2013年5月30日木曜日

国立劇場五月文楽公演_「曽根崎心中」「心中天網島」ほか

五月の国立劇場小劇場は文楽公演。公益財団法人文楽協会創立五〇周年記念にして、竹本義太夫三〇〇回忌記念にして、近松門左衛門生誕三六〇年記念なのだそうです。ということで、今月は通しで見ると、近松心中もの二本立てになります。


○国立劇場五月文楽公演

2013年5月11日(土)~2013年5月27日(月)

 【第一部】午前11時 (午後3時終演予定)
 【第二部】午後4時 (午後8時35分終演予定)

【第一部】
 一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)
    熊谷桜の段
    熊谷陣屋の段
        
 近松門左衛門生誕三六〇年記念   
 曾根崎心中(そねざきしんじゅう)
    生玉社前の段
    天満屋の段
    天神森の段
 
【第二部】
 寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)
    
 近松門左衛門生誕三六〇年記念
 心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)
    北新地河庄の段
    天満紙屋内より大和屋の段
    道行名残りの橋づくし


 (主な出演者)
 竹 本 住大夫
 竹 本 源大夫
 鶴 澤 寛 治
 鶴 澤 清 治
 吉 田 簑 助
 吉 田 文 雀
        ほか


「一谷嫩軍記」は先月歌舞伎座で歌舞伎「熊谷陣屋」を拝見したばかりですが、文楽ですと役者の演技が邪魔せずに物語が頭に入ってきます。どっちが良いかはそれぞれ面白いところがあるので、それぞれ楽しめばいいと思いますがね。今回の公演は「熊谷桜の段」からだったので、石屋弥陀六がキーパーソンだったということがわかって発見でした。いずれ相模が気の毒ってことに変わりはないのですが…。それはそれとし、「熊谷陣屋の段」の前は久しぶりでみる呂勢大夫さんと清治さんコンビでしたが、「漢の戦い」っていうか、凄まじいものをみました。清治さん、お元気なんだろうかとドキドキでいったのでしたが、なんちゅうか凄まじかった。(呂勢大夫さんすごく苦しそうで、ついに咽せっていたのですごく心配になりました。このところ八面六臂の活躍でしたので、身体大事にしてください)。つか、小説みたいだなー。

「曽根崎心中」(昼の部)と「心中天網島」(夜の部)は近松門左衛門生誕360年記念の演目。義太夫は夜の部の方が聞き応えがありましたね。とはいえ「曽根崎〜」では天神森の段で蓑助さんのお初と勘十郎の徳兵衛が命を絶つ場面が麗しく酔いしれました。お初可憐。お初については、歌舞伎で復活されたときの扇雀(現・藤十郎)さんの解釈や小説を書いた角田光代さんの解釈など、見比べると面白いんだな。
「心中〜」では、義太夫がずんと心にはいってきましたので、むしろ自然に舞台の人形芝居が楽しめました。暗やみの中で木戸をあけて逃げ出すときに、木戸の向こうとこちらから焦りながらあけるところとか、人形であることも義太夫で聞いていることも忘れて緊張絶頂で焦りまくる自分がありました。この持って行かれ方が文楽の醍醐味でありますね。
…それにつけても、治兵衛の不甲斐なさよ。
(女は甲斐性のある男にのみ惹かれるわけでないというのが宇宙の真理であります)

ちょうど、このところ塩見鮮一郎先生の本を読んでいて、
江戸時代の身分制度のなかで心中に失敗したり、罪を犯して牢屋に入れられる(または身内に犯罪者をだす)など身を持ち崩したものは、元の身分を失い非人にされて、稼ぐことも髷を結うこともゆるされず、汚いなりで物乞いをしながら生きなければならなくなる。
抱非人は稼げないけれど、町奉行の直轄で死体処理や処刑の手伝いなどの不浄の仕事を強制されていた。
非人の数は相当数いて(天保14年で抱非人5643人)、それを束ねる非人頭の家は新吉原の裏にぴったりと建っていて、それはひとつの見せしめの意味があった…。(「江戸の非人頭 車善七」河出文庫)
などと、いうことが重なって、心中に向かう彼らの時代感というか、「恋心」だけではすまされない境遇といいますか、女房おさんや兄孫右衛門の心情も単に亭主を取り戻したいとか、弟を更正させたい以上の緊迫したものが、本当は近松の脚本の中にはあったのではないかなとイメージが尖りました。
(…まぁ、元禄期の上方の廓と、天保期の新吉原は単純に比較できないかも知れませんが…)

「寿式三番叟」では、久しぶりで住大夫さんが若い大夫さんを率いて登場。だいぶお痩せになったようでしたが、声はお元気でした。っていうか、緊張した。

前日(6/19)は明治座で花形歌舞伎、翌日(6/20)は文楽をそれぞれ通しで、2日で4ステージ。さすがに疲労困憊、精も根も尽き果てたとはこのことですね…。
え、自業自得だろって?ひい。


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