも精力的でした。晩年、体力が落ちていったり、苦しい闘病生活のなかで、絵の保存や後継者のことなど行く末にいろいろ悩むことは多かっただろうし、胸の内で闘っていることも少なからずあったのではないかと思うと、何のお役にも立てなかった自分の無力が残念です。今年7月7日の七夕の日に、子どもの文化研究所の「紙芝居3賞」の授賞式に病を押してご出席された梅田さんにお会いできたのが、今生の別れとなりました。最後に拝見した紙芝居は、『恩讐の彼方に』でした。
軽妙洒脱な江戸前の語り口、自分で突っ込みを入れながら突いて出る替え唄、あの明るい舞台をもうみられなくなったのは、本当に寂しい。まさに名人芸でした。
弟子は取らない主義だったとはいうけれど、梅田さんを慕い、紙芝居を続けている後継者たちは頑張っています。せめてその紙芝居師の皆さんのことを、梅田さんにかわって応援していきたいと思います。
心から、心からご冥福をお祈りします。
2015年9月2日水曜日
8月に読んだ本
2015年8月の読書メーター
読んだ本の数:7冊
読んだページ数:1550ページ
ナイス数:22ナイス
断片的なものの社会学の感想
失礼ながら著者のことはほぼ知らず、タイトルと表紙の写真に惹かれてのジャケ買いで一気読み。素直にこの本に出会えて幸運だった。自分も呑み込めないものをはき出せずに違和感のまま残したり、いつの間にか何かをあきらめたり折り合いをつけたりということを意識的にも無意識にも重ねて保ってきたんだろうな。乾いた笑いしか返せないことも、言葉で人をキズつけてることもある。時おり木もれ日が射すように色や形を伴って古い記憶が姿を起こすことがある。そんな今・昔、甘・苦入り交じった感傷が何度も訪れた。また何度も読み返すと思う。
読了日:8月31日 著者:岸政彦
坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ (岩波現代文庫)の感想
単行本を買おうと思っていたら文庫本になってた。今年2月に亡くなった三津五郎丈の歌舞伎案内。「歌舞伎のこともっと知りたいけれど、入門書では飽きたらず、教科書みたいな研究書を読みたいわけじゃない」そんな中級者には最適で、かつ、読み応え充分の1冊。「踊りの愉しみ」も面白かったけど、こちらも!!役者の視点から舞台の奥にある世界を垣間見せていただき胸躍る。長谷部浩さんの聞き出し力もあるとは思うけれど、とても読みやすい。知りたかった内容・構成で説明も巧い。三津五郎さんという人はとても明晰な人だったんだと強く感じる。
読了日:8月24日 著者:坂東三津五郎
春山町サーバンツ 4 (ビームコミックス)の感想
広報誌の編集係と思っていたら今度は認可保育園の新設担当…とな。春山町出張所は仕事の可能性がいっぱい。鶴子ちゃんみたいな人がお役人だと町民のみなさんは味方してしまうかもね。muneさん、マスコットクリエーターっていうよりアートプロデューサーですね。本人ふわふわしているのにビジネス展開力凄し。不思議な人だ。個人的には、自転車の補助椅子が好きだったのに、鶴子にちょっと大人ぽいとこみせたくなって自分で自転車に乗ることを覚えたばかりか、ママを補助椅子に乗せて走ってるひろ君がかわゆし。最終巻とは寂しい。かなり。
読了日:8月16日 著者:朝倉世界一
春山町サーバンツ 3 (ビームコミックス)の感想
4巻が出たので再読。
読了日:8月15日 著者:朝倉世界一
Heaven?―ご苦楽レストラン (1) (ビッグコミックス)の感想
お友だちに貰って(!)読みました。無茶苦茶ででまかせばっかしの自由奔放系女性オーナーと冷静だが適正がハテナ?なシェフドランの伊賀君を核に、「つぶし」ジンクスのシェフ、素人ばっかのサービススタッフが集まって、駅から遠いお墓の真ん中にレストランを開業するって話。しかし、佐々木先生の人物設定パターンはいつもといっしょかな?2巻目以降はお友だちが買わないって言ったので読めない予定。
読了日:8月13日 著者:佐々木倫子
花に染む 6 (クイーンズコミックス)の感想
それぞれの心にあるものが閉ざされていて、誰にも感情移入出来ないのが、この作品を読みにくくしているんだなーと、思いながら読み進めました。 雛さん、今回は登場が少なめ。
読了日:8月13日 著者:くらもちふさこ
坂東三津五郎 踊りの愉しみの感想
歌舞伎役者と一口で言ってもいろんな家筋がある。三津五郎丈の場合は、菊五郎劇団で六代目の元で修行した父(八代目)が大和屋に婿養子に入って生まれた九代目。役者でもあるけれど、舞踊・板東流家元としての宿命、修練の生涯があったのだ。早すぎる死は舞踊界の人たちにとっては想像以上に大きな喪失だっただろうと感じた。大和屋の踊りに立ち向かう言葉はまるで遺言だ。もっともっと面白くなっただろうし、その踊りを見たかった。「喜撰」や中村屋との「棒しばり」、まだ目に焼き付いている。芝居だけでなく踊りを愉しむ目を身につけたいな。
読了日:8月12日 著者:坂東三津五郎
読書メーター
読んだ本の数:7冊
読んだページ数:1550ページ
ナイス数:22ナイス
断片的なものの社会学の感想
失礼ながら著者のことはほぼ知らず、タイトルと表紙の写真に惹かれてのジャケ買いで一気読み。素直にこの本に出会えて幸運だった。自分も呑み込めないものをはき出せずに違和感のまま残したり、いつの間にか何かをあきらめたり折り合いをつけたりということを意識的にも無意識にも重ねて保ってきたんだろうな。乾いた笑いしか返せないことも、言葉で人をキズつけてることもある。時おり木もれ日が射すように色や形を伴って古い記憶が姿を起こすことがある。そんな今・昔、甘・苦入り交じった感傷が何度も訪れた。また何度も読み返すと思う。
読了日:8月31日 著者:岸政彦
坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ (岩波現代文庫)の感想
単行本を買おうと思っていたら文庫本になってた。今年2月に亡くなった三津五郎丈の歌舞伎案内。「歌舞伎のこともっと知りたいけれど、入門書では飽きたらず、教科書みたいな研究書を読みたいわけじゃない」そんな中級者には最適で、かつ、読み応え充分の1冊。「踊りの愉しみ」も面白かったけど、こちらも!!役者の視点から舞台の奥にある世界を垣間見せていただき胸躍る。長谷部浩さんの聞き出し力もあるとは思うけれど、とても読みやすい。知りたかった内容・構成で説明も巧い。三津五郎さんという人はとても明晰な人だったんだと強く感じる。
読了日:8月24日 著者:坂東三津五郎
春山町サーバンツ 4 (ビームコミックス)の感想
広報誌の編集係と思っていたら今度は認可保育園の新設担当…とな。春山町出張所は仕事の可能性がいっぱい。鶴子ちゃんみたいな人がお役人だと町民のみなさんは味方してしまうかもね。muneさん、マスコットクリエーターっていうよりアートプロデューサーですね。本人ふわふわしているのにビジネス展開力凄し。不思議な人だ。個人的には、自転車の補助椅子が好きだったのに、鶴子にちょっと大人ぽいとこみせたくなって自分で自転車に乗ることを覚えたばかりか、ママを補助椅子に乗せて走ってるひろ君がかわゆし。最終巻とは寂しい。かなり。
読了日:8月16日 著者:朝倉世界一
春山町サーバンツ 3 (ビームコミックス)の感想
4巻が出たので再読。
読了日:8月15日 著者:朝倉世界一
Heaven?―ご苦楽レストラン (1) (ビッグコミックス)の感想
お友だちに貰って(!)読みました。無茶苦茶ででまかせばっかしの自由奔放系女性オーナーと冷静だが適正がハテナ?なシェフドランの伊賀君を核に、「つぶし」ジンクスのシェフ、素人ばっかのサービススタッフが集まって、駅から遠いお墓の真ん中にレストランを開業するって話。しかし、佐々木先生の人物設定パターンはいつもといっしょかな?2巻目以降はお友だちが買わないって言ったので読めない予定。
読了日:8月13日 著者:佐々木倫子
花に染む 6 (クイーンズコミックス)の感想
それぞれの心にあるものが閉ざされていて、誰にも感情移入出来ないのが、この作品を読みにくくしているんだなーと、思いながら読み進めました。 雛さん、今回は登場が少なめ。
読了日:8月13日 著者:くらもちふさこ
坂東三津五郎 踊りの愉しみの感想
歌舞伎役者と一口で言ってもいろんな家筋がある。三津五郎丈の場合は、菊五郎劇団で六代目の元で修行した父(八代目)が大和屋に婿養子に入って生まれた九代目。役者でもあるけれど、舞踊・板東流家元としての宿命、修練の生涯があったのだ。早すぎる死は舞踊界の人たちにとっては想像以上に大きな喪失だっただろうと感じた。大和屋の踊りに立ち向かう言葉はまるで遺言だ。もっともっと面白くなっただろうし、その踊りを見たかった。「喜撰」や中村屋との「棒しばり」、まだ目に焼き付いている。芝居だけでなく踊りを愉しむ目を身につけたいな。
読了日:8月12日 著者:坂東三津五郎
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