2011年4月30日土曜日

はちやの餃子が南相馬市に炊き出しに行くらしい!

野菜ソムリエのいる餃子屋、「はちやの餃子」は、もちもち水餃子が特にお勧めの塩竃の餃子やさんです。

「被災地のために、被災地にある餃子メーカーとして出来ることをしていく!!」ということで、チャリティBOXを販売していまして、本日締め切りで注文を受けていました。お客様からのご注文合計60セットごとに、餃子を480個を、被災地に社長さんか、従業員さんが持って行きます…というコンセプト。頑張れ!

ホームページを見ていたら、なんと明日は南相馬市に餃子を届けるそうです!


…【はちやのホームページより】…

弊社従業員、下山の実家のある、南相馬市。
話だけは、震災後から何度も聞いておりましたが、原発の影響で震災後から他の地区と違い、取り残されたように全く状況が変わっておらず、未だにパンだけという日もあるとのこと。

「焼きたてを食べさせてあげたいので、餃子の焼き台とガスボンベを貸してください!!私が焼いてきます!!」という下山の熱い思い。そして、ありがたいことに、下山の親戚や友人も餃子を焼くのを手伝ってくれるとのこと。
ありがとうございます。

すこしでも、餃子で笑顔になってもらえれば、これに過ぎた喜びはありません。

………。

南相馬市の人たち、きっと大喜びです。
はちやさん、ありがとうございます!

【追記】(5.3)
あ、もちろんですが、我が家でも震災お見舞いや虫六子の合格祝いの、ささやかなお礼に「チャリティBOX」セットを送らせていただきました。みなさん、美味しい餃子なので食べてね。(ちなみにシニア層には「笹かま」の予定…)


2011年4月26日火曜日

あぜくら会からチケット代金払い戻しのお知らせがきた!

国立劇場から、3月の公演中止に伴って代金の払い戻しをするよというお便りがきた。

払い戻しの対象は、中止になった3/11,12,15〜31日の公演と、公演はしたけど13日,14日で被災または交通事情で観劇できなかったお客さんとのことで、…どんぴしゃりですわ。
ほう、戻るんだ…。
4月に利用代金明細書なる書類がきて手続きするらしいけど、私が代金払ったのは、まだあぜくら会扱いになっていなったからコンビニ振り込みなのよね。なんか、やーな予感はするが。

いづれ戻って来たら、南相馬市にでも寄付しますかね。


このところ、フクシマ関係の情報収集で毎晩毎晩ツイッターに没頭して、寝不足で体調不良…。仕事も忙しくなり、具合悪いよぉ。自業自得ですが。

「ツイートするひまがあったら内閣府へ意見書を書け!」と家人Tに叱られたので、週末に書けて、真剣に意見書を書こうと思う。

2011年4月24日日曜日

お稽古で姉弟子の皆さんに再会

今日は、先生から招集がかかって、お弟子一同の顔合わせでした。
震災以来、皆さんと会う機会がなかったので、いろいろなお話をお聞きしました。

先生のお宅に向かう道が2コース地震の影響で通行止めな上、昨日から途中にある動物園が復活開園(しかも、子ども無料)というので、大渋滞が予想され、迂回していくことに…。

鹿落坂が通行できないので東北大学片平キャンパスから米ヶ袋→五橋→越路→萩の平→向山というコースを選択。途中の米ヶ袋周辺、桜が満開でした。来週は終わっちゃってますかね…。
しかも米ヶ袋から越路まで渋滞でした。

でも、なんとか到着。

お姉様方のそれぞれの震災をお聴きして、被災の程度はそれぞれだけど、いやなんつか凄まじい地震とそのあとの被災生活だったよと。
まだ、終わった感はないけど、一応「あの時は…」という話ができる程度には落ち着いたねと。

それにしても…、意外に原発の状況とその放射線の影響について関心が薄く、仙台ってけっして楽観できない状況だよ、毎日放射線量が公表されているからチェックした方がいいですよ…という話に対して、「えっ!そうなの知らなかった。」というリアクションには正直びっくり。
医師のCさんの解説に乗じて、このあたり熱く説得してしまった虫六でした。
まずいすよ、まずいすよ、まずいすよ〜。


2011年4月23日土曜日

阿部酒店にて墨廼江を買う

S市、今日は一日じんわりした霧雨、夕刻より雨脚が強まりました。

休日…にもかかわらず、今日は早起き。なぜなら、2ヶ月ぶりの廃品回収の日だったからです。
夥しい紙類の雪崩にあった我が家…片付けようと思うと、沢山の書類・冊子類を廃棄する必要があったわけですが、S市のゴミ回収はまだ正常に戻っておらず、自宅に捨てられないゴミを保管しなければならない状態でした。やっと子供会が資源回収をすることになったので、くくっておいた書類ゴミを出しました。とりあえず。ごろごろ台車で往復すること3回…。お、重い (||li`ω゚∞)

しかし、単行本はこれからです…(爆)

夕方、久しぶりで御用達の阿部酒店へ。
庇に杉玉が!!
新酒の季節ではあーりませんか。
いつもどおり、おばあちゃんと世話話などして…いたら、レジの脇に震災の日の、店の状況写真を発見!ぎょえ〜、本の散乱も悲しいけれど、お酒の散乱はもっと悲しい。
阿部酒店が無事に再開できたことを、心から喜び合ったのでした。

そういうわけで、今日買ってきたのは、石巻の「墨廼江 純米吟醸 八反錦」。
石巻の蔵元、息を吹き返しています。いただきます。

でも、今日は禁酒日なので飲みません(;´Д`)

2011年4月21日木曜日

虫六子入学式

桜満開の本日、本来の予定から2週間遅れて虫六子の高校の入学式がありました。

今日提出しなければいけない作文を、朝から忙しく清書していた娘を尻目に悠長にネットなどしていたら、さぁ出かけるぞ…という時分になって、提出書類の中に「住民票」の文字を見つけ、げげっ、貰ってきてない∑ヾ( ̄0 ̄;ノと、高校の受付締め切り1時間前に焦って区役所にすっ飛んでいったダメダメ親は私です (。>0<。) 
住民登録カードを作っておいて良かったよ〜!虫六子には自力で高校に向かわせ、滑り込みセーフで間に合いました。
つねにギリギリ…。

フクシマでは原発の20キロ圏内が警戒区域に指定されて、その影響で授業ができない学校が沢山あり、深刻な問題になっています。せっかく合格しても通う高校がない生徒もいるわけです。津波で学校がさらわれた地域も同じ問題を抱えています。

虫六子の高校でも新入生代表の宣誓を読んだ生徒が、「入学式を迎えられる自分たちは恵まれている」と言っていました。この子供たちは、大震災という十字架を背負いながらこの先勉強して成長し、新しい時代の担い手になるのだと思うと、281人の新高校生たちがとても尊く見えて、希望を感じさせられ、感動しました。

6人の合唱部の生徒たちが出てきて、心を込めて「校歌」を歌ってくれました。清々しいハーモニーが心に染みて、とてもいい入学式でした。


2011年4月20日水曜日

気になってしまったこと_柏崎市にいる原発避難の中学生のこと

今朝、仕事に行く出がけに付けていたテレビ(フジ系の「とくダネ!」ですが)で、福島第一原発の復旧作業員の現状が報道されていました。
作業員の健康管理を担当している産業医師の先生が写真を公開したのです。医師の先生は熾烈な環境下で作業にあたりながら、食事らしい食事も与えられず、仮眠も十分にとれない状況で作業員の疲労が極限に達している、緊張が強いられる現場で重大なヒューマンエラーを出さないためにも、彼らの疲れをほぐしてやることが必要で、せめてお風呂を…と訴えていました。
復旧作業の現場については、ネットでは少し情報が流れていましたが、昨日の夜にもニュースで流れたらしいので、いよいよこの決死の現場についても報道が入り出したということでしょうか。

今日の現代ビジネス(ネットニュース)でも「経済の死角・福島第一原発の現場はもはや限界に近い_再び迫る危機」として、福島第一原発の現場の危機的な状況を報じています。

とにかくも、事態が「再臨界」「水素爆発」という最悪のシナリオに進まぬように、周辺地域においても、現場に当たっている作業員の方々にも可能な限り被害の少ない収束を願うばかりです。

さて、私が気になってしまったのは、その次のニュースです。
(なにしろ出かける前のバタバタした状況でみたので、勘違いがあるかも知れないのですが…)

どういうニュースかというと、フクシマ原発周辺の地域から、柏崎市に避難した中学生がそこの中学に転校したというニュース。
福島から避難している子供たちが「バイキン」などと言われてひどいイジメにあっているという胸の詰まる報道もありますが、この柏崎市では大熊町周辺と同じく原発を抱える土地柄、今回の事故も決して他人事ではないと、差別もなく、中学生同士も地域の人たちも暖かく迎え入れているということでした。

(ここでちょっと気になったのは、避難している施設が「東京電力の宿泊施設」にと紹介されたところ…。んっ?そういえば、東京電力が全国に持っている保養所とか研修施設とかいっぱいあるだろうに、どうしてそういう施設を避難所として開放しないのかな?という話をしていたことがあったので、なんだ?避難所に提供していたのか…と、心に引っかかったのです。)

しかし、そのあと転校した5人の中学生を集めてのインタビューが言葉を失いました。
テレビのディレクターが「みんなの町には原発があってこんな風に逃げて来なくてはならないわけだけど、原発は町にあった方がいいと思うか?」と質問すると、全員が揃って「あった方がいい」に挙手したのです。
なぜなら、そこにいる子供たちは(おそらく全員)東京電力福島第一原発に勤務する人たちの家族だから。

大熊町の女の子はいいます。…私のお父さんは原発で働いていて、今も、ときどき呼ばれて原発の復旧作業に行きます。みんなのために命がけで作業にあたっているお父さんを尊敬しているし、そんなお父さんの仕事を否定するようなことは考えられない。…と。
富岡町の男の子は、…このあたりでは「原発」はちょっと良い仕事だったし、そんな仕事についているお父さんはすごいと思っていた。自分も高校を出たら「原発」で働きたいと思っていた…と。
もう原発はいらない!と原発の外側から声を上げている人たちでも、この子供たちには言葉を飲んでしまうでしょう。そして、とにかく彼らのお父さんが無事で帰って来ることを祈らずにはいられないです。

しかし、テレビ局は何を意図してこの子らを取材したのか…?

これといった産業もなく貧しい土地で、原発に依存するしか生活の糧を得られない地域には、仕事がある都会に住んでいる人たちには分からない苦しい事情があると、強まる「脱原発」の論調に牽制球を投げたつもりなのかな?

しかし、このニュースで私が気になってしまったのは、
福島第一原発で働いていた人たちは東電の管理地に避難させられ、家族の安全を保証してもらう代わりに、危険きわまりない決死の現場に日々送られる要員としてキープされているんだ…ということでした。
現場には200人いると報道されています。でも、たまに帰ってくると言っていたから、もっともっと沢山の従事者がいるのかな…?
もちろん、現場の人たちがそんな脅迫関係だけで過酷な作業にのぞんでいるとは思いません。この非常時を乗り越えようという使命感や電力マンとしての矜恃を持たずに向かえる仕事とは思えない。実際、彼らに頼るしか国民の安全はまもられないのだから。
そして、彼らもこんな形で家族を守っているのでしょう。

でも、どうにも切ない。ここには封建時代や女工哀史の時代にあった、強いものの富のために、貧しいものが命を削り取られ、隷従を強いられる構造が、現代においても堂々と存在していることを見逃してはいけないと感じたのでした。

テレビを見ての妄想なので、裏の取れている話ではないのですが…。



2011年4月19日火曜日

春雪と笹かま

昨日まではぽかぽかの陽気だったのに、今日は朝から雨。
雨には…当たりたくないですね。
それに、随分寒いです。職場の建物はボイラーが震災で壊れて、いまだエアコンが効きません。まぁ、1人の部屋なので我慢して過ごしていましたが、今日はお手伝いの学生もいて、みんなガチガチしだしたので、慌てて石油ストーブを借りてきて暖房しました。
もう、桜も咲いているというのに…。

とか、思っていたら、夕方から雪が降ってきましたよ、雪が…。

あ〜あ、積もっちゃってますよ、マイカのフロントガラスに…。
大気汚染が問題になっている昨今、雨もイヤだけど、雪はどおよ。
どの辺りの空気をひろって落ちてくるのかなぁ。

それはそうと、S市付近では地場産業復活の兆しです。
お土産として、日常食材としてお馴染みの「笹かま」ですが、海浜地帯にある各社の工場が大きな被害を受けて、しばらく生産されていませんでしたが、いよいよ復活です!

今日は藤崎地下食品売り場で、女川産の「髙政」の笹かまをゲット!

ホントは揚げかまが食べたかったけど、すっかり売り切れてました。みなさん揚げかまが好きなのね(^-^; 
でも、「吉次」と「石持」の笹かまを買いました。そのまま食べても、ちょっとトースターで焼いても美味しいけど、今日はサラダにのせよう。

震災のすぐ後で、近所のお魚やさんでどっと在庫を出してくれた時、笹かまをたくさん売ってくれました。日持ちがするのでとても有り難かったし、笹かまって美味しいとあらためてその旨さをかみしめたのでした。それ以来、S市の店舗で笹かまを見ることはなかったのですが…。
亘理の「馬上かまぼこ」も石巻の「白謙」も復活したみたいで、やっぱり笹かまが売られていると嬉しいです。

2011年4月17日日曜日

職場でも片付け、家でも片付け

先週の職場は資料室の一時引っ越し作業。
力持ち君らが石巻方面のボランティアで出払っていてお願いも出来ないので、女子学生1人に手伝って貰いながらの重労働。部屋を片付けて冷静に観察すると、がっちり耐震処置したはずのスチールの資料棚(2連×3列)が指3本分壁から浮いて、かつ、揃って5度くらい曲がって(歪んで)いました…。こえ〜。
しかし、この資料が移動してあるタイミングで直さねば!と、思うものの、200キロもの家具を女子ふたりでどうやって動かせっていうかな?と困りはてていると、いつも遊びにやってくるKさん(鉄道ファン歴70年、元敏腕スチール家具営業マン)が偶然に顔をだしまして!角材とかマンパワーとかで、なんとか歪みを直してくれました!
力じゃないのね、コツなのね。

で、それからせっせと資料整理しながら、片付け片付け…。鉄の塊とか古い雑誌とかばかりで、腰にきます。
そんでもってやっと週末だ〜!と、思ったら、家の中もまだまだ片付いていませんでしたね。7日深夜の余震でもう一回倒壊したもので。毎日毎日、片付けばっかりで、いい加減イヤになるよ〜。
う〜、床の見える部屋に住みたい…。

で、土曜日は群馬のIさんが震災見舞いにやってくるということで待っていたのですが、思うように旅路が進まなかったらしく、約束の時間にまだいわき市と。夜まで待ったけど結局遅くにS市到着ということで、翌日の日曜日に会うことに。

朝、大学病院の近くへ呼び出されて、Iさんに会いました。
病院の近くの桜、満開でした。
人間界の事情とはカンケーなく、自然界は巡っております。

お見舞いついでの相談事は関東の紙芝居関係者が、被災地に慰問に来たがっているがどうすればいいかということでした。
実はこちらの仲間内でも被災の影響が深くて「紙芝居をやりたい、やってみせたい」という気持ちを一つに出来なかったこともあり、(実際、やりたい気持ちがあってもやれない状況の人もいて)私自身にも今被災地に慰問イベントのように持ち込むことに抵抗があることを正直にいいました。
被災地は複数の県に跨がっている上に、避難所も大小いろいろあるようです。県を超えて遠方避難している集落もあります。
実際に足を運んだわけではないけれど、被災地の人たちは自分たちの自助関係で支え合っているようなので、それぞれの避難所に紙芝居の絵を送ってあげる形の方が喜ばれるかも…と、確信あるわけでもなく話をしました。ただ、支援物資は被災地によって偏って届けられているという情報もあるので、ルートは検討する必要があると。

S市の人はともかく、いまだ避難所に居られる方々は、いつ自宅に戻れるのか、住む家を手に入れられるのか、仕事を続けられるのか、町に戻れるのか、そのことがまず大事だと思うのです。健康の不安もあるでしょう。そういうことに見通しがない状況では心から「楽しむ」なんてことできるんだろうか?とネガティヴに考えてしまい、調子の良い返事が出来なかったのでした。状況は段階的に変わっているし、今日はダメでも、5月には変わっているかもしれないし、6月になればまた変わっているかも知れないけれど…。
ということで、結論を持ち帰っていただきました。

またまた、どっぷり無力感…。
バリバリやる気になれなくて、済まないのう。


帰宅したら、絵本の横田やさんが中心になって、被災地の子供たちに絵本や文房具を贈る運動「こどもとあゆむネットワーク」を始めたというので、家人Tが絵本をまとめようとしていました。
それで、受け皿になっている10-BOXにソッコー電話。Yさんに、紙芝居も受け取ってもらえるか?と聞いたら、「それ欲しかったの」と。(鋭いタイミングです)
で、折り返しIさんに連絡し、それも検討していただくことになりました。

ウチで供出する絵本を持って、とりあえず10-BOXに行くことに。

その前に腹ごしらえ…、久方ぶりに「招月」へ

「素揚げなすそば」。
この辺りは先週やっとガスが通って、金曜日にやっと営業再開したそうです。
まだ限定メニューでしたが、やってて良かった!嬉しい。

絵本と、東京の梅田さんから届いたあられせんべい(段ボール入り)を差し入れに持って、10-BOXにつきました。体育館が絵本の仕分け場と化していました。全国から届いた絵本が山ほどあったそうですが、今朝、奥松島へトラックで運んだ後ということでした。お留守番のスタッフ嬢。ご苦労様です!

帰りにオランジュリーに寄り、震災の3日目から夢にまで出るほど食べたかった「シュークリーム」をゲット。これが食べたかったよ〜。

そのあと気合いを入れ直して片付けのつづき。
あ〜、明日も職場に行ったら片付けです。きー (`◇´*)

2011年4月13日水曜日

文化活動自粛を自粛せよだそうです

いよいよ文化庁が御触書を出しました。
   ↓
http://www.bunka.go.jp/bunkazai/tohokujishin_kanren/chokan_message_2.html

こちらの方面でも、日本は未体験ゾーンに突入したという感じがしてしまいます。

2011年4月12日火曜日

虫六子の入学式用の服を買いにいく_4月12日震災32日目

今日は仕事場に入れない事情があったので、午後は早退して、虫六子(15才、はまっているのは「glee」)の高校の教科書と入学式に着る服を買いにいきました。

教科書指定書店K港堂は震災の影響で4時閉店なので、勤務後では間に合わないのでした。
K港堂のあるサンモール一番町の町の様子。

ここって、ドトール・コーヒーがあったところかな?

閑散としています。

7日深夜の余震のあと、また閉じた店舗が増えたのかな?

ブランドショップがある向こう側も…。

F崎デパート!3階まで開けて売り場を短縮移動して7日から仮営業してました。ここも短縮時間で4時には閉店。
婦人服売り場で、虫六子のジャケット買えました。本人も一安心。
っていうか、みんな大変だと思うんですが…。
無事に入学式が迎えられることを祈ります。

もう、余震(6弱とかって余震っていうのか?)はごめんだよ〜。

2011年4月11日月曜日

渋さ知らズライブでエネルギーを頂戴する_4月11日震災1ヶ月目

渋さ知らズオーケストラがS市勾当台公園の野外音楽堂に電源車を持ち込んで出前ライブをしてくれました。

放射能の雨そぼ降る中、平日の昼間だというのに、50人くらいの人が集まっていました。雨はだんだん本降りになり、途中では野外でもはっきり身体に感じる余震もあったけど、人は減ることなく最終的に100人くらいに膨らんでいたように思います。

「東日本大震災支援」との頭書きもなく、チャリティーとのうたい文句もなく、実際、1円のお金も集められることはありませんでした。「ただ、仙台に行って、仙台のみんなと音楽がしたい」と。ライブは、ほぼフルメンバーに近い構成で行われ、出演者はみんな持ち出しの来仙、ご出演。(受け入れ体制を作ったつかぽんさんありがとうございます!)
小さい電源とはいえ、吠えるような迫力のサックスの音、心にしみるハーモニカ、さやか&ペロはアメノウズメのようでした。ほんと、神々しさは岩戸の前に集まった神々のごとし!
かっこいい!

冷たい雨に打たれながら、動揺するほどの揺れも体感しながら、3時間余の演奏は止むことなく。また、聞いている人々も帰らない。会場には言葉にできない祈りのようなものがあったと思います。
まだ着物を着ていた時代の日本人なら、こんな天変地異が起きれば、まずは神に祈ったに違いない。人の力の及ばないエネルギーを恐れて、霊鎮めなることを考えたでしょう。
しかし、それが科学的でないとされる現代では「祭り」はただのどんちゃん騒ぎか「経済効果」としかみられないのでしょうか。この場にきて演奏することに勇気もいったと思います。
…こんな大変なことになっても、何が出来るわけでもなく、楽器とパイプ椅子を運ぶくらいしかできないけれど…と、何はともあれ手弁当で駆けつけてくれたメンバー。渋さのみなさん、本当にありがとう!皆さんが心から寄り添ってくれたこと、忘れません。言葉にならない言葉を、音楽を受け取りました。

間近に来てくれました。かっこいい。
不破さん!ありがとう!
…希望です。
春はやってきますね。

2011年4月10日日曜日

あした、渋さ知らズオーケストラがきます!


【緊急速報】

明日の午後3時、大編成ジャズバンド「渋さ知らズオーケストラ」が、勾当台公園で無料ライブを行います。
電源車持ち込みのオール出前コンサートです。

音楽の、表現することのエネルギーを確かめに、ぜひ足を運んで下さい!

平日だけど。


___

ところで、今日は震災以来はじめてのお稽古でした。
先生のお元気そうな姿を拝見し(花粉症は酷そうでしたが…)、ちょっと安心。お宅の辺りはまだガスが通らず不便そうでした。
八木山までいくのに、霊屋下→向山と城下のコースは通行止めで、T北大学工学部の方へ大回りを余儀なくされました。先日の余震でさらに被害が広がった模様です。
津波の被害がない地域においても、まだまだ復旧には時間が掛かりますね。

2011年4月9日土曜日

ガスが!キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!_4月9日震災30日目

一昨日(4.07)の大余震で仙台市のガス復旧も足踏みかと、ちょっと気を落としたのですが…。
本日、大阪ガスのガスマンが我がマンションのガス管を開栓していってくれました!
ありがとう!大阪ガス!関西弁、ステキです!


つわけで、下水のことは気になりつつも、今日はお風呂に入ってしまいました。ザブンと。
お湯をこぼす贅沢を勘弁してくださいましー。うひょ〜!
まだガス来てない地域のみなさんごめんなさい!
しかしこの快感、我慢できないよ〜ヽ(´▽`)/ 気持ちイー、生き返りました。

蛇足。1ヶ月お風呂を使っていなかったら、なにやら湯船のそこにパイプの水垢のような黒い沈殿物が…。お風呂洗いにも力が入ったのでした。

ちなみに今日は、東北電力の電力マンが契約アンペアを10アンペラ上げる工事(調理器具IHに頼らざる得ないのでカツカツだったアンペアを上げてもらったのですが、やっと工事してもらったら今日ガス通りました( ̄◆ ̄;)…)に、4.07余震で繋がらなくなったケーブルテレビのチューナーの修理にケーブルマンが来てくれて、虫六家は復旧の日でした。

午後から延長タップを買いに家電量販店にいったら、4.07余震で店舗に被害があったらしく、入場制限しながら店をあけていました。お客1人1人に何を買うのか聞いて店員が1人ついて売り場に案内してました。虫六の前の人は冷蔵庫を買いに来たようでした。4.07余震の方で壊れたのでしょうか。
今回の余震。ちょっと聞いたところでも、3.11の地震の時よりも家屋や家具が壊れたという話を聞きます。地震でできた亀裂が本格的に壊れたり、または震災後すぐに家具やなにかを整えたり買い直したりしてちょっと落ち着いたところだったんだろうな。せっかく直したのにまた…というのは、しんどいです。しかし、いつまでも床に荷物を置いたまま段ボールから物を出すという、引越のときのような暮らしも疲れてきました。
余震、はやく落ち着いて欲しいけど…。どうなるのかなぁ。

2011年4月8日金曜日

救援物資を南相馬市に_4月8日震災29日目

これ、昨日の沈む太陽です。すごく大きくて真っ赤でした。
夕べの地震とは関係ないのでしょうが…。

この夕日をみながら、虫六は仕事帰りに南相馬市あての救援物資を買い漁り。比較的数量制限が甘そうな一般売りする卸店舗へ。食料小分け用ポリ袋2000枚、ガムテープ、ボールペン、インスタント味噌汁などゲット。
これっぽっちじゃ焼け石に水かもしれないけど、支援物資がとどかない孤立状態の南相馬市には義援金を送るより物を…と。個人支援でもなんでも受け付けている様子だったので。

今日は午後から虫六子の高校説明会で早退したので、その集まり終了後、ヤマト運輸の配送センターに持ち込みました。相馬センター留め置きなんですが、昨日の地震の影響で3〜4日かかりますとのこと。なんとか早く届けてください。 (;´д`)

先日もお知らせしましたが、南相馬市宛の支援物資は…。
【臨時快速・レスキューひたち83号】
臨時快速・レスキューひたち83号(相馬→南相馬)のピストン運行中です。
    ↓




2011年4月7日木曜日

マジですか〜(>д<)

またあの揺れなんですけど。
また同じなんですけど。
また壊れまくりなんですけど。
津波大丈夫ですか?
原発大丈夫ですか?

斎藤和義が歌ってくれた!

斎藤和義が自作の曲「ずっと好きだった」の歌詞をかえて、反原発の歌「ずっと嘘だった」をyoutubeに発表したらしい。(あ、本人は否定だそうです。つか、歌うまいですから、ギターうまいですから。)
アップされた歌は、元歌の版権を持っているビクターが東電の圧力なのか自粛なのか、削除するのに必死のようだけど、どんどんコピーがアップされて、いたちごっこの様相だそうです。

youtubeではもう発見できませんでしたが、以下のブログに発見。

○「社長ブログ」動画と歌詞が載っています。必聴です!!

こちらにも
○「たまぬすひ」

削除の手が入るかもしれないので、お早めに!

2011年4月6日水曜日

フクシマ問題(2)

フクシマ問題についての情報を得んがために、虫六もついにツイッターをはじめてしまいました。また、メールで情報をお寄せいただいたりして、勉強させていただいております。

フォロワーのみなさん(何人もいませんが)にはちょっと被りますが、最近の伺った情報を箇条書きで。


・福島第一原発関係の検証記事が、毎日新聞朝刊1面と中面(10、11面)の特集「検証大震災」として掲載されています。
ネットでは、
 1面_検証・大震災:発生直後に原発ベント指示、東電動かず 首相「おれが話す」
 中面_検証・大震災:初動遅れ、連鎖 情報共有、失敗(その1)
   _検証・大震災:初動遅れ、連鎖 情報共有、失敗(その2止)

・大前研一は日経BPのコラム「炉心溶融してしまった福島原発の現状と今後」で、
米ニューヨーク・タイムズ紙に出ていたグラフで3月15日と16日に3回の大きな放射能の放出(サージ)が福島第一原発の正門付近の計測地で観測されていることから、15日と16日にすでに炉心溶融(メルトダウン)は起きていると推測しています。(購読に会員登録が必要かも)

*もしそうなら、それを前提としてその後のシナリオを、政府や東電は国民に示して欲しいです。国民がパニックをおこさずに最良の行動をとれるように、正確に伝えて欲しいです。

・東電が「想定外」と言い続けるのは原子力賠償法の「異常に巨大な天災地変又は社会動乱によって生じたものであるときは、この限りではない」という免責条項の適用を狙っているためという意見があるそうです。しかし、原発の津波の危険性については、「想定」されていたことを裏付ける論文もあります。
 石橋克彦「シリーズ■大震災以後<14回> 原発震災 破壊を避けるために」(岩波書店 科学1997 VOL.67 NO.10)

*「石橋氏はその後も警鐘を鳴らし続け、05年には衆院の公聴会でも同様の警告を発している。電力会社や原子力の専門家たちの「ありえない」という言葉を疑いもせず、「地震大国日本は原子力からの脱却に向けて努力を」との彼の訴えに、私たちメディアや政治家がくみしなかっただけなのだ。
 05年の公聴会で石橋氏はこうも警告している。日本列島のほぼ全域が大地震の静穏期を終えて活動期に入りつつあり、西日本でも今世紀半ばまでに大津波を伴う巨大地震がほぼ確実に起こる、と。(西部報道部)
(毎日新聞 2011年3月29日 東京朝刊)」…という新聞記事も。

東京電力の対処が後手後手なのは、執行部に原発の専門家が全くいないからだという意見もありました。2002年の東京電力原発トラブル隠し事件で、原発の詳しい幹部をすべてパージしてしまったということのようです。

・原発事故の原因の一つ 東電社内人事で原発専門家追放の過去(NEWS ポストセブン2011.3.31.)

 しかし、この事件後の追想記事で、追われた南社長からさえも原発の安全神話には全く疑いがないのです。(有料) この確信はいったいなぜ?

第一原発2号機のピットという施設から海に流れていた、高濃度の放射性物質の汚染水は、けさ早く流出がとまりましたが、原発内にはまだ高濃度の汚染水が少なくとも5万トン以上たまっているとのこと。さらに、東電初めての事前策として、1号機では原子炉内の水素濃度が高まって酸素と反応し爆発することを避けるために、格納容器に窒素ガスを注入するということです、命がけで現場で作業に当たっている皆さんには、感謝と祈りを捧げるばかりです。


○周辺(特に相馬市・南相馬市方面)の情報です。

・政府は5日、東京電力福島第1原発事故で屋内退避指示を出している20~30キロ圏内に市域の大半が入る福島県南相馬市の住民約1万8000人について、一両日中に集団避難計画をまとめることを発表した。(毎日新聞 2011年4月6日 東京朝刊)

・東京都・上昌広医師からのツイートからの情報
南相馬市の孤立状態からくる物資不足を支援するため「臨時快速・レスキューひたち83号(南相馬行き)」の運行を決定したそうです。支援物資はヤマト運輸の宅急便でヤマト運輸の相馬センター留置にしておくれば「レスキューひたち83号」でお届け可能となるそうです。ご協力を!!

・これも東京都・上昌広医師からのツイート
「南相馬で機能している病院も、退院しない(できない)患者が増え、入院 が必要な患者が溜まってきている。その一部が相馬市になだれ込んでいる。人口3.8万人の相馬市が、7万人(うち2万人が残っている)の南相馬市の面倒を見るのは不可能。早晩破綻してしまう。」(2011.4.6)

・東日本大震災に伴う津波で沿岸部が壊滅的な被害を受けた福島県相馬市で、旧相馬藩主の子孫が地元のためにボランティア団体「相馬救援隊」を立ち上げ、食料や衣類を被災住民に届けている。(河北新報 2011.4.6)

・原発20キロ圏内で警察官が決死の不明者捜索 (福島民友ニュース 2011.4.5)

・第1原発の増設撤回へ 東電、11年度供給計画で(福島民友ニュース 2011.4.5)

・相双の8校で授業「サテライト」 協力32高校を設定(福島民友ニュース 2011.4.5)

・相馬の津波は8.9メートル 県内過去最大(福島民報 2011.4.6 09:11)

・いわき市で12日から津波損壊家屋を撤去 (福島民報 2011.46 09:07)

そのほかの福島県のニュース
  福島民報 http://www.minpo.jp/
  NHK福島第一原発関連ニュース


2011年4月5日火曜日

幻の『絵本合法衢』_夢と散った虫六の黒い計画

お花見も三社祭りも震災の自粛で中止されている今日この頃。せめて、余力のある地域では健全な消費生活してくれていいですよ…、とも言いたくなりますね。

というわけで、読者のみなさんもこのブログに「黒い虫六」が出てこなくて寂しく思っているかも知れません(←誰が?)

正直に申しましょう。3.11大震災の渦中にありながらも、虫六の中にあきらめきれずに渦まいていたある黒いお楽しみ…。それは3月14日の国立劇場3月歌舞伎『絵本合法衢』を見に行くという計画でありました。

虫六子の高校の合格発表が15日ということで、受験が終わって結果が出る前に日帰りで見に行くべし!と、緻密な計算のもとにたてた観劇計画でありましたが、この災害で全てが泡と消えました。

正月からあぜくら会の入会手続きをしたにも関わらず、売り出しの期日に会員登録が間に合わず、一般売りだし日の電話予約でやっとさゲット!しかし、郵便事故だかなんだかで振り込み用紙が届かず、問い合わせしたら「無効です」と断られそうになったのを、なんとか押さえてもらった、プレミアムチケットでありました。

しかし!まぁ、あきらめるも何も… ┐(´(エ)`)┌

震災後の携帯がなかなか繋がらない状況の時に、お先にトクだね切符の予約をしていたえきねっとから、チケットとりに来ないとクレジット会社に請求するぞ…というメールが流れてきて、「新幹線走ってねーし!!(#`Д´)」と携帯をぶちこわしそうになったのですが、さすがに国立のチケットは払い戻しできないだろうな…とあきらめていました。

ところが、数日後にパソコンを開いたら、国立劇場が上演中止にしていることを知り、もしや!と思っていたのですが…。どうやら中止にしていたのは、15日からだったみたいで、2度がっくり!
虫六にとっては正真正銘「幻のお芝居」となってしまったのでした il||li _| ̄|○ il||li
いったい俺がどんな悪さをしたかよ〜。


哀しすぎる〜(´;ω;`)

2011年4月4日月曜日

3月に読んだ本

3月の読書メーター
読んだ本の数:3冊
読んだページ数:706ページ

魔の山―A flower is mystic mountain魔の山―A flower is mystic mountain
「君は歩いて行くらん」を読んだら、どうしても中川さんの作品が観たくなり、引っ張り出して再読。やっぱり圧巻です。そうか…、この曼珠沙華はそういう意味があったのか。花の作品は本当に一期一会なので、ほとんどの作品には出会うことができないけど、この写真集を作ってくれて感謝です。あの時がんばって買っておいて良かった(以前の作品集は悉く絶版でしたし)。この先の人生でまた何度か出会うことができるから。
読了日:03月08日 著者:中川 幸夫

君は歩いて行くらん―中川幸夫狂伝 (「美」の人物伝)君は歩いて行くらん―中川幸夫狂伝 (「美」の人物伝)
中川幸夫という前衛華道家の存在をはじめて知ったのは早坂暁の「華日記」でした。世阿弥や尾形光琳に匹敵する純正日本の芸術家であり、相当切っ先鋭い存在という印象でした。芸術家はいま故郷丸亀で穏やかに余生を過ごしていて、早坂との対話はまるで仙人のようです。芸術家の出生以前や祖父・鷹三郎、華道家として立つまでの経緯も寓話のような本当の話。「華日記」とあわせて読むと芸術家の肉声が立体写真のように立ち上がってくると思います。それと、なんだか大正天皇の歌に興味を持ちました。
読了日:03月07日 著者:早坂 暁

秀十郎夜話 (冨山房百科文庫)秀十郎夜話 (冨山房百科文庫)
今時の事情は違うだろうけど、戦前の頃までは家の事情等で食うために役者になるという選択肢でその道を目指し、歌舞伎の封建制の中でほとんど役を付けられることもなく下回り役者・黒衣後見として一生を全うする芸人の生き方というものがあり、しかしそこにも役者としての矜恃が息づいているということへの感動があった。また、千谷氏が白日の下にさらした芝居の裏側の、特有の、歪んだ泥沼の世界観というのも、果たして素人が知っていいものなのか?と感じつつも興味深く読んだ。次に芝居を観るときは主演より馬の足に目がいってしまいそうだ。
読了日:03月03日 著者:千谷 道雄
読書メーター

*前半はけっこう調子よく読書していたんですが…、震災の日から読書が出来なくなりました。文庫本1冊…いまだ持ち歩いております (;;;´Д`)

被災した東北地方のアーティスト対象に韓国でアーティストレジデンス

アートプロデューサーのNさんから、以下のようなご案内をいただきました。


韓国のヘテクラウン製菓が、今回被災した東北地方のアーティストを対象に韓国でアーティストレジデンスを実施する計画で、次のようなメッセージが発せられています。

「弊社は日本東北地方太平洋沖地震及び津波で被災された日本国民の
皆様を支援するために、復旧活動の参加が困難な方や現地に残る必要が
ない方100~150人程を招待して航空料及び弊社内の研修院等で宿泊を
提供する方案を推進中です。」

【支援詳細事項】
1.人員:100~150人(主に日本国籍取得者)
2.宿泊施設:弊社が提供するモーテル
-2人1室(3人まで可能)
3.炊事:無料提供(直接炊事可能)
4.航空料:全額 or 一部提供
5.支援期間:現地事情が安定するまで(3~6ヶ月)
6.その他:基礎生活に必要な便宜施設、備品の支援

【受け入れ施設】
研修院:京畿道楊州市長興面釜谷里92 ☎031-826-6205
伝統音楽学習場 :京畿道楊州市長興面石峴里31-3 ☎031-829-0414
アートバレー Café:京畿道楊州市長興面石峴里48-1 ☎031-855-6766
スタジオ・ジュン:京畿道楊州市長興面釜谷里116-1 ☎031-836-6617
アートバレー Information:京畿道楊州市長興面釜谷里132-14 ☎080-233-7766

ホームページ:www.Art-block.co.kr

【日本国内連絡先・応募先】
長谷川香料株式会社 海外事業部 販売第1部(担当:堀之内)
東京都中央区日本橋本町4-4-14
TEL 03-5205-7504 / FAX 03-3278-8075
E-Mail hhorinouchi@t-hasegawa.co.jp

2011年4月3日日曜日

美味しいものは力をくれる

教えたくないですが…S市中山にある「恵比寿」のラーメンは旨い。
昨日、「恵比寿」復活の情報を得たものの、1時半までの開店時間の制約に間に合わず、無念の涙を飲んだ虫六一家。う〜、恵比寿のラーメンが食べたい!!

というわけで、今日はお昼前に来てしまいました。
もう、申し訳なくてカメラ出せませんでした。
ただ、この味をふたたび食せた喜びだけをお伝えしたいと思います。

このあと、恐々としてレンタル倉庫へ。思ったほど荷崩れしてなくて一安心。少し棚はずれていたので、とりあえず荷物を取り出して修正。まだ少し入るな…( ̄ー+ ̄)

せっかくなので、近くの森乃香本舗まで足を伸ばしたら、春の干菓子と生菓子は「ぼた餅」とあんみつだけでしたが、開店してました!!
福々した幸せな形の上等なるぼた餅(道明寺の胡麻餡・白餡・鶯)を1個ずつ購入して帰宅。昨日、喜久水庵の春待ち茶を買ってあったので、濃いめに入れていただきました。
心にしみる復活の味。これぞ文化生活じゃぁ。
(感激のあまり、これまた写真撮るの忘れました…瀑)

ガス復旧率33%_4月2日現在

全国のガス局職員の方々が、今、3000人来仙して、S市のガス復旧に尽力してくださっています!
虫六の近所でも最近「大阪ガス」の作業車を目にする(ご苦労様です!)んですが、まだ虫六の住まいまでは復旧工事の順番が回ってきません。

で、
水が冷たいので、洗い物も貯め水使ったりして、洗髪もバケツにお湯をためて1シャン。お風呂にも入れないので、バケツお湯で行水か蒸しタオルで拭くにとどめてるわけです。

そんな生活に慣れてきて、同じ服でも気にならなくなって、なぜか洗濯の回数も減っております。

つまり、ガスが通らないので自然に節水しているわけなんですが…。

いまS市周辺は、津波で下水処理場が壊滅しているのです。復旧には3年という見通しだそうです。汚水をなるべく流すなと市からお達しがあるのですが、すでに多賀城市周辺では、あちこちのマンホール120箇所で汚水が逆流しているとか。津波で町が浸水し、その上汚水の異臭で苦しめられているとそうです。

壊れた町が治るまで、まだまだ時間が掛かりそうです。

ガスが治ればみんな水を使うでしょう。お風呂入りたいし…。
どこまでどんな風に節水すればいいか、具体的に広報して欲しいものです。

家族の尿は3回分くらいためてから流せとか(瀑)



S市、消費生活回復の実感_4月2日震災23日目

今度の震災で、我が家のペット金魚の諭吉も被害を被っていました。地震で水槽の水がこぼれて1/4位まで減り、かつ、停電でエアポンプも止まった状態で数日放置されたままだったのでした。3日目に一時的に水道が復旧したときに水こそ足しましたが、それ以来掃除してもらえることもなく、劣悪な環境で我慢させられてました。恨むなよ〜。

ところが、昨日水槽用の照明ランプが切れてしまいまして…。
で、意を決して(←大げさ)郊外のホームセンターまで車を出すことにしました。

市内にガソリンが潤沢に回るようになってきたのか、震災後のまとめ買いなのか、このホームセンターを含むショッピングモール(スーパー、ドラッグストア、靴や、ユニクロがあります)の駐車場は車でいっぱい。
店内も人が入っていました。棚にも随分品物が揃っているようでした。
家具の転倒防止用グッズなどはすっからかんに何も無かったですけどね。考えることは一緒です。
虫六子の高校に履いていく靴や衣服も買って帰って来たのですが。同級生なども同じように買い物をしていたようで、何度か声を掛けられていました。

並ばなくても、数量制限になしに、車で買い物ができる…。S市の消費生活が回復してきたと感じました。


金魚の諭吉も辛い水槽で我慢させたので、水槽を掃除して、新しいランプとエアポンプ&フィルターも交換してやりました。スッキリしたかな。

ま、人間の方はまだガスが通らないので、お風呂はお預けのままなんですがね。


2011年4月2日土曜日

お知らせ_くにたち紙芝居チャリティーライブ

くにたち紙芝居が、「福島第一原発周辺地域・生活支援チャリティーライブ」を開催します。

福島第一原発周辺地域・生活支援チャリティーライブ

[日時] 2011年4月3日(日)13:00~16:00

[場所] 大学通り/スターバックス国立店前緑地帯

[出演者]
13:00〜
宮野裕司(フェビアン・レザ・パネとのデュオなど、いぶし銀のアルトサックス)
立花泰彦(新宿ピットインの大晦日、トリを務める凄腕ベーシスト)
泉邦宏(身体ごと鳴っているような音をもつ、元渋さ知らズ看板サックスプレーヤー)
柳家小春(粋曲を三味線で弾き唄い、婦人公論や東京人などのイラストも手がける)
佐々木遊太(昭和の街頭紙芝居&インターネットによる即席紙芝居)
15:00~
STRANGE:POE(ストレンジ:ポー)
フジロックフェスティバル’08に出演したモンテリマの、VO.G半田将之とBa時川大輔を中心に、鍵盤ウイリアム(柳沢耕平)、ドラム杉達彦を迎え、2010年秋頃結成。
ストレンジなエドガーアラン”ポー” 国立を拠点に活動中。
春先に1stアルバムリリース予定。


相馬できいたこと(2)

昨日緊急回覧がありましたが、南相馬市市長桜井氏がYouTubeに載せたコメントが世界から反響を呼んでいるそうです。兵糧攻めのような追い詰められた現状を必死で訴えられていました。

その一方で、いわき市の平競輪場には全国から集められた支援物資がうずたかく積まれたまま、被災地に届けられることなく指示待ち状態だという映像(3月30日)が、同じくYouTubeに載っていました。一般ボランティアの方が運搬を申し出たのに断られたとのこと。
(http://www.youtube.com 「いわき 支援物資 平競輪場」で検索)

福島県は義援物資については十分な数量が確保されているので受け入れを断っている状況のようです。
いわき市も同様。(国土交通省東北地方整備局HP 「被災された市町村臨時掲示板_いわき市3月28日付)

いわき市まで山ほど物資は届いているのに、行政は何をしているのでしょう。


先日相馬に行ったときに、「1度配給があってもらいに行ったが…」という話も聞きました。
私が足を運んだのは、避難所ではなく津波被害は逃れた一般家庭ですが、食事は米や野菜は自宅の備蓄食材が十分にあるので困っていないよ…ということでした。

「配給するという回覧が回ってきたので、貰いに行ったら、米5キロ渡すと言われたのに3キロくらいしか入れて貰えず、でも無くて貰いに行くわけではないからと文句言わずに帰ろうとしたらパック入りのご飯を少し渡された(でも、美味しくなくて食べられなかった)。そのほかに、非常用の小さい毛布と缶詰とカレールーとお菓子を貰ったの」と。

あまり悲壮感ない言い方であるところからすると、穀倉地帯の相馬市では米や野菜の備蓄は家庭毎にあるのかも知れません。避難所に行かずに済んでいる住民は自宅の食材を食べてしのいでいるのでしょう。虫六が足を運んだ30日にはスーパーが開くようになったと言っていましたが、これも店舗の自助努力で開いてくれたということでしょう。そして、相馬市ではまだそれが出来るけれど、南相馬市はそれも出来ない状況ということなのでしょうか。
(桜井市長のコメントは24日に撮影されているようです。現在の状況はどうなのでしょう?)
ガソリンがあれば南相馬市の人も自分たちで買い出しが出来るのでしょうが、たぶんそれができません。

そもそも、有り余る支援物資を山積みにして、行政は何をしているんでしょうか。このまま南相馬市民を見殺しにするつもりなのでしょうか?


2011年4月1日金曜日

相馬で聞いたこと

これは、3月30日現在、噂噺として相馬市民に聞いたことです。少し不正確な部分もあるかもしれません。

○相馬市海浜の磯部地区では地盤沈下のため津波の水が引かずに沼のように残っているところがあって、堰を切ると水は流れるけど、遺体も流れてしまうからと自衛隊が連日水をポンプでくみ上げているが、なかなか水が引かず難航しているということ。
(そのほか、津波被害の猛威についてもいろいろ聞いたのですが、これは見たわけでないのでイメージが膨らみ過ぎるかもしれないので記載を控えます。)

○この数日でやっとスーパーが開くようになった。震災直後、地元のスーパー「キクチ」が支店の営業が無理と判断し、それぞれの店の在庫を本店に集めて市民に販売した。その後、南相馬市や鹿島町など、物資が届かない地域へシャトルバスを日に何度か往復させて、買い出しができるように計らった。

○福島原発の30キロ圏内は、住民がほとんど避難してしまったので、遺体確認も瓦礫の撤去も全く手つかずということ。発表されている各県の「死者・行方不明者」などの人数も、福島県に関してはそんな事情から実態が計れていない。実際にはもっと凄い数字になるはずだ。しかし、時間もかなり経っているので、身元確認は相当大変だろう。

○相馬市(福島原発の45キロ圏内)で、瓦礫撤去のために重機をレンタルしようと思ったら、重機が放射能で汚染されると使えなくなるから貸せないと断られたケースがある。

○相馬市では屋根が壊れた家屋が多い。瓦修理を頼んだら、2年後になると言われた。

○灯油は入手出来るようになってきたが、ガソリン不足のため配達はしてもらえない。自分でお店まで買いに来てくれと言われる。つまりお年寄りは買えない。

○子供たちの学校の問題は深刻だ。特に受験を控えた高校生などは、授業再開の見通しがない中で、転校も含めて見当しなければならない。生徒自身も親も悩んでいる。

○(聞いたのは70代男性)原発については決して楽観視していないが、いまのところ自分たちの土地を捨ててまで逃げたいとは考えていない。だが、普段しっかりした人だと思っていたような人がまだ退避命令も出ていないのにあっさり自分の土地を逃げ出したりして、意外なこともある…と。(とはいえ、原発に関しては希望的な見通しを期待していた。フクシマの人たちにすれば、それは当然だと思う)
*20キロ圏内で退避命令が出ている人たちや30キロ圏内の南相馬市の人たちが一旦待避した避難所から地元に戻っているという報道があった。ツイッターでは、「なんで?」とか「自己責任」とかいうコメントが重なっていたけれど、その土地で人生を真っ当してきた人たちにとっては、「何を今更」という気持ちが勝っているということも理解できるような気がする。

以上は相馬市で聞いた話ですが、待避命令が出ている、田村市、南相馬市、楢葉町、広野町、川内村、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村、飯館村、富岡町、いわき市の現状はもっと深刻なはず。
情報に注視して行きたいです。

【緊急回覧】
南相馬市長が緊急メッセージをユーチューブにアップしたようです。
  ↓




通常勤務に復活

様々な呼び名があってなんでかな?と思っていましたが、政府は今回の震災を「東日本大震災」とすることを今日の持ち回り閣議で決めたそうです。

気がつけば4月1日。
卒業式もないままに、沢山の若者が社会に巣立っていきました。
震災で何もかも欠損してしまった東日本ですが、早くリセット状態を解除して、まだ働き盛りの我ら世代が中心となり、将来を担う彼らと共により安全で暮らしやすい社会を創造していかなければと思います。
そのためには、仙台が中心になることが望まれます。この街が早くに日常を取り戻し、余力を持って、被災地が生まれ変わるための支援基地となることが大事です。


自宅待機が続いていましたが、今日から通常勤務になりました。
パソコンが復活したら、仕事が中断する前の、頭の回路が繋がりました。
(ま、その前に片付けでしたけどね)
やることはいっぱいありました。

職場の近くで桜が咲いているのを発見!
不安要素は山ほどありますが、とりあえず立ち止まっているわけにはいきません。