2015年8月17日月曜日

盆帰り

盆休みになって、慌ただしく虫六子が帰省。いろいろ予定がいっぱいみたいなので、取りいそぎ日帰りでお墓参りに相馬に帰りました。常磐道が開通して、1時間くらいで着いちゃいました。はやっ。JRさんの常磐線の再開通が待ち遠しいですが、この便利さは…脅威かも。

また歳はとってしまったけれど、あんまりお変わりもなくやってそうな両親の顔を見て、お墓参りして、晩ごはんだけ食べて帰ってきました。

変わったことといえば、甥っ子がいつの間にか結婚してました。入籍の噂は聞いていましたが、二人だけでハワイで結婚式をあげてきたとのことで、幸せそうにもりあがっている若い二人の小さなアルバムを見せてもらいました。
ありゃまー、おばちゃんとしても「おめでとう」を言うタイミング与えられず、ちょっと寂しいぞよ…などと本音まじりに軽口を叩いてみたら、…なんとなーく燻っている感じの兄夫婦。若いもんに気を使ってダメ出し出来なかった雰囲気ですが、結果はどうでも違和感は表現した方がいいような…。そのボタンの掛け違いは後々距離が縮まることはないような気がするぞーと思いつつ、果たして日本の家族はこうしてこの70年間どんどん世代間の距離を広げていったんでしょうか?などと考えてしまいました。
つまり対話を避けてきたってことなのか…な。
とかいうけど、父と兄もあんまり対話なさそうだもんね。
…どうします?ご先祖さま。

実家のまわりもいろいろ変わってました。

この当たりは城下町の武家屋敷の縁で足軽さんとかがお百姓しながら暮らしていた集落で、道を挟んでところどころ広めの家々が整然とあり、その向こうに農作地が広がっている典型的な田舎町ですが…、ご多分に漏れずその家を継ぐ人がいなくなっているようで、シャッター商店街じゃないけれど空き家が増えているんですよね。ちょっと前までは空き家のまま宅地は残ってときどき息子さん達が草刈りにきたり誰かに管理してもらったりしていた感じでしたが、震災以後、そういった家自体も潰されて更地になり、唐突にアパートなんかが立ちはじめていてちょっとビックリ。
老父母を田舎に残して都会に落ち着いた人たちも高齢化して、独居の親が亡くなると実家を維持できなくなり手放しはじめたってことなんでしょうか。他人事ではいられない問題です。

それにしてもこんな田舎でアパート?と思いますが、原発事故の避難地域から相馬に移住してきたり、復興関連の工事の従事者などで、アパートの需要があるのかな…などと想像した次第です。

それから、実家では震災でほぐした石蔵のかわりに、巨大な(←いいすぎ)お米専用の冷蔵庫が導入されていて驚きました。




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