作業員の健康管理を担当している産業医師の先生が写真を公開したのです。医師の先生は熾烈な環境下で作業にあたりながら、食事らしい食事も与えられず、仮眠も十分にとれない状況で作業員の疲労が極限に達している、緊張が強いられる現場で重大なヒューマンエラーを出さないためにも、彼らの疲れをほぐしてやることが必要で、せめてお風呂を…と訴えていました。
復旧作業の現場については、ネットでは少し情報が流れていましたが、昨日の夜にもニュースで流れたらしいので、いよいよこの決死の現場についても報道が入り出したということでしょうか。
今日の現代ビジネス(ネットニュース)でも「経済の死角・福島第一原発の現場はもはや限界に近い_再び迫る危機」として、福島第一原発の現場の危機的な状況を報じています。
とにかくも、事態が「再臨界」「水素爆発」という最悪のシナリオに進まぬように、周辺地域においても、現場に当たっている作業員の方々にも可能な限り被害の少ない収束を願うばかりです。
さて、私が気になってしまったのは、その次のニュースです。
(なにしろ出かける前のバタバタした状況でみたので、勘違いがあるかも知れないのですが…)
どういうニュースかというと、フクシマ原発周辺の地域から、柏崎市に避難した中学生がそこの中学に転校したというニュース。
福島から避難している子供たちが「バイキン」などと言われてひどいイジメにあっているという胸の詰まる報道もありますが、この柏崎市では大熊町周辺と同じく原発を抱える土地柄、今回の事故も決して他人事ではないと、差別もなく、中学生同士も地域の人たちも暖かく迎え入れているということでした。
(ここでちょっと気になったのは、避難している施設が「東京電力の宿泊施設」にと紹介されたところ…。んっ?そういえば、東京電力が全国に持っている保養所とか研修施設とかいっぱいあるだろうに、どうしてそういう施設を避難所として開放しないのかな?という話をしていたことがあったので、なんだ?避難所に提供していたのか…と、心に引っかかったのです。)
しかし、そのあと転校した5人の中学生を集めてのインタビューが言葉を失いました。
テレビのディレクターが「みんなの町には原発があってこんな風に逃げて来なくてはならないわけだけど、原発は町にあった方がいいと思うか?」と質問すると、全員が揃って「あった方がいい」に挙手したのです。
なぜなら、そこにいる子供たちは(おそらく全員)東京電力福島第一原発に勤務する人たちの家族だから。
大熊町の女の子はいいます。…私のお父さんは原発で働いていて、今も、ときどき呼ばれて原発の復旧作業に行きます。みんなのために命がけで作業にあたっているお父さんを尊敬しているし、そんなお父さんの仕事を否定するようなことは考えられない。…と。
富岡町の男の子は、…このあたりでは「原発」はちょっと良い仕事だったし、そんな仕事についているお父さんはすごいと思っていた。自分も高校を出たら「原発」で働きたいと思っていた…と。
もう原発はいらない!と原発の外側から声を上げている人たちでも、この子供たちには言葉を飲んでしまうでしょう。そして、とにかく彼らのお父さんが無事で帰って来ることを祈らずにはいられないです。
しかし、テレビ局は何を意図してこの子らを取材したのか…?
これといった産業もなく貧しい土地で、原発に依存するしか生活の糧を得られない地域には、仕事がある都会に住んでいる人たちには分からない苦しい事情があると、強まる「脱原発」の論調に牽制球を投げたつもりなのかな?
しかし、このニュースで私が気になってしまったのは、
福島第一原発で働いていた人たちは東電の管理地に避難させられ、家族の安全を保証してもらう代わりに、危険きわまりない決死の現場に日々送られる要員としてキープされているんだ…ということでした。
現場には200人いると報道されています。でも、たまに帰ってくると言っていたから、もっともっと沢山の従事者がいるのかな…?
もちろん、現場の人たちがそんな脅迫関係だけで過酷な作業にのぞんでいるとは思いません。この非常時を乗り越えようという使命感や電力マンとしての矜恃を持たずに向かえる仕事とは思えない。実際、彼らに頼るしか国民の安全はまもられないのだから。
そして、彼らもこんな形で家族を守っているのでしょう。
でも、どうにも切ない。ここには封建時代や女工哀史の時代にあった、強いものの富のために、貧しいものが命を削り取られ、隷従を強いられる構造が、現代においても堂々と存在していることを見逃してはいけないと感じたのでした。
テレビを見ての妄想なので、裏の取れている話ではないのですが…。
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