2011年5月14日土曜日

非常用のポータブルバッテリーを購入

震災の後、我が家でも3日目までは停電して大変でした。
ガスパ家に避難して充電式バッテリーで、灯りが1灯だけついていて、たいそう不安が緩和されました。
また、携帯の充電切れという困った事態…。
しかも、4.7の余震でまたまた停電の恐怖。

そんな訳で、我が家も充電式のポータブルバッテリーを常備することにしました。

品切れのため、注文してもしばらく届きませんでしたが、本日配達されました!

メルテック(MELTEC) システム電源 セッション SG-3000DX
なかなかにコンパクトで使いやすそうです。
使わないでおくと、かえって良くないらしいので、屋外の作業などに積極的につかわねばでしょうか??

不必要でいるのが、本当は一番ありがたいですけどね。


県庁・市役所で震災パネル展示

昨日は、GoogleのBloggerがシステム故障でブログがアップできませんでしたな。
で、昨日(5/13)の報告。

仕事で某T北電力の本社ビルに行ったら、いつも来客を待たせている(というか待機させている)ロビーに、垂れ流し状態でかかっているテレビが「節電」のため消されていました。病院もテレビもそうだけど、待ち合い室のテレビ放映はこの夏全面禁止にしてもいいですよ。(うるさいから)
そして、エスカレーターも止まっているようでした。さすがに、電力会社から節電の見本を示さないとですね。

そのあと、S市役所にいったら、ここのロビーでは震災関係の写真展が。職員が市の施設や被害がひどかった地域を撮影したものようで、けっこう人が見てました。

で、そのあと、M県庁にいったら、ここでも写真展。
こちらは防衛省が撮影した写真で、震災直後と4月や5月になって瓦礫が片付いたりした様子の比較写真でした。志津川辺りはいまだひどい状況というのが分かりました。
自衛隊のみなさん、ありがとう!

対面には航空写真と地図と写真の展示ですが、こちらは凄い…とは思うものの、あまりリアリティは分からず…。分かりやすい説明を工夫してくれると有り難かった…(爆)

2011年5月11日水曜日

町家で聴くSPレコードの音

長編紙芝居「猫三味線」の仙台公演で、驚愕の破れ三味線を演奏してくれた、二十弦琴奏者の山本昌子さんから、『SPレコードを聴く会』のご案内をいただきました。

○『町家』で聴くSPレコードの音

5月15日(日)、16日(月)
 13時〜

会場:街中サロンにしむら
   仙台市青葉区錦町1-7-23
参加料2000円(茶菓付き)
要予約(090-1377-7028 山本)

*クラシック、ジャズ等 心に染み入る曲をセレクトしてお待ちしております。
(レコード持ち込み可)


   【ご挨拶】
 この度の大震災により被害を受けられた方々、心を痛めておられる皆様方に心よりお見舞い申し上げます。
 ここ街中サロンにしむらはお陰様で皆様をお迎えできる空間を保つことが出来ました。今まで同様癒しの場としてお出かけください。

街中サロンにしむら
西村艶子
_______________________

…と、これだけだと何をやるのかよく分からないので、聞いてみました。

今度の震災で「にしむら」でもいろんな昔のレコードや映画のパンフレットなんかが、片付けなければならない荷物としてでてきたそうです。昭和文化華やかなりし頃の貴重品なども…。
それで処分してしまうには勿体ないので、それらを一回興味のある人で聴いてみる会をやってみようということになったとのこと。
どんなレコードがあるかというと、
・クラシックは、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮の「ベートーヴェン/交響曲第5番「運命」)←ベルリンフィル?など
・歌謡曲は、三橋三智也、渡辺はま子「支那の夜」、「テネシーワルツ」(江利チエミでは無いらしい…)
・浪曲は、広沢虎三など
・民謡のもあった
・ジャズのレコードもあった……と ( ̄◆ ̄;)

ということで、まだまだどんなお宝があるかわかりませんが…「にしむら」さんですからね、ありそうです。また、珍しいレコード持っていたら持ち込み大歓迎とのこと。
ビルの谷間にぽつんと残った仙台ながらの町家住宅だそうです。
文化財発掘も兼ねて、お茶飲みに来ませんか。
お茶は、喫茶店のケータリングで美味しいのが出るそうです。

あ、町家サロンをもっと活用したいので、何か発表の場として見ておきたいという方もお尋ねください…だそうです。

なんていうか、ざっくりですみません!(なんで私が謝ってるかな〜?)


2011年5月8日日曜日

相馬の帰省を反芻

相馬市はまだ待避圏内に入っていません。
しかし、津波の被害で海浜地区のダメージは大きく、また南相馬市以南の住民避難の影響もあり、実質的な生産活動や市民生活は困難になっています。

逃げてもいいと言われない状況で、南相馬市の高校に通っていた甥は通学ができなくなり、連休明けから相馬高校を間借りして行うサテライト教室に通うことになったそうです。仙台方面の高校への転校を考えたりしたのですが、「転校するなら宮城県・岩手県は避けるように」との指導があったらしい。両県の高校は自県沿岸部の高校生の受け入れですでに限界だから…。甥のストレス、義姉の心痛を思うと何かしてやりたいと思うけれど、いかんともし難い。まずは連休明けからはじまるサテライト授業を受けてみるとのことでした。

実家周辺は、この景色のどこに放射能が…?と思うほど、穏やかな春を迎えています。

農協の要請だかで、なんと米の作付けをすることにしたということです。
土壌の放射線量は調査しているのだろうか?
作って、その米は大丈夫なのか…。
生産者も消費者も安心できることを確認してから、1歩づつ進めるべきじゃないのかな?

避難しているわけじゃないけれど、相馬の人たちも不安を胸に押し隠して普通に暮らしているんです。まだ、かろうじて汚染されていないという希望も捨てていない。

しかし、枝野さんが南相馬市に来た時にフルアーマー装備でたった5分の滞在だったことを訝しがっている人たちがいます。この政府はまだ何か隠しているのですか?

そして、相馬に残った人たちは、津波でやられた町を作り直そうとしているんです。
でも、多くの人たちが避難してしまったので、人手はありません。
避難先で仕事を見つけたり、そこに住み着いてしまえば、福島に戻ってくることはないかもしれません。その人たちを責めるつもりはないけれど、もう戻って来れない可能性だってあるのだけれど、「過疎」が再生を望む人たちの次の災難になることは避けられないのかもしれません。

放射能を恐れて、多くの母親たちが子供を連れて遠くの町に逃げ出しました。福島の子供たちを守るために…。それは何より大切な行為で、仕方がないことです。でも、その子供たちはもう福島に帰ることはないのかもしれない、と思います。

実家では、次に余震がきて石蔵が崩れると、通りかかった誰かがケガしたりすると大変だから…と、連休中に蔵の解体を進めていました。これからも、この土地で安全に暮らしていくという前提で。

原発は、どうなるんだろう。

ふくちゃんの飼い主のおばあちゃんちでは、南相馬市に住んでいた娘さんとそのお子さん(中学生と小学生)が山形の高畠町に避難して、補助金も出るのでそこでアパートを借りて地元の学校に転校することにしたそうです。町の人たちはとても親切で、1年間はそこに落ち着くことにしたと。高校の先生をしている旦那さんだけが単身で自宅に残っているとか。

ふくちゃんのおばあちゃんご自慢のハナミズキ。
連休で一時帰宅していた娘さんたちが寄って行くはずだと待っていました。

実家の父が何かメモしているなと思ってのぞくと、テレビの外枠情報で流れる待避圏地域の放射線量を毎日時間ごとに付けているのでした。携帯もインターネットもやらない人ですが、科学の知識などもちろんないと思いますが、数値の変化を自分で確かめているようでした。毎日記録して分厚いメモになっていました。

なんの役にたつでもでもなく、相馬のご飯を食べて、漫然と帰って来てしまいました。S市にいても相馬にいても無力感は一緒です。

できれば、「フクシマ」になってしまったふくしまから、自分たちの誇りをもてる「福島」を取り戻して、去ってしまった人たちが帰ってこれるように、町を再生しようとしている人たちの力になりたいと思います。何がやれるのか、まだ分からないのですが…。


【追記】
帰宅したら、福島市出身のミュージシャンの大友良英さんが東京芸術大学で「文化の役目について:震災と福島の人災を受けて」という講演をしていたことを知りました。

大友さんは7月頃から福島に住んで本格的な福島を元気づける文化活動をしようという計画のようです。今日(5月8日)立ち上がった『プロジェクト FUKUSHIMA!』がそれで、活動はUSTREAMを使用したライブ・ストリーミング・プログラム「DOMMUNE FUKUSHIMA!」を媒介に発信されていくそうです。
先ほどまでUSTREAMでトークライブと、大友良英、レイ・ハラカミ、七尾旅人、U-zhaan、それと詩人の和合亮一さんのスペシャルライブをやっていました。
とても力を感じました。自分たちの領域でも何かやれることがあるのかもしれないと。

2011年5月7日土曜日

相馬へ帰省(2)_津波被害の地域に行きました。5月4日午後

午後、なぜか家人Tと虫六子もいっしょに帰省中の銀子さんの実家に行きました。
先日も寄って行ったのですが、銀子さんが顔を見せて、ご両親もちょっと安心した感じでした。テレビが新しくなっていました。
少し話をして、海岸の方に行ってみたかと聞くと、まだ…と。

福島県も、宮城県や岩手県の沿岸部と同じく壊滅的な津波の被害にあっています。しかし、原発の爆発事故が発生して、マスコミはその日のうちに撤退してしまい、ほとんど報道されずに放置されていました。南相馬市の市長がyoutubeに、報道もされず、放射能を恐れて救援物資も届かない棄民状況を訴えて、やっとその実態が注目されるようになりました。

先日帰省したときにも津波の被害を見ておきたいという衝動はあったものの、まだ緊急車両が多かったし、災害救助の緊張した現場に踏み込むことができず、慌ただしく帰って来たのでした。
被害にあった方々の気持ちを考えると今も県外ナンバーで彷徨くことに抵抗はあったのですが、自分の故郷がどんな被害にあったのか、やはり自分の目で確かめたいと思い、通行止めになっているかもしれないけれど、とりあえず行けるところまで出かけて見ることにしました。

ほんの少し、海岸に近づいただけで、凄惨な風景が目に飛び込んできました。
もう1ヶ月半経っているので、これでも瓦礫はだいぶ撤収されているのかと思います。何より、道が整備されていました。自衛隊がまず道の瓦礫を片付けたそうです。

松川浦漁協の建物。

漁協前の「丹下左膳之碑」。この石ばかりはしゃんと建っていました。

磯部方向はまだ通行禁止。

漁船が陸に打ち上げられてごろごろしています。

民宿をしていた銀子さんのおばあちゃんの家にも行ってみました。
どこからか、梅津和時の生活向上委員会大管弦楽団のレコードが流れ着いていました。

ビールケースの下に花が咲いていました。

原釜魚協のあたり。
戦争でもあったのか…と思う荒景。
みんな言葉が出ませんでした。

建物らしいものが消えて、基礎の土台だけになっている区画。

毛糸玉のようにくしゃくしゃに丸められた鉄骨。

海は…不思議なほど穏やかで青い。
折り紙のようなタンク。

水産加工の工場。

このあたりは、

住宅地が続いていたところ。
住んでいた人たちはどうなったのだろう。

一旦6号線バイパスに戻って、磯部地区の方に行ってみた。
このあたりはまだ一部立ち入り禁止のようですが…。
水田地帯と思われる一帯はまだ瓦礫で覆われていました。

津波のあと、冠水が引かず、遺体を流さないように昼夜ポンプで水を汲み上げていた地域だそうです。やっと水が引いて砂漠のように地割れしています。ずいぶん奥の方まで冠水したのです。

まだ水が引いていないところもあります。
この先の磯部の住宅地区には入っていけませんでした。
みんな、ため息ばかりついて帰ってきました。

岩手・宮城は復興の兆しが見えてきたと報道されるようになり、テレビの番組も通常モードに戻って、ちょっと落ち着いてきたと思われがちですが、福島県は原発の影響でいまだ避難して戻れる見通しの立たない町村では、津波の片付けや遺体捜査も手つかずの状況。30キロの外側の地域もしばらく重機も救援物質も届かなかったので、復旧も大幅に遅れています。
地元の人たちでなんとか復旧しようとしても、多くの住民が逃げてしまっているので、人出がなくて仕事にならないらしい。ここまで片付いたのは自衛隊のおかげだと。
原発事故がまだ進行中でどうなるか分からない、人が戻せないという状況で、県も市町村も復興策が打ち出せないという苦しい状況の福島県。
大震災の記憶が、まだ風化されてはたまらないと思います。

住民の感情を…とも思いますが、被害の現状を多くの人に自分の目で見てもらいたいとも思いました。


相馬に帰省(1)_長友グランドで原釜朝市5月4日

3日の夕方、虫六子の帰宅を待って、相馬の実家に帰省しました。
家族のスケジュールがばらばらで結局まとまった連休が取れないので、できればボランティアでもと思っていた気持ちが情けなくも計画倒れになり、せめて少しゆっくり両親のそばにいるか…と、とりあえず帰ってきました。

先日帰った時に、崩れかかって危険な状態だった石蔵をいよいよ取り壊すことになり、すでに屋根が無くなっていました。

父が42才の時に立てた石蔵だったそうです。
取り壊すのは、悔しいだろうなぁ。
(でも、屋根のない石造りの建物って、ちょっと地中海ぽいなぁ)

城下の長友公園で、朝市をやっているというので、歩いて行ってみることにしました。

散歩の途中でかわいい猫発見!
ふくちゃんという名前のメス猫でした。人懐っこくまん丸の顔がかわいい。
はまる虫六子…結局、帰省中に4回も会いに行ってました。

お墓の石も…無残。

杉の木が一本、見守っております。

野馬追いの行列が出発する大手門にも、危険防止の赤コーンが…。
庇の屋根瓦が落ちてきましたか…。

お、やってました。
原釜地区の漁協さんの主催の朝市のようです。

さっそくドンコ汁のサービス。いただきます!!
そのほかにも、成田もやしを無料で配っていたり、蟹や、カレイ・穴子などの揚げ物が1パック300円の大盤振る舞い!飛ぶように売れていました。お昼のおかずにいろいろ買いました。
頑張れ!相馬漁港!

同級生のまゆみちゃんに会いました。

向こうのテントでは、相馬出身のアルパ奏者・志賀昭裕さんの出前コンサート。
青空に南米の音色が明るく伸びやかに響いて、爽快でした。
アルパという楽器も魅力的でしたが、志賀さんのボーカルも上手かった。
最後に地元のおばちゃんが「コーヒールンバ」をリクエスト。好きな曲ですが、こんな面白かった?というくらい複雑なアレンジで、すごく良かった。
ありがとうございました、志賀さん!

帰り足、避難所になっていた元・相馬女子高校の校舎へ。
7日の大きな余震で建物の耐震性に問題が出て、避難所としては閉鎖されてしまいました。
人の出入りはあるみたいですが、ひっそりしていました。
時計も植栽も、在校時と同じ…。閉校してしばらく立ちますが、この樹木などはだれが手入れしているんでしょうね。

グランド側。
時間が止まったようですね。
遅刻魔の虫六はこちら側からこっそり教室に入ったことも一度ならず…時効ですかね。

水仙…。ここにも咲いております。なんだか植物は逞しいなぁ。

この蒲公英も変わらないなぁ…。何年経つのかなぁ…と考えて、ぎょっとしました!
だって虫六子の年の頃ですよ、ここに通っていたのは ( ̄◆ ̄;)

かつての近道通学路を通って河原にでました。
フォトジェニックなコノテガシワ発見。かっこいい。
 
この、穏やかで暢気な風景が、いま原発の恐怖に晒されています。
浪江や双葉や飯舘を汚染している放射能がこの地区をも汚してしまうかも知れない…。
特に贅沢をするでもなく、その日その日を堅実に暮らしている人たちの生活を再起不能にするかも知れない…。そうならないことを、祈ることしか出来ないのがもどかしい。
避難しているフクシマの人たちも、自分の土地に、早く、早く帰してあげたい。
希望を持ってもいいのだろうか…。

自然ばかりが春の景色をたたえています。