2016年7月1日金曜日

京都66,902歩のマーチ(4)_重森三玲のお庭探訪・松尾大社

京都3日目。今日の目的地の一つ目は西京区嵐山の松尾大社です。

松尾大社は、京都最古の神社で創祀は上代に遡るそうですが、文武天皇の大宝元年(701)に至り、秦忌寸部理(はたのいみきとり)が勅命で松尾山の神霊を山麓の現在の社地に神殿を造営して遷座しました。1300年も前のこと。
特に平安時代には、「賀茂の厳神、松尾の猛霊」と並び称せられ、洛西の皇城鎮護の神として位置づけられていました。

本社殿は、国の重要文化財で、屋根が側面から見ると前後同じ長さに流れており、この形式は「両流造」とも「松尾造り」とも呼ばれる独特な形式なのだとか。松尾大社では50年ぶりのご遷宮があるそうで、平成30年12月竣工予定で傷みの激しい部分を修復する計画だそうです。

境内のあちらこちらに亀がいました。
社の背後に「亀の井(かめのい)」と呼ばれる松尾山からの湧水の泉があり、この水を酒に混ぜると腐らないというので、室町時代ごろから醸造家がこの水を持ち帰るようになったのだそうです。

そんなわけで、松尾大社は、醸造祖神として全国の酒造家をはじめ醸造関係者から篤い信仰を受けている神社になっております。御輿庫には全国の酒蔵から奉納された酒樽が積み上げられており、見覚えのある銘柄のも沢山ありました。

松尾大社の庭園は重森三玲の最後の仕事、昭和50年三玲79才の絶作です。

先に出会うのは「曲水の庭」。
これまで見て来た庭園は枯山水が多かったのですが、この庭は池水庭園で、遣水が重要な要素になっているようです。というのも、この庭は「曲水の宴」という平安時代に貴族の間に流行した遊び(上流から流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を読み、盃の酒を飲んで次へ流す行事)をイメージしたものとのことなので。

コンクリートでモザイクのように固められた緑泥片岩の小石が水の流れを誘うように人工的な曲線を描いているのが、いかにも昭和の庭(!)という印象で、一方、ちょうど満開に咲き誇ったツツジがなんだか平安貴族の華やかさをこれでもかーって表現しているようでした。ランダムにおかれた(ように見える)石組が微妙な均衡を保っています。平安の次元から盃が流れてきそうです。

咲き乱れたツツジは社殿のガラス戸に反射して2倍華やかに見えました。

そして、社殿の渡り廊下の下をくぐって次の庭にでると、目に飛び込むのは清々しいミヤコ笹の緑!補色対比の世界です!これが「上古の庭」。

「上古の庭」は笹と石だけ。
石は何を見立てているかと言えば、神そのもの、なのです。
思い思いの態勢で侍る神々が坐す庭の前には白州がずずーっと広がっていて近づくことができません。舞台をみるような距離感があります。
そして、この庭の借景(といっていいのか分かりませんが)は、後方にそびえる松尾の山々で、その山中の頂上近くに「磐座(ばんざ)」あるいは「磐境(いわさか)」と呼ばれる神霊の宿る巨石があり、それを祀ったのが松尾大社の起源なのです。

中央の2つの巨石は、松尾大社の御祭神の男女二神(大山咋神(おおやまぐいのかみ)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと))を表し、

そのまわりの石は、随従する諸神を表しているそうです。

伝統を熟知し、前衛を切り開いてきた稀代の作庭家が最後に辿りついた無我の境地。これまでまるで見たことのない空間でした。

人の形をまとった神像を示されるよりも、石の方が表情を感じるのが不思議です。この日はお天気もよく神様たちは上機嫌でのんびり過ごしているように見えました。雨の日も木枯らしの日も雪の日も、この神々はこの庭に立っているのだなぁ。四季折々の表情をみてみたいと思いました。

せっかくなので松尾山の磐座を参拝できるというところまで行ってみました。たぶん、このずっと奥の方にあるのだと思うのですが…よくわかりませんでした。もっと予習していけば良かったな(;´Д`A ```


参考文献:
「重森三玲の庭案内」別冊太陽の地図帳026(平凡社 2014年)
「重森三玲 永遠のモダンを求め続けたアヴァンギャルド」シリーズ京の庭の巨匠たち1(京都通信社 2007年)
重森千靑「日本の10大庭園 」(祥伝社新書 2013年)

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