2009年12月16日水曜日

『みやぎ工芸美術の歩み』

虫六はこの夏から秋にかけて、とある本作りのお手伝いをしました。

『みやぎ工芸美術の歩み』と言うタイトルの自費出版の書籍です。

この本は、S市在住の陶芸家・高倉健先生が、こつこつと1年を掛けて古い新聞記事や展覧会のカタログやパンフレットなどを紐解き、時に作家に取材をして、宮城県の工芸美術の歴史をまとめたものです。昨年、先生は地元の新聞社が主催する文化賞を受賞されたのですが、その副賞として賞金をいただくことになり、それを地域の工芸美術のために還元できないかと今回の出版を思いつかれたそうです。

内容は、昭和初年のころ市内にあった国立の施設・工芸指導所(指導者としてブルーノ・タウト氏が赴任した)の理念を産業工芸だけでなく、工芸美術の嚆矢でもあったと位置づけて、その後、県内で開催された工芸美術の展覧会をたどりながら、それを展開した研究会活動やサークルを取り上げた第一章。さらに、地元での発表にとどまらず中央展での入賞などを果たした作家たちを紹介した第二章。そして、河北工芸展や新翔工芸会展、みやぎ秀作美術展など平成以降に宮城県で開催された歴史の新しい展覧会や、海外交流展や他ジャンルとのコラボレーションなど、最近の美術工芸の取り組みを綴った第三章…という構成になっています。先生の独善的な芸術論というような記載は一切無く、個人的な回想でもなく、淡々と客観的な事実を列記するような内容であることが特徴的です。

実は、第二章あたりから先生自身が当事者ですから、ご本人としては書きにくいこともあっただろうと思いますし、それでこのような書き方になったのだろうと想像もするのですが、全体を読み渡してみると、鄙の都・S市で芸術家としての道を選んでしまった作家たちの困難や格闘、矜恃というべきものが、先生の価値観として、この本の行間に浮き出てもいるのです。

虫六がまだ青二才の美術専攻の学生だった頃、自分たちよりも一回り上の世代の先輩たちが中央展に入選することに血道を上げているのを斜にみて、否定しきって、個展を重視する風潮などもあったかに思うのですが、そういうことすらもすでに歴史の中に収まっていくんだなぁと、原稿を読みながら考えたりしました。もっとも、いわゆる美術と工芸では、作家としての有り様はだいぶ違うようなのですが。

しかし、このような地道で、かつ、とても基本的な仕事というのは、一人の作家が自腹を切って果たして行かなければならないことなのだろうか?と、虫六は素朴な疑問を持つのです。

工芸と云う分野について知識もあり、客観的な立場にいる研究者が、S市にも少なからずいるわけで、そういう方々が自分の所属する機関の報告書や紀要などにまとめていっても罰はあたらないんじゃないのかな?と。


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