2012年5月30日水曜日

鉄道神社、もとい、奥新川神社

仕事で奥新川にいきました。
ここを車で通りますか〜?という、微妙なくねくね道と地崩れ(片付けてありましたが)と真新しい「熊出没注意」の看板におののきながら、山道をつきすすみ、向かう先は奥新川変電所跡…、なのですが、その途中に「鉄道神社」があるはずと、虫六ちょっと期待。

で、ペンキの塗り替えも眩しい鉄道神社に到着!

…と、思ったらここは「鉄道神社」じゃなくて「奥新川神社」でした  ∑(゚∇゚|||)
ええっ?「鉄道神社」じゃないの?通称だったの?
縁起も由来も何も書いていないので、真相は分からないままですが、なんだか真新しい感じに納得のいかない虫六でした。

ちなみに、作並から奥新川にかけては、戦前は仙山トンネルの工事、戦後は作並機関区や奥新川の変電所などがあり、鉄道関係者の社宅などが建ち並んで鉄道村ともいえるような大きな集落になっていたそうです。「鉄道神社」があり、鉄道の仕事で命を落とした人たちを祀ったり、安全を祈願していたなどというのは、いろいろな人から伝え聞いていたのですが、その名前が本当は「奥新川神社」だったというのはちょっと心外…。どういうことか説明してほしいな…。いっそ、改名して欲しいくらいだなぁ。

もうひとつ気になるのは、この鳥居の足下が斜めになっていることです。
どおすか?


2012年5月27日日曜日

能登めぐり(5)_九十九、内浦、鮹島

つぎにFさんの運転するレンタカーが停まったのは、九十九海岸にさしかかろうというあたりの集落でした。

坂の上から見ると、木造の年期の入った住宅が海岸に面して見通しよく建ち並んでいる、落ち着いた雰囲気の集落でした。湾の名前と同じ九十九さんという立派なお屋敷があり、農業用の大きな作業小屋が併設されてました。港町になぜ?近くに味噌の工場があって、大豆を煮る臭いがしていました。

そこから、また海岸沿いに移動していったら、珍しい船小屋が並んでいる集落発見。

内浦長尾という集落のようです。
町並みハンターのFさんとNさんが殺気立ちました。

すてき。
 帰ってから知りましたが、ここは「能登百景」のNO.1の金賞に選ばれた有名な景観のようでした。「小さな入り江にある昔ながらの古い船小屋が風情を漂わせ、この海岸線独特のの五色に変わるといわれるきれいな砂が、澄みきった海を際立たせる。」と評されています。今日は雨降りなので、いちだんと風情がありますね。

海岸線から1本入った道。広〜い間口の家が建ち並んでいます。

船小屋の脇に立てられた(たぶん)ゴミ置き場。
掃除当番の順番が貼られていました。なぜかこういう光景に弱い虫六。

ここから少し先を急いで、珠洲市鮹島地区へ。

いきなり出くわした超でかいお家。
うひょ〜凄い。船主さんでしょうかね?

鮹島キリコ祭りで使われるキリコ(奉燈)の格納庫がありました。鮹島のキリコは総漆塗、金具、彫刻と贅を尽くした絢爛豪華なものだそうで、能登のキリコの中でもひときわ華やからしいです。背の高いキリコをそのまま収めるんでしょうか、高っ!川越祭りを思い出しました。「島之地」とは町内会の名前かな?キリコを出して準備をするための前土地が広く取ってありますね。
ちなみに、鮹島キリコ祭りは9月10、11日で、11日の夜には県指定無形民俗文化財・早船狂言が開催されるそうです。まったくもって能登は芸能の宝庫ですね。

体育館かと思う、この木造住宅。でかい。
(…というか、雨の中持ち歩いてカメラに曇りが入っちゃった…。ちょっと不安がよぎります)

銭湯みっけ。

鮹島キリコ祭りは200年歴史があるそうですが、この髙倉神社の秋祭りとして執り行われるそうです。


社殿のまえの広場がやはり広いです。

こちらにもキリコの格納倉庫がありました。本仲町のキリコです。
見てみたいものですね。

珠洲市の道の駅に寄ったら、隣がのと鉄道の元・ホームを利用して産直市をやってるようでした。こんなところまで通っていたんですね。

今日はお休み。

珠洲駅の先にも線路はあったみたいです。信号とホームを残して、線路だけはなくなっていました。
さて、ここで私たちの能登巡りも終点、帰りの電車に間に合うように、和倉温泉に帰らなければなりません。びゅーっと、一気にドライブモードで戻りました。

運良く和倉温泉から特急に乗ることができたので、買っていた指定券を変えてもらいました。車内補充券をもらって、ほくほくの虫六…。このレアさがわかってしまう今日この頃…やっぱりキテますかね ( ̄◆ ̄;)

特急の車内で、ビールと鱒寿司で打ち上げモード。最後まで楽しい旅でした。
Nさん、Fさん、大変お世話になりました。
また、次の機会をぜひに〜。

関東圏のお二人と大宮で別れて、ひとり東北新幹線に乗り継ぎました。
家人の方々は勝手に晩ごはんを食べるので、適当に食べてくるように言われていまして、さきほど鱒寿司も少しいただいたのでお腹は空いていませんでしたが、珠洲の道の駅でかった「多間本家」のクリームパンがあったのを思い出して、駅で買った青森リンゴジュースで食べました。小学校の給食を思い出すなつかしい味でした。

超特急で、仕事がまってるあの町へ引き戻されていくなぁ〜。

2012年5月24日木曜日

能登めぐり(4)_宇出津、小木

皆月から穴水まで戻り、そこから能登町宇出津のほうに向かいました。

港近く、奥行きのふか〜い蔵を発見。

宇出津の本町通の発端に、海に向かって立っている鳥居がありました。
ここを出だしにお祭りの御輿がでると聞きました。

宇出津は「あばれ祭」で有名な町だそうです。
何年分もポスターが貼ってあります。
「高さ7m、40数本の奉燈(キリコ)が大松明の火粉の中を乱舞し、2基の御輿を海や川、火の中に投げ込んで暴れる勇壮な祭典。」(能登町役場HPより)とのこと。7月第1金・土曜日に開催されるそうです。これまた血が騒ぐ魅力的なお祭りです。

通りを歩いていたら、突然巨石がどど〜んと。岩瀬比古神社跡地でした。
以前はこの岩(小山)に社が祀られていて、お祭りも年に2度あったそうですが、明治45年にこの先の酒垂神社に合祀されたそうです。

本町通。向こうに鳥居。

海に向かって長い路地。雨降りでしたが石畳が綺麗です。

宇出津から海岸線(35号線)を走って、小木港に到着。
深い入り江に港が発達しています。

でか!
イカ釣り漁船のようです。夕べ、波並の海岸から見えていた灯りの船でしょうか。
函館で見るイカ釣り漁船より随分大きいなぁ。

この自動巻き上げ機みたいなので、どんどん釣り上げていくんでしょうか…。
イカも堪りませんね。

…集魚灯を照らしはじめました。明るいなぁ〜。

ちょっとだけ小木の集落を散歩。
うわっ、いきなりへんな地割りが…。

変わってんなー、こういう建物なんていうのかな?

とりあえず、鬼瓦のカタツムリのような角がかわいかったので。

こんな立派な家にも、角のついた瓦が…。

またもや、のと鉄道廃線跡。ホームみっけ。

この線路跡、ずっと残っているんですね。
なんだかすごく勿体ない気がするんですけど…。

都会育ちのNさんとFさん、降り注ぐような蛙の大合唱にえらく感激していました。しかし、田舎モノの虫六には珍しくなく…。そうか、蛙も観光資源なんだな。

どこの駅かな?と申せば、「九十九湾小木駅」でした。
のと鉄道は、廃線になって線路はほぼすっかり取り払われているようですが、駅舎やホームはけっこうまんま残っているんですね。なぜ廃線か、正直よく分かりません。

2012年5月23日水曜日

能登みやげ_『いしり』と『ゆうなんば』

ここらで閑話休題。民宿「ふらっと」の極上の朝ご飯。

写真だけで、おいしさ、絶妙さが伝わりませんかね?
(そういえば、昨朝の「あえの風」の和朝食バイキングもそうとう美味しくてご飯が進みましたが…、ホテルバイキングはどうしても足し算のみですが、朝ご飯こそ量と質の兼ね合いがモノをいいますね)

夕べの晩ごはんも美味しかった〜ですが、「ふらっと」の美味しい料理を支えている調味料がこれ。
奥さんのご両親(「さんなみ」という伝説の人気民宿を経営なさっていた方々で、今は引退されたそうなのです)が仕込んでいる『一番いしり』と『ゆうなんば』。
こだわりの能登伝統食材です。
「ふらっと」には「さんなみ」の食文化DNAが流れているのですね。

宿を出るときに、玄関先で販売しているのを発見。買いでしょう!!!これは。
(う、しかし、瓶ものばかりが増えていく)

さあ、さてこの先さらに奥能登へ。

2012年5月21日月曜日

奥能登めぐり(3)_のと鉄道の廃線跡に沿って能登町まで

皆月を出て、いったん穴水まで戻り、今日の宿泊先の能登市波並地区まで走ります。

内浦に沿って249号線を走っていると、突然、鉄道の陸橋のようなものが目に飛び込んできました。
「あ、のと鉄道の廃線跡だ!」
…というわけで、しばし車を止めてもらって鉄道跡を撮影。

陸橋の脇から藪をよじ登って線路の跡まで来てみました。
すでに線路は全部取り払われておりましたが、ず〜っと線路があったであろう道が残っていました。

駅のホームがあったところまで歩いてみました。
雑草が伸びてはいるものの、ホームがそっくり残っています。
ここはどこだ?と思ったら、「矢波駅」の跡でした。

ずっと向こうから電車がやってきたんですかね(遠い目)

すごく良い眺め、オーシャンビューってやつですね。
こんな風光明媚な路線で各駅停車の列車にでもゆっくり揺られたら、きっと贅沢な気分になれたでしょうね。能登観光の目玉になったでしょうに、廃線なんて勿体ないこと。

今日のお宿、「民宿・ふらっと」
オーストラリア人のご主人がつくる能登の食材にこだわったイタリア料理が美味しかった。つか、そうとう満足度が高かったです。もう1回来たい宿!

ふらっとの窓からイカ釣り漁船が見えました。
あぁ、仕事が待っているあの町に帰りたくないよ〜。

奥能登めぐり(2)_皆月海岸

レンタカーを駆ってまずやってきたのは門前町のおとなり天領黒島地区です。

黒々とした瓦屋根の大きな家が多いなぁ。繁盛した町なんだろうな…。
北前船の廻船問屋で栄華を極めた角海家も資料館になっていました。
車を降りて路地の奥までゆっくり探索したいところですが、今日は先を急ぐので、後ろ髪を引かれつつ次回のお楽しみに。


なんだなんだ、この松は…。

そしてFさんがおすすめの皆月海岸。

皆月も黒島と同様(それ以上という説もあるようですが)、北前船の寄港地として栄えた沿岸集落。Cの字型に窪んだ絶壁の海岸に、往時、沢山の船が立ち寄って町が賑わい、遊郭などの遊興施設があり、船で働く人たちがこの港に寄るのをとても楽しみにしていたという記録があるとFさんが教えてくれました。
訪れてまず驚いたのは海岸沿いに皆月から五十洲の方までず〜っと続いている竹で組まれた「間垣」。日本海から吹きつける強風と塩害から家を守りながら、適度な風通しで、夏は涼しく、冬は強い北風を防ぐものだそうです。

そんなわけで、にわか考現学。
テーマ「間垣」。

どこまでも続いております。

裏側。
がっちり組んであります。

(閑話休題)おじいちゃんが屋根の上で布団の綿の入れ替えをしてました。
お天気良いですね〜。

こちらはやや細めの笹竹で組んだ間垣。

青々とした組んだばかりの間垣。
だいたい10数年くらいで組み直すそうです。

角を曲がって奥にも走っています。
支柱は長さが足りない場合、塩ビ管で継いでいるものもあるようです。

ツタが絡まってきれい。

間垣をブロック塀でカバーしております。

さらにコンクリート塀でカバーしております。

入り江…のんびり。
この入り江に北前船が沢山入港してきた…そんなに繁盛した時代があったんですね…。

いまは普通の住宅なので写真は載せないでおきますが、もしかしたらココが遊郭?という建物もありました。加賀友禅の立派な花嫁のれんや振り袖で嫁いでいく商家のお嬢さんもあれば、港町の遊郭に身を売られた娘さんもあったということです。

皆月の町並み。

ポストに「荷物あります」の貼り紙。
脇のお店で預かっているようです。

皆月橋から集落を見ます。

皆月への公共交通機関は北鉄奥能登バス。

1日に4往復ですか…。
経験的に…。