今日は家人Tが仕事でY形県に行かなければならない。バスが一応通るようになったが、今日の内にちゃんと帰って来れるか心配だ。天気は昨日より暖かだけど、雪は積もっている。
8:00過ぎに激込みのバスでBパン店に向かう。パンを焼いて売るというので虫六子と並ぶことにする。すでに40人、開店は9:30。パンがあると米を食べなくて済む。少し早めに開店となり、比較的回転良くすすむ。1人2つまでというので、虫六子にも袋を持たせる。虫六子が保育園時代によく通ったパン店で、本当は1世帯2つまでだったみたいだったが、おばちゃんが「特別だよ!」と笑いながら2人分売ってくれた。ありがとう!帰宅して、半分はガスパ家に、もう半分は冷凍した。
まずは、相馬の家族が来ても居る場所があるように、急いで部屋に空間を作らねばならない。
虫六子の部屋を潰して物置にすることにした。
一度くくった本の束を足の高さに揃えて、奥から入れていった。意外に詰め込めることが判明。
和室に空間ができた、とりあえず迎え入れられる…。
原発はどうなっている?
ガソリンが入手できないせいもあるのだろうか。実家からは連絡なし。
山口のMさんからお見舞いの電話あり。歌手のTさんの石巻のお母さんが津波にのまれたとのこと。そういう話をこれから沢山聞くことになると思う。石巻のN先生の消息がまだ分からない。
虫六子の中学校から連絡がある。卒業式は23日になる。公立高校の合否発表も23日。
本当はいまごろ高校も決まって、入学準備をしていたはずだった。
携帯電話を買ってもらえると心待ちにしていたのに、片付けやスーパーの買い出しに駆りだされている。親や家を無くした沿岸部の子供たちのことを思えば気の毒さの次元は全然違うけれど、これまでの受験の頑張りや、入学式はあるのかな?というようなことを考えると、やっぱり可哀想だと思う。ちょっと厳しくあたってしまう自分にちょっと反省。
6:00過ぎにTが帰ってきた。
山形はまだ少しものが入手しやすいとのことで、デイパックに5キロの米を2つ入れ、野菜も持って帰ってきた。話に聞く「戦後の買い出し」みたいだと思った。
ガスパパが自転車で走り回ってIHクッキングヒーターと電気湯沸かしポットを買ってきた。
この地域のライフラインは水道と電気のみ。ガスは1か月以上復旧のめどが立っていないので、ボンベが品不足のカセットコンロに頼る生活には限界がある。
いずれ、両親がくればガスパ家は出なければならないので、わが家でも1台ゲットしたいところだが、東京方面からは荷物を届けてもらえないし、物不足が聞こえてくるので、秋田の姉に探して貰うことにする。
Bのバゲッド、ミネストローネスープ、サラダ
1日中NHKをかけながら作業したのだが、同じニュースばかりだ。原発が本当はどうなっているのか心配だ。Tがメールで武田邦彦氏のHPアドレスを送ってきた。政府もNHKも本当のことを報道しているのかわからない。
地震や津波の被害も甚大だけど、福島県がさらされている原発汚染の方も不安で怖い。
親兄弟に回避してもらうことはもちろんで、出来る限りのことをするけれど、もし、あの土地が汚染されたら相馬地方の人たちは立ち直れるのだろうか。温暖で、海も山も豊かな土地なのに。相馬野馬追いには町中の人たちが沿道にでて行列を見送った、あの平和な町が、どうしてこんな酷い目にあわなければならないのか?
なんとか、原発の被害を最小限に食い止めて欲しい。願うのはそのことばかりだ。
ネットをつないだら、15日に行こうと思っていた国立劇場の3月歌舞伎が中止になっていた。そういえば、震災2日目に予約していた「えきねっと」からチケットを取りにこないと自動請求するぞというメールが来ていた。新幹線も走っていないのに。
東京でも揺れが続いていて、ヒステリックな買い占めがあったりしているらしい。終末感が日本全体を覆って来ているのかな。
S市の私たちも被災者ではあるけれど、壊滅的な打撃は受けていないし、家族も元気だ。決して被災弱者ではない。こちらの生活を一刻も早く立て直して、彼らを受け入れ支えなければいけない。何か役に立ちたい。
だから、東京の方々、冷静になってください。
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