何をするわけでもなく、 だらだら過ごしてしまった。
15日夕方遅く着いて、近所のおばちゃんちにお土産(笹かま)を届け、晩ごはんを食べ、迎え火を焚きました。火を焚いたら老犬が興奮して鳴いてました。虫六子が松明の炭で鳴いている犬の名前を書きました。
翌日は、朝は「あまちゃん」と一緒におきて、午前中は風の入る父の部屋で高校野球をBGMに父の独り言を聞きながら読書。
震災のあとからずっと書き取り続けている「マイクロシーベルト」のメモが分厚い札束のようになっていました。最初はテレビに出るのを書き写していたのが、テレビで出なくなった(?)ので、いまは新聞の角に載っているのを書き写しているのだとか。
「止めてもいいんだけど、止めるきっかけがないから続けているんだ…」と言い訳していました。いわき市も南相馬市もそれなりに低いのに、福島市だけは桁違いに高い。
「この辺はなかなか下がんないんだなー。海も地下水から流れ出てってんではどうしようもないな、相馬も試験操業やめたって言ってたな。魚もな…」
昼過ぎにお墓参り。
母が自分の実家のお墓に行きたがったので、虫六子と3人で出かけました。庭に駐めっぱなしだった車が異様に暑い…。うぎゃ。
お線香とお花を多めに買って、まずはY地区にある母方のお墓に。亡くなった親兄弟のお話などをぼそぼそ聞きながら。知らないあいだに(いや、電話などで聞いていました、たぶん…)小さい時にお世話になった親戚の方々がずいぶん鬼籍に入られていました。順繰りに人は亡くなっていく。意外にも、母世代のお年寄りは生きているのに、私世代の息子娘の方が亡くなっているという家もあるようで、順番が狂うのは痛ましい。やっぱり、親を看取らずに先に死ぬのは親不孝かもなーなどと。
……津波の地域では順番もなんもあったもんじゃなかったわけですが。
市内の最近出来た住宅団地やなんかを見ながら、実家のお墓に移動。
(相馬市は震災でいちど人口が減ったのですが、南相馬市や相双地区の人たちが移って来て増えているとか…。同現象は南部のいわき市でも?)
実家では去年、父が自分で新しい墓石を立てまして、この日行ったらすでにさっぱりと草取りもしてあり青々しい榊がぎっしり供えてありました。「黒い石に緑の榊のみ」というのが父の美意識らしいのですが、それではちっと淋しいので、少しばかりのお花をねじ込んできました。お線香をあげて、虫六子が水場を往復してペットボトルで水を運んで、榊の他に墓石にもたっぷり水をかけました。
暑かったので、近くのジャスコにいってソフトクリームを食べ、ついでに買い物をして帰りました。
父が同じ部屋で高校野球を見ていたので、「お墓にお花入れてきたから、腐りそうになるころに始末しといてね」というと、苦笑いしていました。
夕方、空が暗くなって来たので雷が来る前に帰ろうということになり、お米とか野菜とかお中元のお裾分けとか、やまほど持たされて帰途に着きました。
親が荷物積みをしている間に、こっそりご近所のふくちゃん(←猫です)に会いにいってた虫六子。2年半ぶりに会えた〜と喜んで帰ってきた。
【おまけ】
ジャスコの鮮魚コーナーで見つけた三陸鉄道公式キャラクター「鉄道ダンシ」のポスター。(特に意味なし)
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