相馬市に入りました。
目に入ってくるのはビニールシートを被った屋根屋根。
市街地までは津波は襲ってきていないようですが、崩れ落ちた塀や、シートで塞いだガラス窓など、地震の爪痕は生々しく残っています。
虫六と銀子さんが卒業した旧・相馬女子高校の校舎。
先日まで遺体安置所、いまは相馬市と南相馬市の被災者の避難所になっているそうです。
お昼頃、実家に着きました。
お父さん、あの石蔵のヒビはやばいっすよ!!
余震が来ると不味いので、早急に解体してくれと業者に頼んだら、重機が津波の瓦礫回収に使われていて、工事が請けられないと言われたそうです。ぎゃぼ〜!
ご多分にもれず、実家の屋根にもブルーシートが掛けられていました。
両親や兄家族(兄は現場に出ていて不在)とも元気で、とりあえずライフラインも復旧し、この数日で市内のスーパーなどもほとんど開いたので、多少の品不足とガソリンが手に入らないことを除けば、日常生活に支障はない…とのこと。
少なくとも、ガスも通らずトイレが溢れるS市よりも、暮らしやすいことは間違いないですが…。原発がいつ収束するのか先が見えない状況では、安心して暮らせるわけはありません。
しかし、直ぐに逃げたいということもさらになく、住人たちも判断しかねるまま、不安を抱えて日々を過ごしているという感じでした。もっと言うなら、70才を過ぎた父に関しては、どこかに避難するなんてことは本当は考えたくもないということなんだろうと感じました。
そして、いつも実家に帰った時に繰り返される、知り合いの噂噺や老両親の痴話げんかというか愚痴を聞かされ、(緊迫した状況なら、そのまま両親と甥っ子は車に乗せてS市に帰ることもありかくらいな緊張感を持っていたのですが…)ある意味、嫌と言うほど日常な様子を確認したのでした。
ただ、高校生の甥っ子Y君に関しては、通学している南相馬市の高校の授業再開のめどが見えず、同級生の友達には転校を決めた生徒もいたりして、深刻に困っていました。S市の高校に転校するなら、出来ることをやるからといいましたが…、本当に可哀想です。
実家の老犬(ゴン)も相変わらず元気でした。
S市で仕込んだ食材や日用品、白松が最中をお土産に持って行ったら、もっと立派な大根や白菜や自然薯をお土産に持たされました。虫六子はちゃっかり高校入学のお祝いを貰っていました。こんな状況でなければ気持ち良くいただけるのですが…う〜〜ん。
虫六子がいっしょなので、今日中に、できれば雨が降る前に帰らなければなりません。
「また来るからと」実家を少し早めにでて、銀子さんの実家に行きました。
そちらも屋根が壊れて、また水道の復旧が遅かったということで、いろいろ不便そうでしたが、今はライフラインが生き返って心配いらないということでした。
お話好きなご両親といろいろな話をしていたら、ちょっと時間を過ごしてしまい、気がつけば4時半!雨が降ってきました。
慌てて帰路に着きました。先ほどの6号線を抜けて、4号線はまた混んでいるかも?と東部道路を行くことにしました。
名取市からS市若林区にかけて、津波がのみ込んだ荒景が、高速のガードレール越しに垣間見えました。虫六子に写真を撮って貰いたかったけど、助手席で瀑睡していたので、起こさないでおきました。
相馬で聞いた話は、また明日。