夕べは女子会で盛り上がって少々寝るのが遅くなり、毎年いらっしゃっているN姐、T姐は「今年はやめとく」ということで、ひとりでこんぴらさんにお参りに昇りました。
とはいえ甘くないぞ、こんぴらさま。200段くらいで息が上がってきました。
帰り時間を換算して、ここでお守りを買ってUターンですかね。
こんぴらさま、どうか来年はお礼参りさせてください。
さあ、「四の切」みるど〜!
ぎりぎりで会場に着いたら、お姐さま達は、木戸芸者役の地元の小学生と仲良くなって記念撮影などしていたらしい。あらら〜いーなー。
提灯に、葡萄棚が綺麗。へへ、このかけ筋使うんですね!楽しみ過ぎる。
舟に近い端っこの方に小学生四年生が見学にきてました。毎年鑑賞会があって、琴平の小学生は羨ましいなぁ。
第二十九回四国こんぴら歌舞伎大芝居
市川亀治郎改め 四代目市川猿之助襲名披露
平成25年4月6日(土)~21日(日)
第一部
一、鳥辺山心中(とりべやましんじゅう)
菊地半九郎 片岡愛之助
遊女お染 市川春 猿
同 お花 市川笑三郎
父 与兵衛 市川寿 猿
坂田源三郎 市川猿 弥
坂田市之助 市川右 近
二、三代猿之助四十八撰の内 義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)
川連法眼館の場 市川猿之助宙乗り狐六法相勤め申し候
佐藤忠信/忠信実は源九郎狐 亀治郎改め市川猿之助
源義経 片岡愛之助
駿河次郎 市川月乃助
亀井六郎 市川弘太郎
飛鳥 坂東竹三郎
川連法眼 市川寿 猿
静御前 片岡秀太郎
(以下、ネタばれ注意)
「鳥辺山心中」は、なんか近代くさいにおいがするなと思ったら、大正4年に東京で初演された岡本綺堂の心中ものでした。お話の最初から(あ、それ死装束になるわけね…)という晴れ着が出てきて、親父さんが「酒には気をつけろよ」なんて、暗示めいたセリフを言ってしまう、分かり易いというか説明過剰な筋立て。正直、近松もののような、歯車が狂ってどうにもならない無情感はあまり感じられないのですが、綺麗な男女が色っぽく踊るという絵の美しさはこの小屋にはまりました。愛之助と春猿のキャスティングはなかなか良いです。
「鳥辺山心中」は、なんか近代くさいにおいがするなと思ったら、大正4年に東京で初演された岡本綺堂の心中ものでした。お話の最初から(あ、それ死装束になるわけね…)という晴れ着が出てきて、親父さんが「酒には気をつけろよ」なんて、暗示めいたセリフを言ってしまう、分かり易いというか説明過剰な筋立て。正直、近松もののような、歯車が狂ってどうにもならない無情感はあまり感じられないのですが、綺麗な男女が色っぽく踊るという絵の美しさはこの小屋にはまりました。愛之助と春猿のキャスティングはなかなか良いです。
きっと脇でみていた小学生も、「頭の固いやつに言いかがりつけられて絡まれ、酒の勢いで殺してしまって、心中しなければならなくなった男女の話」という筋は忘れてしまっても、「紫の小袖の女の人と黒い着物の男の人が綺麗だったなー」という記憶の方は、脳みそのどこかに残るでしょうね。
澤瀉屋の春猿の演技は様式的、松島屋の愛之助のは比較するとリアルちっくに感じました。こういう筋書きにはあまり意味がないような(…と言っていいのかわかりませんが…)演目だから、徹底的に陶酔するような綺麗さで見せていただきたいと思いました。とはいえ、そういう意味では、この二人の舞台は全体的に不足なかったです。やっぱり、美しいって大事ですね。春猿は背が高いので、愛之助に合わせるのがやや大変そうでした。
JTBでもらったお弁当。充実の中身です。幕の内弁当はこうでなくっちゃ!三越製らしい。
そんなわけで、いよいよ「四の切」。
新猿之助の「四の切」は、新橋の襲名公演で拝見しており、あの(!)、ほぼ理想通りの「四の切」を金丸座という江戸時代の芝居小屋で見たらどうか⁈というのが、今回の最大の楽しみだったわけです。
言いたかないけど去年のこんぴらデビューでは、同んなじ演目で、某お客さんに「おんどりゃ、江戸の芝居小屋を舐めてんか!」と毒づかれてしまうようなお芝居しか見ておりませんので、今年は本当に気分は「リベンジ」。亀、もとい、猿之助なら何からやってくれる!
それにしても、最初に義経が出てきた瞬間から違ってました。殿様襟が似合う愛之助であります。
で、シャリ〜ンとなって、猿之助の佐藤忠信が鳥屋から出てくるのを見ただけで、背筋がゾクゾクしてしまいました。なんで?まだ狐役じゃないのよ。
もちろん、狐忠信登場後の猿之助のオーラはただごとじゃありません。すごいと思ったのは、たぶん、新橋の襲名公演で演じた演出をほぼ変えていないということです。小屋のサイズはもちろん、装置やスタッフの数まで同じであるはずはないのですが、演出を縮小したという印象を感じさせないのです。
むしろ、役者と舞台のサイズに無駄がないのかとても大きく見える。(例えば、子狐が喜んで跳躍する場面、もちろん猿之助の身体能力の高さもあり「高い!」と思わせますが、実際跳んでいるのが50センチだとしても、80センチくらい跳んでいるように感じるわけです。*注:センチはイメージね、実際はどのくらい跳んでいるのか知りません。)
早変わりや、難技(欄干渡りとか、クルクル回りとかね)決めて欲しいと思う見せ場が、気持ちいいほどつぎつぎに決めてもらえて、本当に感嘆と驚がくのミルフィーユであります。
何より、猿之助の狐は愛らしい。体も軽いし、舞台の真ん中に置かれた「(親)鼓」が本当に生命を持っているかのように振る舞う姿がけなげで愛おしく感じさせる…。この、「子狐が愛おしい」と思わせることが、四の切においての必要絶対条件であるように思うのです。そして変化であるという、人間を超えた能力ですね。
3代目が確立した演出なので、必ずしも江戸の芝居小屋仕様ではないのかもしれないけれど、少なくとも金丸座では不足なく同じ演出で表現できるし、この程度のケレンは、江戸時代じゃ常識よ!と、言われたような気がしました。
会場の観客との一体感も相乗効果です。もちろん、新橋公演の時も会場は一体感で包まれて、大きな感動を体感しました。しかし、この小屋にはそれ以上に何とも言い難い「呼吸」のようなものがあります。「胎動」って言いますか。
大団円では、かけすじを使って引っ込みますが、これが人力。近代的な小屋では電動でしょう、役者も機械に身を任せるわけですが、人力で引っ張られると、役者も裏方も息を合わさないわけにはいきません。観客も!長い距離ではないのだけれど、この数メートルがすごくもったいない貴いものに感じました。
実は、この場面の演出で私は葡萄棚から花吹雪を散らせると想像していました。しかし、実際は花道のおしまいに役者を降ろすための幕が出てきて、(2階に入るわけじゃなかった)そこからジェット噴射の花吹雪が舞いました。そう、新橋公演を踏襲した演出です。確かに、葡萄棚は袖萩祭文で使っているので、夜の部の演出とかぶらないようにしているんですね。これは1本取られました。
今回のこんぴら歌舞伎を拝見して、猿之助という役者はとても本質的に歌舞伎をとらえていて、その努力を惜しんでいないことに感激しました。
歌舞伎の将来を見ているという意味では、勘三郎の実現していた数々の仕事が大きな可能性を感じさせるものでしたけれども、今となっては彼の不在が今後の歌舞伎界にどんな影響を与えるのかと心配があります。新しい歌舞伎座はできたけど、芝居はつまんなくなるのかな?と。(だいたい杮落しに猿之助が出てないじゃないか!松竹はトチ狂ってんじゃないの?)
でも猿之助のお芝居を見て、そんな老婆心はとりあえずおいておこうと思いました。この人はブレずに歌舞伎の将来を見ているような気がする。
やっぱりね。良いお芝居はどういうものか、選ぶのは、どこぞの芸術院の先生でなくて、お金を出して劇場にやってくる観客なんですよ。
新橋公演で初役だったという秀太郎の静御前も、猿之助の襲名につき合っているうちに80回を数えたとか、役者の仕事ってすごいなぁ。
あぁ、あっとまにこんぴら観劇ツアーも終わってしまいました。
駅に、仙台・宮城DCの大河原の桜のポスターが貼ってあり、四国なのに…と不思議な感慨。
また来るね、琴平駅。
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