2011年5月30日月曜日

忠美恵会はやっぱ「鰻重」でしょ

東京のK先生から震災のお見舞い金をいただいたので、みんなの顔をみながら会食しましょうということになり、今日がその日でした。わーい。

忠美恵会といえば、やっぱり鰻でしょ。
昼食も抑え気味にその場に臨んだ虫六でした!
(なのに先生てばお昼に「牛タン定食」を召し上がったそうな…。
 …なんと無謀な… ( ̄◆ ̄;) )
今日はみなさん控えめ(?)に「重ね鰻弁当」。茶碗蒸しも付いてます。
やっぱり大観楼の鰻は美味しいね!銀しゃりがまた… (* ̄ー ̄*) 

K先生、ご馳走様です!いただきま〜す。
震災や原発の重い話が中心なのに、なぜか暗くならない(?)、いつも変わらぬ皆さんとの明るく楽しいひとときでした。
てか、腹一杯、胃拡張。

そして、この震災がなかったら(!)この週末は本当は東京でお浚い会だったという…スケジュールであったことを、改めて思い出して、(本当は今頃「越後獅子」は仕上げなくちゃいけなかったんだ…と、)青くなった虫六でした。仕上げるどころか練習不足で後退しているし。

お浚い会参加のために、とりまとめてみんな(6人分)のホテル(しかも高級ホテル)を早めに予約していたNさんのところに、宿泊予定2日前に予約確認のメールが入って、慌ててキャンセルしたという話が、今日一番怖い話だったかも知れませんが…。

2011年5月29日日曜日

食器棚がキター

お酒を買ってお腹を空かせて帰ったわけですが、虫六を待っていたのは暖かい晩ご飯ではなく、3コ口の大型荷物+同じ大きさの1コ口荷物。
今日はネットで注文した食器棚の配達指定日でした。
仕事に行っている間に、家人Tが受け取ったのですが、自分で組み立てるタイプのもので、そのまま梱包解かずに鎮座してましたヾ(*゚A`)ノ

しかも、「虫六子が夕方塾に行くときに雨が降っていたので、帰りは虫六に向かえにして欲しいそうなので、お母さんは10時まで飲めませんよ」と。ヾ(*゚A`)ノ

げ。
そういうことなので、しょうがなく食器棚の組立&セッティングをやってしまおうということになりました。
が!これがでかい重い…。あのう、体力限界なんですけど。

すったもんだの末、なんとか大人2人で組立完了。
曇りガラスがアクセントのちょっと昭和な味わいの食器棚です。

上記の棚一つではおさまらないので、グラスやコーヒーカップ用にカップボードも購入。思ったより黒っぽい感じで、お揃いじゃないけど、こっちはキッチンにおかないからいいや。

もう、大きな余震が来ませんよ—に!!!!!

そんなこんなしてたら、虫六子を向かえに行く時間となりました。
お腹が空いて目がしょぼしょぼだよ。

最後の「伯楽星」報道でマジ心配したぞ

あ、日付が変わってしまいました…_| ̄|○

今日は勤務日でしたが、そろそろ帰ろうっかな?と思っていたら、家人Tより「帰りに『伯楽星』を買ってきてください」との指令が入りました。
27日のA新聞で「最後の酒造り 「伯楽星」の新澤醸造店」という記事を見て、ええぇ!「伯楽星」やめちゃうの?良い感じだったのに(;ω;)と、昨日話題にしていたので、惜しみつつ飲もうということらしい…。

で、いつもの阿部酒店に買いにいって、「新聞見て買いにきたよ〜」というと、「さっきもそういうお客さんが何人か来たんですよ。でも、来年は新しい酒蔵建てて仕込むからね」と。
 (・_・)へっ?
「やめるんじゃないの?」
「いや、10年後にあのとき蔵を新しくしといて良かった!って言わせてみせるって、張り切っているよ。」
「な〜あんだ、もう最後だって言うから焦っちゃったよ(おいおい、A社さんそこんとこ大事な情報ですから、省かないでくださいよ… ┐(´(エ)`)┌ …んもう)」

というわけで、今日は「純米吟醸生詰 伯楽星 蔵の華」です。
究極の食中酒です。

2011年5月26日木曜日

雄勝法印神楽が復活だ!

3月30日のネットニュースに「雄勝法印神楽_被災地の伝統神楽「4月は無理」 舞台流失、演者は避難所 (共同通信)」と言うのが載っていて、慌てて沿岸部の伝統芸能がどうなったかと調べたことがあったのですが、キュウリさんという方のブログで、各地の民俗芸能が満身創痍の中で、天災に対する浄めの儀式として、地域のつながりを確かめ合う手立てとして、舞い、演奏していることを知り、ちょっと勇気が出たのでした…が、
この度!なんと!
取るものとりあえず、ここに勝手にリンクさせていただきました!

また、雄勝法印神楽のHPでも紹介されていますが、
雄勝法印神楽では今後の伝承活動に向けて「復興支援募金」を開設したそうなのでお知らせします。

(写真は、S市で開催された2004年のマチゲキで虫六が撮影したもの)

石巻市のなかでも雄勝地区は特に被害が酷いとは伺っていますが、ぜひ法印神楽の火を守り抜いて欲しいと、影ながら願っております。
あの勇壮な神楽舞をふたたびこの目でみたいです!





2011年5月23日月曜日

イージー・タクさんがS市でライブ

猿舞座の村崎さんの仲間で、金沢市のフォークシンガー、イージー・タクさんがS市の老舗居酒屋「ラブミー牧場」でライブをするというお知らせをいただいたので、会いにいきました。

タクさんは石巻出身で、この震災でお母さんを津波で亡くし、実家も1階部分がまるまる津波に浸かったそうです。お兄さんもケガをしてリハビリ中とのことで杖をついていました。
タクさんと弟のRさんが4日前から石巻入りして、家の片付けをしていたとのこと。あまりに町が変わって、なんにもなくなって、笑うしかなかった…と言っていました。

ライブは8時からとのことだったのですが、トリのタクさんの前に、いろんな出演者がいらっしゃって、タクさんが歌い始めた時には10時回っていました、ね。
S市にくるといつも歌ってくれる「ブラザー軒」、やっぱりタクさんのがいいよ。あの、北上川の歌も良かったよ(←曲名知らず…)

震災以来はじめて夜の留守番をさせられていた虫六子から「いつ帰る?」と不安げなメールが入るようになったので、慌ただしく帰宅。

タクさん、また歌ってください。


引き取り価格ゼロ円

どうもこのマンションの構造上、我が家の間取りで言うと台所に揺れが集中するんでないか?と思うところがあります。今度の3.11本震、そのあと4.7余震でも、冷蔵庫、食器棚ともにドアが開いて中のものが全部出てきました。食器棚などは開き戸の取手をぶっといゴムでこれでもか!っていうほど止めているのに、そのゴムをビヨ〜ンと伸ばして、棚と戸の間に食器がなだれ落ちていくのです。3.11大地震の前にあった様々な地震でも、やっぱり食器棚から食器は落ちたので、これはやっぱりダメなんだと、食器棚を引き戸タイプのものに買い換えることにしました。

しかし、問題はいま使っている食器棚をどう処分するかです。

いろいろ調べていたら、いまリサイクル店が品薄で大変なんだとか…。
これは引き取って貰えるかも知れない。うまくすれば買い取ってもらえるかも?
と連絡してみると、今日下見をして、都合がよければそのまま持ち帰りますとのこと。

で、朝から、余震のあとで食器棚に戻した食器をまたまた段ボールに詰めたりなんだりして、棚もわざとらしいほど掃除して待ってました!でも、落ちてきた食器で傷がついてたりして、ちょっと痛々しいですよね。で、案の定「引き取るけど、値段は付けられないよ」と。(向こうも商売なので、それは覚悟してましたが…。でも引き取るってことは売れるんだね、ウチの食器棚…まだ)
というわけで、ついでにスチール棚も一緒に持って行って貰いました。(ただ粗大ゴミにするよりいいよね。)新しい食器棚が入るまで(これから買うんです)、ガランとした台所で、三たび床置き生活です。

っていうか、片付いてない我が家をみて、リサイクルやさんにも「引っ越しですか?」と突っ込まれた虫六家でしたー。

2011年5月19日木曜日

東北大学大学院理学研究科出前講座 ―3・11地震と放射性物質の拡散について―

東北大学が、「出前講座 ―3・11地震と放射性物質の拡散について―」というのを一般向けに開催するというので、早めに仕事を抜けて聞きにいきました。

先着100名・予約なしというので早めに受付したら整理券を配っていて、とりあえず貰えたので安心して近所の喫茶店で時間を潰して開場時間に行ったら、もう会場中人でいっぱいでした。(失敗した〜!)ぎゅうぎゅう詰めでなんとか座れましたが、定員100名のところ150名入れて、あぶれた人向けに急遽第2会場をセッティングしたようです。やっぱり関心高いですね。



日時:5月19日(木)18:15〜20:40
場所:フォレスト仙台 第5・6会議室

仙台で正しく恐れるための基礎知識を地震の観測・研究を続けてきた科学者と放射性物質の拡散過程解明にかかわる科学者がわかりやすくお話しします。

(1)2011年東北地方太平洋沖地震について:松澤 暢(地震・噴火予知研究観測センター:地震)
(2)仙台に降った放射能とそのリスク:田村 裕和(物理専攻:放射線)
(3)大気による放射性物質拡散:岩崎 俊樹(地球物理専攻:気象)
(4)放射性物質をふくんだ水(汚染水)の海洋における拡散:花輪 公雄(地球物理専攻:海洋)

主催:理学部研究科/共催:東北大学サイエンスカフェ

地震、市内の放射能、放射能汚染の大気と海洋への拡散…と、バランスのいい内容でした。科学者に説明されると、分かったような気になるのは危険ですね。
福島県には、N大学の先生が「大丈夫」行脚をしているとの話なので、気にするなと言われるとかえって構えてしまいますが、東北大の先生が調べたデータではS市に関しては現状では放射性物質の影響は気にする程では無いみたいです。
でも、これは外部被曝の話…、内部被曝の原因となる食物などにどんな影響が出ているかという話ではなかったので、今後、農学部の研究者からでもちゃんとした話を聞きたいところです。

地震もこの先M8規模の余震があっても全然可笑しくない状況のようで、それもそうだけど、地震学の学者たちがどうしてこの度の地震を予想し得なかったのか…、これまでのパラダイムががらがらと崩れたという松澤先生の発言からして、きっとこの世界の学者等にとってはとんでもなく重い課題なのでしょう。プレートの移動でこれまで年に2センチづつ痩せていた東北地方は、この地震で4メートル太ったそうです。

田村先生の放射能講座は分かりやすくて、話も上手でした。原子核物理の専門だけど、原子力の専門ということではないそうです。何が原因で何回放射線量のサージがあがって、いまはこんな…というグラフ。ネットで見てましたが、説明されるとよく分かる。このデータも、震災でめちゃくちゃになり立ち入り禁止になった研究室にこっそり入って持ち出した計測器で個人的に計りだしたもの。(東北大の理工学部は計器類めちゃくちゃで大変だったんだな、そういえば…。)3月の中旬に水素爆発やベントで放出された放射性物質のうち、ヨウ素は半減期が8日なのでいまはほとんど影響がない状態だけど、セシウムは半減期が長いので大気や上空から雨や雪などで地面に沈着したものが今も放射線を出していて、事故の前よりも大気中の線量を少し上げているけど、世界の平均的な線量が0.1マイクロシーベルトのところ、S市は0.08マイクロシーベルトなので、(余談は許さないけれど)原発で臨界が止まっている今はとりあえず神経質にならなくてもいい…とのことでした。でも、アスファルトよりは土の上の方が放射性物質は残りやすいし、雨水がたまりやすい場所は高くなりがちなので要注意だそうです。
ガンの発症率に関しても、年100ミリシーベルトの閾値以下の数値についてはグレーゾーンなので、20ミリでも10ミリでも確率的影響としか言えなくて、ガンになったからといって「それは放射能の影響でガンになりました」とは断定出来るものではないとのこと。

気象の岩崎先生は、放射性物質大量放出のタイミングとその日(15日)の気象環境をアニメーション再現しながら福島にホットスポットができた経緯なども説明。大気の状態に寄っては、仙台もそのほかの地域もダメージを受けた可能性はある…と。16日だったらほとんど海に流れたのにとも言ってましたが、それだと水素爆発がもう一回起きかねなかったんだよね。いずれ、毎日風の向きを確認したり、どこに前線があるか確かめつつ、福島原発の成り行きに注視するということなんでしょうね…原発の周辺に住まう住民の恐がり方としては。

海洋学の花輪先生は、原発の汚水が海に大量放出されたことで、日本国は世界に対して加害者になったという認識を強調してました。海洋の汚染に関しては、本当に調査が遅れているらしく、水質調査のポイントをもっと密に広範囲に取ってデータを公表するようにと、学会は国に要請したそうです。そして国は今後は増やすことにしたそうです。これから、海の汚染の実態も解明されていくんでしょう。魚に限っていえば、いまは基準値以上のセシウムはコウナゴとイカナゴからしか出ていないそうで、他の魚介の放射線含有率は水産庁のホームページで好評だれているそうです。海に流れた瓦礫も、海を汚す要素としては大きいものですが、それは数年かけてハワイの北東に流れ着くということが分かっているそうです。

いろんな質問が飛んでいましたが、最後に女性(若いお母さん?)の方、「大人はしょうがないとしても、小さい子供はこの先ずっと高くなった放射線量を浴びて成長していかなければならない(←これは現状でも世界平均より低いと説明があったのですが)、たまった放射能の影響でDNAに障害がでたりしないのか。もしかしたら、仙台の人とは結婚しないとかいう差別にあったりするんじゃないか?そのときに遺伝子が健全であるということを調べる手立てはあるのか…」というような心配をしてました。
理学部の先生なので、この質問に答えろというのもどおかと思いましたが、切実な不安としてはあるのでしょうし、田村先生が個人的な考えとしてお答えになってました。少なくても今仙台で暮らす限りはその心配は過剰にしなくていいレベルだと思う。それでも心配ならもっと数値の低いところへ引っ越すなりするしかない。そして、そんな差別があっていいはずはないのだが、将来的にその問題が起きるとすれば、むしろ福島の方が深刻だろう。そういうことが起きないよう今から教育の面で手を打つとか、対策は必要になってくるかもしれない…と。
原発問題は、放射能汚染の広がりを客観的にとらえてリスクを回避するためには理学系の知識が必要だけれど、そこから波及する社会問題は今後もっと重いものとして浮上してくるんだろうなと確信せざるを得ないですね。
東北大も、医学系、倫理系、社会学系、心理学系、総動員で問題を解明・解決していってください。

あ、講座のレジュメは後日主催のホームページにアップされるそうです。虫六の中途半端なレポートは当てにならないので、そちらをご覧ください。



2011年5月16日月曜日

タイヤ交換と国会中継

今日はお稽古と、タイヤ交換。

お稽古の行き帰り、ラジオで国会中継を聞く。正直なところ、これまで国会中継をまじめに見聞きしたことは無かったのですが、この時局ばかりは耳ダンボ。
東電の社長には文鎮でも投げてやりたいね。それにしても、民主党政権しっかりやってくれよ〜。お願いしますよ。
なんでも明日、福島第一原発の工程表の見直し案が出るとのことですが、スケジュールは大きな変更なしらしいです。1〜3号炉までメルトダウンとも言われているのに、本当に大丈夫なのか?東電、ずっと大丈夫って言い続けているぞ、で大丈夫だったことないし。

午後はタイヤを積んで、ルノーへ。
テレビで国会やってましたが、他のお客さんがいらしたので、別のテーブルで読書にシフトチェンジ…。
だいたい、我ながら今頃タイヤ交換か…?でありますが、なんだかずっと忙しくて、こんな季節になってしまいました。ついでに洗車までお願いして、コーヒーまでもらって、まったりしてしまいました。
車ができあがってきたら、スタッドレスタイヤがだいぶ薄くなっているので今年の冬はタイヤを買い換えたほうが宜しと言い渡されてしまいました。ぎょえ〜!車検と被らなくて良かったけど、夏が来る前から冬が憂鬱だよ〜。

SPレコードの会

5月15日(日)、街中サロンにしむらにSPレコードを聞くという催しに誘われて行ってみました。
顔を出したらすでに始まっていて、平均年齢60代後半?というスーパーシニアの集まりでしたが、ジーコジーコと蓄音機を回しながら、ときどき回転数が遅れがちな、レアなレコードを聞かせていただきました。
昭和の戦後歌謡…江利チエミとか、渡邉はま子とか、東千代之介…とか、洋盤の「黄金のS盤アワー」やブギウギとかマンボとかをゆる—い感じで聞いてみるという会のようで、美味しいコーヒーもいただきました。
虫六は個人的に「中村吉右衛門小唄名曲集」(←初代播磨屋が余興で作ったレコードでしょうか?)のというのをじっくり聞きたかったのですが、1枚の片面だけかけたら、ご参加の皆さんのお好みに合わなかったみたいで、すぐにマンボに変えられてしまいました…!!
このご馳走感が伝わらないとは…。後半には都々逸とかも入っていて、聞きたかったんだよぉ〜!
S市にはあんまりお芝居文化は浸透してなかったのかな…、とちょいと好事家のお年寄りに巡り会えるかも?と期待していた虫六の野望はズッコケました…が、とりあえずこんな若造の感想なんか関係ないもんね。江利チエミの「テネシーワルツ」(←やっぱり江利チエミだったし)をで、みんな泣きそうになってましたよ。

街中サロン「にしむら」。
1時間1000円で貸し出すそうですので、こじんまりした発表会などにもご利用くださいとのこと。
向田邦子のリーディングの会なんかどすか?

2011年5月14日土曜日

非常用のポータブルバッテリーを購入

震災の後、我が家でも3日目までは停電して大変でした。
ガスパ家に避難して充電式バッテリーで、灯りが1灯だけついていて、たいそう不安が緩和されました。
また、携帯の充電切れという困った事態…。
しかも、4.7の余震でまたまた停電の恐怖。

そんな訳で、我が家も充電式のポータブルバッテリーを常備することにしました。

品切れのため、注文してもしばらく届きませんでしたが、本日配達されました!

メルテック(MELTEC) システム電源 セッション SG-3000DX
なかなかにコンパクトで使いやすそうです。
使わないでおくと、かえって良くないらしいので、屋外の作業などに積極的につかわねばでしょうか??

不必要でいるのが、本当は一番ありがたいですけどね。


県庁・市役所で震災パネル展示

昨日は、GoogleのBloggerがシステム故障でブログがアップできませんでしたな。
で、昨日(5/13)の報告。

仕事で某T北電力の本社ビルに行ったら、いつも来客を待たせている(というか待機させている)ロビーに、垂れ流し状態でかかっているテレビが「節電」のため消されていました。病院もテレビもそうだけど、待ち合い室のテレビ放映はこの夏全面禁止にしてもいいですよ。(うるさいから)
そして、エスカレーターも止まっているようでした。さすがに、電力会社から節電の見本を示さないとですね。

そのあと、S市役所にいったら、ここのロビーでは震災関係の写真展が。職員が市の施設や被害がひどかった地域を撮影したものようで、けっこう人が見てました。

で、そのあと、M県庁にいったら、ここでも写真展。
こちらは防衛省が撮影した写真で、震災直後と4月や5月になって瓦礫が片付いたりした様子の比較写真でした。志津川辺りはいまだひどい状況というのが分かりました。
自衛隊のみなさん、ありがとう!

対面には航空写真と地図と写真の展示ですが、こちらは凄い…とは思うものの、あまりリアリティは分からず…。分かりやすい説明を工夫してくれると有り難かった…(爆)

2011年5月11日水曜日

町家で聴くSPレコードの音

長編紙芝居「猫三味線」の仙台公演で、驚愕の破れ三味線を演奏してくれた、二十弦琴奏者の山本昌子さんから、『SPレコードを聴く会』のご案内をいただきました。

○『町家』で聴くSPレコードの音

5月15日(日)、16日(月)
 13時〜

会場:街中サロンにしむら
   仙台市青葉区錦町1-7-23
参加料2000円(茶菓付き)
要予約(090-1377-7028 山本)

*クラシック、ジャズ等 心に染み入る曲をセレクトしてお待ちしております。
(レコード持ち込み可)


   【ご挨拶】
 この度の大震災により被害を受けられた方々、心を痛めておられる皆様方に心よりお見舞い申し上げます。
 ここ街中サロンにしむらはお陰様で皆様をお迎えできる空間を保つことが出来ました。今まで同様癒しの場としてお出かけください。

街中サロンにしむら
西村艶子
_______________________

…と、これだけだと何をやるのかよく分からないので、聞いてみました。

今度の震災で「にしむら」でもいろんな昔のレコードや映画のパンフレットなんかが、片付けなければならない荷物としてでてきたそうです。昭和文化華やかなりし頃の貴重品なども…。
それで処分してしまうには勿体ないので、それらを一回興味のある人で聴いてみる会をやってみようということになったとのこと。
どんなレコードがあるかというと、
・クラシックは、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮の「ベートーヴェン/交響曲第5番「運命」)←ベルリンフィル?など
・歌謡曲は、三橋三智也、渡辺はま子「支那の夜」、「テネシーワルツ」(江利チエミでは無いらしい…)
・浪曲は、広沢虎三など
・民謡のもあった
・ジャズのレコードもあった……と ( ̄◆ ̄;)

ということで、まだまだどんなお宝があるかわかりませんが…「にしむら」さんですからね、ありそうです。また、珍しいレコード持っていたら持ち込み大歓迎とのこと。
ビルの谷間にぽつんと残った仙台ながらの町家住宅だそうです。
文化財発掘も兼ねて、お茶飲みに来ませんか。
お茶は、喫茶店のケータリングで美味しいのが出るそうです。

あ、町家サロンをもっと活用したいので、何か発表の場として見ておきたいという方もお尋ねください…だそうです。

なんていうか、ざっくりですみません!(なんで私が謝ってるかな〜?)


2011年5月8日日曜日

相馬の帰省を反芻

相馬市はまだ待避圏内に入っていません。
しかし、津波の被害で海浜地区のダメージは大きく、また南相馬市以南の住民避難の影響もあり、実質的な生産活動や市民生活は困難になっています。

逃げてもいいと言われない状況で、南相馬市の高校に通っていた甥は通学ができなくなり、連休明けから相馬高校を間借りして行うサテライト教室に通うことになったそうです。仙台方面の高校への転校を考えたりしたのですが、「転校するなら宮城県・岩手県は避けるように」との指導があったらしい。両県の高校は自県沿岸部の高校生の受け入れですでに限界だから…。甥のストレス、義姉の心痛を思うと何かしてやりたいと思うけれど、いかんともし難い。まずは連休明けからはじまるサテライト授業を受けてみるとのことでした。

実家周辺は、この景色のどこに放射能が…?と思うほど、穏やかな春を迎えています。

農協の要請だかで、なんと米の作付けをすることにしたということです。
土壌の放射線量は調査しているのだろうか?
作って、その米は大丈夫なのか…。
生産者も消費者も安心できることを確認してから、1歩づつ進めるべきじゃないのかな?

避難しているわけじゃないけれど、相馬の人たちも不安を胸に押し隠して普通に暮らしているんです。まだ、かろうじて汚染されていないという希望も捨てていない。

しかし、枝野さんが南相馬市に来た時にフルアーマー装備でたった5分の滞在だったことを訝しがっている人たちがいます。この政府はまだ何か隠しているのですか?

そして、相馬に残った人たちは、津波でやられた町を作り直そうとしているんです。
でも、多くの人たちが避難してしまったので、人手はありません。
避難先で仕事を見つけたり、そこに住み着いてしまえば、福島に戻ってくることはないかもしれません。その人たちを責めるつもりはないけれど、もう戻って来れない可能性だってあるのだけれど、「過疎」が再生を望む人たちの次の災難になることは避けられないのかもしれません。

放射能を恐れて、多くの母親たちが子供を連れて遠くの町に逃げ出しました。福島の子供たちを守るために…。それは何より大切な行為で、仕方がないことです。でも、その子供たちはもう福島に帰ることはないのかもしれない、と思います。

実家では、次に余震がきて石蔵が崩れると、通りかかった誰かがケガしたりすると大変だから…と、連休中に蔵の解体を進めていました。これからも、この土地で安全に暮らしていくという前提で。

原発は、どうなるんだろう。

ふくちゃんの飼い主のおばあちゃんちでは、南相馬市に住んでいた娘さんとそのお子さん(中学生と小学生)が山形の高畠町に避難して、補助金も出るのでそこでアパートを借りて地元の学校に転校することにしたそうです。町の人たちはとても親切で、1年間はそこに落ち着くことにしたと。高校の先生をしている旦那さんだけが単身で自宅に残っているとか。

ふくちゃんのおばあちゃんご自慢のハナミズキ。
連休で一時帰宅していた娘さんたちが寄って行くはずだと待っていました。

実家の父が何かメモしているなと思ってのぞくと、テレビの外枠情報で流れる待避圏地域の放射線量を毎日時間ごとに付けているのでした。携帯もインターネットもやらない人ですが、科学の知識などもちろんないと思いますが、数値の変化を自分で確かめているようでした。毎日記録して分厚いメモになっていました。

なんの役にたつでもでもなく、相馬のご飯を食べて、漫然と帰って来てしまいました。S市にいても相馬にいても無力感は一緒です。

できれば、「フクシマ」になってしまったふくしまから、自分たちの誇りをもてる「福島」を取り戻して、去ってしまった人たちが帰ってこれるように、町を再生しようとしている人たちの力になりたいと思います。何がやれるのか、まだ分からないのですが…。


【追記】
帰宅したら、福島市出身のミュージシャンの大友良英さんが東京芸術大学で「文化の役目について:震災と福島の人災を受けて」という講演をしていたことを知りました。

大友さんは7月頃から福島に住んで本格的な福島を元気づける文化活動をしようという計画のようです。今日(5月8日)立ち上がった『プロジェクト FUKUSHIMA!』がそれで、活動はUSTREAMを使用したライブ・ストリーミング・プログラム「DOMMUNE FUKUSHIMA!」を媒介に発信されていくそうです。
先ほどまでUSTREAMでトークライブと、大友良英、レイ・ハラカミ、七尾旅人、U-zhaan、それと詩人の和合亮一さんのスペシャルライブをやっていました。
とても力を感じました。自分たちの領域でも何かやれることがあるのかもしれないと。

2011年5月7日土曜日

相馬へ帰省(2)_津波被害の地域に行きました。5月4日午後

午後、なぜか家人Tと虫六子もいっしょに帰省中の銀子さんの実家に行きました。
先日も寄って行ったのですが、銀子さんが顔を見せて、ご両親もちょっと安心した感じでした。テレビが新しくなっていました。
少し話をして、海岸の方に行ってみたかと聞くと、まだ…と。

福島県も、宮城県や岩手県の沿岸部と同じく壊滅的な津波の被害にあっています。しかし、原発の爆発事故が発生して、マスコミはその日のうちに撤退してしまい、ほとんど報道されずに放置されていました。南相馬市の市長がyoutubeに、報道もされず、放射能を恐れて救援物資も届かない棄民状況を訴えて、やっとその実態が注目されるようになりました。

先日帰省したときにも津波の被害を見ておきたいという衝動はあったものの、まだ緊急車両が多かったし、災害救助の緊張した現場に踏み込むことができず、慌ただしく帰って来たのでした。
被害にあった方々の気持ちを考えると今も県外ナンバーで彷徨くことに抵抗はあったのですが、自分の故郷がどんな被害にあったのか、やはり自分の目で確かめたいと思い、通行止めになっているかもしれないけれど、とりあえず行けるところまで出かけて見ることにしました。

ほんの少し、海岸に近づいただけで、凄惨な風景が目に飛び込んできました。
もう1ヶ月半経っているので、これでも瓦礫はだいぶ撤収されているのかと思います。何より、道が整備されていました。自衛隊がまず道の瓦礫を片付けたそうです。

松川浦漁協の建物。

漁協前の「丹下左膳之碑」。この石ばかりはしゃんと建っていました。

磯部方向はまだ通行禁止。

漁船が陸に打ち上げられてごろごろしています。

民宿をしていた銀子さんのおばあちゃんの家にも行ってみました。
どこからか、梅津和時の生活向上委員会大管弦楽団のレコードが流れ着いていました。

ビールケースの下に花が咲いていました。

原釜魚協のあたり。
戦争でもあったのか…と思う荒景。
みんな言葉が出ませんでした。

建物らしいものが消えて、基礎の土台だけになっている区画。

毛糸玉のようにくしゃくしゃに丸められた鉄骨。

海は…不思議なほど穏やかで青い。
折り紙のようなタンク。

水産加工の工場。

このあたりは、

住宅地が続いていたところ。
住んでいた人たちはどうなったのだろう。

一旦6号線バイパスに戻って、磯部地区の方に行ってみた。
このあたりはまだ一部立ち入り禁止のようですが…。
水田地帯と思われる一帯はまだ瓦礫で覆われていました。

津波のあと、冠水が引かず、遺体を流さないように昼夜ポンプで水を汲み上げていた地域だそうです。やっと水が引いて砂漠のように地割れしています。ずいぶん奥の方まで冠水したのです。

まだ水が引いていないところもあります。
この先の磯部の住宅地区には入っていけませんでした。
みんな、ため息ばかりついて帰ってきました。

岩手・宮城は復興の兆しが見えてきたと報道されるようになり、テレビの番組も通常モードに戻って、ちょっと落ち着いてきたと思われがちですが、福島県は原発の影響でいまだ避難して戻れる見通しの立たない町村では、津波の片付けや遺体捜査も手つかずの状況。30キロの外側の地域もしばらく重機も救援物質も届かなかったので、復旧も大幅に遅れています。
地元の人たちでなんとか復旧しようとしても、多くの住民が逃げてしまっているので、人出がなくて仕事にならないらしい。ここまで片付いたのは自衛隊のおかげだと。
原発事故がまだ進行中でどうなるか分からない、人が戻せないという状況で、県も市町村も復興策が打ち出せないという苦しい状況の福島県。
大震災の記憶が、まだ風化されてはたまらないと思います。

住民の感情を…とも思いますが、被害の現状を多くの人に自分の目で見てもらいたいとも思いました。


相馬に帰省(1)_長友グランドで原釜朝市5月4日

3日の夕方、虫六子の帰宅を待って、相馬の実家に帰省しました。
家族のスケジュールがばらばらで結局まとまった連休が取れないので、できればボランティアでもと思っていた気持ちが情けなくも計画倒れになり、せめて少しゆっくり両親のそばにいるか…と、とりあえず帰ってきました。

先日帰った時に、崩れかかって危険な状態だった石蔵をいよいよ取り壊すことになり、すでに屋根が無くなっていました。

父が42才の時に立てた石蔵だったそうです。
取り壊すのは、悔しいだろうなぁ。
(でも、屋根のない石造りの建物って、ちょっと地中海ぽいなぁ)

城下の長友公園で、朝市をやっているというので、歩いて行ってみることにしました。

散歩の途中でかわいい猫発見!
ふくちゃんという名前のメス猫でした。人懐っこくまん丸の顔がかわいい。
はまる虫六子…結局、帰省中に4回も会いに行ってました。

お墓の石も…無残。

杉の木が一本、見守っております。

野馬追いの行列が出発する大手門にも、危険防止の赤コーンが…。
庇の屋根瓦が落ちてきましたか…。

お、やってました。
原釜地区の漁協さんの主催の朝市のようです。

さっそくドンコ汁のサービス。いただきます!!
そのほかにも、成田もやしを無料で配っていたり、蟹や、カレイ・穴子などの揚げ物が1パック300円の大盤振る舞い!飛ぶように売れていました。お昼のおかずにいろいろ買いました。
頑張れ!相馬漁港!

同級生のまゆみちゃんに会いました。

向こうのテントでは、相馬出身のアルパ奏者・志賀昭裕さんの出前コンサート。
青空に南米の音色が明るく伸びやかに響いて、爽快でした。
アルパという楽器も魅力的でしたが、志賀さんのボーカルも上手かった。
最後に地元のおばちゃんが「コーヒールンバ」をリクエスト。好きな曲ですが、こんな面白かった?というくらい複雑なアレンジで、すごく良かった。
ありがとうございました、志賀さん!

帰り足、避難所になっていた元・相馬女子高校の校舎へ。
7日の大きな余震で建物の耐震性に問題が出て、避難所としては閉鎖されてしまいました。
人の出入りはあるみたいですが、ひっそりしていました。
時計も植栽も、在校時と同じ…。閉校してしばらく立ちますが、この樹木などはだれが手入れしているんでしょうね。

グランド側。
時間が止まったようですね。
遅刻魔の虫六はこちら側からこっそり教室に入ったことも一度ならず…時効ですかね。

水仙…。ここにも咲いております。なんだか植物は逞しいなぁ。

この蒲公英も変わらないなぁ…。何年経つのかなぁ…と考えて、ぎょっとしました!
だって虫六子の年の頃ですよ、ここに通っていたのは ( ̄◆ ̄;)

かつての近道通学路を通って河原にでました。
フォトジェニックなコノテガシワ発見。かっこいい。
 
この、穏やかで暢気な風景が、いま原発の恐怖に晒されています。
浪江や双葉や飯舘を汚染している放射能がこの地区をも汚してしまうかも知れない…。
特に贅沢をするでもなく、その日その日を堅実に暮らしている人たちの生活を再起不能にするかも知れない…。そうならないことを、祈ることしか出来ないのがもどかしい。
避難しているフクシマの人たちも、自分の土地に、早く、早く帰してあげたい。
希望を持ってもいいのだろうか…。

自然ばかりが春の景色をたたえています。