1000年の伝統を誇る相馬野馬追いは、毎年7月23日〜25日開催されます。
今年は3.11の東日本大震災の被害に加え、祭り開催の地域が福島大原発事故の影響で緊急時避難準備区域にあるため、開催自体が危ぶまれていたのですが、神旗争奪戦や甲冑競馬等のメインイベントなども取りやめつつ、規模を大幅に縮小して「開催」すると聞いて、いつものように沿道で行列をお迎えしたいと思い、取るものとりあえず駆けつけた次第。
夕べ夜遅くに虫六子と実家に入って、出陣式を見ようと朝早く出かけました。
3件ばかり屋台がありましたが、お祭りって言う感じとも違っていました。
町中がこの馬糞だらけになりますの、この日ばかりは。
新聞に寄ると、例年500騎を数える参加が今年は83騎だそうです。津波で亡くなった方や犠牲になった馬や、避難を余儀なくされている地域民の方々…。普通に考えて、お祭りができる状況ではないと思うのですが、亡くなられた方の鎮魂を願い、更には相双地方の復興のシンボルとして、「東日本大震災復興 相馬三社野馬追」と称し実施することしたそうです。
肩に役割と名前が書かれた巾を付けますが、今年は「東日本大震災復興 相馬三社野馬追」という小さい巾が加わっていました。
総大将は、相馬家第33代当主和胤(かずたね)氏の長男行胤(みちたね)氏。
弟の陽胤(きよたね)氏も「相馬家」として参列に加わります。
お二人は、震災後すぐに相馬に入ってボランティア活動をしてくれていたそうです。相馬の人たちにとって、とても心強い藩主です。
花火の音に馬が驚いて、ぐるぐるまわり、見ている人たちにも緊張が…。
乗馬が上手な人がやると絵になるね。
総大将が通ると沿道から拍手がわき上がります。
行列は、このまま相馬市の市街地を横断して、そこからびゅーんと鹿島区へ移動。北郷の陣屋で総大将お迎えの儀式をして、宇田郷と北郷が合体して雲雀ヶ原に行き、翌日(24日)は神旗争奪戦など…というのが例年の流れですが、今年はそのメインイベントが出来ないので、鹿島区を行列したあと、今日の内にお上がり行列(本当は24日)をして帰って来るということのようです。
やっぱり行列だけなので、参列する武者もいつもの猛々しさはない感じでしたが、しょうがないですね。1年でも早くこのお祭りが、全員揃って本来の形で執り行われる日がくることを願うばかりです。甲冑競馬みたいです。
本当はお上がり行列もお迎えしたいところでしたが、6時ごろまでに虫六子をS市に届けなければならないので、花火を聞きながら6号線を帰ってきました。お上がり行列は、鎧兜を脱いで陣笠と陣羽織という軽装になります。雨が降ってきたので、ちょっと心配ですが、そんなことも含めてみんな忘れられない今年の野馬追いとなりますね。
24日は原町区の大田神社で「例大祭祭行」が、25日は原町区・多珂神社で「神事・出陣式・あげ野馬神事」が執り行われます。本当は観に行きたいところでしたが、以下↓のようなお知らせもあり、地元の方の迷惑になってはいけないと今年はあきらめました。
「なお、7月24日と25日の行事においては、東京電力福島第一原子力発電所から半径20キロから30キロ圏内の緊急時避難準備区域である神社で実施することから、観覧を勧めるものではありません。状況により制限を設ける場合もありますので、ご了承いただきたいと存じます。(公式HPより)」
関係者のみなさん、頑張ってください。
津波が襲った坂元付近。お米の作付けは見送られ、夏草が水田のあとを覆っていました。
【相馬野馬追関係のニュース】
○福島民友_相馬野馬追開幕 犠牲者鎮魂、復興へ出陣(2011.7.24)
○福島民報_万感、つないだ伝統 仲間の思い胸に 相馬三社野馬追(2011.7.24)
○河北新報_威風堂々 復興への出陣 相馬野馬追が開幕(2011.7.24)
○毎日新聞_相馬野馬追:縮小し開幕 鎮魂の騎馬行列 /福島(2011.7.24)
○朝日新聞_相馬野馬追 千年の歴史に、鎮魂と復興のページ(2011.7.24)
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