秋のお浚い会まで残すところ約1ヶ月。先のシルバーウィーク期間中も遠出もせず、練習を欠かさなかった虫六。なんだか曲が折りたたんで身体の中に入ってきたかなーと調子に乗っていたのですが、ここ2日ばかり出張で上京したら練習脳になっていたはずが緊張の糸がほぐれて、また元の黙阿弥…_| ̄|○ 若い時の記憶力が恨めしい。
それはそれとし、今日は今年の春に名取になった姉弟子Oさんのお祝いの会がありました。
そのころ、姉弟子のCさんが大病を患いいろいろ心配したのでしたが、無事に元気になって練習再開となりまして、その快気祝いも兼ねての、嬉しい楽しい会となりました。
お名取かー。そんな日が私にもくるのでしょうか…(遠い目)
今日は、Cさんの小学校(?)の同級生がやられている仙台銀座のお寿司屋さん「鮨 仙一」で、昼から二段重ねちらし寿司をいただきました!
旨しー。鮑も入っておりました。つか、何よりネタがいい!
これに十三湖のシジミ汁とデザートがついて3700円だったかな。サービスで、とろっとろの戻り鰹もいただきました。(念のため、グルメブログではありません)
ずっと喋りぱなしで1時間を過ごし、カフェに移動してお茶しながら、今後の自主連について課題を出されて、散会となりました。
帰りに、演奏会用の帯を「作り帯」に出してきました。(これも自分に負けた気がするのですが、それでなくても緊張でいっぱいいっぱいの朝に帯がうまく締められずにパニックになるのを回避するという意味で、きっと正解だと思いまして…)ふう。
あ、今日は中秋の名月ですね。明るい夜です。
【予告】
このところサボり気味でしたが、溜まった日記をさかのぼって書き留めて行きますです。
歌舞伎などのお芝居や邦楽、さらに大道芸、雑芸などなど、身体と視覚と聴覚が一体となった日本の伝統藝能が面白いなぁと、みちのくS市からウォッチングしております。 (近頃は体調不良のため夜更かし禁止令が出て、更新がままなりませんが、Twitterでは短めに黒い羽根伸ばし(観劇)ネタなども…)
2015年9月27日日曜日
2015年9月8日火曜日
【訃報】紙芝居師・梅田佳声さんに心よりありがとうを
東京の紙芝居師・梅田佳声さんが、8月27日にご逝去されたとのお知らせをいただきました。87才だったそうです。
以下は、私的な回想です。
思い出すのは、2003年11月10日の仙台駅近くの今は亡き喫茶店「goodman」で梅田さんと過ごした時のこと。
その前日、8-9日に私たちが主催した“長編紙芝居『猫三味線』”という3時間におよぶ紙芝居公演を、2ステージ、大熱演で出演していただいての翌日のことで、お帰りになる新幹線が来るまでと、コーヒーを飲んで過ごしていただいたのでした。当時、梅田さんは75才。まだまだお元気でしたが、さすがに連日大舞台を踏んでいたので、お疲れだったのでしょう。昨日の余韻に浸りながら口数少なにポツポツと会話をしていたのですが、ふと何かを思い出したように微笑まれ、「しかし、人の人生というのは面白いね。70を過ぎてこんな面白いことが待っていたなんて…」と愉快そうにおっしゃってくださいました。その時、私もそれまでの人生で味わったことのない胸のすく感慨を覚えたことが思い出されます。
二十世紀が終わる頃に「街頭紙芝居」というカオス怪物みたいな手強い大衆文化をテーマに研究をはじめた私は、実演者を求めて梅田さんとの出会いがあり、一からいろいろと教えていただきました。絵があっても実演がなければ、演奏されない楽譜と同じだということを実感したのは、梅田さんの実演に出会ったからでした。当時、仙台市にはもう現役の紙芝居屋さんはいなかったのですが、絵の保存と実演の伝承をセットで“動態保存”していかないと文化は伝えられないという基本的な考えも、梅田さんとの交流の中ではぐくまれていきました。
梅田さんは、飴売りはせず、紙芝居を芸として高めてみたいとおっしゃっており、その芸風は、かつて紙芝居をはじめ大衆演劇や漫才をされていた経験に裏打ちされ、さらに落語や講談、小唄…など芸事に精通された教養があふれ出てくるような紙芝居でした。大衆の中に豊穣な芸事の地盤があればこその紙芝居文化だったんだ、ということを実感させてくれる実演でした。そしてその思いが結集した舞台が『猫三味線』だったのです。
『猫三味線』は梅田さんの長年の持ちネタで、それまで日本橋亭や四ッ谷・石響で長編ライブに挑戦されていました。その演目をなんとか仙台で上演できないかと、市の企画コンペに応募した結果、採択されて、ようやく形にすることができました。仙台では240人定員のホールで、本物の紙芝居舞台の他に、原画を大小のスクリーンに投影し、三味線・箏のプロの生演奏(山本昌子さん)を劇判としてつけました。大写しになった紙芝居絵(ケイ・タジミ画)の臨場感と梅田さんの外連味たっぷりな語り、加えて当意即妙の三味線のからみが絶妙で、サイレント映画のようでもあり、見世物のようでもあり、また舞台と満杯の客席の一体感も昂揚するもので、ステージ・エンターテイメントとして新鮮な衝撃がありました(これが紙芝居の水平線をみる経験となり、私たちが自前で二十一世紀紙芝居『蛇蝎姫と慙愧丸』をゼロから作っていくきっかけにもなったのは、また別なお話です)。
この公演の前後には、数年にわたり10−BOXなどの会場を借りて、もう少し小さい規模のライブを何回かやっていただいたり、また「まちげき」にも出演していただいたこともありました。地元の俳優・小畑次郎さんとの仙台での古い紙芝居の上演活動にもいろいろお導きをいただきました。また、梅田さんを慕う若者たちが街頭紙芝居に手を染めはじめるということもあり、仙台での梅田さんの影響力は非常に大きいものがありました。
もちろん梅田さんは東京を中心に活躍されていたのですが、全国でもひっぱりだこで、その上演の巧さは、いわゆる教育・手作り系の紙芝居の方々からも高く評価されていました。そのような意味で、昔から溝が深かった教育系と街頭系の、二系統の紙芝居の橋渡し役としても、たいへん大きな存在だったといえます。また、玄人の演芸関係者にもファンはいらしたようで、生前には梅田さんのインタビュー本やDVDの発売計画もあったように噂には聞いています。私たちは親しみを込めて気軽に「梅田さん」とお呼びしていましたが、もっともっと畏敬の念をもってお相手させていただくべき方だったのではないかと思います。
しかし、人を選ばず丁寧にお相手してくださる方でしたので、心のこもった手紙で力をもらった経験は、きっと私だけのものではないでしょう。
そんな梅田さんですが、ご本人の芸歴にはブランクがありました。健康を害し、また、家庭を持つために芸人の道をあきらめて堅気の仕事についたと伺っています。その間も好きで寄席に通ったり、講談落語研究会に参加したり、国立劇場の脚本コンテストで入賞したこともあったそうです。定年にさしかかる頃に、上野の下町風俗資料館で紙芝居の展示をみて、ボランティアではじめた実演。喫茶店でのつぶやきは、そんな人生を振り返っての一言だったのではないかと思います。
昔のような商売は成り立たない社会に、紙芝居を復活させるのは容易ではなかったはずです。飴売りをしないかわりに、資料館やお祭りなどのイベントでギャラをもらって上演するというスタイルの確立に努力なさっていたし、絵も上手なので新作の制作にも精力的でした。晩年、体力が落ちていったり、苦しい闘病生活のなかで、絵の保存や後継者のことなど行く末にいろいろ悩むことは多かっただろうし、胸の内で闘っていることも少なからずあったのではないかと思うと、何のお役にも立てなかった自分の無力が残念です。今年7月7日の七夕の日に、子どもの文化研究所の「紙芝居3賞」の授賞式に病を押してご出席された梅田さんにお会いできたのが、今生の別れとなりました。最後に拝見した紙芝居は、『恩讐の彼方に』でした。
軽妙洒脱な江戸前の語り口、自分で突っ込みを入れながら突いて出る替え唄、あの明るい舞台をもうみられなくなったのは、本当に寂しい。まさに名人芸でした。
弟子は取らない主義だったとはいうけれど、梅田さんを慕い、紙芝居を続けている後継者たちは頑張っています。せめてその紙芝居師の皆さんのことを、梅田さんにかわって応援していきたいと思います。
心から、心からご冥福をお祈りします。
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| 2015年2月4日 八王子市の公園にて |
思い出すのは、2003年11月10日の仙台駅近くの今は亡き喫茶店「goodman」で梅田さんと過ごした時のこと。
その前日、8-9日に私たちが主催した“長編紙芝居『猫三味線』”という3時間におよぶ紙芝居公演を、2ステージ、大熱演で出演していただいての翌日のことで、お帰りになる新幹線が来るまでと、コーヒーを飲んで過ごしていただいたのでした。当時、梅田さんは75才。まだまだお元気でしたが、さすがに連日大舞台を踏んでいたので、お疲れだったのでしょう。昨日の余韻に浸りながら口数少なにポツポツと会話をしていたのですが、ふと何かを思い出したように微笑まれ、「しかし、人の人生というのは面白いね。70を過ぎてこんな面白いことが待っていたなんて…」と愉快そうにおっしゃってくださいました。その時、私もそれまでの人生で味わったことのない胸のすく感慨を覚えたことが思い出されます。
二十世紀が終わる頃に「街頭紙芝居」というカオス怪物みたいな手強い大衆文化をテーマに研究をはじめた私は、実演者を求めて梅田さんとの出会いがあり、一からいろいろと教えていただきました。絵があっても実演がなければ、演奏されない楽譜と同じだということを実感したのは、梅田さんの実演に出会ったからでした。当時、仙台市にはもう現役の紙芝居屋さんはいなかったのですが、絵の保存と実演の伝承をセットで“動態保存”していかないと文化は伝えられないという基本的な考えも、梅田さんとの交流の中ではぐくまれていきました。
梅田さんは、飴売りはせず、紙芝居を芸として高めてみたいとおっしゃっており、その芸風は、かつて紙芝居をはじめ大衆演劇や漫才をされていた経験に裏打ちされ、さらに落語や講談、小唄…など芸事に精通された教養があふれ出てくるような紙芝居でした。大衆の中に豊穣な芸事の地盤があればこその紙芝居文化だったんだ、ということを実感させてくれる実演でした。そしてその思いが結集した舞台が『猫三味線』だったのです。
『猫三味線』は梅田さんの長年の持ちネタで、それまで日本橋亭や四ッ谷・石響で長編ライブに挑戦されていました。その演目をなんとか仙台で上演できないかと、市の企画コンペに応募した結果、採択されて、ようやく形にすることができました。仙台では240人定員のホールで、本物の紙芝居舞台の他に、原画を大小のスクリーンに投影し、三味線・箏のプロの生演奏(山本昌子さん)を劇判としてつけました。大写しになった紙芝居絵(ケイ・タジミ画)の臨場感と梅田さんの外連味たっぷりな語り、加えて当意即妙の三味線のからみが絶妙で、サイレント映画のようでもあり、見世物のようでもあり、また舞台と満杯の客席の一体感も昂揚するもので、ステージ・エンターテイメントとして新鮮な衝撃がありました(これが紙芝居の水平線をみる経験となり、私たちが自前で二十一世紀紙芝居『蛇蝎姫と慙愧丸』をゼロから作っていくきっかけにもなったのは、また別なお話です)。
この公演の前後には、数年にわたり10−BOXなどの会場を借りて、もう少し小さい規模のライブを何回かやっていただいたり、また「まちげき」にも出演していただいたこともありました。地元の俳優・小畑次郎さんとの仙台での古い紙芝居の上演活動にもいろいろお導きをいただきました。また、梅田さんを慕う若者たちが街頭紙芝居に手を染めはじめるということもあり、仙台での梅田さんの影響力は非常に大きいものがありました。
もちろん梅田さんは東京を中心に活躍されていたのですが、全国でもひっぱりだこで、その上演の巧さは、いわゆる教育・手作り系の紙芝居の方々からも高く評価されていました。そのような意味で、昔から溝が深かった教育系と街頭系の、二系統の紙芝居の橋渡し役としても、たいへん大きな存在だったといえます。また、玄人の演芸関係者にもファンはいらしたようで、生前には梅田さんのインタビュー本やDVDの発売計画もあったように噂には聞いています。私たちは親しみを込めて気軽に「梅田さん」とお呼びしていましたが、もっともっと畏敬の念をもってお相手させていただくべき方だったのではないかと思います。
しかし、人を選ばず丁寧にお相手してくださる方でしたので、心のこもった手紙で力をもらった経験は、きっと私だけのものではないでしょう。
そんな梅田さんですが、ご本人の芸歴にはブランクがありました。健康を害し、また、家庭を持つために芸人の道をあきらめて堅気の仕事についたと伺っています。その間も好きで寄席に通ったり、講談落語研究会に参加したり、国立劇場の脚本コンテストで入賞したこともあったそうです。定年にさしかかる頃に、上野の下町風俗資料館で紙芝居の展示をみて、ボランティアではじめた実演。喫茶店でのつぶやきは、そんな人生を振り返っての一言だったのではないかと思います。
昔のような商売は成り立たない社会に、紙芝居を復活させるのは容易ではなかったはずです。飴売りをしないかわりに、資料館やお祭りなどのイベントでギャラをもらって上演するというスタイルの確立に努力なさっていたし、絵も上手なので新作の制作にも精力的でした。晩年、体力が落ちていったり、苦しい闘病生活のなかで、絵の保存や後継者のことなど行く末にいろいろ悩むことは多かっただろうし、胸の内で闘っていることも少なからずあったのではないかと思うと、何のお役にも立てなかった自分の無力が残念です。今年7月7日の七夕の日に、子どもの文化研究所の「紙芝居3賞」の授賞式に病を押してご出席された梅田さんにお会いできたのが、今生の別れとなりました。最後に拝見した紙芝居は、『恩讐の彼方に』でした。
軽妙洒脱な江戸前の語り口、自分で突っ込みを入れながら突いて出る替え唄、あの明るい舞台をもうみられなくなったのは、本当に寂しい。まさに名人芸でした。
弟子は取らない主義だったとはいうけれど、梅田さんを慕い、紙芝居を続けている後継者たちは頑張っています。せめてその紙芝居師の皆さんのことを、梅田さんにかわって応援していきたいと思います。
心から、心からご冥福をお祈りします。
2015年9月2日水曜日
8月に読んだ本
2015年8月の読書メーター
読んだ本の数:7冊
読んだページ数:1550ページ
ナイス数:22ナイス
断片的なものの社会学の感想
失礼ながら著者のことはほぼ知らず、タイトルと表紙の写真に惹かれてのジャケ買いで一気読み。素直にこの本に出会えて幸運だった。自分も呑み込めないものをはき出せずに違和感のまま残したり、いつの間にか何かをあきらめたり折り合いをつけたりということを意識的にも無意識にも重ねて保ってきたんだろうな。乾いた笑いしか返せないことも、言葉で人をキズつけてることもある。時おり木もれ日が射すように色や形を伴って古い記憶が姿を起こすことがある。そんな今・昔、甘・苦入り交じった感傷が何度も訪れた。また何度も読み返すと思う。
読了日:8月31日 著者:岸政彦
坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ (岩波現代文庫)の感想
単行本を買おうと思っていたら文庫本になってた。今年2月に亡くなった三津五郎丈の歌舞伎案内。「歌舞伎のこともっと知りたいけれど、入門書では飽きたらず、教科書みたいな研究書を読みたいわけじゃない」そんな中級者には最適で、かつ、読み応え充分の1冊。「踊りの愉しみ」も面白かったけど、こちらも!!役者の視点から舞台の奥にある世界を垣間見せていただき胸躍る。長谷部浩さんの聞き出し力もあるとは思うけれど、とても読みやすい。知りたかった内容・構成で説明も巧い。三津五郎さんという人はとても明晰な人だったんだと強く感じる。
読了日:8月24日 著者:坂東三津五郎
春山町サーバンツ 4 (ビームコミックス)の感想
広報誌の編集係と思っていたら今度は認可保育園の新設担当…とな。春山町出張所は仕事の可能性がいっぱい。鶴子ちゃんみたいな人がお役人だと町民のみなさんは味方してしまうかもね。muneさん、マスコットクリエーターっていうよりアートプロデューサーですね。本人ふわふわしているのにビジネス展開力凄し。不思議な人だ。個人的には、自転車の補助椅子が好きだったのに、鶴子にちょっと大人ぽいとこみせたくなって自分で自転車に乗ることを覚えたばかりか、ママを補助椅子に乗せて走ってるひろ君がかわゆし。最終巻とは寂しい。かなり。
読了日:8月16日 著者:朝倉世界一
春山町サーバンツ 3 (ビームコミックス)の感想
4巻が出たので再読。
読了日:8月15日 著者:朝倉世界一
Heaven?―ご苦楽レストラン (1) (ビッグコミックス)の感想
お友だちに貰って(!)読みました。無茶苦茶ででまかせばっかしの自由奔放系女性オーナーと冷静だが適正がハテナ?なシェフドランの伊賀君を核に、「つぶし」ジンクスのシェフ、素人ばっかのサービススタッフが集まって、駅から遠いお墓の真ん中にレストランを開業するって話。しかし、佐々木先生の人物設定パターンはいつもといっしょかな?2巻目以降はお友だちが買わないって言ったので読めない予定。
読了日:8月13日 著者:佐々木倫子
花に染む 6 (クイーンズコミックス)の感想
それぞれの心にあるものが閉ざされていて、誰にも感情移入出来ないのが、この作品を読みにくくしているんだなーと、思いながら読み進めました。 雛さん、今回は登場が少なめ。
読了日:8月13日 著者:くらもちふさこ
坂東三津五郎 踊りの愉しみの感想
歌舞伎役者と一口で言ってもいろんな家筋がある。三津五郎丈の場合は、菊五郎劇団で六代目の元で修行した父(八代目)が大和屋に婿養子に入って生まれた九代目。役者でもあるけれど、舞踊・板東流家元としての宿命、修練の生涯があったのだ。早すぎる死は舞踊界の人たちにとっては想像以上に大きな喪失だっただろうと感じた。大和屋の踊りに立ち向かう言葉はまるで遺言だ。もっともっと面白くなっただろうし、その踊りを見たかった。「喜撰」や中村屋との「棒しばり」、まだ目に焼き付いている。芝居だけでなく踊りを愉しむ目を身につけたいな。
読了日:8月12日 著者:坂東三津五郎
読書メーター
読んだ本の数:7冊
読んだページ数:1550ページ
ナイス数:22ナイス
失礼ながら著者のことはほぼ知らず、タイトルと表紙の写真に惹かれてのジャケ買いで一気読み。素直にこの本に出会えて幸運だった。自分も呑み込めないものをはき出せずに違和感のまま残したり、いつの間にか何かをあきらめたり折り合いをつけたりということを意識的にも無意識にも重ねて保ってきたんだろうな。乾いた笑いしか返せないことも、言葉で人をキズつけてることもある。時おり木もれ日が射すように色や形を伴って古い記憶が姿を起こすことがある。そんな今・昔、甘・苦入り交じった感傷が何度も訪れた。また何度も読み返すと思う。
読了日:8月31日 著者:岸政彦
単行本を買おうと思っていたら文庫本になってた。今年2月に亡くなった三津五郎丈の歌舞伎案内。「歌舞伎のこともっと知りたいけれど、入門書では飽きたらず、教科書みたいな研究書を読みたいわけじゃない」そんな中級者には最適で、かつ、読み応え充分の1冊。「踊りの愉しみ」も面白かったけど、こちらも!!役者の視点から舞台の奥にある世界を垣間見せていただき胸躍る。長谷部浩さんの聞き出し力もあるとは思うけれど、とても読みやすい。知りたかった内容・構成で説明も巧い。三津五郎さんという人はとても明晰な人だったんだと強く感じる。
読了日:8月24日 著者:坂東三津五郎
広報誌の編集係と思っていたら今度は認可保育園の新設担当…とな。春山町出張所は仕事の可能性がいっぱい。鶴子ちゃんみたいな人がお役人だと町民のみなさんは味方してしまうかもね。muneさん、マスコットクリエーターっていうよりアートプロデューサーですね。本人ふわふわしているのにビジネス展開力凄し。不思議な人だ。個人的には、自転車の補助椅子が好きだったのに、鶴子にちょっと大人ぽいとこみせたくなって自分で自転車に乗ることを覚えたばかりか、ママを補助椅子に乗せて走ってるひろ君がかわゆし。最終巻とは寂しい。かなり。
読了日:8月16日 著者:朝倉世界一
4巻が出たので再読。
読了日:8月15日 著者:朝倉世界一
お友だちに貰って(!)読みました。無茶苦茶ででまかせばっかしの自由奔放系女性オーナーと冷静だが適正がハテナ?なシェフドランの伊賀君を核に、「つぶし」ジンクスのシェフ、素人ばっかのサービススタッフが集まって、駅から遠いお墓の真ん中にレストランを開業するって話。しかし、佐々木先生の人物設定パターンはいつもといっしょかな?2巻目以降はお友だちが買わないって言ったので読めない予定。
読了日:8月13日 著者:佐々木倫子
それぞれの心にあるものが閉ざされていて、誰にも感情移入出来ないのが、この作品を読みにくくしているんだなーと、思いながら読み進めました。 雛さん、今回は登場が少なめ。
読了日:8月13日 著者:くらもちふさこ
歌舞伎役者と一口で言ってもいろんな家筋がある。三津五郎丈の場合は、菊五郎劇団で六代目の元で修行した父(八代目)が大和屋に婿養子に入って生まれた九代目。役者でもあるけれど、舞踊・板東流家元としての宿命、修練の生涯があったのだ。早すぎる死は舞踊界の人たちにとっては想像以上に大きな喪失だっただろうと感じた。大和屋の踊りに立ち向かう言葉はまるで遺言だ。もっともっと面白くなっただろうし、その踊りを見たかった。「喜撰」や中村屋との「棒しばり」、まだ目に焼き付いている。芝居だけでなく踊りを愉しむ目を身につけたいな。
読了日:8月12日 著者:坂東三津五郎
読書メーター
2015年8月31日月曜日
水上バスと周回バス「めぐりん」で浅草ぶらり
東京二日目。今回、虫六子は大学のお仲間と越後地方へアート労働の合宿に行っちゃいました(3年に1回のやつではないそう)ので、久しぶりにお友だちの銀子さんのところに寄せてもらい、二人でのんびり散歩しつつの休日を過ごしました。
やってきたのは浅草。
それ自体がモニュメントという某ビール会社さんの有名なビルと東京スカイツリーが見いる。桟橋の反対側で何か楽しそうなライブイベントをやっていました。ポール・マッカートニーのカバーとか歌ってんの聞こえてきたよ。
で、今日のお目当ては水上バスです。
最近、人気のようでいろいろなコースがあるみたいなのですが、目的の日に運航便がなかったり予約が必要だったりで、ぶらり感がないので、東京観光汽船の浅草発の定期便に乗ろうということになりました。浅草〜日の出桟橋間を往復しちゃいます!たっぷり80分。片道780円なので、往復で1560円です。
○んこビル(あ、言っちゃった!) を横目に、いざ出発。
隅田川ラインは、浅草〜日の出桟橋の間にかかる12の大橋をくぐって川の両脇にひろがる東京の風景を眺めながら舟に揺られます。それにしても橋って同じ色・形のものが1つもないのね。どうしてこんなにデザイン違うの??と不思議に思うくらいまちまち…。建設された時代時代で流行った(?)工法とか、予算とか、地理条件とか要因はいろいろあるのかも知れませんが、本当に統一感がない。面白いので土木建築を勉強する学生さんは、まず隅田川下りをしてみることをお薦めします。
船中のガイドさんの説明もなかなか勉強になります。
浅草発の便は、アジア系観光客の団体なども乗り込んで、満席。日の出桟橋から乗り継いで、お台場に向かう人なんかもけっこういるみたいです。我らが乗った船は、浜離宮にはとまらない直行便でした。
観光船とも何台か行き違うなか、東京都消防局のボートもやってきました。川の上でお仕事している人ってけっこういるんですね。
浅草あたりはまだ下町感があったのですが、下流の方に向かっていくとどんどん高層ビルが乱立してきます。
ほとんどの橋が鉄筋構造でしたが、勝ちどき橋は時代がかかっておりました。
あちらが、市場が移転する予定の豊洲地区。
…とかガイドさんの案内に任せて愉しんでいたら日の出桟橋に到着。40分、あっと言う間でした。ほとんどのお客さんが下船してしまい、往復組は数人ばかり。日の出桟橋から乗り込むお客さんも少ないので、帰りは最前列に移動してゆったり。
へへへ。誘惑に負けて船内で売っていたビールをいただきました。浅草の地ビールです。
2種類あったけど「吾妻橋ペールエール」をチョイス。意外にスッキリ系の黒ビールで吞みやすく、空きっ腹に吞んだので、舟に酔っているのか酒に酔っているのか分からなくなりました ;;´Д`)ゝ 川風も心地良い。
帰りは乗客が少なかったせいかガイドさんは乗船しておらず、案内は放送でしたが、一度きいたので平気です。先ほどとは反対の川岸をのんびり眺めつつ、帰り足を愉しみました。
浅草にもどり、浅草神社にいったら、なんと猿まわしに会いました。
まだ小さいお猿でしたがお客さんとの距離が近いのでドキドキしました。赤い絨毯が彼にとっての安全領域なんでしょうか。
さらにお向かいにある今戸神社に…。
縁結び祈願の絵馬に取り囲まれた銀杏のご神木。
ちょっと雨が降って来たので、歩くのをやめて「めぐりん」に乗り込んでみました。
「めぐりん」は、台東区内を循環するバスで、「北めぐりん」「南めぐりん」「東西めぐりん」の3系統が走り、年中無休で、各路線15分おきに運行しています。降りない限り100円。今戸神社のところからは「北めぐりん」がまわってきました。自分の足ではけっして行かない路地っぽい道にも入っていくので、ちょっとした観光気分。
ぐるーっと北浅草地区を1周して二天門まできて下車。浅草寺に戻ったらすでに日が暮れて、お寺はライトアップされていました。だんだん日が短くなってきましたね。
やってきたのは浅草。
それ自体がモニュメントという某ビール会社さんの有名なビルと東京スカイツリーが見いる。桟橋の反対側で何か楽しそうなライブイベントをやっていました。ポール・マッカートニーのカバーとか歌ってんの聞こえてきたよ。
で、今日のお目当ては水上バスです。
最近、人気のようでいろいろなコースがあるみたいなのですが、目的の日に運航便がなかったり予約が必要だったりで、ぶらり感がないので、東京観光汽船の浅草発の定期便に乗ろうということになりました。浅草〜日の出桟橋間を往復しちゃいます!たっぷり80分。片道780円なので、往復で1560円です。
○んこビル(あ、言っちゃった!) を横目に、いざ出発。
![]() |
| 駒形橋 |
![]() |
| 蔵前橋 |
![]() |
| 両国橋の手前の鉄道高架橋 |
![]() |
| 新大橋 |
船中のガイドさんの説明もなかなか勉強になります。
浅草発の便は、アジア系観光客の団体なども乗り込んで、満席。日の出桟橋から乗り継いで、お台場に向かう人なんかもけっこういるみたいです。我らが乗った船は、浜離宮にはとまらない直行便でした。
観光船とも何台か行き違うなか、東京都消防局のボートもやってきました。川の上でお仕事している人ってけっこういるんですね。
浅草あたりはまだ下町感があったのですが、下流の方に向かっていくとどんどん高層ビルが乱立してきます。
ほとんどの橋が鉄筋構造でしたが、勝ちどき橋は時代がかかっておりました。
川から眺める築地市場。東京都中央卸売市場は来年度には豊洲に建設される新しい施設に移転する予定だそうです。見納めとなる築地市場…(でも、場外市場は築地に残るらしいですね)
あちらが、市場が移転する予定の豊洲地区。
…とかガイドさんの案内に任せて愉しんでいたら日の出桟橋に到着。40分、あっと言う間でした。ほとんどのお客さんが下船してしまい、往復組は数人ばかり。日の出桟橋から乗り込むお客さんも少ないので、帰りは最前列に移動してゆったり。
へへへ。誘惑に負けて船内で売っていたビールをいただきました。浅草の地ビールです。
2種類あったけど「吾妻橋ペールエール」をチョイス。意外にスッキリ系の黒ビールで吞みやすく、空きっ腹に吞んだので、舟に酔っているのか酒に酔っているのか分からなくなりました ;;´Д`)ゝ 川風も心地良い。
帰りは乗客が少なかったせいかガイドさんは乗船しておらず、案内は放送でしたが、一度きいたので平気です。先ほどとは反対の川岸をのんびり眺めつつ、帰り足を愉しみました。
浅草にもどり、浅草神社にいったら、なんと猿まわしに会いました。
お猿は3才のゆうくん、逆立ちが得意技のようです。がんばれー。
残念ながらお姉さんの名前は分からなかった…。まだ小さいお猿でしたがお客さんとの距離が近いのでドキドキしました。赤い絨毯が彼にとっての安全領域なんでしょうか。
いずれにしても、本当にふえているんだなぁー、猿まわし。
さらにぶらぶら。
今話題の飴細工やさん「アメシン」さんにも立ち寄ってみましたが、細工師の実演は「アメシン・ソラマチ」の方だけのようで、拝見できず残念でした。
せっかくなので、飴かき氷をいただきました。
(わかったこと:飴は氷にのせると固まる)
縁結び祈願の絵馬に取り囲まれた銀杏のご神木。
ちょっと雨が降って来たので、歩くのをやめて「めぐりん」に乗り込んでみました。
「めぐりん」は、台東区内を循環するバスで、「北めぐりん」「南めぐりん」「東西めぐりん」の3系統が走り、年中無休で、各路線15分おきに運行しています。降りない限り100円。今戸神社のところからは「北めぐりん」がまわってきました。自分の足ではけっして行かない路地っぽい道にも入っていくので、ちょっとした観光気分。
ぐるーっと北浅草地区を1周して二天門まできて下車。浅草寺に戻ったらすでに日が暮れて、お寺はライトアップされていました。だんだん日が短くなってきましたね。
最後は、粕漬けと炉端焼きの居酒屋「銀鯱」で晩ごはん。
酒も料理も旨かった—!写真は、肉厚な「どんこ椎茸焼き」。
夏休みの締めに相応しいのんびり楽しい1日でした。
*今度は日本橋から神田川下りをしようと画策中の我らでしたー。
2015年8月30日日曜日
芸の真髄シリーズ第9回「女舞雪月花」で、「於鍋道成寺」に感服
東北で地方暮らしの虫六はお三味線をたしなんではおりますが、地元におりますと一流どころの演奏家の生演奏を聴くチャンスというものがほとんどありません。歌舞伎の地方公演に地方さんが付いていらっしゃればしめたもの!演目によっては長唄じゃなくて、清元とか竹本とかいろいろですし、国宝級の方がいらっしゃるというのも、ほぼ可能性がありません。そんなわけで、足を伸ばして東京まで聴きに行かないと触れるチャンスはないということになり、かつ、仕事の休みを使って…となると自然、上演期間に幅のある歌舞伎公演が中心ということになります。
で、いちど聴きに行ってみたいものだと思っていた演奏会に国立劇場の「芸の真髄シリーズ」がありました。今年は8月22日(土)との情報をキャッチして、(ん、これは夏休みの残りを使えば行けるんでね?)と一念発起、チケ取りに参戦してみたところ、なんと最前列の席がゲットできました。しかも地方さんポジションの真ん前。やったー!
芸の真髄シリーズ第9回「女舞雪月花」
平成27年8月22日
国立劇場大劇場
"月"
一、長唄「島の千歳」 藤間 勢三
唄:芳 村 伊四絽
三味線:今 藤 珠 美
小 鼓:望 月 晴 美
"雪"
二、長唄「鷺 娘」 吾妻 徳穂
唄:杵 屋 直 吉
三味線:稀音家 祐 介
囃 子:藤 舎 呂 船
笛: 藤 舎 名 生
"花" (道成寺三趣)
三、「豊後道成寺」 藤間 洋子
浄瑠璃:清 元 美寿太夫
三味線:清 元 榮三(人間国宝)
筝:米 川 敏子
四、長唄「於鍋道成寺」尾上 菊見
唄:今 藤 美 知
三味線:今 藤 政太郎(人間国宝)
囃 子:藤 舎 呂 船
笛:藤 舎 名 生
五、長唄「傾城道成寺」花柳 寿美
唄:杵 屋 東 成
三味線:杵 屋 勝 禄
囃 子:堅 田 喜三久(人間国宝)
笛:中 川 善 雄
で、いちど聴きに行ってみたいものだと思っていた演奏会に国立劇場の「芸の真髄シリーズ」がありました。今年は8月22日(土)との情報をキャッチして、(ん、これは夏休みの残りを使えば行けるんでね?)と一念発起、チケ取りに参戦してみたところ、なんと最前列の席がゲットできました。しかも地方さんポジションの真ん前。やったー!
芸の真髄シリーズ第9回「女舞雪月花」
平成27年8月22日
国立劇場大劇場
"月"
一、長唄「島の千歳」 藤間 勢三
唄:芳 村 伊四絽
三味線:今 藤 珠 美
小 鼓:望 月 晴 美
"雪"
二、長唄「鷺 娘」 吾妻 徳穂
唄:杵 屋 直 吉
三味線:稀音家 祐 介
囃 子:藤 舎 呂 船
笛: 藤 舎 名 生
"花" (道成寺三趣)
三、「豊後道成寺」 藤間 洋子
浄瑠璃:清 元 美寿太夫
三味線:清 元 榮三(人間国宝)
筝:米 川 敏子
四、長唄「於鍋道成寺」尾上 菊見
唄:今 藤 美 知
三味線:今 藤 政太郎(人間国宝)
囃 子:藤 舎 呂 船
笛:藤 舎 名 生
五、長唄「傾城道成寺」花柳 寿美
唄:杵 屋 東 成
三味線:杵 屋 勝 禄
囃 子:堅 田 喜三久(人間国宝)
笛:中 川 善 雄
現在、日本で最高峰の女流舞踊家が一堂に介し、その芸を披露するという贅沢な番組。しかし、いちばん前で踊りの方は尻目がちに演奏家の手元ばかりを見ていた虫六はちょっと不遜な客だったかな。っていうか、もったいないですよね。
しかし、小鼓一調だけの「島の千歳」も珍しくカッコ良かったし、直吉・祐介の「鷺娘」も聴き応えありました。「鷺娘」の曲弾きで思わず拍手しそうになったのですが、舞踊の場合はこれやっちゃいけないのでしょうか、ぱらっとも来ないので、うっと思いまして手を動かさずに心で拍手…歌舞伎座だったらわーっと盛り上がったでしょうけど、ずいぶん雰囲気違うんですねー。そして、道明寺もの三趣では人間国宝三連打!珍しい清元バージョンの「豊後道明寺」東成・勝禄兄弟の「傾城道明寺」もたっぷり聞けました。
しかし、今回、こんな不遜な虫六の視線を舞台に釘付けにした踊りは、尾上菊見師匠の「於鍋道成寺」であります!
ちなみに「道明寺もの」というのは、安珍清姫伝説(恋慕う僧の安珍を追いかけて執念のあまり大蛇に化身した清姫が、安珍の隠れる道成寺の鐘に巻きついて焼き殺した)を題材にした歌舞伎舞踊で、元禄年間から上演されているそうです。集大成と言われ有名なのが『京鹿子娘道成寺』でこれは宝暦3年(1753年)中村座で初代中村富十郎が初演し人気演目となりました。いまも女形がここ一番でかける演目です。
後年、この「道明寺」をベースにして、目新しさや役者の芸風を生かしてさまざまな趣向を盛りこんだヴァリエーションが作られていくようになり、『奴道成寺』(立役が踊る)、『男女道成寺』(女方と立役二人で踊る)、『二人道成寺』(人気、実力の拮抗した女形が二人で踊る)などの、いまも人気の演目が生まれたそうです。(*参考・HP歌舞伎美人)
そんな「道明寺もの」のちょっと珍しい3題をセレクトした乙な番組で、なかでも「於鍋道成寺」は珍しいと目を丸くしました。
なんていうか、「道明寺」のパロディなんですよ。この最高峰の舞踊家が揃う舞台で!
〽蕪のほかには小松菜ばかり 〵〳 暮れそめて鍋や煮立つらん
〽鍋に恨みは数々ござる 初夜の鍋を煮るときは 諸行ひもじいと響くなり
後夜の鍋を煮るときは 絶命絶食と響くなり
とか…。
白拍子の花子ではなく、佐渡から上京してきた奉公娘が台所仕事しながら、ちょっと仕事をさぼってみたり、故郷を思い出してみたりしながら、チャーミングに踊るのです。
本当にかわいい。そして随所に、あぁ、これ娘道成寺だ…と見覚えのある身体の動きや節回しが妙に利いているし、洒落も利いているしで、楽しいのなんの。で、最後は道明寺の大鐘じゃなくて、大鍋が落ちるという…。
ろくに踊りのことは知りませんが…これが日本文化の本領だ!と思いました。
この作品は、なんでもあの郡司正勝先生が、尾上菊見師匠のために作詞なされたという作品とのこと。芸歴60年という菊見師匠が大事にされ再演を重ねてきた作品で、今回「一世一代」の踊りおさめのおつもりだったそうです。もったいない。
菊見師匠以外では、十八代目・中村勘三郎丈が演じているそうです。中村屋の「於鍋道成寺」…それは面白かったに違いない!!(見たかったようぅ)
こうなると、やっぱり勘九郎か七之助が、芸を引き継いで、平成中村座(あるいは錦秋歌舞伎あたり)で踊ってくれないかなーと、妄想が膨らんじゃいますね。
この組み合わせは絶対に絶対に(2回言うけど)面白い(!!)と思います。
ちなみに会場の後方にはNHKの大型カメラが数台構えておりましたので、そのうちテレビで放送があると思います。興味を持たれた方は、どうぞご覧ください。
*おまけ
せっかく東京まできましたので、朝早くに出て来まして、歌舞伎座の幕見に並んで…
八月納涼歌舞伎の第Ⅰ部も見ちゃいました。
【第Ⅰ部】
一、おちくぼ物語(おちくぼものがたり)
おちくぼの君 七之助
左近少将 隼 人
帯刀 巳之助
阿漕 新 悟
十世坂東三津五郎に捧ぐ
二、棒しばり(ぼうしばり)
次郎冠者 勘九郎
太郎冠者 巳之助
曽根松兵衛 彌十郎
いやー、やっぱり歌舞伎舞踊は面白いですー。
勘九郎と巳之助の「棒しばり」も回を重ねて欲しい。
巳之助さんの嫌みのない明るさにとても好感!がんばれ!
2015年8月17日月曜日
盆帰り
盆休みになって、慌ただしく虫六子が帰省。いろいろ予定がいっぱいみたいなので、取りいそぎ日帰りでお墓参りに相馬に帰りました。常磐道が開通して、1時間くらいで着いちゃいました。はやっ。JRさんの常磐線の再開通が待ち遠しいですが、この便利さは…脅威かも。
また歳はとってしまったけれど、あんまりお変わりもなくやってそうな両親の顔を見て、お墓参りして、晩ごはんだけ食べて帰ってきました。
変わったことといえば、甥っ子がいつの間にか結婚してました。入籍の噂は聞いていましたが、二人だけでハワイで結婚式をあげてきたとのことで、幸せそうにもりあがっている若い二人の小さなアルバムを見せてもらいました。
ありゃまー、おばちゃんとしても「おめでとう」を言うタイミング与えられず、ちょっと寂しいぞよ…などと本音まじりに軽口を叩いてみたら、…なんとなーく燻っている感じの兄夫婦。若いもんに気を使ってダメ出し出来なかった雰囲気ですが、結果はどうでも違和感は表現した方がいいような…。そのボタンの掛け違いは後々距離が縮まることはないような気がするぞーと思いつつ、果たして日本の家族はこうしてこの70年間どんどん世代間の距離を広げていったんでしょうか?などと考えてしまいました。
つまり対話を避けてきたってことなのか…な。
とかいうけど、父と兄もあんまり対話なさそうだもんね。
…どうします?ご先祖さま。
実家のまわりもいろいろ変わってました。
この当たりは城下町の武家屋敷の縁で足軽さんとかがお百姓しながら暮らしていた集落で、道を挟んでところどころ広めの家々が整然とあり、その向こうに農作地が広がっている典型的な田舎町ですが…、ご多分に漏れずその家を継ぐ人がいなくなっているようで、シャッター商店街じゃないけれど空き家が増えているんですよね。ちょっと前までは空き家のまま宅地は残ってときどき息子さん達が草刈りにきたり誰かに管理してもらったりしていた感じでしたが、震災以後、そういった家自体も潰されて更地になり、唐突にアパートなんかが立ちはじめていてちょっとビックリ。
老父母を田舎に残して都会に落ち着いた人たちも高齢化して、独居の親が亡くなると実家を維持できなくなり手放しはじめたってことなんでしょうか。他人事ではいられない問題です。
それにしてもこんな田舎でアパート?と思いますが、原発事故の避難地域から相馬に移住してきたり、復興関連の工事の従事者などで、アパートの需要があるのかな…などと想像した次第です。
それから、実家では震災でほぐした石蔵のかわりに、巨大な(←いいすぎ)お米専用の冷蔵庫が導入されていて驚きました。
また歳はとってしまったけれど、あんまりお変わりもなくやってそうな両親の顔を見て、お墓参りして、晩ごはんだけ食べて帰ってきました。
変わったことといえば、甥っ子がいつの間にか結婚してました。入籍の噂は聞いていましたが、二人だけでハワイで結婚式をあげてきたとのことで、幸せそうにもりあがっている若い二人の小さなアルバムを見せてもらいました。
ありゃまー、おばちゃんとしても「おめでとう」を言うタイミング与えられず、ちょっと寂しいぞよ…などと本音まじりに軽口を叩いてみたら、…なんとなーく燻っている感じの兄夫婦。若いもんに気を使ってダメ出し出来なかった雰囲気ですが、結果はどうでも違和感は表現した方がいいような…。そのボタンの掛け違いは後々距離が縮まることはないような気がするぞーと思いつつ、果たして日本の家族はこうしてこの70年間どんどん世代間の距離を広げていったんでしょうか?などと考えてしまいました。
つまり対話を避けてきたってことなのか…な。
とかいうけど、父と兄もあんまり対話なさそうだもんね。
…どうします?ご先祖さま。
実家のまわりもいろいろ変わってました。
この当たりは城下町の武家屋敷の縁で足軽さんとかがお百姓しながら暮らしていた集落で、道を挟んでところどころ広めの家々が整然とあり、その向こうに農作地が広がっている典型的な田舎町ですが…、ご多分に漏れずその家を継ぐ人がいなくなっているようで、シャッター商店街じゃないけれど空き家が増えているんですよね。ちょっと前までは空き家のまま宅地は残ってときどき息子さん達が草刈りにきたり誰かに管理してもらったりしていた感じでしたが、震災以後、そういった家自体も潰されて更地になり、唐突にアパートなんかが立ちはじめていてちょっとビックリ。
老父母を田舎に残して都会に落ち着いた人たちも高齢化して、独居の親が亡くなると実家を維持できなくなり手放しはじめたってことなんでしょうか。他人事ではいられない問題です。
それにしてもこんな田舎でアパート?と思いますが、原発事故の避難地域から相馬に移住してきたり、復興関連の工事の従事者などで、アパートの需要があるのかな…などと想像した次第です。
それから、実家では震災でほぐした石蔵のかわりに、巨大な(←いいすぎ)お米専用の冷蔵庫が導入されていて驚きました。
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