日頃はいろいろご贔屓ありがとうございます。また、不肖虫六子のためにお守りなど送ってくださった心優しきお友だちの皆さまに感謝感謝でございます。
たくさんの神様仏様に守られて、今年こそは自立の1ッ歩を踏み出してくれることを願う虫六であります。
さて、神様といえば昨年のお盆に上京した折、虫六、面白いお守りを1つゲットしました。
平将門公の霊験で今もお江戸の町を鎮めたもう、江戸総鎮守神田明神の、ITお守り!
さすが、神田明神は江戸町民のニーズをさきどりしてますねー。サイバー界の悪鬼を祓ってくださいますか!
iPad新しくしたら貼ろうと思っているんですが、まだその機会無くご紹介が遅れてしまいました。
おひとつどすか。
ところで、家庭内事情により、虫六家に「夜更かし禁止命令」が発動されてしまいましたので、しばらくブログの更新をお休みします。
早期の再開をご祈念いただければと…。合掌。
【ついでながら、虫六からのお願い】
たとえ顔を知らない相手でも、誰かを中傷したり、本人が読めば不愉快になるようなコメントは、このブログにはお寄せにならないでください。虫六とその関係者を詮索するコメントもご遠慮ください。また、そのような内容だと判断したら遠慮なく削除させていただきますので、あしからず。
歌舞伎などのお芝居や邦楽、さらに大道芸、雑芸などなど、身体と視覚と聴覚が一体となった日本の伝統藝能が面白いなぁと、みちのくS市からウォッチングしております。 (近頃は体調不良のため夜更かし禁止令が出て、更新がままなりませんが、Twitterでは短めに黒い羽根伸ばし(観劇)ネタなども…)
2015年1月13日火曜日
歌舞伎座の初春大歌舞伎_「女暫」「黒塚」を幕見で
所用で大宮にいくことがあり、帰り足にむりやり東銀座に足を伸ばしてしまいました。
あ、大宮駅では北東北の観光キャンペーンをやっていまして、お囃子が聞こえてきたので、ついつい誘われて覗いてみたら秋田県の西馬音内の盆踊りを踊っていました。
真冬の駅コンコースで観る「西馬音内盆踊り」ちょっと奇妙です ((・(ェ)・;))
でも、踊りは綺麗でした。そして、残念ながらお囃子は録音でした(やむなし…)。機会を作って現地で観たいな—。
もう夕方近くなっていましたが、宇都宮線・高崎線が事故で(?)30分以上の遅れとなっていましたので、京浜東北線を利用したせいで余計に時間がかかってしまい、夜の部通しで滑り込もうという計画が座礁、土曜日で幕見も混んでいるようで、「女暫」を立ち見(150番台)で、「黒塚」はなんとか座って観ることができました。
でもね、ずっと新装歌舞伎座への出演をせずに、それ以外の小屋での興行や襲名興行での地方まわりを優先していた猿之助丈が、公約(?)通り3年目にして満を持しての歌舞伎座初登場…。観ておきたかったのですよね。(我が家的な事情で自粛していたんですけど、運良く出張が入ったので、つい黒ずんでしまいました( ̄ー+ ̄) )
○歌舞伎座 松竹創業120周年 壽初春大歌舞伎
「女暫」は、本家の「暫」より洒落が効いていて、虫六的には面白くて大好きな演目であります!玉三郎丈のこの演目は、2012年9月の大阪松竹座の中村勘九郎襲名公演でも拝見して、その華麗にしてチャーミングな舞台に魅了されました。
良いのです〜(* ̄ー ̄*)
あー、佳い正月だ。
あの時の舞台番は勘九郎、セブンは今回と同じ女鯰若菜でした。その頃は勘三郎丈が必死で病と闘っていた時期で、玉様が親代わりの大奮闘だったのだと、あの舞台がフラッシュバックしました。勘三郎丈は天に召されてしまったけれど、あれから中村屋の兄弟はずいぶん成長しましたよね。
今回の舞台番は吉右衛門丈。玉様の巴御前が幕外で急に女子モードになり、なよなよと帰ろうとすると、ちゃんと六方を踏んで引きなさいとダメ出しに出てくる舞台番。そこから、人間国宝立ち役の吉右衛門に、六方を教わる、これまた人間国宝女形の玉様という…、ご馳走感たんまりのお正月ならでわの趣向ですね。
大薩摩連中は、この日は唄方が杵屋勝四郎・芳村辰三郎、三味線が杵屋勝松・松永忠一郎。筋書きには勝国さんのお名前があったのですが、残念ながらこの日はお出になっていなかったみたい。でも、勝松さんの大薩摩を堪能しました。
そして、「黒塚」。
虫六、寡聞にしてこの日初めて観たのであります、「黒塚」という演目を…。
いやぁ驚いた。面白いのなんの。
「黒塚」というのは謡曲の「黒塚(安達原)」を素材にして、昭和14年に二世市川猿之助(初代猿翁)の老女岩手(実は安達ヶ原の鬼女)で初演された舞踊劇で、第1景は能楽の様式、第2景はロシアバレエの技法を取り入れた新舞踊の形式、第3景は歌舞伎の様式と3段構成でできている…とかいう、蘊蓄はざくっと飛ばしてしまいますが(猿之助襲名公演での「黒塚」も好評でしたので、いろいろネットでも紹介されておりますので、ご参考に)、この2景が凄い!
一面ススキの野原の舞台に、老女岩手が現れて、人食いを重ね犯してきた罪業を悔やみつつ、仏に祈れば救われるという阿闍梨祐慶(勘九郎)の言葉に一縷の救いを見いだして、月明かりの下、自分の影と戯れるように踊る場面…。猿之助って本当に身体が利くんだなぁというのは今さらかも知れませんが、本当に嬉しそうで、岩手を救ってやりたい衝動に駆られました。強い照明をあてて、影を効果的に浮き上がらせるわけですけど、これは上階で観ているお客さんの方が楽しめたでしょうね。4階の幕見席にいた虫六は、得した気分になりました。
そして、何より、この伴奏が面白すぎて衝撃でした!!!!!(大げさじゃないよ)
長唄、琴、尺八の楽団による合奏で、それぞれ技巧をこらした複雑な演奏で、曲の構造とか上手く説明できませんが、もうこれだけ演奏会で聞きたい!と思いました。第2景から第3景に変わるところで演奏される三味線の曲弾きは聞き応え満点です。あの途中の大薩摩、三味線2挺で掛け合っていたような気がしましたが、そんな演奏を聴いたことがありませんでした。
唄の立ては今藤尚之さん、三味線の立ては稀音家祐介さん。お囃子は田中傳左衛門。祐介師匠、失礼ながらこれまでノーチェックでしたが(寡聞なものでスミマセン)、一気にファンになりました。
また猿之助丈のご出演の舞台を見に来れば、長唄で立たれるでしょうかね。期待です。
舞台が暗くて実は地方さんはよく見えなかったのですが、筋書きをみたら、
唄方には杵屋巳津也さんや杵屋佐喜さん(←「黒塚」は佐吉家に伝わる家の芸)、
お三味線には松永直矢さんのお名前もあり(!)、もっとトリ目を皿のようにして見るんだった ヾ(*゚A`)ノ と後悔先に立たずでありました。
そのうちNHKでやるかナー?放映したら、完全保存版だよ。
っていうか、帰宅してCD探してなかったので、先代猿之助のDVDを衝動買いしてしまった虫六です。あ”ー。
あ、大宮駅では北東北の観光キャンペーンをやっていまして、お囃子が聞こえてきたので、ついつい誘われて覗いてみたら秋田県の西馬音内の盆踊りを踊っていました。
真冬の駅コンコースで観る「西馬音内盆踊り」ちょっと奇妙です ((・(ェ)・;))
でも、踊りは綺麗でした。そして、残念ながらお囃子は録音でした(やむなし…)。機会を作って現地で観たいな—。
もう夕方近くなっていましたが、宇都宮線・高崎線が事故で(?)30分以上の遅れとなっていましたので、京浜東北線を利用したせいで余計に時間がかかってしまい、夜の部通しで滑り込もうという計画が座礁、土曜日で幕見も混んでいるようで、「女暫」を立ち見(150番台)で、「黒塚」はなんとか座って観ることができました。
でもね、ずっと新装歌舞伎座への出演をせずに、それ以外の小屋での興行や襲名興行での地方まわりを優先していた猿之助丈が、公約(?)通り3年目にして満を持しての歌舞伎座初登場…。観ておきたかったのですよね。(我が家的な事情で自粛していたんですけど、運良く出張が入ったので、つい黒ずんでしまいました( ̄ー+ ̄) )
○歌舞伎座 松竹創業120周年 壽初春大歌舞伎
【夜の部】のうち
二、女暫(おんなしばらく)
巴御前 玉三郎
蒲冠者範頼 歌 六
清水冠者義高 錦之助
女鯰若菜 七之助
茶後見 團 子
手塚太郎 弘太郎
紅梅姫 梅 丸
家老根井行親 橘三郎
局唐糸 笑 也
成田五郎 男女蔵
轟坊震斎 又五郎
舞台番辰次 吉右衛門
三、猿翁十種の内 黒塚(くろづか)
老女岩手実は安達原の鬼女 猿之助
山伏大和坊 門之助
強力太郎吾 寿 猿
山伏讃岐坊 男女蔵
阿闍梨祐慶 勘九郎
「女暫」は、本家の「暫」より洒落が効いていて、虫六的には面白くて大好きな演目であります!玉三郎丈のこの演目は、2012年9月の大阪松竹座の中村勘九郎襲名公演でも拝見して、その華麗にしてチャーミングな舞台に魅了されました。
良いのです〜(* ̄ー ̄*)
あー、佳い正月だ。
あの時の舞台番は勘九郎、セブンは今回と同じ女鯰若菜でした。その頃は勘三郎丈が必死で病と闘っていた時期で、玉様が親代わりの大奮闘だったのだと、あの舞台がフラッシュバックしました。勘三郎丈は天に召されてしまったけれど、あれから中村屋の兄弟はずいぶん成長しましたよね。
今回の舞台番は吉右衛門丈。玉様の巴御前が幕外で急に女子モードになり、なよなよと帰ろうとすると、ちゃんと六方を踏んで引きなさいとダメ出しに出てくる舞台番。そこから、人間国宝立ち役の吉右衛門に、六方を教わる、これまた人間国宝女形の玉様という…、ご馳走感たんまりのお正月ならでわの趣向ですね。
大薩摩連中は、この日は唄方が杵屋勝四郎・芳村辰三郎、三味線が杵屋勝松・松永忠一郎。筋書きには勝国さんのお名前があったのですが、残念ながらこの日はお出になっていなかったみたい。でも、勝松さんの大薩摩を堪能しました。
そして、「黒塚」。
虫六、寡聞にしてこの日初めて観たのであります、「黒塚」という演目を…。
いやぁ驚いた。面白いのなんの。
「黒塚」というのは謡曲の「黒塚(安達原)」を素材にして、昭和14年に二世市川猿之助(初代猿翁)の老女岩手(実は安達ヶ原の鬼女)で初演された舞踊劇で、第1景は能楽の様式、第2景はロシアバレエの技法を取り入れた新舞踊の形式、第3景は歌舞伎の様式と3段構成でできている…とかいう、蘊蓄はざくっと飛ばしてしまいますが(猿之助襲名公演での「黒塚」も好評でしたので、いろいろネットでも紹介されておりますので、ご参考に)、この2景が凄い!
一面ススキの野原の舞台に、老女岩手が現れて、人食いを重ね犯してきた罪業を悔やみつつ、仏に祈れば救われるという阿闍梨祐慶(勘九郎)の言葉に一縷の救いを見いだして、月明かりの下、自分の影と戯れるように踊る場面…。猿之助って本当に身体が利くんだなぁというのは今さらかも知れませんが、本当に嬉しそうで、岩手を救ってやりたい衝動に駆られました。強い照明をあてて、影を効果的に浮き上がらせるわけですけど、これは上階で観ているお客さんの方が楽しめたでしょうね。4階の幕見席にいた虫六は、得した気分になりました。
そして、何より、この伴奏が面白すぎて衝撃でした!!!!!(大げさじゃないよ)
長唄、琴、尺八の楽団による合奏で、それぞれ技巧をこらした複雑な演奏で、曲の構造とか上手く説明できませんが、もうこれだけ演奏会で聞きたい!と思いました。第2景から第3景に変わるところで演奏される三味線の曲弾きは聞き応え満点です。あの途中の大薩摩、三味線2挺で掛け合っていたような気がしましたが、そんな演奏を聴いたことがありませんでした。
唄の立ては今藤尚之さん、三味線の立ては稀音家祐介さん。お囃子は田中傳左衛門。祐介師匠、失礼ながらこれまでノーチェックでしたが(寡聞なものでスミマセン)、一気にファンになりました。
また猿之助丈のご出演の舞台を見に来れば、長唄で立たれるでしょうかね。期待です。
舞台が暗くて実は地方さんはよく見えなかったのですが、筋書きをみたら、
唄方には杵屋巳津也さんや杵屋佐喜さん(←「黒塚」は佐吉家に伝わる家の芸)、
お三味線には松永直矢さんのお名前もあり(!)、もっとトリ目を皿のようにして見るんだった ヾ(*゚A`)ノ と後悔先に立たずでありました。
そのうちNHKでやるかナー?放映したら、完全保存版だよ。
っていうか、帰宅してCD探してなかったので、先代猿之助のDVDを衝動買いしてしまった虫六です。あ”ー。
2015年1月7日水曜日
12月に読んだ本
2014年12月の読書メーター
読んだ本の数:9冊
読んだページ数:1760ページ
ナイス数:27ナイス
動物園ものがたりの感想
高野文子さんが表紙・挿絵を描いているというので、いわゆるジャケ買いだったのですが、良い本でした。動物園という沢山の人が行き交う場所で、何人かのモノローグで繋がって物語をなしていく…映画っぽい形式が子ども向けの本には珍しい気がしました。離ればなれになる運命のカバの親子、その仔カバを自分の子どものように感じている青年、喧嘩ばっかりしている両親に嫌気がさして動物園でプチ家出心境の小さな女の子、子どもはいないけどお互いを大切に思いやる老夫婦…さまざまな家族の形が自然に交錯して、最後はほっこりしました。
読了日:12月31日 著者:山田由香
日本のラベル:明治 大正 昭和-上方文庫コレクション(紫紅社文庫)の感想
仏レンヌ市にあるシルクの美術館に日本から輸出された生糸の商品ラベルが残されていたというのを知ってとても興味が湧き、もっと知りたいとポチリました。こちらは文庫版ですが、1ページに1点掲載の部分が多く、判型の割に図版が大きくて見やすいです。サーカスの図柄とかが面白かった。H9年発行「京都書院アーツコレクション」ー『日本のラベル』の改訂・新装本。
読了日:12月25日 著者:三好一
浪漫図案 明治・大正・昭和の商業デザインの感想
仏レンヌ市にあるシルクの美術館に日本から輸出された生糸の商品ラベルが残されていたというのを知って、とても興味が湧き、ついポチってしまいました。B5とやや大判でオールカラーは見やすくて嬉しいし、見るだけで楽しい。えぐい図柄が満載です。掲載点数は、貿易図案からトイレタリー、薬品、食品・嗜好品、繊維日用品まで1282点!すべて佐野氏の収集品とのこと。…凄い仕事だ、頭が下がりました。月経帯ケースというのが衝撃でした。
読了日:12月25日 著者:佐野宏明
へうげもの(19) (モーニング KC)の感想
秀頼って巨体系だったのね?!そして、ついに鎖国でしょうか?
読了日:12月22日 著者:山田芳裕
フイチン再見! 3 (ビッグコミックス)の感想
ツルちゃんとちょっと切ない永久友達宣言をして、ハルピンに戻ったとしこ。漫画はちょっと小休止で、満州鉄道のショムニみたいなところでOL務め、っていうか、社会勉強がはじまりました。戦争の行方も不穏ですが、なにが怖いって小泉さんです。
読了日:12月18日 著者:村上もとか
フイチン再見! 2 (ビッグコミックス)の感想
一人の革新者が現れるときというのは、必ず力になってくれる懐深い理解者がいるんだな。松本かづぢや近藤日出造が女流漫画家誕生に影響していたということがわかりました。美学生のクロッキー教室に通って仲間にならないかと誘われたときに、「誰も私を好きにならないなら入るわ」と言い放つとしこの屈折のなさが眩しい。
読了日:12月16日 著者:村上もとか
フイチン再見! 1 (ビッグコミックス)の感想
高野文子も影響をうけた上田としこの漫画…というフレーズに惹かれて、なぜか復刻本のつもりで買ってみたら、伝記漫画のような作品でした。やや説明的なのは1巻目だからでしょうか。お金持ちの実業家の娘として生まれ、ハルピンでのびのび成長した主人公が東京に戻り漫画家を志すまで。ところどころに軽やかで動きのある上田先生の絵が挿入されますが、本編の絵はだいぶ違うテイストです。もとかさんは初めて読む作家でしたが、「Jin-仁-」を描いた方…。その、村上さんがなぜ上田としこなのか??注目しつつ次巻以降を楽しみたいと思います。
読了日:12月14日 著者:村上もとか
花に染む 5 (クイーンズコミックス)の感想
回りくどさを不思議系少年でカバーした感じでしょうか。陽大以上に何かを抱えていそうな雛。腫れ物が腫れ物に触っているような。それにしてもショック症状だからっていきなりケア施設なのか…?最後に現在形の花乃が出て来て、そういえば過去編であったのか…と、話の流れを思い出しました。前半読み返えしてから読むべきであったか?!
読了日:12月7日 著者:くらもちふさこ
デザインのめざめ (河出文庫)の感想
日経新聞の連載として書かれた短文エッセイ。有能なデザイナーって頭の中もスッキリ明快なのだということが、よく分かる。目の付け所が違う、面白がるところが違う、日常への深く鋭い洞察力。それにしても読みやすいテキストでした。
読了日:12月5日 著者:原研哉
読書メーター
読んだ本の数:9冊
読んだページ数:1760ページ
ナイス数:27ナイス
動物園ものがたりの感想
高野文子さんが表紙・挿絵を描いているというので、いわゆるジャケ買いだったのですが、良い本でした。動物園という沢山の人が行き交う場所で、何人かのモノローグで繋がって物語をなしていく…映画っぽい形式が子ども向けの本には珍しい気がしました。離ればなれになる運命のカバの親子、その仔カバを自分の子どものように感じている青年、喧嘩ばっかりしている両親に嫌気がさして動物園でプチ家出心境の小さな女の子、子どもはいないけどお互いを大切に思いやる老夫婦…さまざまな家族の形が自然に交錯して、最後はほっこりしました。
読了日:12月31日 著者:山田由香
日本のラベル:明治 大正 昭和-上方文庫コレクション(紫紅社文庫)の感想
仏レンヌ市にあるシルクの美術館に日本から輸出された生糸の商品ラベルが残されていたというのを知ってとても興味が湧き、もっと知りたいとポチリました。こちらは文庫版ですが、1ページに1点掲載の部分が多く、判型の割に図版が大きくて見やすいです。サーカスの図柄とかが面白かった。H9年発行「京都書院アーツコレクション」ー『日本のラベル』の改訂・新装本。
読了日:12月25日 著者:三好一
浪漫図案 明治・大正・昭和の商業デザインの感想
仏レンヌ市にあるシルクの美術館に日本から輸出された生糸の商品ラベルが残されていたというのを知って、とても興味が湧き、ついポチってしまいました。B5とやや大判でオールカラーは見やすくて嬉しいし、見るだけで楽しい。えぐい図柄が満載です。掲載点数は、貿易図案からトイレタリー、薬品、食品・嗜好品、繊維日用品まで1282点!すべて佐野氏の収集品とのこと。…凄い仕事だ、頭が下がりました。月経帯ケースというのが衝撃でした。
読了日:12月25日 著者:佐野宏明
へうげもの(19) (モーニング KC)の感想
秀頼って巨体系だったのね?!そして、ついに鎖国でしょうか?
読了日:12月22日 著者:山田芳裕
フイチン再見! 3 (ビッグコミックス)の感想
ツルちゃんとちょっと切ない永久友達宣言をして、ハルピンに戻ったとしこ。漫画はちょっと小休止で、満州鉄道のショムニみたいなところでOL務め、っていうか、社会勉強がはじまりました。戦争の行方も不穏ですが、なにが怖いって小泉さんです。
読了日:12月18日 著者:村上もとか
フイチン再見! 2 (ビッグコミックス)の感想
一人の革新者が現れるときというのは、必ず力になってくれる懐深い理解者がいるんだな。松本かづぢや近藤日出造が女流漫画家誕生に影響していたということがわかりました。美学生のクロッキー教室に通って仲間にならないかと誘われたときに、「誰も私を好きにならないなら入るわ」と言い放つとしこの屈折のなさが眩しい。
読了日:12月16日 著者:村上もとか
フイチン再見! 1 (ビッグコミックス)の感想
高野文子も影響をうけた上田としこの漫画…というフレーズに惹かれて、なぜか復刻本のつもりで買ってみたら、伝記漫画のような作品でした。やや説明的なのは1巻目だからでしょうか。お金持ちの実業家の娘として生まれ、ハルピンでのびのび成長した主人公が東京に戻り漫画家を志すまで。ところどころに軽やかで動きのある上田先生の絵が挿入されますが、本編の絵はだいぶ違うテイストです。もとかさんは初めて読む作家でしたが、「Jin-仁-」を描いた方…。その、村上さんがなぜ上田としこなのか??注目しつつ次巻以降を楽しみたいと思います。
読了日:12月14日 著者:村上もとか
花に染む 5 (クイーンズコミックス)の感想
回りくどさを不思議系少年でカバーした感じでしょうか。陽大以上に何かを抱えていそうな雛。腫れ物が腫れ物に触っているような。それにしてもショック症状だからっていきなりケア施設なのか…?最後に現在形の花乃が出て来て、そういえば過去編であったのか…と、話の流れを思い出しました。前半読み返えしてから読むべきであったか?!
読了日:12月7日 著者:くらもちふさこ
デザインのめざめ (河出文庫)の感想
日経新聞の連載として書かれた短文エッセイ。有能なデザイナーって頭の中もスッキリ明快なのだということが、よく分かる。目の付け所が違う、面白がるところが違う、日常への深く鋭い洞察力。それにしても読みやすいテキストでした。
読了日:12月5日 著者:原研哉
読書メーター
2015年1月5日月曜日
初稽古2015
今日は、初稽古でした。姐弟子Oさんがなんとインフルエンザでお休みで、Nさんと虫六だけの始まりとなりましたが、いつもどおりお稽古つけていただきました。
「梅の栄」ははじめ三味線の合方から教えていただいてます。
午前中にS治療院でマッサージしていただいたので、少し肩が楽になって、今日のお稽古はけっこう調子よくいきました。
…正直、去年の晦日ごろは身体が悲鳴をあげていました(涙)
さて、後半はお茶タイム。
お正月なので花びら餅を持参しまして、濃いめのお茶でいただきました。
柔らかくて美味しいお餅でした。
今年もよろしくお願いしまーす。
っていうか、明日から仕事だよ〜。10日も休んでエンジンかかなんないよー(p´□`q)
「梅の栄」ははじめ三味線の合方から教えていただいてます。
午前中にS治療院でマッサージしていただいたので、少し肩が楽になって、今日のお稽古はけっこう調子よくいきました。
…正直、去年の晦日ごろは身体が悲鳴をあげていました(涙)
さて、後半はお茶タイム。
お正月なので花びら餅を持参しまして、濃いめのお茶でいただきました。
柔らかくて美味しいお餅でした。
今年もよろしくお願いしまーす。
っていうか、明日から仕事だよ〜。10日も休んでエンジンかかなんないよー(p´□`q)
2015年1月2日金曜日
「梅の栄」
昨年のお浚い会をなんとか終えて、次に虫六に出された課題曲は『梅の栄』でございました。なんと!新春にふさわしい1曲でありましょう。
…そんなわけで、今年最初の日記はこの曲のご紹介から。
『梅の栄』
制作年 明治3年(1870年)
作詞/作曲 三世 杵屋正治郎
本調子前弾
〽鶏が啼く (合)花の東に立つ春の、明けて目出度き島臺は(合)
富士と筑波にたとへにし、遠近(おちこち)やまも白妙や、
まだ深からぬ春の日に、残んの雪の(合)解けそめて(合)
空も長閑(のどか)にそよそよと(合)旭も匂ふ梅が風(合)
四方(よも)にわたりて軒端(のきば)もる(合)
屠蘇のかをりや梅も咲け(合)彼(かの)潯陽(じんよう)に伝え聞く(合)
猩々舞(しょうじょうまい)にあらねども、さす手引く手の(舞の合方)盃に
二上リ
〽ほのめく色のとも移り、薄紅梅の酔心(よいごころ)、
開く扇の末廣や、(合)聲(こえ)もゆたかに四海浪、
しづけき御代に鶯の(合)
〽いつか来啼きて花の笑み、にこ羽子のこの数々も(手毬の合方)
ひとふた三重の初霞、曳くや柳の糸竹も、長き齢は鶴亀や、
変わらぬ色は松竹に、千代の聲そふ喜三が春(琴の手事の合方)
梅の栄(さかえ)と世に廣く、三つの緒琴(おごと)に祝すひとふし
この曲は、三世杵屋正治郎(文政9年(1826) - 明治28年(1895))が作詞も作曲も手がけています。岡安喜三郎のお正月のお浚いのために作られたと伝わっているそうですが、新春の長閑な風情を背景に寒中に花咲く梅やお屠蘇気分を表現しつつ、実は、自身と岡安喜三梅との結婚の悦びを織り込んだ内祝儀の曲なのだそうです。44才の時の作品というのは晩婚だったのか…?
歌詞を読むと、1曲の中に、新春を表す言葉(「立つ春明けて」「屠蘇」「羽子のこ」「初霞」…)に絡んで、喜三梅との婚礼を暗示する言葉(「梅(喜三梅)」「島台(結納のときに並ぶ蓬莱山や鶴亀をあしらった造り物)」「盃(三々九度の)」…)が見え隠れしているのがユニークで、それで全体がおめでたい言葉で満たされており、なんだか早春に咲く愛らしい梅の花と、若い妻女がオーバーラップして香りまでしてくるようで、作者の高揚感が伝わってきます。(すみません、時代は違いますが御舟先生の「紅梅図」が新妻のほんのり頬を染めたような色っぽさにイメージがぴったりだったので、参考引用…ということで)
三世杵屋正治郎といえば、一昨年にさせていただいた「岸の柳」もたしか友達の結婚祝いに作った曲と言われていたような…、こういうの流行っていたんでしょうか?
前弾きは神楽の合方というらしいのですが、本調子で小刻みな手くさりではじまり…、三線譜では分からないけれど、お囃子がついた演奏もあるらしい。通りをやってくる門付けの神楽舞…しょっぱなからお正月風情を演出する趣向なのだね。この曲の前弾きの替手は文化譜の「替手秘曲集」に収められる特に面白いもので、鶯の飛啼きという手を用いているとか…(虫六は当然のことながら秘曲集なんてものは見た事もありませんが…)
ひえぇ〜、技を使いましたな三代目!! そんな演奏聞いてみたいッス。
『梅の栄』は演奏会での発表を目的にした “素唄” として作られたもので、唄にもお三味線にも聞かせどころがあります。三味線では、「猩々舞の合方」、娘道成寺でお馴染みの「手毬の合方」、そしていちばんの難関は「琴の手事の合方」という長い合方!
唄にあわせるところは、のんびりと豊かな酔い心地で気持ち良く唄っていただけるように、唄い手の息を受けて、柔らかな音色のうちに唄を引き立てていく呼吸を取るのが難しいのだとか。虫六的には、三味線独奏部分の合方はまぁいいのですが(独習できるという意味で)、唄に合わせるのが苦手…、二上がりへの変調もあるし、ここいらで実力アップを目指すためにも挑戦しがいがある曲です。某流派では名取試験の課題曲といわれる実力をみられる1曲、お正月から、モチベーションをあげて頑張ります!…なんちて。
ところで、この曲が作られたのが明治3年というのがちょっと気になりまして、調べてみました。
明治維新の激動は伝統芸能にとっても深刻な影響をもたらしたと言われます。旧体制下、武家社会をパトロンにしていた能楽は、存続の危機をかけた自由競争に晒されました。歌舞伎も能楽ほどではないにしても近代化を求められ、それまでの遊里趣味から脱却した表現の変革を余儀なくされます。それでも、当時庶民の中にあった歌舞伎・長唄には勢力があり、能楽は長唄とのコラボレーションをはかり三味線入りの能狂言を起こして生き残りをかけたと言われます。それに反してかえって興隆を誇ったのは人形浄瑠璃でした。義太夫節は劇場から寄席に“素浄瑠璃”として進出し、大阪市民の間にファンを拡大、お稽古事としてブームを起こしたそうです。
明治初期に活躍した長唄三味線の名人は3人。
二世杵屋勝三郎は、能役者の日吉吉左衛門と提携して、明治3年、能の『船弁慶』『安達ヶ原』を三味線入りの曲として編曲しました。これに囃子にも編曲を加えて創出されたのが「吾妻能狂言」。現在では長唄の “謡曲もの” といわれる演目の始まりといわれます。
「根津の勘五郎」と呼ばれた三代目杵屋勘五郎は、大薩摩絃太夫の名も持つ大薩摩の名手で、『橋弁慶』(明治元)、『綱館』『望月』(明治3)、などを作曲しています。
一方、三世杵屋正治郎は、長唄の曲に洋楽の影響をうけ、その手法を取り入れたことで知られます。それが顕著に認められる作品として『元禄花見踊』(明治11)があげられますが、『梅の栄』が作られた時期はまだそこまで強い影響はないみたい。
しかし、この曲が “素唄” として作られたことは注意したいところ。
それまで、歌舞伎長唄の地方演奏家が芝居や舞踊の伴奏としてではなく、演奏会のための長唄を作り出したのがこれらの作曲家。素浄瑠璃の流行も影響していたのかな。この動きが、明治後半の研精会を中心とした純粋音楽として演奏会で長唄を鑑賞するあり方に繋がって行くことになります。そう考えると、この曲などは、過激さなど微塵もない演奏家のハッピーな余技的作品とも言えますが、当時としてはアバンギャルドな側面もあったのかなー?などと妄想も膨らみ、やっぱり日本の伝統芸ってクールだわ。
正治郎は、後年歌舞伎を高尚趣味なものとして写実を追求した九代目團十郎と組んで「鏡獅子」(明治26)など多くの傑作を生み出しています。
…蘊蓄はいいのですが、要は、練習ですね…!!分かってます、はい。
【参考文献】
「長唄名曲要説」 浅川玉兎著 日本音楽社
「日本音楽の歴史」吉川英史著 創元社
「明治演劇史」 渡辺保著 講談社
三味線文化譜「長唄 梅の栄」邦楽社
「長唄の世界へようこそ」細谷朋子 春風社 →こちらも
Wikipedia
*三代目杵屋正治(次)郎は、文献によって名前の漢字が違っていますが、1855年に三代目正次郎を襲名し、1878年より正治郎と表記しているとのこと。この曲を作った頃は正次郎を名乗っていたということになります。
…そんなわけで、今年最初の日記はこの曲のご紹介から。
『梅の栄』
制作年 明治3年(1870年)
作詞/作曲 三世 杵屋正治郎
本調子前弾
〽鶏が啼く (合)花の東に立つ春の、明けて目出度き島臺は(合)
富士と筑波にたとへにし、遠近(おちこち)やまも白妙や、
まだ深からぬ春の日に、残んの雪の(合)解けそめて(合)
空も長閑(のどか)にそよそよと(合)旭も匂ふ梅が風(合)
四方(よも)にわたりて軒端(のきば)もる(合)
屠蘇のかをりや梅も咲け(合)彼(かの)潯陽(じんよう)に伝え聞く(合)
猩々舞(しょうじょうまい)にあらねども、さす手引く手の(舞の合方)盃に
二上リ
〽ほのめく色のとも移り、薄紅梅の酔心(よいごころ)、
開く扇の末廣や、(合)聲(こえ)もゆたかに四海浪、
しづけき御代に鶯の(合)
〽いつか来啼きて花の笑み、にこ羽子のこの数々も(手毬の合方)
ひとふた三重の初霞、曳くや柳の糸竹も、長き齢は鶴亀や、
変わらぬ色は松竹に、千代の聲そふ喜三が春(琴の手事の合方)
梅の栄(さかえ)と世に廣く、三つの緒琴(おごと)に祝すひとふし
この曲は、三世杵屋正治郎(文政9年(1826) - 明治28年(1895))が作詞も作曲も手がけています。岡安喜三郎のお正月のお浚いのために作られたと伝わっているそうですが、新春の長閑な風情を背景に寒中に花咲く梅やお屠蘇気分を表現しつつ、実は、自身と岡安喜三梅との結婚の悦びを織り込んだ内祝儀の曲なのだそうです。44才の時の作品というのは晩婚だったのか…?
速水御舟 紅梅図 1925(大正14)年 |
三世杵屋正治郎といえば、一昨年にさせていただいた「岸の柳」もたしか友達の結婚祝いに作った曲と言われていたような…、こういうの流行っていたんでしょうか?
ひえぇ〜、技を使いましたな三代目!! そんな演奏聞いてみたいッス。
『梅の栄』は演奏会での発表を目的にした “素唄” として作られたもので、唄にもお三味線にも聞かせどころがあります。三味線では、「猩々舞の合方」、娘道成寺でお馴染みの「手毬の合方」、そしていちばんの難関は「琴の手事の合方」という長い合方!
唄にあわせるところは、のんびりと豊かな酔い心地で気持ち良く唄っていただけるように、唄い手の息を受けて、柔らかな音色のうちに唄を引き立てていく呼吸を取るのが難しいのだとか。虫六的には、三味線独奏部分の合方はまぁいいのですが(独習できるという意味で)、唄に合わせるのが苦手…、二上がりへの変調もあるし、ここいらで実力アップを目指すためにも挑戦しがいがある曲です。某流派では名取試験の課題曲といわれる実力をみられる1曲、お正月から、モチベーションをあげて頑張ります!…なんちて。
ところで、この曲が作られたのが明治3年というのがちょっと気になりまして、調べてみました。
明治維新の激動は伝統芸能にとっても深刻な影響をもたらしたと言われます。旧体制下、武家社会をパトロンにしていた能楽は、存続の危機をかけた自由競争に晒されました。歌舞伎も能楽ほどではないにしても近代化を求められ、それまでの遊里趣味から脱却した表現の変革を余儀なくされます。それでも、当時庶民の中にあった歌舞伎・長唄には勢力があり、能楽は長唄とのコラボレーションをはかり三味線入りの能狂言を起こして生き残りをかけたと言われます。それに反してかえって興隆を誇ったのは人形浄瑠璃でした。義太夫節は劇場から寄席に“素浄瑠璃”として進出し、大阪市民の間にファンを拡大、お稽古事としてブームを起こしたそうです。
明治初期に活躍した長唄三味線の名人は3人。
二世杵屋勝三郎は、能役者の日吉吉左衛門と提携して、明治3年、能の『船弁慶』『安達ヶ原』を三味線入りの曲として編曲しました。これに囃子にも編曲を加えて創出されたのが「吾妻能狂言」。現在では長唄の “謡曲もの” といわれる演目の始まりといわれます。
「根津の勘五郎」と呼ばれた三代目杵屋勘五郎は、大薩摩絃太夫の名も持つ大薩摩の名手で、『橋弁慶』(明治元)、『綱館』『望月』(明治3)、などを作曲しています。
一方、三世杵屋正治郎は、長唄の曲に洋楽の影響をうけ、その手法を取り入れたことで知られます。それが顕著に認められる作品として『元禄花見踊』(明治11)があげられますが、『梅の栄』が作られた時期はまだそこまで強い影響はないみたい。
しかし、この曲が “素唄” として作られたことは注意したいところ。
それまで、歌舞伎長唄の地方演奏家が芝居や舞踊の伴奏としてではなく、演奏会のための長唄を作り出したのがこれらの作曲家。素浄瑠璃の流行も影響していたのかな。この動きが、明治後半の研精会を中心とした純粋音楽として演奏会で長唄を鑑賞するあり方に繋がって行くことになります。そう考えると、この曲などは、過激さなど微塵もない演奏家のハッピーな余技的作品とも言えますが、当時としてはアバンギャルドな側面もあったのかなー?などと妄想も膨らみ、やっぱり日本の伝統芸ってクールだわ。
正治郎は、後年歌舞伎を高尚趣味なものとして写実を追求した九代目團十郎と組んで「鏡獅子」(明治26)など多くの傑作を生み出しています。
…蘊蓄はいいのですが、要は、練習ですね…!!分かってます、はい。
「長唄名曲要説」 浅川玉兎著 日本音楽社
「日本音楽の歴史」吉川英史著 創元社
「明治演劇史」 渡辺保著 講談社
三味線文化譜「長唄 梅の栄」邦楽社
「長唄の世界へようこそ」細谷朋子 春風社 →こちらも
Wikipedia
*三代目杵屋正治(次)郎は、文献によって名前の漢字が違っていますが、1855年に三代目正次郎を襲名し、1878年より正治郎と表記しているとのこと。この曲を作った頃は正次郎を名乗っていたということになります。
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