2017年7月17日月曜日

大阪松竹座7月、仁左衛門『盟三五大切』

しつこいですが、もう1回貼り付けておきましょう。このポスターを。




大阪松竹座新築開場二十周年記念 七月大歌舞伎
関西・歌舞伎を愛する会 第二十六回
 平成29年7月3日(月)~27日(木) *虫六観劇日は4日

【夜の部】
一、舌出三番叟(しただしさんばそう)

 三番叟 鴈治郎
 千歳 壱太郎

四世鶴屋南北 作 郡司正勝 補綴・演出 織田紘二 演出
通し狂言
二、盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)
序 幕   佃沖新地鼻の場/深川大和町の場
二幕目   二軒茶屋の場/五人切の場
大 詰   四谷鬼横町の場/愛染院門前の場

 薩摩源五兵衛   仁左衛門
 笹野屋三五郎   染五郎
 若党六七八右衛門 松也
 芸者菊野     壱太郎
 ごろつき勘九郎  橘三郎
 仲居頭お弓    吉弥
 富森助右衛門   錦吾
 芸者小万     時蔵
 家主くり廻しの弥助/出石宅兵衛 鴈治郎
 同心了心     松之助


『盟三五大切』は、江戸時代後期に活躍した戯作者・四代目鶴屋南北(大南北)の作品で、『忠臣蔵』の外伝として作られヒットした『東海道四谷怪談』の、そのまた続編として書かれた作品だそうです。南北お得意の“綯い交ぜ”の世界観。

あらすじはこちらをご参照ください。(Kabuki on the web >盟三五大切

昭和51年に国立小劇場で、辰之助の源五兵衛、孝夫の三五郎、玉三郎の小万で、136年ぶりに上演され復活しました。仁左衛門が源五兵衛を演じるのは平成20年(歌舞伎座)、平成23年(松竹座)以来、3度目とのこと。はまり役のイメージでしたので、もっと沢山やっているのかと思っていました。

とはいえ、虫六のわずかな観劇経験ではこの作品を観たのはたった1回、平成21年の新橋演舞場(染五郎の源五兵衛、菊之助の三五郎、猿之助の小万)のみで、その時はこんな面白い芝居もあったんだと喜んでいたのですが、前年の歌舞伎座の大本命舞台は見逃していていたわけで_| ̄|○ 個人的に…待ちに待っていた公演だったわけです。

【ここからネタばれ】(これから観られる方はご注意を)

感想を率直に表現すると、『盟三五大切』とはこういう芝居であったのか!!!!!という衝撃。歌舞伎は、役者の解釈や演技力よって同じ型で演じても見え方が違うということは知っていましたが、こんなに奥深くまで面白さが凝縮した作品であったとは…。

主人公の薩摩源五兵衛(仁左衛門)は、元は塩冶家の侍で実の名は不破数右衛門(はい、「人切り」のフラグが立ちました)。盗賊に藩の預かり金を盗まれるという失態を犯して、浪人の身になっていたところに、あの殿中での事件が起きて藩がお取り潰しになってしまい、なんとかお金を取り戻して討ち入りの仲間に加わりたいという大願があります。
それなのに、「妲妃(だっき)」の異名をもつ芸者の小万(時蔵)に入れあげて、家財道具も売り払う始末…。しかし、小万には船頭をしている笹屋三五郎(染五郎)という札付きの悪い亭主がいるのです。女房を悪所に落として稼がせておきながら、ときどき舟で連れ出して乳繰り合っておるのです。

一方、源五兵衛のあばら屋には、六七八右衛門(松也)という若党がいて、旦那が大願を果たせるようにと心を砕きながら献身的に仕えています。

三五郎→源五兵衛→六七八右衛門→ついでにごろつきの勘九郎なんてもでてくる。双六みたいですね。上がりは小万か!大南北の遊び心でしょうかね。

さて、家財道具をすっかり持って行かれる場面では、仁左衛門は、源五兵衛に大らかな性格を覗かせます。八右衛門は困りはててお小言をいうのですが、気にせず横になって肩肘ついて小万のことでも思い出しているのか鼻の下を伸ばしています。
あぁ?このポーズみたことあるぞ、『女殺油地獄』の与兵衛が親からお小言をもらっているときに上の空で算盤はじいてる、あのポーズですね。与兵衛はぼんぼんで救えないような不良でしたが、源五兵衛はいい人そう。放埒な気質ながら、器量の大きい人物と感じさせます。前段では声のトーンもやや高め。

叔父の富森助右衛門から仇討ちのためにと源五兵衛が百両を受け取ったことを知り、この金をだまし取ろうと小万と三五郎はごろつき仲間と身請け話の下手な芝居を打ちますが、このお芝居の場面がドリフのコントのようで、劇中劇のようで、安っぽさが際立ってとても可笑しかった。
小万は腕に「五大力」(江戸時代に女性が恋文の封じ目に記すおまじないの言葉)って刺青をして、源五兵衛に本命愛のシグナルを送っていて、彼もそれを真に受けていたので、ここでは小万を自由の身にしてやり晴れて自分の女房にと、大切な金を渡してしまうのです。

…ところが、小万を連れて帰ろうとすると、「小万には、亭主がいるから夫婦にはなれねえよ。その亭主とはこの三五郎さ」と…。
「えっ?」(俺は美人局に引っかかっていたのか…)この張りぼての屋台が一瞬で崩れるような無情感。お金は失ってしまったし、取り返しつかないよ、…慙愧と悔しさの表情に飲まれて、場内一同息が詰まりました。

そのあとの五人切りは、凄まじい殺気でした…怖ぇえええ(||li`ω゚∞)

染五郎は、新橋(H21)では源五兵衛を演じていました(これは比較するのはやめときます)が、今回は三五郎。このお役は、新橋では菊之助でした。三五郎という役も役者で印象が随分変わるものですね。菊之助のはクールで色気があって腹が読めないような都会的なワルという印象だったのですが、染五郎のはもっと場当たり的で太々しいけれど根はそれほど悪い奴じゃないというか、ヤンキー臭い感じ?

三五郎にも実は正体があって、父・徳右衛門(松之助)は不破数右衛門に仕える家来で、いまはお岩稲荷勧進の僧了心となって、主人が討ち入りに加われるようにお金を工面してまわっているのですが、三五郎はその父に勘当された身で、だまし取った百両を渡して勘当を解いてもらおうとしていたのです。源五兵衛から奪った金は、実は源五兵衛へ渡すための金であったという皮肉。百両をめぐって回る因果、良くできた話ですね。

私は『義経千本桜』三段目「すし屋」の小悪党・いがみの権太を思い出しました。三五郎も「もどり」の役で、最後は…という場面があるのですが、そういう意味では染五郎の三五郎は破綻がないように感じました。

あの話は、すし桶に生首が入っていて取り違えがおきる話でしたが、三五郎と小万が引っ越して来た長屋(ここが『四谷怪談』でお岩さんが住んでいた部屋という設定)に二人が運び込んだ巨大な桶が異様でした。
筋書きには「四樽」とありますが、明らかに大きいし、風呂桶なのか棺桶なのか用途不明なのに狭い部屋にでーんと置いてある。
しかも、芝居の上ではこれは大変重要な小道具です。(あー、この中で人が死ぬんだなぁ)と。
「すし屋」の世界も綯い交ぜになっているんじゃない?というのは、虫六の私見ですけど、この歪なオーヴァーラップ感が作品を面白くしていると思います。

さて、仁左衛門ですが、大らかな男意気をみせていた前段と、騙されていたことを悟り、恨みを火種にした青白い炎みたいになる後段の落差が凄いです。

目がね…目だけがね、ギラギラしているんですよぅうう(||li`ω゚∞)。生気なんか感じられない蒼白な顔でいつの間にか現れて、でも、目だけはギロリと殺気を帯びていて、怖いなんてもんじゃない。
全体の照明も薄明るい絶妙な暗さ。嚇かす要素は何もないけれど、怖い。なんとも言葉にできない冷たい存在感。

この領域に達した役者を他に知らない虫六でした。

そういえば、この前段にもコントめいた場面がありました。お岩さんの幽霊長屋の大家・弥助(実は小万の兄)は、幽霊話の噂を流し、自ら幽霊に化けて脅かしては引っ越してくる住人から金を巻き上げていたのを、幽霊なんか怖くもない三五郎夫婦にばれてしまうという下り。怖いのは幽霊じゃないんだよ〜という。緩急の効いた芝居です。

そして、なんといっても一番の見せ場は、この長屋での、小万殺しの場面。

夫婦の毒殺計画に失敗して、小万の腕の刺青が「五大力」から「三五大切」に上書きされているのを見て、怒りを抑えられなくなり、凄惨な殺し。三五郎との間に生まれた赤子の命乞いをする小万に刀を握らせブスッ、帯も解かれて、髪も振り乱した小万を容赦なく首ごとバッサリ。(何度も唾を吞み込みました。)

そして、切り落とした小万の首を帯で包むと、それを懐に入れて花道にでます。雨の音が耳に入り、バッと一気に傘を開きます。(しかも、これ目の前なんですよ。虫六の席は…)この間が絶妙でした。はっと我にかえりました。
いや、もっと深いところに連れて行かれたのかも知れない。

…そして、小万の生首を大事そうに腕に抱え、じっと見入って、とてもとても愛しげな表情を見せるのです。(ああぁ、源五兵衛という人は本当に小万に惚れていたんだ。そして、その思いが源五兵衛をここまで追い込んでしまったんだな)と、そのやるせなさに涙腺ダム決壊。

最初に貼り付けましたポスターの黒い方がこの場面ですが、この写真では仁左衛門の表情はやや微妙で、そこまでの思い入れを見せていないように思えるのですが、虫六が見た日の舞台でのこの場面では、明らかにそういう表情をしていました。そして、その表情に深い感動を覚えました。仁左衛門の現代性、解釈の深さじゃないかと思います。

そして、この全ての所作が、姿が、美しいのです。

この度の公演は、他の役者さんも大変粒ぞろいでした。
染五郎の三五郎は上記しましたけれども、時蔵の小万も根っからの悪婆というよりは、悪に染まってはいるけれど、心根は惚れた男に一途な女という可愛いさが芯となっていて哀しさがありました。
そして、この芝居で殊勲賞を差し上げたいと思ったのは、松也の八右衛門。上手い!と思いました。旦那の身替わりでお縄になるところなんか、すごく良かった、感情移入しちゃいました。最初の頃のバタバタした場面も松也の演技で締まった感じになりました。実力がついていることが目に見えてわかり、とても頼もしく感じました。

最後は、三五郎の「もどり」があって、百両と吉良家の絵図面が手に入り、討ち入りの一味に加わることになって、ちょんと柝が入り、パッと地灯りがついて芝居が終わり、「本日はこれぎり〜」と。この幕切れの後味の良さね。
暗い夢の世界から釣り上げられたようでした。

客席を離れる列で、ご常連らしきご婦人たちが「『三五大切』ってこんないい芝居だった?素晴らしいなんてもんじゃないね…」と。同意でございます。


大阪に住んでいたら、どんな手を使ってでも再見していたであろう満足感いっぱいのお芝居でしたが、まずは、大事な舞台を見逃さなかった自分を褒めてやりたい気分で、帰りはビーフカツレツ定食を京都麦酒つきでおごってやりました。自分に。
(よくやったー!オレ)

*すみません。忘れたくないという思いで、長文の感想を覚書きしてしまいました。
歌舞伎座で掛けてくれませんかねー、松竹さん!

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