2011年4月17日日曜日

職場でも片付け、家でも片付け

先週の職場は資料室の一時引っ越し作業。
力持ち君らが石巻方面のボランティアで出払っていてお願いも出来ないので、女子学生1人に手伝って貰いながらの重労働。部屋を片付けて冷静に観察すると、がっちり耐震処置したはずのスチールの資料棚(2連×3列)が指3本分壁から浮いて、かつ、揃って5度くらい曲がって(歪んで)いました…。こえ〜。
しかし、この資料が移動してあるタイミングで直さねば!と、思うものの、200キロもの家具を女子ふたりでどうやって動かせっていうかな?と困りはてていると、いつも遊びにやってくるKさん(鉄道ファン歴70年、元敏腕スチール家具営業マン)が偶然に顔をだしまして!角材とかマンパワーとかで、なんとか歪みを直してくれました!
力じゃないのね、コツなのね。

で、それからせっせと資料整理しながら、片付け片付け…。鉄の塊とか古い雑誌とかばかりで、腰にきます。
そんでもってやっと週末だ〜!と、思ったら、家の中もまだまだ片付いていませんでしたね。7日深夜の余震でもう一回倒壊したもので。毎日毎日、片付けばっかりで、いい加減イヤになるよ〜。
う〜、床の見える部屋に住みたい…。

で、土曜日は群馬のIさんが震災見舞いにやってくるということで待っていたのですが、思うように旅路が進まなかったらしく、約束の時間にまだいわき市と。夜まで待ったけど結局遅くにS市到着ということで、翌日の日曜日に会うことに。

朝、大学病院の近くへ呼び出されて、Iさんに会いました。
病院の近くの桜、満開でした。
人間界の事情とはカンケーなく、自然界は巡っております。

お見舞いついでの相談事は関東の紙芝居関係者が、被災地に慰問に来たがっているがどうすればいいかということでした。
実はこちらの仲間内でも被災の影響が深くて「紙芝居をやりたい、やってみせたい」という気持ちを一つに出来なかったこともあり、(実際、やりたい気持ちがあってもやれない状況の人もいて)私自身にも今被災地に慰問イベントのように持ち込むことに抵抗があることを正直にいいました。
被災地は複数の県に跨がっている上に、避難所も大小いろいろあるようです。県を超えて遠方避難している集落もあります。
実際に足を運んだわけではないけれど、被災地の人たちは自分たちの自助関係で支え合っているようなので、それぞれの避難所に紙芝居の絵を送ってあげる形の方が喜ばれるかも…と、確信あるわけでもなく話をしました。ただ、支援物資は被災地によって偏って届けられているという情報もあるので、ルートは検討する必要があると。

S市の人はともかく、いまだ避難所に居られる方々は、いつ自宅に戻れるのか、住む家を手に入れられるのか、仕事を続けられるのか、町に戻れるのか、そのことがまず大事だと思うのです。健康の不安もあるでしょう。そういうことに見通しがない状況では心から「楽しむ」なんてことできるんだろうか?とネガティヴに考えてしまい、調子の良い返事が出来なかったのでした。状況は段階的に変わっているし、今日はダメでも、5月には変わっているかもしれないし、6月になればまた変わっているかも知れないけれど…。
ということで、結論を持ち帰っていただきました。

またまた、どっぷり無力感…。
バリバリやる気になれなくて、済まないのう。


帰宅したら、絵本の横田やさんが中心になって、被災地の子供たちに絵本や文房具を贈る運動「こどもとあゆむネットワーク」を始めたというので、家人Tが絵本をまとめようとしていました。
それで、受け皿になっている10-BOXにソッコー電話。Yさんに、紙芝居も受け取ってもらえるか?と聞いたら、「それ欲しかったの」と。(鋭いタイミングです)
で、折り返しIさんに連絡し、それも検討していただくことになりました。

ウチで供出する絵本を持って、とりあえず10-BOXに行くことに。

その前に腹ごしらえ…、久方ぶりに「招月」へ

「素揚げなすそば」。
この辺りは先週やっとガスが通って、金曜日にやっと営業再開したそうです。
まだ限定メニューでしたが、やってて良かった!嬉しい。

絵本と、東京の梅田さんから届いたあられせんべい(段ボール入り)を差し入れに持って、10-BOXにつきました。体育館が絵本の仕分け場と化していました。全国から届いた絵本が山ほどあったそうですが、今朝、奥松島へトラックで運んだ後ということでした。お留守番のスタッフ嬢。ご苦労様です!

帰りにオランジュリーに寄り、震災の3日目から夢にまで出るほど食べたかった「シュークリーム」をゲット。これが食べたかったよ〜。

そのあと気合いを入れ直して片付けのつづき。
あ〜、明日も職場に行ったら片付けです。きー (`◇´*)

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