世間では御嶽山が噴火して大惨事となり、幕入りしたばかりの逸ノ城が三役なぎ倒して、留まるところをしらず、このまま白鳳まで負かしてしまうんでないか…と、なにやら国民の皆さんにも終末感が漂っておりましたが、横綱が世の不安を鎮めてくれて、なんだか安堵した9月場所でしたね。
そんな場所が終わってしまった翌日の月曜日、虫六はお仕事で両国におりまして、少し時間があったので、新・国技館内にある「相撲博物館」を訪ねてみました。
ちなみに…もう、国技館に「新」は付けなくてもいいんですか??
国技館内には日本相撲協会の事務所や、日本相撲協会診療所(一般外来も受け付けるそうです。いいんでない?)、相撲博物館などがあり、場所中でなくても利用できます。…かえって場所中は入場券がないと入れなくなるようです。
お相撲はないけど、国技館見てみよう、外から。
うお、入り口付近に遠藤の顔ハメが…。
いや〜ん、遠藤にお姫様ダッコしてもらって記念撮影ですか…。
相撲博物館は、入場料無料(東京本場所中は大相撲の観覧券が必要)で、平日10:00~16:30は開館してます。これは意外に穴場ですよ。
ただ今の展示は「優勝力士100人展」。
大相撲の優勝力士は、大正15年(1926)春場所に個人優勝制度が始まって以来、今年3月場所に優勝した鶴竜で幕内優勝100人目の力士を数えるそうです。この展示がけっこう見応えあり。相馬市民なら誰でも応援していた栃東関(現玉の井親方)は、なんと史上2組目の親子幕内優勝だったとか、しかも、序ノ口から幕内まで6つの段(階級)、全ての段で優勝している(各段優勝制覇)のは、羽黒山政司と栃東大裕の2人だけである…とか。
優勝額と新聞社の関係とか、優勝力士に授与される賜杯は、はじめ摂政賜杯(大正天皇時代に病弱な天皇にかわって皇太子が摂政をしていたので)だったのが、菊のご紋でトラブルがあって今の賜杯(ご紋の所のデザインが変わった)になったとか…、知らないことがいっぱいあるなー。懐かしい力士の写真などみながら、さすがに大鵬、柏戸は知りませんが、輪島、貴乃花(初代)、北の湖、千代の富士…とかそれなりに記憶にあったりして(あう、年が分かりますけど)、そういえば晩ごはんの前に父と相撲中継を見ていた昔を思い出しました(遠い目)。
大鵬のだんちな強さもさることながら、昔の力士はけっこう平幕優勝や、優勝も1回・2回などというのも多く、力が拮抗していた事が感じられました。そういう時代の勝負は面白かったでしょうね。
で、けっこう面白かったなーと会場をでたら…。
なんと、さっきまであったはずの遠藤の顔ハメが取り外されていました。( ̄◆ ̄;)
がー、先場所成績ふるわなかったから、逸ノ城あたりのと替えられるのかなー。
盛者必衰諸行無常なり。世知辛いっす。
遠藤、戻ってコーイ!
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