2009年9月15日火曜日

鉄分(Fe)濃縮ツアー その3

荒砥運転所をあとに、メンバーの方々のお待ちかね、長井鉄道の列車撮影会となりました。
荒砥鉄橋の辺りが有名な撮影ポイントのようで(列車の撮影では「撮り鉄」の方々の間では有名な撮影ポイントがいくつもあるらしいのです)、見晴らしのいい最上川の堤防までマイクロバスで移動しました。

堤防に着くやいなや、各自ベストポジションをゲットするため、みなさん身軽に動き回ります。

あの鉄橋から出てくる車両を狙うわけです。

ありゃりゃ、点にしかみえませんが、そんなとこまで、撮影場所を探して移動するメンバー。
とにかく素早い…。
すでに70歳をゆうに超えている長老格のメンバーも、狙いを定めています。
お若い!


仕事のため、途中早退のメンバー。
線路の向こうにタクシーを待たせてありました。分刻みの参加ですね。
お疲れ様でしたー。と、思ったら、まだ諦めてませんでした!!!ど、貪欲です…。

ツアーの最後は、月山酒造資料館に静態保存されている「三山鉄道」の車両を見に行きます。
先日、湯殿山に行く途中で脇を通ったのでしたが、素通りでした。
三山は「出羽三山」のことですね。
出羽三山への参詣客の輸送や、鉱山との物資輸送などを目的に1926年に営業を開始しました(当初は省線左沢線羽前高松駅ー海味駅間8.8Km)。
湯殿山にむかう途中の道に「海味」という標識があり、なんでこんな山の中に海なのか?と思っていたのですが、「海味(かいしゅう)」という駅があったんですね。
寒河江川水流の水力発電による豊富な電力資源を背景に安定した経営で、地域住民や出羽三山参詣客の足として親しまれ、周辺鉱山からの産出資源輸送にも活躍しました。1943年の戦時統合により、(先に訪れた)高畠鉄道、尾花沢鉄道、さらに山形県内陸地域の各バス会社を合併して山形交通と社名変更。同社の三山線となりました。
しかし、相次ぐ鉱山の閉山や、モータリゼーションの進行で経営が悪化、1974年に全線廃止となったのだそうです。


保存されている車両(モハ103)。塗装もきれいで保存状態が良い感じです。
二軸の電車だそうです。乗り心地悪そうだなぁと、走っていた時代にみなさん思いを馳せていました。

ここでも、撮り鉄は果敢です。
三山鉄道の保存車両を撮影して、本日のツアーのメニューは全行程クリア。
月山酒造資料館では、試飲コーナーがあり、みなさんたっぷり味見してお土産の選定にも余念がありませんでした。
お疲れ様でしたー。

そして、帰りの仙山線ですが…。
ツアー自体は山形で解散だったのですが、みんな同じ電車で帰るので、まだ続いているわけです。
で、とりいだされたのが、K谷さん制作の「三山鉄道」のオリジナル車両模型。
これまた色めき立つメンバーの方々…、いくら鉄分を補給しても、しすぎるということは無いようです。

なんともうらやましい限りです。

ということで、鉄分濃縮ツアーのご案内はこれまで!

2 件のコメント:

  1. うらやましい・・・とは一歩引いた発言のような(笑)
    「鉄」として道を着実に歩かれていると思いますので、この状態が徐々にではありますが、あたり前になるかと思います。

    今回は、山形鉄道の大正時代の西大塚駅をチェックできなかったのが悔やまれますね。

    まずはありがとうございました。

    返信削除
  2. >へっちさん
    …着実に…とか、それ悪魔の呪文のように聞こえますよ(苦笑)
    本来、いかがわしくも美しい、人の技から生み出される奥深いものが私の守備範囲のはずなのに、この重くて油くさい分野の混入で、かなり複雑な人格が熟成されつつあります。
    タンニン多過ぎなワインみたいな…(爆)

    うらやましいのは、本当ですよ。
    みなさん、ああいうおじいさんになるんですよ。きっと。

    返信削除