2011年12月30日金曜日

「幕末太陽傳」のデジタルリマスター版で映画見納め

フォーラムで「幕末太陽傳」(川島雄三監督)のデジタルリマスター版の再上映をやっているというので、滑り込みで観に行きました。

“伝説の名作”の呼び声高い本作ですが、ちゃんと映画館でみたことがありませんでした。和田誠さんのエッセイ&似顔絵や小沢昭一さんのエッセイなんかで、イメージだけ膨らませていましたが…。
想像以上に(っていうか、たかが私の想像力なわけですが)、面白かった。胸を患いながらも、無茶苦茶な激動の幕末を逞しくしたたかに生きる居残り佐平次(フランキー堺)の魅力。自分の記憶にあるフランキー氏はもう大物のおじさんって感じでしたが、若い頃はこんなにいろんな意味でかっこいい俳優だったのだなと感心。江戸の粋っていうか、すいっていうか、もうこんな表現力存在しないな。若い時分の南田洋子演じる品川遊女・こはるのハスっぽさのかわいいこと。ライバル遊女・おそめ(左幸子)との喧嘩シーンの長回しは迫力ありました。想像通り、石原裕次郎は大根でしたが… ( ̄◆ ̄;)。
落語の題材がいっぱい散りばめられ、くわしい人には2倍も3倍も面白かったに違いないと思われ、もうちょっと教養つけて、もう1回みたいくらいです。
DVD出ないかな〜。

あ、映画冒頭には1950年代の品川駅から出発する電気機関車の映像もあったりして、その筋の方には(限定的ですが)うれしいかも。



「招月」のお蕎麦食べ納め

29日、年末でみんなが休みだったので、お昼は「招月」で今年の食べ納めをすることにしました。

虫六子と家人Tは今月のおすすめ「みぞれ豚そば」。

虫六は、冬季限定「せりそば」。
せりの香りが清々しくて美味しかった。

年末なので、特別注文「天ぷら盛り合わせ」。
3人でひと皿つつくくらいがちょうど良い量ですね。
やっぱり天ぷらはお店で揚げたてを食べるのが旨い!

おまけで、そば羊羹をいただきました。
甘さ控えめな素朴な味、小豆バーを思い出しました。
そばつゆのあとでお口直しにちょうど良かったです。

今年もご馳走さまでした。来年もまた行きますね〜。


クリスマス「さかな」ライブ

25日はもうひとつお楽しみがありました。
東京を中心に活躍する男女ギターデュオ「さかな」のS市初ライブを、広瀬川河畔の「モーツァルト・アトリウム」に家族で聴きにいきました。

大人の事情か機材関係のトラブルか原因はよく分からないのですが、開場時間がほぼ1時間遅れて、極寒の玄関外階段、および、野外で待たされた(朝は回避できたのに…、つか、家人Tは1日2回も行列立ち… ┐(´д`)┌)ことをのぞいては、味わい深いいいライブでした。
新しいCD「Campolano」からの曲を中心にまだ音源が出来ていない新曲なども…。
CDで聞いていた印象から、ボーカルのポコペンさんはもっとボリューミーな方かと想像していたら、素朴でかわいい感じの方で、イメージ違っていました(苦笑)。でも、ソウルフルでブルース感ある太めのボーカルは日本人離れしていると思います。西脇さんのエレキギターもじっくり聞くと、こんなギター聞いたことないなぁという豊かな音色。大人なライブでした。

それにしても開始遅れは勿体なかった。前座の曲数を半分にしても「さかな」の曲がもっと聴きたかったといっては、前座の彼らにかわいそうでしょうか。


2011年12月27日火曜日

玉三郎チャリティ対談

12月25日 S市内F崎デパートにて、「板東玉三郎チャリティ対談」なる催しがありました。

前日はガスパ家酒宴にもかかわらず、翌日は早朝から整理券をゲットしにいくため、酒は控えめにした虫六。なにしろ先着200名で、整理券がなければ間違いなく門前払いだもんね。
しかし、寒波到来の昨今、病み上がりの身体で1時間も野外に並ぶのって無茶すぎるかなぁ?と、さすがにわが身が心配に…。ダメ元で、家人Tに「2千円でどおよ?」と代行を頼んでみたら、「やぶさかでない」との返事!!すまんのう…( ̄◆ ̄;)
てなわけで、1時間前から並んでもらい(配布開始は朝9時半から)、ゲットしてもらいました!「50番」指定席だそうです。ありがたや〜!

「わが心の歌舞伎座」展の関連企画で、玉三郎丈がS市まで足を運んでくれたということだと思いますが、対談のお相手がなぜか楽天球団オーナー・S田亨氏(むむむ、楽天のオーナーが歌舞伎ファンなのか?想像しがたいが…)。で、司会はおなじみなFM仙台のI橋恵子さん。
会場は想定通りびっしり(!)中年以上のご婦人達で満たされています。整理券1番をゲットなさった方は朝の5時から並んだとか。やっぱりいましたか、そういうコアなファンが!

対談の中味は…。予感があたって、玉三郎丈と楽天S氏に接点はなし。お互いに、野球しらない、歌舞伎みたこと無いという話ではじまり、玉丈のトレーナーが元・野球選手のトレーナーだったとか、S氏の奥さんが新国劇の俳優さんの孫だとか…この先どおなるのか?この対談は?
とりあえず、玉丈が全国でチャリティー公演をやって集めた募金を9月になってから東北各県の被災地に届けた話題(ひっそりとやられていて、地元紙も記事にしなかったのよね。)。
「やればやるほど自分の微力さを思い知った」と玉丈。でも、形にできることは限りがあても「被災地のことを忘れていない」という志があることをお伝えしていくしかない、と。玉丈は阪神大震災の時も行動しているし、中国公演の時に四川大地震にあい、急遽チャリティ公演にして支援活動をしている。今度の支援活動もそんな経験がこの行動につながっているのでしょう。かの梅蘭芳(メイ・ランファン)が来日した時に、ちょうど関東大震災があり、公演をチャリティにして募金を集めたそうだ。先達があるのだと。
しかし、簡単にやれることではないと思うし、本当にありがたいと思う。
歌舞伎座閉場後、玉丈は今年は基本的にオフにしていて、偶然歌舞伎公演の予定がなかった(そういえば、ほとんど舞踊公演でした)ので、行動できたともおっしゃっていました。

素潜りを趣味にしている玉三郎丈、海は大好きだが、人間は海には立ち向かえないという脅威も感じているという。「スローライフ・スローフード」の信条にもふれ、原発をいらないというためにはそういう暮らし方をしていかないといけないからと、部屋の電気を消しまくっている話。でも、劇場でいっぱい電気使うので大きい顔は出来ないのだけど…と(苦笑)。そして、最大の防災は「運命に立ち向かう覚悟する」ことだと。
とにかく、今年は芝居をすることに抵抗がありましたと言っていました。

対談時間45分のうち、半分くらいが楽天とI橋さんのS市被災してこうだった頑張ったという話に費やされ、ちょっと玉丈アウェー感漂う中、芸談や今後の活動をどうしていくのかという点に触れることなく、会場からの質問コーナーもなく、物足りなさを感じたのは私だけではないと思われます。
紛れもなく「玉三郎」を見んがため5時から並ぶような観客を集めているんだから、役者と観客の関係を承知して、中味も汲んでくれれば良かったのにね。

しかし、この対談をきっかけに、楽天球団とF崎デパートとFMせんだいあたりがスポンサーになって、玉三郎公演をS市で実現してくれるというなら、話は別です。大歓迎!!!
太陽光発電と蓄電池による特設会場を楽天球場内に設置し、玉丈の芸術監督による伝統芸能の祭典とか、妄想膨らみますが…、よろしくお願いしますよ。

追記)
対談中、I橋さんが震災の時に電気が消えて星空がきれいだったとか話しつつ、「辛かった経験ものど元過ぎればで、また便利な暮らしに戻れば忘れてしまう。マスコミに携わる人間として…」とかなんとかおしゃっていましたが、…誰が忘れるかよ!です。少なくても精神的に3.11の前に戻ることなんかできないと感じる程、我々は大きなダメージをうけてしまったのです。戻れるわけないのです。あの震災を目の当たりにした人なら別の場所からスタートせざるを得ないと考えるのが当たり前ではないでしょうか。しかし、そんな暮らし方の仕組みを変える話以前に、私たちは取り戻さなければならないものがあるように思います。
あのあと、(スポーツは例外だったらしいけれど、)エンターテイメントはこの事態に…という後ろめたさでそれを求める心にブレーキが掛かっていました。本当に好きなものが心から楽しめない状況、…しかし、9ヶ月が過ぎて、今回集まった人たちは、こんなことが楽しみにできるくらい「心の余裕」が生まれてきたんだと思います。それは、ほんとうはとっても大事なことであるはず。
だから、仲立ち役の方は、できれば役者と観客とをもうちょっと交感できるよう運んでいただきたかったなぁと思ったのでした。

そして私としては、「私たちはもう大丈夫なので、玉三郎丈にはご自身のお仕事を心おきなく全うして、良い芝居や舞踊を沢山見せて欲しい」と伝えたかったのです。







2011年12月26日月曜日

ガスパール家でクリスマス

クリスマス・イヴの日、恒例のガスパ家でクリスマスパーティがありました。
去年は、虫六子の高校受験に重なって参加できず残念だったのだね、たしか。
毎年参加の関白家のご両人が、震災の影響でご主人転勤となってしまい、参加出来ず…寂しいのう。そんなわけで、いつもの2家族で。

とはいえ、ガスパール君は今日も元気です。ご馳走を前に1枚激写の虫六子。
今夜の前菜は、バーニャ・カウダで食べる生野菜&ピクルス。このちょっぴりしょっぱいイタリアのソース(写真は右端で半分切れていますが…)が美味しくて、パンから何からつけて食べちゃいました。

メインは、むっちりパリパリに焼けたローストチキン!クリスマスはこうこなくっちゃ!
親方切り分けてください!!ワインが進んで危険。

キノコのキッシュもいけました。ほかほか〜。
デザートは虫六家オリジナルのティラミスと今年初物のメロゴールド…だったのですが、虫六子、食べるのに夢中で写真撮り忘れ…(;´▽`A`` 
(ちなみに今日の写真は全て虫六子撮影)

お腹いっぱいにしつつ、みんなでフィギュアスケートなど見つつまったり過ごしたのでした。しかし、尻餅3回ついて優勝とはT橋…なんだか納得できないぞ〜。

それにしても、今年はガスパール家には言葉に尽くせないほどお世話になりました。いろいろ思い出してしまうけれど、ほんと心から感謝しかないのです〜。友情って有り難いなと実感した今年。来年以降もずっとよろしくお願いします。


2011年12月20日火曜日

藤崎デパートで「わが心の歌舞伎座展」

外出許可が出てすぐに羽を付けてTOKIOまで日帰りしたツケが回って、絶不調の虫六。
ぐわ〜っ。
しかし、用足しがありFデパートまで足を伸ばしたら、なんと(!)歌舞伎座閉場期間の巡回展「わが心の歌舞伎座」展をやってました。しかも今日から1週間のみ。知らなかった〜!呼ばれたかなーオレ。



まだはじまったばかりのせいか、夕方だったせいか、あまり観客もいなくて、じっくりゆっくり見れて、これまたラッキーでした。


デパート催事なのでスペースは広くないけれど、第4期歌舞伎座のロビーで我々を出迎えてくれた赤い絨毯や朱漆の大柱、客席への入り口扉などがいきなり再現展示(天井の高さは違うけどね…)されていて、懐かしさがこみ上げました。貴重な設計図、実際に使われていた部材で花道も再現。
黒御簾で使う楽器や擬音の道具、「暫」「勧進帳」「京鹿の子娘道成寺」などの衣装、四代目芝翫や五代目菊五郎など明治時代からの歴代の名優をずらりとパネル展示。(なんでこの舞台写真なのか?!というのもありましたが…)
2013年開場予定の第5期歌舞伎座の設計プランパネルなども展示されてました。
何げに松竹さんのシネマ歌舞伎のコマーシャルDVDも。

本物の資料がいろいろあったので、意外に面白く見ました。


で、こ、こんなチラシ↑が何気なく掲示されているではあーりませんか。
知らんかったー!知らんかったよー! Σ(゚□゚(゚□゚*) 
今日、Fデパートに来て良かった〜。
問題は25日までに体調が回復しているかどうかなんですが…。
早起きできるかなぁ〜 (;;;´Д`)ゝ 



2011年12月19日月曜日

杵勝会歳末チャリティー長唄演奏会

外出許可が出て2日目、虫六はどこにいたでしょう。答えは、有楽町朝日ホールでありました。
毎年恒例「杵勝会歳末チャリティー長唄演奏会」は、わが忠美恵一門の年に1度のお楽しみ。腹が痛かろうが、矢が降ろうが、聞き逃したくありません。
「どういうことですか?意味分かんないんですけど…」という家人Tの刺さる言葉をえんやこら乗り越えて、先生やお姉さま方と遠足気分で同じ新幹線に乗ってやってきちゃいました。


いやはや、杵勝会は実力者揃いなので、この演奏会はいつもながらうれしい(≧∀≦)。
今年聞き逃すと、また1年またねばなりません。東京に住んでいれば、他流派や長唄以外の邦楽演奏会を聴きに行くチャンスも多々あるのかも知れませんが、S市ではほとんど無いので、「とにかく1年に1度これを聞く」というのが凄く大きく、楽しみなのでした。


今回、もっとも印象に残ったのは、「吾妻八景」(唄/勝吉治・巳之助、三味線/勝正雄、上調子:勝十郎)!この若い2人の三味線のすばらしい掛け合い。たった2丁なのに音色は冴えているし、絡んで複雑で、しかも、美しい!この曲はCDもあるし何度か聞いてはいますが、こんなに面白い曲だったのか!!!!と目から鱗が落ちました。あんなに弾けたらそりゃ楽しいでしょう。

それから、勝幸恵師匠の立三味線率いる女流演奏家6丁6枚と囃子の「喜撰」。どうしてこんなに綺麗に合わせることができるのでしょう。(涙)杵勝って、女流の方々も層が厚いのでしょうね。それにしても、勝幸恵先生の演奏に圧倒されました。もっと聞きたい!生で聞ける機会を逃したくない…。(1月10日にHNK・FMの「邦楽にひととき」で、勝幸恵先生の演奏が放送されるそうです)

当代家元の演奏は「春の調」。長唄に琴が共演して、麗しい演奏でした。わが一門でも予習していたので、聞き覚えのあるフレーズが頭に入っていたおかげでますます面白かった。唄も勝四郎師匠だったし。

大トリは勝国師匠が立ての「勧進帳」。今年は歌舞伎でも勝国師匠の演奏にあたって、ラッキーこの上ない年でしたが、その年の聴き納めにふさわしい演奏でした。お三味線は脇が裕光、勝松、勝国毅、勝七郎。唄はやっぱり立てが杵屋東成師匠(待ってました!)、脇が勝四郎、勝彦、正貴、利次郎。「瀧流し」超絶ですから。

虫六が秘かに「美しすぎる上調子の喜三」とお呼びしている寿浩師匠のお名前がなかったので、今回は参加せずなのかとガッカリしていたら、なんと「勝七郎」を襲名なさっていらして(しかも去年の6月!おめでとうございます。つか、去年も聴きに行ったはずなのに、忘れてる?)、いつもの美しい演奏を拝聴することができました。良かった〜。
2曲ご出演で、1つは唄方・直吉師匠(賛助出演)の「連獅子」に、和吉師匠の脇三味線として。そして「勧進帳」の上調子で!!
どうやったら、あんなに綺麗なお三味線が弾けるのか。はぁあ。

いつもは、やみくもにお三味線ばかりを追いかけていましたが、今年はちょっと余裕がでてきて(?)、お囃子も面白いと感じながら聞きました。特に「連獅子」は、舞踊の獅子の動きなども多少オーバーラップして、どんな場面かが思い描けるようになって、霊獣らしさもお囃子が表現していて、その緊張感なども心地よく聞けました。

また、大所帯の演奏の場合の、バンマスである立三味線の「間」の持ち方と息、演奏の引っ張り方、並んだ演奏者の音の出し方など、1つの演奏にまとめ上げるために、それぞれの役割や配慮が少し垣間見えて面白いと感じました。立三味線は他の演奏家に比べて、バチの動かし方が大きく、これは1列に並んだときに遠くの奏者にも「間」が伝わるようにということらしい。バチが指揮棒なんですね。これまで知りませんでした…。
それにしても、一番端っこにいる上調子がたったひとりでぴったり合わせて来るのってやっぱり相当凄いことだなぁと思う。

また来年、たのしみです。
(っていうか、もっといろいろ聞く機会が欲しいものです)





2011年12月17日土曜日

お風呂解禁!

白い宇宙船から帰還後も、世の中の重力になれるため、自宅謹慎状態だった虫六。
本日(16日)は、船に戻ってドクターの検診を受ける日でした。
仕事にいかず家にいることに、どっぷり慣れて、半ば引きこもり状態で、ほんと出かけるのがおっくうじゃ…と、思っていたら、大雪ですか ( ̄Д ̄;;今日に限って…。


なにわともあれ、出かけたついでに、10コほどの用事をいっきに片付け、ちょっとヘトヘトモードでした。

しかし!ドクターから「今日より普通の暮らしに戻して良いよ。お風呂にも入っていいですよ!」とのお墨付きをいただきまして、約4週ぶりに「湯船」に入ったのでした〜!!
しかし、同じようなことを、今年はあの震災の後にも書いた気がするなぁ。
今年は風呂に入れない総日数が2ヶ月以上におよび過去最高だったかも。

2011年12月10日土曜日

「都鳥」

今月からお稽古の曲が変わります。
新しい曲は「都鳥」。
姉弟子の皆さんも通過してきた曲で、ゆっくり弾いても10分ほどの練習曲にも相応しい曲と思われます。

で、先生のお稽古をいただくにあたって、曲についての要説など調べてみました。

「都鳥」

制作年代 安政2年(1855)6月
作曲   二代目杵屋勝三郎
作詞   伊勢屋喜左衛門(片町組五番組中の札差)

隅田川の春から夏へかけての情景を品良く諷った独吟もの。唄の美声が充分にきかせられ、情緒あふれる作曲である。(本調子)
(「長唄名曲要説」より)

「たよりくる 船の中こそ床しけれ
 君なつかしと都鳥
 幾夜かここに隅田川
 往来の人に名のみ問われて
 花の影 水に浮かれて面白や
 河上遠く降る雨の
 晴れて逢ふ夜を 待乳山
 逢うて嬉しき あれ見やしゃんせ
 翼かはして濡るる夜は
 いつしか更けて水の音
 思ひ思うて深見草
 結びつ解いつ 乱れ逢うたる夜もすがら
 はやきぬぎぬの鐘の音
 憎やつれなく明くる夏の夜 」


もっと詳しくみていくと、成立は
「女清玄の隅田川の場面の独吟に用いられたもの」で、出来が良かったので独吟ものとして流行し人気がある曲とのこと。

通称《女清玄》は、四世鶴屋南北作の世話狂言『隅田川花御所染(すみだがわはなのごしょぞめ)』が正式タイトルで、文化11年(1814)3月江戸・市村座の初演だそうです。いわゆる〈清玄桜姫物〉の一つで主役の清玄を尼にしたもの。
「入間家の惣領花子の前は剃髪して清玄尼となるが、死んだと思った許嫁松若に出会い破戒し、妹桜姫に嫉妬して浅茅原の庵室で殺される。」というあらすじで、「筋よりも直接感性にうったえる野路の玉川の蛍狩で松若と清玄尼が契りをかわす夢の場や、春の隅田川で白魚の網を打つ松若と、零落した清玄尼がすれ違う夜船の場面などが魅力」(「新版歌舞伎辞典」より)とあります。この春の隅田川の場面で使われた曲が「都鳥」と言うことですね。
この演目は、女形岩井半四郎(五世)の見せる坊主頭姿に扇情的な倒錯の美学があり、それが頽廃的な幕末の世相にあって大当たりをとり、改題・改作を重ねつつ今日にまで舞台生命を保っているとのこと。初演から作曲までのタイムラグは、この繰り返し上演の過程で、付け加えられた演出だったということでしょう。

ぼろぼろに落ちぶれた清玄尼が、その原因になった死んだはずの許嫁とすれ違う無情で皮肉な場面を、春の隅田川のうららかな情景と恋心を美しく唄った「都鳥」が彩ることで、より悲劇を色濃く映し出したということでしょうか。倒錯しているなぁ。

(「隅田川花御所染」の五世岩井半四郎 豊国画 「歌舞伎辞典」より。)

ところで、ここに登場する「都鳥」とは、「百合鷗(ゆりかもめ)」(モノレールではありません)のことだそうで、隅田川限定の適用ですね。古典『伊勢物語』の在原業平が詠んだ「名にしおわば いざ言問はん都鳥 わが思う人はありやなしやと」の和歌を掛けているのはもちろんのこと。浮き寝の鳥にかこつけて逢瀬をちぎる恋仲という実はエロチックな内容を上品に表現した唄でもあります。

もともと場面の独吟として成立した唄なので本来は前弾きなどはなかったのですが、のちに独立して演奏されるようになって前弾きが工夫されるようになったそうで、流派によっていろいろなパターンがあるとか。ちなみに文化譜(赤本)には、4種類載っております。隅田川の情趣を表現しているので、いずれも「佃」の旋律が主題として取り入れられているそうです。

具体的な曲節については、先生のお稽古で教えていただくわけですが、予習で聞いた感じ(音源は「七代目芳村伊十郎 長唄大全集15」の山田抄太郎師匠の三味線)ですと、優美艶麗なところと合方のパリッと小気味よく聞かせるところのメリハリもあり、何げに技術を要求される感じもあり(汗)、大変面白い曲かと。

お稽古がはじまるのが楽しみなのでした。がんばるぞ~!

〈今日の参考文献〉
浅川玉兎「長唄名曲要説」1976 日本音楽社
「新版歌舞伎辞典」初版1983(新版2011) 平凡社


2011年12月8日木曜日

季刊ココア共和国vol.8に「地震のこと」掲載

(株)あきは書館というところから、「季刊 ココア共和国」という小さい詩集が送られてきました。なぜ?私に…?

中を開いてみると、なんと!10月のsmtでやったオープン・カフェ「震災のあとで〈表現する〉こと」で、いがらしみきおさんとクマガイコウキさんが朗読した詩がそれぞれ活字になって載ってるではあーりませんか!
う、うれしい。(≧∀≦)
しかも、カクテル・ポエムという画と詩によるいがらしさんの新作「人は死ぬのを知りながら」も所収。気になる人は必見です。

それにしてもなんで私に?と、添えていただいた手紙をみると、いがらし先生の紹介で…と書いてある。なんでいがらし先生が私の住所を…とかとかグルグル考えながら、でも、なんだかうれしい。オープン・カフェのあと、活字無いのか?と騒いだ甲斐がありました(←内輪でですが)
この詩集、不勉強で存じ上げませんでしたが、もう8集目とのこと。S市の詩人の方々も頑張っているんだな。何はともあれありがとうございます。

○季刊 ココア共和国 vol.8

2011年12月1日発行
著書  秋亜綺羅
編集人 柏木美奈子
発行  (株)あきは書館
ISBN978-4-904391-13-6
C0095 ¥500E

【目次】

 ニザール   四方田犬彦
 化け物    須藤洋平
 地震のこと  いがらしみきお
 仮称岩松と四千万円とマッチ売りの少女と私たち  クマガイコウキ
 あんぱん   豊田和司

小詩集
 詩人の詩はつまらない 秋亜綺羅

カクテル・ポエム
 人は死ぬのを知りながら いがらしみきお

ブログ ココア共和国
 詩と舞踏 in 青森
 アート・アトランダム1〜6
   

2011年12月7日水曜日

てぇへんだ!!!隣が家事だ!

今朝、家人Tが出掛けに「隣の棟から煙が出ているから火事かもよ」と、冗談みたいなコトを言いながら出勤していったので、廊下に出てみたら、本当に煙が出ていた。

確かに、緊急警報みたいな音が鳴っているらしく、隣棟に住んでいる人たちがみんな外に出てきて、電話なんかかけている。理事会の人らしき方が「みんな外に出て…!」とか言いながら、おいでおいでしてる。
でも、こちらの棟のひとたちは慌てている様子がないので、とりあえず上階から観察することに。ちと寒い。
(第一、おいら安静中なもんで、階段降りとかキツいんですけど…)

みるみる内に、あっちこちから消防自動車10台くらい到着。でっかい梯子車がなかなか方向転換できなくて手こずってましたが、やっと梯子を伸ばし、やってきた給水車もマンションの入り口や近くの道路で待機して、消火活動に入りました。

風もないし大丈夫かな…と部屋に入る。
外の喧噪はほとんど聞こえて来ない。
…かえって怖いんですけど。

昼ごろ様子をみたら、小さい消防車と署用車みたいなのが3台だけになって、消防士さんが数人うろうろ。マンションの一部が黒焦げになっていた…。
年の瀬に…大変。

震災とか、火事とか、うちのマンションも満身創痍ですよ。

2011年12月5日月曜日

11月に読んだ本

11月の読書メーター
読んだ本の数:8冊
読んだページ数:1500ページ

銀座開化おもかげ草紙 (新潮文庫)銀座開化おもかげ草紙 (新潮文庫)
煉瓦造りの洋館、ガス燈、耶蘇、骨碑、洋娼、兎相場…御一新は、政治だけじゃなく精神生活や市民生活も変化を余儀なくし、その混乱の中に日常があったのですね。原題は『銀座開化事件帳』。たしかにヤバイ事件は起きるものの、時代が変わっても悪いやつが偉ければ下々のものは口も出せず気狂いじみた蛮行にも打つ手なし…という、スッキリ解決するどころか、どっぷり暗いイメージを引きずりつつ、救いのない展開。仕掛人出て来いっ!って感じでした。松井作品にしては読みにくい印象。事件ものを書きたいわけじゃなかったのかな。比呂姐さん好き。
読了日:11月30日 著者:松井 今朝子

Sunny 第1集 (IKKI COMIX)Sunny 第1集 (IKKI COMIX)
出た出た!「竹光侍」が終わってしまって、寂しい日々でしたが、また面白いのが始まりましたね。ハルオの妄想癖とか、初っ端から思わず頬が弛んでしまいました。複雑な背景を持った子供たちが微妙に絡んでいそうですね、まだホンの序章ですけど。園長先生の孫さんにも気が抜けません。「ピンポン」「鉄コン筋クリート」とか、復習しとかなくっちゃ!
読了日:11月26日 著者:松本 大洋

あさひなぐ 3 (ビッグ コミックス)あさひなぐ 3 (ビッグ コミックス)
たぶん解脱してないと思われるスパルタ尼僧登場。虎の穴みたいな謎の特設道場でステレオタイプなシゴキがはじまりました。だんだん展開に新味性がなくなっているところが気になりますが、3巻目まで読んだからとりあえず次も読むでしょう。
読了日:11月25日 著者:こざき 亜衣

困ってるひと困ってるひと
聞いたこともない突然の自己免疫系難病の発症で、ビルマ研究者を目指す前途ヨウヨウの25歳の人生に急ブレーキ、あり得ない闘病生活の開始。身体の苦痛も想像を絶するものですが、全面的に信頼している医師の、心ない言葉に傷ついたり、友人の親切にも現界があると思い知るくだりは、生活弱者の苦労がリアルに伝わってきて痛い。みんな人なんだよなぁ( ̄^ ̄|||)お尻大逆事件も衝撃的過ぎて言葉なし。入院病棟で読む(難病でもなんでもないが)のはタイミング悪すぎましたが、更紗ちゃんのチャーミングな文章力と恋の話題で救われました。
読了日:11月23日 著者:大野 更紗

のぼりくだりの…のぼりくだりの…
100歳の人が地球の片隅にいて、虹や虫や昔の記憶やテレビなんかを相手に、遊び心たっぷりに、つぶやくような言葉を交わしている…。詩人ってすごい。
読了日:11月21日 著者:まど みちお





あさひなぐ 1 (ビッグ コミックス)あさひなぐ 1 (ビッグ コミックス)
マイナー部活もの(^^;?)今度は長刀か…。しかし、娘が元気のいい元女子校の武道系部活で活動中なので、空気感が伝わってきます。天才系でないドジな主人公の成長譚。そこもかぶるかな…(⌒-⌒; )
読了日:11月13日 著者:こざき 亜衣

春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと
震災が襲った真ん中の街に住んでいて、辛うじて震災を逃れながら、その全体をどう捉えたらいいのか立ちすくんだままだ。あの時、池澤さんはこんなことを思いながらこんな風に動いたんだな。復興のリーダーシップをとっている政治家や学者はこういう本を読んでいるのかな?原発に関する指摘も鋭い。原子力開発の致命的な落とし穴は材料工学にある、人類はまだ核レベルの強度を持つ材料を作る技術を得ていない、と。だだ漏れの放射能を遮断する容器はない。日本人だけでなく、人類の奢りと欺瞞を胸に刻んで、世の中全体の暮らし方を変えなければ。
読了日:11月09日 著者:池澤 夏樹

2011年12月4日日曜日

妄想詩歌句集「白い宇宙船」

ぱたぱたぱたと、
災害用自家発電のエンジンで、
白い宇宙船は飛び立つ。
カーテンで仕切られた方形二畳ばかりの無重力空間。
文庫本と隠し持ったiPadを枕元において。

綿虫や 「禁止」横目に メール打つ


味気なき 宇宙食をば 食みいつつ
わが箸とまる 談志逝去の報

天井に 3.11の痕みたり
宇宙船なれば 地震は無きと思え


大液晶 鎮座ましますオペ室で
わが腹切るや べっぴん先生


気がつけば つまらなき夢みていたり
そもそうそうに 忘れ去りたり


 ぼんやりと 銀杏の葉音 夢うつつ


銀河路に わが胎わたは 
蒸気列車の炉と化せり
夜を迷いつ


長き夜
右を向けば 黒きコードのドーム
左むけば 発光するチョークが散乱する床
上むけば 鉄道模型のモジュールを選べとのノルマ
これすべて我の妄想なり
と、夢中に思う


日に三度 宇宙食をば 画におさむ
誰に見せるとも無し
おもしろくも無し


しらじらと廊下の電気ともされば
わがモーニングコールは
「都鳥」なり


*12月3日、無事生還せり。
(お粗末さまでした〜 (;´д`) )



2011年11月20日日曜日

遠刈田温泉で骨休め

昨日はシンポジウムに顔を出させていただいたあと、家族と待ち合わせて、雨の高速道路を飛ばして遠刈田温泉に。ひぃ。
来週から虫六が人生最大級のイベントのため、しばらく(10日ほど)留守にするので、家人Tが温泉宿泊の旅をおごってくれました。久しぶりの家族(小)旅行です。

向かった先は、遠刈田温泉「大忠」
見かけは小さいけど、10室限定で行き届いたサービスと美味しいお料理とお風呂でリピーター・ナンバーワンの温泉宿だそうです。
いや〜、骨休め、骨休め。

夕食も虫六子が激写したんですが、品数多過ぎるので、省略(;´▽`A``
(大忠のホームページみてね)
写真は朝食メニューです。随分久しぶりで朝ご飯をおかわりしてしまいました!
それにしても食った、寝た、風呂入った〜。部屋に高級マッサージ椅子が置いてあったので、心ゆくまでマッサージしてしまいました。

すっかりリラックスしていたら、夜中と朝に地震があって焦りましたが、茨城震源で大きいやつでした。まだ余震が続くねぇ。原発大丈夫かなぁ。

せっかく遠刈田まで来たので、久しぶりで鞄屋さんのテルズコレクションに寄り道。
震災後初めての訪問だったので、K澤さんご夫妻と、震災の時の話とかなんとか話が尽きず…。
がんばろうねぃ。
11月はよく見られるらしいのですが、遠刈田の高原に大きな虹が架かっていて、感動的に美しい風景でした。


杜の都の鉄道フォーラム

お仕事でお世話になっているJR東日本文化財団さんが、シンポジウムをするというのでお邪魔しました。

○『東北本線全通120周年記念 杜の都フォーラム ―鉄道の旅 ふたたび東北へ!―』

日時: 2011年11月19日(土)13:00〜16:10(開場12:30)
会場: トラストシティカンファレンス・仙台
(宮城県仙台市青葉区一番町1-9-1 トラストシティプラザ5階)
参加無料〔定員200名 事前申込制〕

【講演者とテーマ】

高階秀爾(大原美術館館長)「文化メディアとしての鉄道」

芳賀徹(静岡県立美術館館長)「詩人たちの東北!芭蕉から啄木、賢治へ」

菅建彦(交通協力会理事長)「作並から始まった新幹線への道」

高木博志(京都大学人文科学研究所准教授)「鉄道が来た頃の仙台―戊辰戦争からの軌跡」

鳥海靖(東京大学名誉教授)「後藤新平と災害復興」

老川慶喜(立教大学経済学部教授)「日本鉄道と東北観光」

平山昇(立教大学経済研究所常勤嘱託)「社寺参詣と鉄道―東北の事例から」

高嶋修一(青山学院大学経済学部准教授)「栗駒山観光開発と鉄道」

資料解説: 奥原哲志(鉄道博物館主幹学芸員)


東北の鉄道と観光、歴史や文化等をテーマに、多ジャンルのお歴々が貴重な資料を紹介しながら「鉄」講義。沢山の先生方が登壇されるためにひとりひとりの時間が短くて、それぞれの方の暴走加減が面白かったです。特にH先生(笑)。美術・文学・近代史…鉄道は煮ても焼いても食べ応えがあるんだなぁ。
ハガキに寄る応募性だったようなんですが、すぐに締め切りに達したそうで、会場は空席無し。さすがJR東日本&河北新報社の主催・共催は宣伝力ありますね。鉄道のメディア力をまさに実感しました。

講演は近く書籍化されるそうなので、お話の中身については、それを待ってくださいまし。



2011年11月15日火曜日

水俣病から福島原発事故を考える 水俣・白河展講演会

○水俣病から福島原発事故を考える
   水俣・白河展講演会

日時:2011年11月13日
会場:ホテルサンルート白河
主催:水俣・白河展を開く会
共催:アウシュヴィッツ平和博物館・水俣フォーラム
【プログラム】
司会あいさつ 竹下景子(女優)
主催者あいさつ 小渕真理(水俣・白河展を開く会代表・アウシュヴィッツ平和博物館館長)
講演 森 達也(映像作家)
講演 緒方正人(漁師・水俣病患者)
 (休憩)
講演 鎌田 慧(ルポライター)
座談 森 達也・緒方正人・鎌田 慧・竹下景子
おわりに 実川悠太(水俣フォーラム事務局長)


○覚え書き
(*テープ起こししてまとめたものではありません。ときどき集中力を欠きながらメモしたものから書き出したものであることをご了解ください)

【森 達也】
・「メディアの不作為」について。
よく東電・政府・メディアが一体化してウソの情報を流していた!?と言われるが、そこまでメディアは劣悪ではなかった。しかし、後手に回ったのは事実で、メディアの機能を果たしていなかった。それは事態がよく分かっていなかったからだろう。
事故当時、メディアは原発に入れない、現場にいけなかった。(しかし、入るべきだったと今は思う。)
メディアは人が作っているものなんだから、幻想を持ってはいけない。懐疑的に接するべき。
リテラシーとは元々「識字」のことで、活字メディアが中心の時代は文字を理解する教養が必要だったので、マスメディアになれなかった。しかし、映像(映画)・音響(ラジオ)の発明によってマスメディアが成り立つようになり、その結果、20世紀前半にはナチのような全体主義を生んだ。映像と音が一緒になったテレビはさらに功罪が大きく、メディアはもともと負の作用を持っている。テレビはさらにネットに融合しようとしている。近い将来、メディアはインターネットに収斂されて行くだろうが、それはとても危険な状況である。
・「集団化」について
大きな災難や国難になったとき人は群れる。弱い動物は群れ、強い動物は群れない。人間は非常に社会性の強い臆病な動物だ。震災でも水俣でも、人間の本性として「同調圧力」が働く。そもそも「頑張れ日本」というようなメッセージは被災していない人たちが胸に秘める言葉で声高に発する言葉でない。しかし、被災地の惨状を目にするとサバイバーズギルト(生き残っている罪悪感・うしろめたさ)があるから「まとまろう」とか「誇り・品格」という言葉を言いたくなる。
19世紀は侵略戦争があったが、20世紀は自衛戦争。それを支える集団の意向を伝えるのがマスコミ。メディアは日本をこうしようああしようという気がなくてもそっちに行ってしまう。
原発は現在54基作られ、隠していたわけでもない。でも「安全神話」というものがあり、見逃していた。
モンゴルにはこんな言い伝えがある「羊は頭が悪いから家族が困る、山羊はずるいから家族が助かる」羊は保守的でそのままにしていると動かないので草を根こそぎ食べてしまう。山羊はあちらこちらと動き回る。日本人は羊度が高い。山羊が必要、適正な山羊な数だけ山羊を入れる必要がある。ハイチ31万人、四川9万人、スマトラ20万人が亡くなった。でも、それは他人事だった。いま自分たちがもつ後ろめたさを持って山羊度をあげれば、たぶん日本は変わる。自分たちの意識が変われば、メディアが、国が変わることができる。

【緒方正人】
私は不知火の魚の代理人としてここに来た。日本に54基も原発をつくっておきながら「事故」という表現に違和感がある。水俣はチッソ工場の産廃不法投棄「事件」である。不可抗力の響きがある。
水俣では胎児性患者の年齢が50歳代になった。生まれ育った町が現場で、この問題から逃げられない。「水俣病の時代に生まれ育った」という認識。
海の異変は昭和17年には起きていたが、水俣病の公式認定は昭和31年である。敗戦の時には、すでに次の問題が浮上していた。
「水俣病は文明病の立ちあらわれ」であった。
福島第一原発では海に放射性物質が放出されているが、他の生き物への気遣いがない。プランクトンは?魚は?金でごまかすことは人間社会でしか通用しない。地球や他の生物へは全く通用しない。謝罪できるとしたら金ではない。では何なのか?
保証金は、手切れ金代わりである。そんな金はいらない。自分の初心は狂い死にした親父(緒方さんのお父さんは急性劇症方水俣病でなくなった)の仇討ち。しかし、チッソとは何か?と問い続けて「チッソは自分であった」という答えに行き着いた。
「東電とは何なのか?国家とは何なのか?」
福島の人たちはまじめに生きていたのに、国から棄てられた感じ、誰を信じていいか?という感じを持っていると思う。
しかし、国家は化け物である。
チッソは「JNC」と社名変更した。これは「偽装倒産」みたいなものだ。文明が現代社会の中で最も危ないものの象徴。電化製品に囲まれていながら、「原発反対」には矛盾がないか。外なるチッソ、内なるチッソ、被害者でもあり加害者でもある。
「国」には2つある。①制度国家としての日本、②生国としての日本。生国に毒を撒いてしまった罪深さ。苦しんでいるのは、人間だけでなくて土地そのもの、他の生き物。人間に「目覚めて欲しい」と言っている。本当の豊かさとは何なのか…?ひとりひとりの問い直しが求められている。
ここに住む方向性をこれ以上国に左右されなくてもいいのでは?日本の保険制度、健康制度、年金制度などがものすごいスピードで壊れている。
フクシマと水俣の共通点は、人間の産業社会が生命世界を壊しているということ。別枠の問題でない。責任主体としての人間の真価が問われている。

【鎌田 慧】
7月31日原水禁の大会で原爆の被爆者と原発の被害者が会った。あってはならない出会いだった。「何のための原発反対運動だったのか?」原発を反対しながら、原発の体制を受け入れてしまった。原発の安全利用(アイゼンハウアーの平和利用宣言以来、黙々とやられてきたことに)という大ウソに何の抵抗も出来ていないなかった。中曽根がたてた23500万円の予算は広島に落ちたウラン235の語呂合わせ…など。
昔から「白河以北一山三文」と言われたが、日本の原発の半分が東北にある。奥羽越列藩同盟じゃないけれど、明治政府にこてんぱんにやられたところには原発が押しつけられている。
六カ所村の寺下村長の話。

原発がなければ原爆は作れない、つまり、核武装に繋がっている…とアジルことはできるけれど、そういうことではない。原発をやめたとしても、この先膨大な金が掛かる。
人間が全てコントロール出来ると思ってやってきた。何故か?安いから。しかし、それどころでない事態。経済的な保障だけでなく、子供たちをどうしてくれるんだ。
フィンランド映画「10万年後の安全」の話。
来年の3月11日 福島で大江健三郎さんらと大集会をやります。
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大友良英
2011年4月28日 東京芸術大学での特別講演から抜粋
「…(前略)…福島の人たち、原発に怒り狂ってると思うでしょう? 怒ってますよ、もちろん。怒ってるけど、言えない感じもあるんですよ。それは福島に育った人なら分かると思うけど、福島のいろいろな土壌もある。原発を推進してきたという負い目ももちろんあるけど、そんなことじゃない。

その本質的なことは何かというと、さっきのナイフの例えになるんですけど、ナイフで刺されて倒れている人がいるとするでしょ。まだ息はあって死んではいないし、病院に運べば大丈夫という人がいる。その人の前に、突然、東京から元気な正義感に燃えた人が来て、「ナイフ、ヤバイっすよね。ナイフ反対運動をしましょう!」と言うのにニュアンスとしては近いと思うんだよ。それはマズイ。マズイというか、まだその時期ではない。それよりも、そのけがをしている人たちをどうしたらいいか、という問題がひとつ。

だけど、ナイフで差されたけがならお医者さんのところに連れて行って縫えばいいよね。だけど今回のけがは、僕は、福島だけの話ではなくて、東京の人も含まれると思うけど、やっぱり「心」だと思うんですよね。「心」とか、オレ、今まであんまり、恥ずかしくて使わなかった言葉なんだけど、心の傷を治していくのは精神科のお医者さんだって言われるかもしれないけど、そういう傷とも違うんですよね。個人の問題ではなく全体が傷を負っている。その大きな原因は、これはもう素朴に、自信を失っていることだと思うんですよ。」

よく分からないけれど、虫六が福島のことを思うときに、何かしら心の引き出しから出てくるのは、この大友良英さんの言葉だったりする。フクシマの人たちはうまくナイフが抜けた状態なのだろうか?…回復に向かうコンディションはまだ整っていないと思う。本当は自信を取り戻すために何をどうすればいいか?そういう示唆を求めているんじゃないのかな?いずれフクシマで「原発再稼働」なんて思っている人がいるとしたら、それはもう狂っているとしか思えないもの。
もちろん、話をくれた人たちは、現場をもって闘って来た人たちです。そして、震災の後ですぐに現場に入っています。フクシマのおかれた状況を誰よりも分かっている人たちだと思います。だから、より慎重に言葉を選んでいるのかも知れなかったのですが、虫六個人としては何となく消化不良のまま、帰りの新幹線に乗ったのでした。

【今日の蛇足】

金欠につき、行きを各停で、帰りは紙芝居ネットワークの定例会があったので時間に間に合わせるために新幹線に乗りました。何とか安く行こうと格安チケットを探したけれど、「白河」というちょっと微妙な駅だったので、うまいチケットが見つけられず、帰りだけ新幹線の回数券を買いました。ところが緑の窓口で白河までの乗車券を買おうとしたら、「小さな旅ホリデーパス・南東北フリーエリア」なる切符を紹介され…。行きが2900円余りのをエリア内乗り降り自由で2500円。特急券を買えば新幹線にも乗れる…。つまり帰りの乗車券分2900円弱が丸損つことでした!!!勘弁しろよ〜であります。
しかも、定例会に行ったら会員の参加なし。世話人2人とゲストのKさんで四方山話をして帰ってきました。どすか?

なんだか、へとへと。



2011年11月13日日曜日

水俣・白河展

11月13日水俣・白河展の講演会を聞くために白河市へ行ってきました。
講演会は午後からですが、展覧会も見たいので、朝7時発の東北本線・各停にのって出発(東京で遊びすぎて金欠のため、行きは各停乗り継ぎということに…)。

白河駅に10時半頃ついて、展覧会会場の「マイタウン白河」へ。
講演会の日と言うこともあるのか、けっこう見ている人も沢山いました。

1時間くらいで見られるかなと見当を付けていったら、けっこう中身の濃いボリュームもある展示で、じっくり見ていたらあっと言う間に30分。奇病の原因を突き止める動物実験の映像に(メチル水銀化合物を盛られたネコが発狂する様子でありました…Σ( ̄ロ ̄lll)…)ぞぞげ立ちながら見入っていたら、「いまから1時間ほどのギャラリートーク」をはじめますという案内があったので、これしかないとツアーに同行。
水俣フォーラムの方の切れのいい解説で、展示会場を案内していただき、水俣病問題の全容をとりあえず頭に入れました。

水俣病という恐ろしい公害病に苦しむ被害者の実態、国家と国策として守られた大企業「チッソ」の責任逃れと被害者の闘争の歴史、水俣病を生んだ環境破壊の恐ろしさ、汚染によって奪われた豊かな海と人々の穏やかな暮らし…などなど、写真やパネルで詳しく紹介・解説されていて、自分がこの問題にいかに無知であったか、自覚しました。有名なユージン・スミスの写真もありました。丸木位里・俊夫妻の「水俣の図」はありませんでした。
20年以上も前になると思いますが、新潟水俣病をテーマにした「阿賀に生きる」というドキュメンタリー映画を観たのですが、その後、あえて水俣病に関心を持つこともなかったのでした。

展覧会は、水俣フォーラムが主催して、これまで東京(1996)を皮切りに、豊橋、つくば、高畠、大阪、沖縄、浜松…と各地で開催されていて、この「水俣・白河展」も震災の前から、白河市にあるアウシュビッツ平和博物館が受け皿となり企画され、実現したものだそうです。
福島原発事故問題をフォローするテーマで「福島市でも南相馬市でもなく、なぜ白河?」と思ったのですが、そういうことのようでした。

そんなわけで、展示そのものも他の地域で展示された内容と同じようで、あくまで「水俣病」を伝える内容、福島に関する内容はありませんでした。
しかし、この先に福島の住民が背負っていくであろう国や東電との長い闘争や病理との戦いを覚悟するには余りある内容でした。水俣病は、問題が収束(国家が蓋を閉じようとする)に向かっては別の問題が出てきて再熱し、また収束され掛かっては別の真実が分かり…と55年に及ぶ長い戦いの歴史があり、まだ解決されていないのでした。国は2007年7月に「水俣病被害者救済特別措置法」を成立させて、九州・不知火海沿岸の水俣病や新潟水俣病の未認定患者を申請が認められれば210万円の一時金や、医療費が無料になる水俣病被害者手帳を支給して救済するとした一方で、加害企業「チッソ」の分社化を認めて(水俣にあったチッソの工場は「JNC」という子会社になってしまったそうです)事実上の免罪をしたと聞いて、その企業の汚い手口や、とにかく問題を終わらせようという国の姿勢に背筋が寒くなりました。
この先、東電がどういう手で責任逃れをするか、福島の人たちだけでなく、よくよく注視して行かなければならないと思いました。

とはいえ、この展示が虫六が期待していた内容だったかというと、正直不十分でした。

福島原発事故のあと、水俣病資料館で「福島原発風評被害_水俣の経験を伝えたい」という展覧会が行われているとニュースで知っていたからです。水俣の人たちは国の対応を求めながらも「自分たちが変わらなければ」と環境都市として生まれ変わることに50年ものあいだ努力されて、クリーンな「水俣ブランド」をつくりあげたというもう一つの歴史を持っています。その土地の立ち直り方に、福島を応援するひとりとして、具体的なヒントが欲しかったのですが、そのことに関する内容はありませんでした。
それはちょっと残念。何か理由があったのかな?

とにかく、展示を急ぎ足でみて、講演会会場へ向かったのでした。






2011年11月11日金曜日

平成中村座11月大歌舞伎 昼の部_「待っていたとはありがてぃ」

浅草のホテルに泊まって、平成中村座の昼の部にも出かけました。

昨日とはコースを少し変えて、隅田川沿いに歩いていたら、ずっとスカイツリーが見えていました。できあがっちゃってますね。

今日は、上手寄りですが最前列のお席です。
虫六は小柄なので、前に人が座っていないというだけでストレスが緩和されますです。
ありがたい。

昼の部

一、双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)
   「角力場」

  濡髪長五郎        橋之助
  山崎屋与五郎/放駒長吉  勘太郎


二、お祭り(おまつり)

  鳶頭鶴松  勘三郎


三、義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)
   「渡海屋」「大物浦」

  渡海屋銀平実は新中納言知盛  仁左衛門
  女房お柳実は典侍の局     孝太郎
  入江丹蔵           勘太郎
  源義経            七之助
  武蔵坊弁慶          彌十郎
  相模五郎           橋之助

昼の部の眼目はなんと言っても勘三郎丈の「お祭り」でありましょう。
長かった勘三郎丈が不在の歌舞伎界…。大向こうさんも、「待ってました!」の掛け声に力が入ります。先代の勘三郎も病気療養のあとの復帰公演で、同じように「お祭り」を舞い、同じように「待ってました!」の掛け声をうけて、「待っていたとはありがてぃ」とセリフで受けたそうですが、ホントみんな待っていましたよ!本歌取りじゃないけど、こういう昔を受けての演出というか出し方って、日本人は好きですね。基本的に、ストレートに出さないところが、美徳なんでしょうかね。型を借りて、出る方も見る方も気持ちを盛って伝えていて、そこが面白いのですよね。いつか完全復帰した勘三郎丈の「春興鏡獅子」を再び見たいと思いますが、毛振りして身体が悪くなったら困るので、少しずつ治してください。観客としてずっと付き合う覚悟です。
清元は延寿太夫…(* ̄ー ̄*)。先日、芸能百花繚乱で見たばっかりで、予習していたので、聴き入ってしまいました。
(しかし、この演出でもバックヤード開けるんだよね…、(`◇´*) しょうがないなぁ)

「双蝶々曲輪日記」では、橋之助丈が貫禄あってイメージが変わりました。夕べの日本駄右衛門もそうですが、線の太い立役になってきたということなのでしょうね。父・芝翫丈の告別式が行われたばかりで、すぐに舞台…。役者って大変だなぁ。
それはそうと、一番前でみることができたので、角力らしくみせるための演出の工夫が分かって面白かったです。「双蝶々〜」は先日、この続きの部分を文楽公演でみました。同じ演題でも歌舞伎で好まれる段と、文楽で好まれる段は若干違うってことでしょうかね。

最後は「義経千本桜」の「渡海屋」と「大物浦」。
知盛役が仁左衛門丈です。近松ものも南北のピカレスクもしびれますが、丸本歌舞伎の仁左衛門丈は神々しさが眩しいです。大石内蔵助しかり、菅相生しかり…。口跡の良さも大きいと思われ、複雑な設定の物語で小難しいセリフでも、不思議と仁左衛門丈のセリフで聞いているとストーリーがすんなり入って来ます。かつ、セリフが心に残る。
…これって、欲目でしょうか?欲目なんでしょうか?
白い甲冑姿で現れる知盛も、その鎧に血糊がついて満身創痍の知盛も、碇もろとも大物浦に身を投じる知盛も…。印象的な名場面ばかりです。歌舞伎座の公演だったら、生写真の大量購入と行きたいところでしたが、平成中村座では生写真は売ってなかった(後半売り出したら泣きますが…)ので、破産しなくて済みました(爆!)

満腹状態で小屋を後にしたら、朝より天気が回復して、スカイツリーがもっと近くに見えました。

隅田川もたっぷりの水を湛えています。今度はゆっくり水上バスにでも乗りたいところです。

隅田公園に連なる花川戸は履き物の問屋さんが並んでおります。
虫六も、お浚い会終了と平成中村座にやってきた記念に(?)、「みゆき」さんにて草履をゲット!理想通りのやつを三割引きで見つけて、えらいGoodなお買い物でした。

平成中村座の帰りには、お履きもののショッピングがお薦めです。

荷物を預かってもらっていた夕べの宿に戻り、帰り支度をして雷門通りに出てきたら、ここからもスカイツリーが見えました。どこから見ても大きいなぁ。

虫六子にリンツショップのチョコをリクエストされていたので、有楽町までやってきました。
歌舞伎座の建築現場にはすでに建物らしき構造物がありました。ひと月前は穴を掘っていたのに!!変化が早い。…とか、定点観察していたらお土産買う時間が無くなってしまい、お土産は黒船のノボラスキュに変更。いやはや。

黒光りしつつ満喫した、お浚い会&平成中村座で今年は見納めですかね。(ちょっと早いけど… (;´Д`A ``` )羽を伸ばしすぎて、お財布がピンチ…。
帰って大人しくお三味線の練習します、です。

【今回のおみやげ】
平成中村座の売店で買った小山三さんのストラップ。にまっ。

2011年11月9日水曜日

平成中村座11月大歌舞伎 夜の部「沼津」ほか

6日、紀尾井町の某ホテルで昼過ぎまでのんびり過ごし、先生方とお別れして、黒い欲望を隠し持っていた虫六がやってきたのは、浅草です。

ふふふ…( ̄ー+ ̄)
そう、今月から浅草隅田公園では「平成中村座11月大歌舞伎」が掛かっております。
勘三郎丈、満を持して(?)東京に大復帰の舞台であります。待ってました!!!しかも、今月付き合うのは(!!)片岡仁左衛門丈!!!!(*≧m≦*) 
観に行かない理由が思いつきません。


何はともあれ、お浚い会の無事の終了を浅草の神様仏様にご報告がてらお礼参り。浅草寺にも観光客が戻ってきたようです。

浅草寺のウラから隅田公園に歩いて行く途中で、猿若町の看板を発見。ここら辺にあったんですね、芝居小屋は…。隅田川はすぐそこです。

あ、太鼓やさんのトラック発見!

芝居小屋も近いですかね?

ちょっと雨模様ですが…、提灯やら幟やらが見えてきて、テンションが上がってきました。

平成中村座の提灯。ロングランの間、ずっと沿道を照らすのでしょうか…。

酒樽も例によって積み上がっております。
入り口付近で、好江夫人と愛夫人がお出迎えしておりました。

なんと〜。花道の脇ですねん。
しかも、平場の一番後ろなので、虫六の席のすぐ後ろに階段がセットされております!!!
「沼津」で、十兵衛(仁左衛門)と平作(勘三郎)が花道にあがる階段ですよ〜。ということは、お二人が私めの真後ろで一芝居するってことですよ。うっ!(…しばし気絶)

そんなわけで、夜の部は…

一、猿若江戸の初櫓(さるわかえどのはつやぐら)

   猿若     勘太郎
   出雲の阿国  七之助
   奉行板倉勝重 彌十郎


二、伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)
    「沼津」

   呉服屋十兵衛 仁左衛門
   お米     孝太郎
   池添孫八   彌十郎
   雲助平作   勘三郎


三、弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)
    「浜松屋より勢揃いまで」

   弁天小僧菊之助 七之助
   南郷力丸    勘太郎
   赤星十三郎   新 悟
   浜松屋伜宗之助 国 生
   忠信利平    彌十郎
   日本駄右衛門  橋之助

よく言われますが、平成中村座は本当に役者と観客の距離が近くていっしょにお芝居を作って行く感じがストレートに伝わるエネルギッシュな磁場を持つ芝居小屋です。
何もかも近いんですよ。

「猿若〜」は、勘太郎丈の踊りの巧さが冴える舞台。こういうきびきびした踊りがよく似合います。勘九郎襲名を控え、勘三郎の代役をこなしての大きな成長、また長男誕生と、公私ともに充実の勘太郎丈。脂がのっているってこういう状態をいうんですね、きっと。
七之助丈も頑張っていました!が、お役的に猿若の方が見せ場が多いので、ま、支えにまわったと言うことで。
この舞踊の演奏はなんと「直吉・勝国」でして、先月の玉三郎公演に引き続き…、ありがたや〜!嬉しくて、思わず新幹線で帰仙中の先生にメール打っちゃいました。
しかし、どうもこの小屋は地方さんにはちょっと厳しいかもですね。音楽があまり響いてこないような気がしました。しかも、(以下ネタばれ注意!)踊りの最後にバックヤードを開けて、屋外を借景で見せる演出は、「現代の猿若」って印象もうけるし視覚的には効果がありますが、長唄の演奏はかき消されて超残念 (;´д`) 
「勝国さぁん、虫六は悲しかったよ〜」

「夏祭浪花鑑」のようなお芝居ならベリーグッドなラストシーンと思いますが…。なんでもあけばいいってもんでもありませんよね。

「沼津」は、勘三郎丈の本格復活のお芝居でもあり、仁左衛門丈との共演でもあり、眼福。仁左衛門の十兵衛が当たり役ってのはよく知られているところで(カッコ良すぎますから〜)今さら何も言うことはないのですが、勘三郎の平作もこれから何度も演じられていくのでありましょう。コメディみたいなのに、目が笑っていなくて、物語最後の悲劇にきっちり繋がっていくところが、役者の巧さを感じさせました。
それにしても、虫六の観劇癖が加速したのは、3年前の平成中村座「仮名手本忠臣蔵」で、間近30センチくらいで仁左衛門丈の大石内蔵助を拝見して以来、どうも自制心というブレーキが効かなくなっているんですよね…。「沼津」は役者が舞台から客席の方まで降りてきて、お芝居しながら花道に戻っていく演出が面白いわけですが、今回も後ろや脇や上の至近距離でお芝居が展開されて、夢空間のようでした。
勘三郎丈も1ヶ月公演は大変でしょうけれども、無理しない程度に、身体を慣らして、ずっと末永く現役でいて欲しいと、本当に心から祈念した次第です。

最後は、七之助の弁天小僧で「弁天娘女男白浪」。とかくお兄ちゃんの勘太郎丈の活躍ばかりが評価される昨今ですが、七之助丈の成長も見るたびに著しいなぁと思うのです。今回の弁天小僧もスッキリしたイケメンぶりが、そうなんだよな、弁天小僧ってイキがった美少年なんだよな〜とリアルな説得力を感じました。
そして、この人は六代目菊五郎の曾孫であった(!)と、これまた納得。(←いえ、六代目のことは見たこともないんですが…)
勢揃いの見栄では、すこし力みが入って、「ばり」というか夾雑な印象が気にはなりましたが、そこは伸びしろ、もっと洗練していってくれると思います。
今回、七之助丈は昼の部でも女役ではありません、真女形でいくか兼ねる役者でいくか…なんてことも考えていたりするのかなぁ?あ、ちなみに七之助丈も間近で拝見しましたが、文句なく美しかったですね。
勢揃いといえば、新吾丈が大役でちょっと緊張しているのが伝わってきました。傘を持つ手が…。つい昨日、自分も経験したので、(比較にはなりませんが)このようなサラブレットでも舞台では緊張するのかと、なんだか応援したい気持ちになりました。
それからそれから、「弁天娘女男白浪」の下座三味線は越後獅子の合方だったのですね。そんな発見があって、ウキウキしました。個人的に…。


夜の部ひとりで、あとは宿に帰って寝るだけなので、「平成中村座」の今月の特製弁当を予約してました。松茸ご飯や風呂吹き大根を器した炊き合わせとか、全て美味しかった。1800円と多少高いなと思ったけど、仕事がしてあるお弁当だったので納得しました。
月替わりなので、またの機会があったら、また食べよっと。

それから、今回凄いと思ったのは「おトイレ」ですね。
10年で10倍になったとか言ってましたが、トイレ不足を完全に克服、順番待ちの長い列を淀みなく進めるおトイレ担当スタッフさんのオペレーションが凄い!幕間の混雑をうまく回避して、開演前に観客を席に戻していました。感心しました。

というわけで、明日は昼の部レポートです。