泣いても笑って本番はやってくるってことで、翌日(9月30日)はいよいよ松永忠五郎喜寿記念・松永忠三郎襲名記念演奏会でありました。
国立劇場小劇場での演奏会は、家元の古稀記念、鉄九郎師匠師籍30周年記念、につづいて3回目となります。家元、直矢さん、誠におめでとうございます。
我一門『太鼓の曲』の出演時間は、早め5番目の11時40分。緊張している余裕すらありません。
いろいろご挨拶などして、楽屋入り。朝、着物を着付けるのに予定外に時間がかかってしまい、本当はホテルで昨日不安だったところをお浚いしていきたかったけど、それができなかったので、楽屋でちょっと確認と思っていたら、舞台近くの楽屋なのであんまり音を出しちゃいけないよと注意されて、調弦もままならないまま、あれよあれよという間に順番がやってきて、追い立てられるように回り舞台の裏面にスタンバイ。
三味線はどなたかがまとめて調弦して持って来てくださったのですが、ふとみると糸が棹からずれている… ( Д) ゚ ゚
後見さんに「あのう、これ押さえられないので駒をズラしていいですか?」と声を掛けると、
「え、ズラしたら音変わりますよ。」(←知っとるわ、だから聞いてるんですわ!)…と言いつつ、時間を気にしながら奥の方に三味線を持って行って直してくださいました。
(ひぃー、セーフ)
いろいろ心許なくなっていたら、先ほどの後見の方が、「大丈夫ですから、いつも通りに落ち着いて。ちゃんと出来ますから。」と声を掛けてくださり、少し緊張の波が引いてゆきました。
(ありがたや…というか、暗示にかかりやすいオレ…。)
しかし!
…お隣では、我が師匠が「あら、これ調子合ってないわねぇ…」とか言いつつ、びょんびょん鳴らしながら糸巻き回しそうになり、「(小声で)先生!変えたらだめです!先生が変えるとみんな変えなければならなくなります!表に響くので、音も出したらだめだそうです!」って、なんでオレが先生にストップ掛けてんの?こんなんで大丈夫なの???
と、ドタバタやっているうちに、舞台が回って本番。
いつものことながら“舞台に立つと三層倍増しの先生のオーラ”に炙られながら演奏開始。
弾き始めてみると、うーん何となくいつもと調子が違ってる…、とにかく先生の調子に合わせて弾いていこうと耳を澄ますと、んんっ?全体のテンポがなにやら不穏で違和感が…、でも舞台が広くて、どこで何が起きているのか分からない…、どうしたらいいの???(心臓はバクバク・バクバク)隣の先生に合わせてとにかく手を動かしていくうちに、太鼓のテレツクが入ったので、呼吸を整え落ち着きました。
そこから先はテンポも回復して、実は個人的には怪しいところはあったけれど、夢中で演奏。なんとか岸についたと思っていたら(!)なんと、最後の最後、ドッテン、ドッテン、ドテ、ドテ…の決まるところで先生の糸がバチンと切れた!(って、いうか演奏が終わって気がついたら切れた糸が目に入りました)。最後の最後で良かった〜、先生の独奏部じゃなくて良かった〜。
(最初の乱れの原因は、あとで分かりました。)
舞台ってドラマチックじゃ。
それにしても『太鼓の曲』は、虫六が入門したばっかりのころに、10年選手の姉弟子の皆さんがお稽古していた曲で、なんて難しいのを弾いているんだ!と仰天した曲でした。その曲を、入門10年の自分が国立の舞台で演奏させていただけるとは、続けてみるもんですね…。(遠い目)
早めの順番で、朝から国立までお運びくださった皆さまに感謝。遠くからきてくださったり、差し入れいただいたり、本当にありがとうございました。
いやはや、舞台には魔物が棲んでいるといいますが、こんな舞台裏の言い訳めいた話も素人だから勘弁していただき、吐露してしまいましたが、プロの舞台人はどんな状況でも表舞台に言い訳はなさらないわけで、本当に凄いと思います。
先日の4代目猿之助さんが新橋演舞場『ワンピース』のカーテンコールの際にすっぽんの機械に巻き込まれて大けがをなさった時も、観客の方々は気がつかないまま会場を出られたとか。ご本人ばかりでなく、舞台裏も共演のみなさんもパニック状態でないわけないのに、それを表にださない徹底ぶり、凄すぎです。
(それにしても猿之助さんの全癒を心より祈念します。焦らず、元通りの身体を取り戻してください。待てます、待ってます!)
さて、後半は、プレッシャーから解放されて松永会の皆さまの演奏を堪能。
大曲をお一人で掛ける方やけっこう若いのに上手な方とか、感心するやら、緊張感も伝わってくるやらで、いろいろ勉強になりました。そして、どんな状況でも、きちんとフォローして1曲の演奏としての完成度を支える、家元はもとより助演の黒紋付きの師匠方…プロい。
しかもね、夕べの下浚いは深夜に及んだとか…、体力も半端ないですよね。
人前で演奏することを目標に、お稽古は組み立てられるわけですが、この10年、お三味線を触るようになり、大小のお浚い会で演奏の経験もさせていただきました。そのような本番の経験が、個人的に自分にどんな成長をもたらしたのかなと考えて、思うことは、音楽的な感性が研ぎ澄まされたとか、技術的な上達というよりも、極度の緊張状態のなかで何かトラブル(自己要因も他要因も含めて)が起きたときに、失敗を即時に受け入れて、そこから演奏のなかで「立て直す」力ではないかとしみじみ思います。もちろん、その力量(精神力・技量)は日頃のお稽古で身についていくものでしかないわけですが。
厳しい修行の末に演奏家になりそれを生業にしている舞台人の皆さんとは、違うレベルで、日々別の仕事で飯を食い、そのなかで決して安くない経費を投じて立つ、素人三味線弾きの舞台というものがあったりします。自己満足といってしまえばそれまでですが、この日演奏くださった皆々さまのドキドキに共振しつつ、そんなことを思うのでした。そして、やっぱりもっと上手になりたいなと、改めて思いました。
さて、家元の会にはいつも「たぬき会」という歌舞伎俳優の皆さまによる演目がございます。家元から我々に対するご褒美と受け止めておりますが、これがとんだご馳走でありまして、今回は
演目は『供奴』
唄方:菊五郎、松禄、菊之助、團蔵、左団次
三味線:仁左衛門、萬次郎、竹松、忠三郎(秀調さんの代演)、松太郎
囃子:笛/福原徹、小鼓/亀蔵、彦三郎、楽善、大鼓/壱太郎、太鼓/権十郎
という面々が、お稽古中の歌舞伎座や国立大劇場から駆けつけてくださいました。家元の竹馬の友の左団次さんはのっけからいたずらモードだし、唄方・お囃子のみなさんのリラックスした様子と対照的に、まじめに演奏なさる仁左衛門さん率いる三味線チーム。(仁左衛門さんの真剣な表情に萌え(*゚ー゚*)てしまったご婦人数知れず…)明日・明後日から新作や通し狂言を抱えているという最中に、余技の舞台に立ってしまうポテンシャル。ただ感心するのみ。立て三味線の演奏をしっかり支えていたのは大鼓の壱太郎さんでした。
壱太郎さんは、名古屋での公演の間を縫って新幹線で往復しての韋駄天ご出演で、たぬき会の演奏とは別に、ご自身で『船弁慶』を1本掛けていらして、これまた仰天でございました。
…ほんと凄いんだよ、壱太郎さんは。玉三郎さんの『阿古屋』継げるとしたら、彼しか思い当たらんね。
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