2015年7月10日金曜日

梅田佳声さん、第1回右手賞おめでとうございます。

7月7日の七夕の日に、子どもの文化研究所の「紙芝居3賞」の授賞式があり、我らが梅田佳声さんが第1回の右手賞を受賞されたということで、馳せ参じました!


体調を崩され、定期の上演をお休みなさっている梅田さんですが、今日は久しぶりで実演をなさるということで、『恩讐の彼方に』の名調子を聴かせていただきました。

梅田さんの授賞をお祝いして、東京のお弟子さんたちをはじめとした紙芝居関係者のみなさん、大阪の三邑会のみなさん、飯野和好さんなどの紙芝居作家の方々、それから上演でお世話なっている資料館や博物館の関係者も駆けつけて、梅田さんを囲みました。

梅田さんが上野の下町風俗資料館で展示されていた街頭紙芝居を見て、上演のボランティアを買ってでたのはもう35年も前のことだそうです。以来、雨の日も風の日も台風の日も日照りの日も毎月かかさず紙芝居を演じてくださったと、資料館のHさんはスピーチしてました。35年…やれそうで、できることではありません。

35年前には、もう、博物館のガラスケースの向こうにしかない存在に、なりかけていた(東京や大阪にはまだ実演者がいらしたので)街頭紙芝居を、首の皮一枚で我々世代に伝えてくれた梅田さんのご功績は、とてもとても大きいものがあったのです。
そして、紙芝居がこんなにも上質な作品性を獲得することができるんだということを教えてくれた、長編紙芝居『猫三味線』。私にとっても、あの作品を制作させていただいた経験は宝物です。
芸人肌質の粋で軽やかな語り口は、まだ誰も真似できていないと思うけど、目標にしている紙芝居師は多いと思います。

図書館や児童館で紙芝居を読むのとは違って、いま、街頭紙芝居を志す人たちは、想像以上の規制の中で格闘しています。絵をどう調達するか、著作権付きの文化財となってしまった作品をどう活用させていただけるか、公園などでの実演をどう実現するか、60年も前の差別表現をどう扱うか、ボランティアが当たり前の社会通念からどう仕事にしていくか…。そんな、問題に、おそらく最初に直面して、教育系と街頭系の紙芝居をつなぐ立場になっていったのも、梅田さんでした。

紙芝居は、絵や話があっても上演されなければ作品じゃないと、右手和子さんは常々おっしゃっていたそうですが、様々な意味で、梅田さんが第1回のその賞を受賞されたことは意義あることだと思います。

そして、そのことを実現してくださり、お祝いの会にお声がけくださった、子どもの文化研究所の皆さんにも心からお礼を申し上げます。忘れられない会となりました。

梅田さん、本当におめでとうございます。
また、お会いできる日を楽しみに!

2 件のコメント:

  1. 梅田佳声先生、まだまだいっぱい舞台を楽しませて頂きたかった。

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    1. >珍太さん
      ホントです。あの紙芝居をもう見られないのは本当に寂しいですね。

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