相馬市はまだ待避圏内に入っていません。
しかし、津波の被害で海浜地区のダメージは大きく、また南相馬市以南の住民避難の影響もあり、実質的な生産活動や市民生活は困難になっています。
逃げてもいいと言われない状況で、南相馬市の高校に通っていた甥は通学ができなくなり、連休明けから相馬高校を間借りして行うサテライト教室に通うことになったそうです。仙台方面の高校への転校を考えたりしたのですが、「転校するなら宮城県・岩手県は避けるように」との指導があったらしい。両県の高校は自県沿岸部の高校生の受け入れですでに限界だから…。甥のストレス、義姉の心痛を思うと何かしてやりたいと思うけれど、いかんともし難い。まずは連休明けからはじまるサテライト授業を受けてみるとのことでした。
土壌の放射線量は調査しているのだろうか?
作って、その米は大丈夫なのか…。
生産者も消費者も安心できることを確認してから、1歩づつ進めるべきじゃないのかな?
しかし、枝野さんが南相馬市に来た時にフルアーマー装備でたった5分の滞在だったことを訝しがっている人たちがいます。この政府はまだ何か隠しているのですか?
でも、多くの人たちが避難してしまったので、人手はありません。
避難先で仕事を見つけたり、そこに住み着いてしまえば、福島に戻ってくることはないかもしれません。その人たちを責めるつもりはないけれど、もう戻って来れない可能性だってあるのだけれど、「過疎」が再生を望む人たちの次の災難になることは避けられないのかもしれません。
放射能を恐れて、多くの母親たちが子供を連れて遠くの町に逃げ出しました。福島の子供たちを守るために…。それは何より大切な行為で、仕方がないことです。でも、その子供たちはもう福島に帰ることはないのかもしれない、と思います。
ふくちゃんの飼い主のおばあちゃんちでは、南相馬市に住んでいた娘さんとそのお子さん(中学生と小学生)が山形の高畠町に避難して、補助金も出るのでそこでアパートを借りて地元の学校に転校することにしたそうです。町の人たちはとても親切で、1年間はそこに落ち着くことにしたと。高校の先生をしている旦那さんだけが単身で自宅に残っているとか。
連休で一時帰宅していた娘さんたちが寄って行くはずだと待っていました。
なんの役にたつでもでもなく、相馬のご飯を食べて、漫然と帰って来てしまいました。S市にいても相馬にいても無力感は一緒です。
できれば、「フクシマ」になってしまったふくしまから、自分たちの誇りをもてる「福島」を取り戻して、去ってしまった人たちが帰ってこれるように、町を再生しようとしている人たちの力になりたいと思います。何がやれるのか、まだ分からないのですが…。
【追記】
帰宅したら、福島市出身のミュージシャンの大友良英さんが東京芸術大学で「文化の役目について:震災と福島の人災を受けて」という講演をしていたことを知りました。
大友さんは7月頃から福島に住んで本格的な福島を元気づける文化活動をしようという計画のようです。今日(5月8日)立ち上がった『プロジェクト FUKUSHIMA!』がそれで、活動はUSTREAMを使用したライブ・ストリーミング・プログラム「DOMMUNE FUKUSHIMA!」を媒介に発信されていくそうです。
先ほどまでUSTREAMでトークライブと、大友良英、レイ・ハラカミ、七尾旅人、U-zhaan、それと詩人の和合亮一さんのスペシャルライブをやっていました。
とても力を感じました。自分たちの領域でも何かやれることがあるのかもしれないと。
どもども。名古屋の潤一です。
返信削除ずっと気になってたので、蔵の写真や周辺の写真見てちょっと心が楽になりました。
GWに相馬にお邪魔したいなぁと思いつつ、
本当にお邪魔になっちゃうだろうと思って
心ここにあらずです。
夏くらいには会社から休みもらって相馬にいきたいな。
>潤一君
返信削除ご心配ありがとうございます。
なーんかね、放射能は目に見えないからね、長閑さばかりが目に入るっていうか。
実家はみんな元気です。
潤一君が彼女と来たがっていたことも知っていたよ。
夏休みにぜひ顔を見せてやってください。
石蔵は平屋部分は残す計画というので、屋根に屋上ガーデンを作ることを提案してきました。ま、無視でしょうけど。
それから、横浜に餃子を送ったら、潤一君が帰ってきたら食べさせると、冷凍庫行きになった模様…。帰ったときに焼いてもらってくださいね。