2011年4月1日金曜日

相馬で聞いたこと

これは、3月30日現在、噂噺として相馬市民に聞いたことです。少し不正確な部分もあるかもしれません。

○相馬市海浜の磯部地区では地盤沈下のため津波の水が引かずに沼のように残っているところがあって、堰を切ると水は流れるけど、遺体も流れてしまうからと自衛隊が連日水をポンプでくみ上げているが、なかなか水が引かず難航しているということ。
(そのほか、津波被害の猛威についてもいろいろ聞いたのですが、これは見たわけでないのでイメージが膨らみ過ぎるかもしれないので記載を控えます。)

○この数日でやっとスーパーが開くようになった。震災直後、地元のスーパー「キクチ」が支店の営業が無理と判断し、それぞれの店の在庫を本店に集めて市民に販売した。その後、南相馬市や鹿島町など、物資が届かない地域へシャトルバスを日に何度か往復させて、買い出しができるように計らった。

○福島原発の30キロ圏内は、住民がほとんど避難してしまったので、遺体確認も瓦礫の撤去も全く手つかずということ。発表されている各県の「死者・行方不明者」などの人数も、福島県に関してはそんな事情から実態が計れていない。実際にはもっと凄い数字になるはずだ。しかし、時間もかなり経っているので、身元確認は相当大変だろう。

○相馬市(福島原発の45キロ圏内)で、瓦礫撤去のために重機をレンタルしようと思ったら、重機が放射能で汚染されると使えなくなるから貸せないと断られたケースがある。

○相馬市では屋根が壊れた家屋が多い。瓦修理を頼んだら、2年後になると言われた。

○灯油は入手出来るようになってきたが、ガソリン不足のため配達はしてもらえない。自分でお店まで買いに来てくれと言われる。つまりお年寄りは買えない。

○子供たちの学校の問題は深刻だ。特に受験を控えた高校生などは、授業再開の見通しがない中で、転校も含めて見当しなければならない。生徒自身も親も悩んでいる。

○(聞いたのは70代男性)原発については決して楽観視していないが、いまのところ自分たちの土地を捨ててまで逃げたいとは考えていない。だが、普段しっかりした人だと思っていたような人がまだ退避命令も出ていないのにあっさり自分の土地を逃げ出したりして、意外なこともある…と。(とはいえ、原発に関しては希望的な見通しを期待していた。フクシマの人たちにすれば、それは当然だと思う)
*20キロ圏内で退避命令が出ている人たちや30キロ圏内の南相馬市の人たちが一旦待避した避難所から地元に戻っているという報道があった。ツイッターでは、「なんで?」とか「自己責任」とかいうコメントが重なっていたけれど、その土地で人生を真っ当してきた人たちにとっては、「何を今更」という気持ちが勝っているということも理解できるような気がする。

以上は相馬市で聞いた話ですが、待避命令が出ている、田村市、南相馬市、楢葉町、広野町、川内村、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村、飯館村、富岡町、いわき市の現状はもっと深刻なはず。
情報に注視して行きたいです。

【緊急回覧】
南相馬市長が緊急メッセージをユーチューブにアップしたようです。
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