2011年11月13日日曜日

水俣・白河展

11月13日水俣・白河展の講演会を聞くために白河市へ行ってきました。
講演会は午後からですが、展覧会も見たいので、朝7時発の東北本線・各停にのって出発(東京で遊びすぎて金欠のため、行きは各停乗り継ぎということに…)。

白河駅に10時半頃ついて、展覧会会場の「マイタウン白河」へ。
講演会の日と言うこともあるのか、けっこう見ている人も沢山いました。

1時間くらいで見られるかなと見当を付けていったら、けっこう中身の濃いボリュームもある展示で、じっくり見ていたらあっと言う間に30分。奇病の原因を突き止める動物実験の映像に(メチル水銀化合物を盛られたネコが発狂する様子でありました…Σ( ̄ロ ̄lll)…)ぞぞげ立ちながら見入っていたら、「いまから1時間ほどのギャラリートーク」をはじめますという案内があったので、これしかないとツアーに同行。
水俣フォーラムの方の切れのいい解説で、展示会場を案内していただき、水俣病問題の全容をとりあえず頭に入れました。

水俣病という恐ろしい公害病に苦しむ被害者の実態、国家と国策として守られた大企業「チッソ」の責任逃れと被害者の闘争の歴史、水俣病を生んだ環境破壊の恐ろしさ、汚染によって奪われた豊かな海と人々の穏やかな暮らし…などなど、写真やパネルで詳しく紹介・解説されていて、自分がこの問題にいかに無知であったか、自覚しました。有名なユージン・スミスの写真もありました。丸木位里・俊夫妻の「水俣の図」はありませんでした。
20年以上も前になると思いますが、新潟水俣病をテーマにした「阿賀に生きる」というドキュメンタリー映画を観たのですが、その後、あえて水俣病に関心を持つこともなかったのでした。

展覧会は、水俣フォーラムが主催して、これまで東京(1996)を皮切りに、豊橋、つくば、高畠、大阪、沖縄、浜松…と各地で開催されていて、この「水俣・白河展」も震災の前から、白河市にあるアウシュビッツ平和博物館が受け皿となり企画され、実現したものだそうです。
福島原発事故問題をフォローするテーマで「福島市でも南相馬市でもなく、なぜ白河?」と思ったのですが、そういうことのようでした。

そんなわけで、展示そのものも他の地域で展示された内容と同じようで、あくまで「水俣病」を伝える内容、福島に関する内容はありませんでした。
しかし、この先に福島の住民が背負っていくであろう国や東電との長い闘争や病理との戦いを覚悟するには余りある内容でした。水俣病は、問題が収束(国家が蓋を閉じようとする)に向かっては別の問題が出てきて再熱し、また収束され掛かっては別の真実が分かり…と55年に及ぶ長い戦いの歴史があり、まだ解決されていないのでした。国は2007年7月に「水俣病被害者救済特別措置法」を成立させて、九州・不知火海沿岸の水俣病や新潟水俣病の未認定患者を申請が認められれば210万円の一時金や、医療費が無料になる水俣病被害者手帳を支給して救済するとした一方で、加害企業「チッソ」の分社化を認めて(水俣にあったチッソの工場は「JNC」という子会社になってしまったそうです)事実上の免罪をしたと聞いて、その企業の汚い手口や、とにかく問題を終わらせようという国の姿勢に背筋が寒くなりました。
この先、東電がどういう手で責任逃れをするか、福島の人たちだけでなく、よくよく注視して行かなければならないと思いました。

とはいえ、この展示が虫六が期待していた内容だったかというと、正直不十分でした。

福島原発事故のあと、水俣病資料館で「福島原発風評被害_水俣の経験を伝えたい」という展覧会が行われているとニュースで知っていたからです。水俣の人たちは国の対応を求めながらも「自分たちが変わらなければ」と環境都市として生まれ変わることに50年ものあいだ努力されて、クリーンな「水俣ブランド」をつくりあげたというもう一つの歴史を持っています。その土地の立ち直り方に、福島を応援するひとりとして、具体的なヒントが欲しかったのですが、そのことに関する内容はありませんでした。
それはちょっと残念。何か理由があったのかな?

とにかく、展示を急ぎ足でみて、講演会会場へ向かったのでした。






0 件のコメント:

コメントを投稿