今年みつけたとっておきなスポットをご紹介しましょう。
『日和茶房 ひわさぼう』
住所: 函館市元町32-10
営業時間 :10:00~17:00
定休日 水曜日
民家じゃないの、ほんとうに喫茶店?
何を隠そうこの建物、「近代建築の三大巨匠」と言われる有名な建築家フランク・ロイド・ライトのお弟子さんの田上義也(1899-1991)という建築家が、昭和3年に設計した建物で、地元の海産商の佐田作郎氏の自邸として建てたものを、竣工まもなく、やはり函館の海産商だった小熊幸一郎の子供夫婦が買い受けて住んでいたそうです。F.L.ライトの建築様式プレイリースタイル(草原様式)にちなんで「プレイリーハウス」と呼ばれているそうです。
函館市の景観形成指定建築物や文化庁の登録文化財に指定されているいわゆる歴史的建造物で、これまでは公開されることなく外観を眺めることしか出来なかったのを、函館屈指の洋菓子店「ペシェ・ミニヨン」がカフェとしてオープンしてしまったというのです。
オープンは2013年6月15日ってことで、去年は帰省出来なかったので発見が遅れました…(||li`ω゚∞) (大げさ)。
「日和茶房」があるのは、函館・元町の日和坂から少し路地を入ったところ、高橋病院の「天使寮」とか「旧・相馬邸」などもあり、このあたりは伝統的建造物地帯。まぁ、函館はどこを歩いても伝建ばっかりなんですが…
門をくぐって中に入ってみました。幾何学な窓枠がモダンでカッコいい。
2つめの入り口。こちらの玄関の方が立派です。
お客さん用の玄関でしょうね。
ちょっと裏にまわってみましょう。
多角形に突きだした部屋があるようです。
こちらは裏庭。落ち着いた風情がここ函館?って感じですね。
あ、ガラス張りの向こうに廊下とお部屋が見える。向田邦子のドラマにでてくる家みたいだ。白壁にさりげなくマッチしています。
立派な玄関から中に入ってみました。突き出たお部屋はここでした。
「オクタゴン」と呼ばれる八角形のレセプションルームだそうです。
重厚な家具とステンドグラス、絨毯の模様もモダンでステキです。
お店の方に「ここで召し上がっても良いですよ」と声を掛けていただきましたが、なんとなく遠慮して、もっと奥のお部屋に進んでみました。
くの字に曲がっていくとさっき見えていたガラス張りの廊下にでました。
テーブルとシンプルな籐椅子が並べてあったので、庭を眺めながらこちらに落ち着くことにしました。
廊下づたいに和室が2つあり、こちらに座っても良いと言うことです。
この日は空いている様子で他のお客さんがいなかったので、建物をじろじろ拝見することができました。
重役の打ち合わせにでも使われそうな高級感。
…妄想:佐分利信「どう、おかあさん元気?○○ちゃん、彼氏出来た?」
司葉子「やだわ、おじ様ったら」
障子の桟がスッキリとしかし手の込んだデザインで文句のつけようがないです。
もろ虫六好み。こんなお部屋でひがな一日お三味線を抱いていたら至福ですね。
違い棚には何げに鳩があしらわれ、置かれた白い磁器もお洒落。
っていうか、戸棚の襖絵の松の絵まで渋いんですけど。
和室にアンチックの重厚な洋戸棚、昭和の佇まい。
こちらはソファーです。
廊下からはお庭を眺めることもできます。
よくみると、この敷石も全部まるく削ってある…綺麗だナー。
和室の廊下からレセプションルーム方向はこんな感じに見えます。
こんな家に主として住まう可能性は考えられませんが、もしこの時代に生まれていたら、住み込みのお手伝いさんでもいいな…。
…妄想(2):虫六「奥様〜、お庭にお水まいておきましたー。」
さて、「日和茶房」はペシェ・ミニヨンがやっておりますので、出てくるメニューは当然同グループのもの。ケーキは「スナッフルス」、焼き菓子は「ペシェ・ミニヨン」、洋食は「サロン・ド・テ ペシェ・ミニヨン」、和風弁当と酒の肴は「若松旅館」、ぜんざいなどは日和茶房オリジナルとなっております!贅沢!
で、虫六のオーダーは抹茶白玉ね。暑い日につべたい抹茶白玉、粒あんがほんのり甘くて美味しい。
家人Tはコーヒーチーズタルトとコーヒーのセット。
ペシェ・ミニヨンにまで行かずとも、元町をぶらついたついでにここで食べれるのがまた嬉しいですね。
廊下の突き当たりには大きめの窓。窓枠が可愛い。
2階にも行ってみました。
階段はちょっと急で狭いのですが、天井に頭をぶつけても痛くないように角が丸くなっていました。
こちらは板張りの洋間です。
白い部屋の中に漆の柱が2本張り出しているのですが、それがアクセントになり、またやや大きめの四角や菱形のガラス窓から光が漏れて、とても静謐な空間です。
貸しギャラリーとして使っているようです。
近くにあったら、週イチで通いたい贅沢なカフェ。
また来年もお邪魔したいと思います。
ちなみに、田上義也がこの家を設計したのは29才の時。20才で、F.L.ライトの帝国ホテル建設に参加してその影響を受け、関東大震災を機に北海道にわたり、この家の設計を手がけたようです。窓枠や障子の桟にいたるまで細部にまで宿るモダンな美意識は、青年田上の気概を感じさせます。しかし田上は函館にはあまりチャンスがなく、拠点を札幌に移して、その後、北海道の気候風土に根ざした数多くの洋風建築を残しているそうです。
虫六は建築の専門家ではないので、無責任に言ってしまいますが、
「昭和モダンの銀閣寺」って印象を持ちました。いえ、なんとなく…。
函館プレーリーハウスについては、このサイトが詳しく書いています。
関根要太郎研究室@はこだて
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