2019年5月22日水曜日

吉備中央町に重森三玲のオリジンを訪ねる(後編)_こんぴら歌舞伎2019・帰り道

さて、
そういえば、その日の朝は出発が早くてホテルの朝食に間に合わず、なんだかんだで朝ご飯抜きだったのです。この先も何が起きるか分からないし、ここはがっつり食べておいた方がよさそうだと思い、ヒレカツ定食をオーダー!

このお肉、とーっても柔らかくて、衣もサクサクっ。(←ケンジ調 by きのう何食べた?)
地元産の野菜たっぷりのサラダバーで、このところの野菜不足も補っちゃいました。

うぉーし、午後の部行くぞ〜!と、先ほどのタクシー会社(賀陽交通)さんに再びお願いしますとお電話すると、
「はいはい、じゃあ20分くらいお待ちください」と! ∑(゚∇゚|||)
「えぇえ、20分ですか?」
「はい、いまから出ても遠いからそれくらいかかりますから…」と。
…ひい、しくじった、想定外のロスタイム。そーなのか、そーなのか、早めに時間を決めて予約しておけば良かった…と思うも、後悔先に立たず。
「道の駅」だったので、産直の野菜とかなんとか見ながら時間を潰すけれど、コレ、どんなに新鮮でも今買うべきものではないわけだよ。

やっとタクシーが迎えに来てくれたと思ったら、午前中のお若い方ではなく、さきほど電話にでてくれた(と思われる)ベテランの女性の方でした。
これから向かう小倉邸もよくご存じのようで、いろいろお話も弾んで、なんだか不安感が解消。
「小倉さんのお宅から、次の西谷さんのお宅は歩いて行けるので、15時に西谷さんの下で待ってますから。30分あればきびプラザまで間に合いますので…」と段取ってくださり、帰り足を確保して、いざ、小倉邸へ。
「こんにちはー」と母屋に声を掛けると、迎えてくださったのは身支度もきちんとした上品な佇まいの老齢のご婦人で、役所から予約の連絡が行っていたらしく、「はいはい、どうぞ中へ」とお庭に誘ってくださいました。

そして、なんと縁側から床の間に上がるようにうながされ、お邪魔すると、「ゆっくりして行ってね」と、抹茶を点てておもてなしくださったのでした!w(゚o゚)w
予想外のことになんだかとっても感激…。
午前中のマキマキ・押せ押せの気分をすっかり忘れて、図々しくも小倉さんのお家でまったりしてしまいました。

床の間の掛け軸は、重森三玲直筆の「曲嶌庭」の揮毫。

「曲嶌庭」は、昭和26年、三玲の父・元治郎と親交のあった施主のご当主・小倉常太郎さんと息子の豊さんが、吉川周辺の花崗岩や北白川の砂を準備して三玲に作庭を依頼し、図面無しで2日で造り上げた庭。三玲55才の作品だそうです。

今は常太郎さんのお孫さんの末子さんがおひとりでお住まいで(?)この庭を守られているそう。とても奇麗に管理されていました。借景は、近くに山が迫っていて新緑の柔らかい色が爽やか。

「戦争が終わって間もない頃だったので、何もなかったから、母にしてみれば、庭を造るくらいなら台所を直してくれって思いだったらしいけれど、ーそれはそうだわよねー、でも、父(豊さん)は三玲先生に庭を造らせたいって、近くの石やなんかをいろいろ集めて依頼したそうです。」
「でも、この石がね、素朴でなんとも言えない味わいがあるって言われます。」

お茶をいただきながら、小倉さんのお話をいろいろ聞くことが出来て、いやー、このお話を伺うために此所まで来たんだな、私…と思いました。

「曲嶌庭」は、3つの石組みと苔、白砂で構成された石庭。蓬莱神仙の世界観を表現しつつも、3つの石組みは処女作の茶室で見たのと同じく、それぞれ「真(楷書)・行(行書)・草(草書)」を表しており、それはすなわち人生の三段階のことなのだそうです。

一番奥の、切り立った岩を中心に8つの石で構成されているのが「真(=人生の初期)」の石組。

向かって左の、ごろごろした7つの石で構成されているのが「行(=人生の中年期)」の石組。

そして右の、角の取れた低い石など5つで構成されているのが「草(=人生終期)」の石組。

戦争が終わって、改めて表現への意欲に満ちた時期でもあったでしょうし、また「天籟庵」を拝見したあとでは初心に還る思いもあったのかなとも感じました。華道家の中川氏も参加した「白東社展」をはじめるのは昭和27年、その1年前に、故郷の地でどんな思いを込めてこのお庭を作られたのでしょうか。

もうすぐ90才になるという小倉さん曰く

「いまは山が緑色で爽やかな景色ですけどね、これが夜になると山が真っ暗で見えなくなってね、家の灯りで石がライトアップされたように光を帯びるんですよ。それがね、石が語りかけて来るようで、存在感が極まるんですよ。私は草の石組とね…、私はあんなに丸くなれたかしらってね。近頃は100才の人が書いた本ばっかり読んでいるんですよ。ふふふ」

「それから冬が一層きれいですよ。辺り一面雪で覆われて、そこに石が剥き出しになって、すこし雪を被ってたりしてね、それもとても風情がありますよ…」

うわー、真夜中にも雪深い冬にもたぶんお邪魔出来るってことはないと思いますが、そのお話だけで、いっぱい想像が膨らみます。(´;ω;`)
それにしても、そんな風景を独り占めできるお家に暮らしているとは、なんて贅沢なことでしょう。言われてみれば、我が家はマンションなので庭がない、庭のあるお家に暮らしたいものですねー。

とはとはいえ、小倉さんがお元気だからこそ、このお庭は存在しているのですよね。
今日お庭をお訪ねしたことも、末子さんとお会いできたことも、一期一会の奇跡のようなものだったのかも知れないと思いました。

さて、そろそろ西谷家へ行かねばということを思い出して、お暇すると、なんと小倉さんが自ら道案内をしてくださり、畦道をふたりで散歩。っていうか、サンダル履きでスイスイ歩く健脚に二度びっくり。

小倉家から10分ばかり歩いた見晴らしのいい高台に、西谷家はありました。2色の椿、その向こうに山桜…。吉備中央町はまだ春でした。

この個人邸のために三玲が庭を造ったのは昭和4年。「旭楽庭」と名付けられています。
三玲33才の作品で、自宅の庭の次に古い作品だそう。ここでもご主人が「庭を見にきたんでしょ?」と迎えてくれました。(こちらも役所経由で予約が必要です)

右方の立てられた巨石を中心にした石組みは滝石で蓬莱山も表現しているそう。そこから連なる低めの石組みは山の連なりだそうです。向こうのリアル山並みと呼び合っているみたい。
ご主人が、「三玲さんは借景を取り入れない庭が多いらしいけれど、この庭は別の場所に移されたらダメだね」とおっしゃっていました。また格別に見晴らしがいいんだ、このお宅は。

白砂の海には、蓬莱に向かう舟石(左)と、灯台を表す石(右)が…。

母屋を取り囲むようにL字型にぐるりと庭があります。植栽が育って、たぶん当初よりそうとう大きくなっているのでしょう。

また、生活空間にあるので、納屋の増築の際に石をずらしたりして、三玲が作庭したころとは、少々変えてしまったところもあるそうです。上の写真は、ちょっと崩れちゃった鶴亀石…だそうです。
「枯山水じゃないから、樹を枯らすわけに行かないからね。でも、100年近く持ったんだから立派なもんだよ。」と、西谷さんは笑っていました。息子さんは、この庭にはあまり興味がないんだとか…。あらら、もったいない。

気持ちの良い山並みなど見ながら、ご主人と世間話(近くに若い彫刻家さんが住み着いて制作しているので、ときどき珍しい木材なんかを持って行ってやるんだとか…)をしていると、下にタクシーが到着する音が聞こえて、ちょうどお時間となりました。

タクシーできびプラザに運んでもらって予定通りのバスに乗車。無事に帰路につきました。

この日のタクシー代は締めて15,880円(100円おまけ)。
怒濤の1日でしたが、吉備中央町は出会った人がみんな親切でしたし、また重森三玲の大事な作品を見ることが出来、さらに旅のスリルも味わえて、はるばるやってきた感がありました。振り返ってみると、どのお庭でも料金を取られていないのですよ。これもすごい。なんだか豊かなものを恵んでいただいたような…。そう考えると、この交通費はけっして高くなかったなと思った次第です。

親切にしていただいたみなさんに心から感謝でございます。ありがとうございました。


【おまけ】 岡山駅前の桃太郎。家来が増えておりました。

2019年5月16日木曜日

吉備中央町に重森三玲のオリジンを訪ねる(前編)_こんぴら歌舞伎2019・帰り道

琴平町・金丸座の「こんぴら歌舞伎」への遠征(4月19日〜21日)の帰り道、岡山に途中下車して1泊し、吉備中央町に寄り道しました。吉備中央町…奥州仙台住まいの虫六には見当もつかない土地で、そこはいったいどこでしょう?って感じなんでございました。

GoogleMap
なぜにこの町に向かうことになったのか?と申しますと、
それは、昭和を代表する作庭家で、戦後の前衛芸術運動にも多大な影響を与えた重森三玲の生誕の地であり、処女作をはじめ所縁の作品が多く残っている土地だからであります。
重森三玲(1896年〜1975年)の作庭したお庭を巡ることをささやかなライフワークとしている虫六、機会をとらえてあちらこちらをお訪ねしております。

 ○木曽福島・興禅寺
 ○東福寺界隈
 ○重森三玲庭園美術館
 ○松尾大社
 ○大徳寺瑞峯院
 ○岸和田城「八陣の庭」

が、さすがにここまで行くのはハードルが高いと思っていたのです。
でも琴平の帰り足に1日休みがあったのと、一緒に行くはずの相棒が来れなくなり、ひとり旅となったので、ん!?今なのか?と足を伸ばしてみることにしました。

しかしあまりにも土地勘がないので、1日コースで行って来れるのか少々不安もあり、役場の方にしつこく問い合わせなどして交通手段などを検討…。
こんなコースを計画してみました。

往路)岡山 6:37→(JR伯備線)→備中高梁 7:29着・7:40発→(備北バス)→吉川(終点)8:42着 9:00開館の重森三玲記念館に入館 
 その先は現地で決める。
(ただし、町内ではタクシー以外の移動手段は無いとのこと…(゚∇゚|||)えっ)

復路)きびプラザ15:30→(中鉄バス)→岡山駅16:30着→ホテルに荷物を取りに…岡山17:53発のぞみ→21:13東京駅着/31:36はやぶさ乗り換え→仙台着23:07

町内の重森物件は7ヶ所。お昼を含めて所要時間は6時間半を確保しました。
とにかく、乗りものに乗り遅れないこと、特に町内の中心施設・きびプラザ発のバスに乗り損ねると仙台に帰れないという事態となるので要注意。なんだか緊張するなぁ。

早朝にホテルを出て岡山駅にやってくると、サンライズ瀬戸・出雲が入線してきて、向こうのホームで切り離しを行っていました。一昨日の朝はあれに乗っていたんだなと思うと、なんだか不思議な感じ。

伯備線の、通勤通学利用の人たちにまじって普通列車に揺られ、備中高梁駅まで来て下車、ここからは路線バスに連絡。終点まで乗りっぱなしなので、停車場を間違えてはいけないという緊張感も無く、ただ物珍しい車窓の景色をぼんやり眺めつつ、マイナスイオン満喫。仕事も忘れて解脱状態。どんどん山奥に入っていく感じ、ひとり旅楽しいなー。

2時間ほど電車やバスに揺られて、はい到着しました。吉川公民館の敷地内にある重森三玲記念館。今回の重森庭園探訪のスタート地点です。

おやさっそく枯山水があると思って見てみると、三玲のお孫さんの重森千青(しげもりちさを)さんが記念館の創設にあたり記念に作庭した庭でした。石組みは「三玲」の字を象ったそうです。そう言われてみれば、見えなくもないですね。
庭の前で写真など撮っていたら、ちょうど開館準備をしていた職員の方が声を掛けてくださったので、「仙台から来たんですけど、町内の重森庭園を見て回りたいのですが…」というと、ひぇ〜と1拍驚いて、親切に(本当に!)相談に乗ってくださり、公民館の館長さんも一緒になって、効率的なコース取りを決めてくれました。「外食するところもないから、お昼は道の駅「かよう」で…」という超重要情報も教えてくれました。

まずは、記念館の常設展で三玲が残した書画や茶器、手紙などの資料を眺めつつ、公民館の一角にはパネル展示室があったので、こちらで本日の予習。町内の重森物件のプロフィールを頭に入れました。映像もあって分かりやすかったです。

記念館の隣地(吉川八幡宮)には、三玲の処女作である茶室「天籟庵(てんらいあん)」が移築されています。(1つ前の写真の向こう側に見えている建物。撮影禁止なので、吉備中央町のリンクをご覧ください)

重森家はこのあたりの素封家で、三玲は祖父や父の影響で小さい時から絵や書を好み、生け花や茶の湯を学んでいたそうです。それで、18才の時にみずから茶室を設計し、それを実家の敷地内に父・元治郎が施工して建てたのが「天籟庵」です。
早熟にして、半端ない教養…。教養って余裕から生まれてくるものなんだよね、いまのIT素封家はお金持ちだけど教養はなさそうだなぁ。

1つの部屋に「真・行・草」を表す床の間がそれぞれ3つもあるという珍しい設計は、青年期からして既成概念にとらわれない「はみ出す才能」を感じさせました。18才の三玲少年はすでに茶道の世界観を自分のものにしていたのでしょうか。曲面が特徴の船底天井に、サルスベリという変わった材を用いた床柱もユニークですが、しかし、なんといっても変わっているのはオール・モルタルのお庭。これは茶室が昭和44年に宮社の境内に移築されるときに、三玲自身が新たに作庭したもので、過疎化が進む土地の状況に配慮して町民の負担にならずにメンテンナンスフリーで維持できるようにと、こういう造りになったそう。1本の草も木もない庭には正直度肝を抜かれましたが、吉川八幡宮が海の神様を祀った社であることに因んで、波の模様が大胆にデザインされ、最高級の鞍馬石や鎌倉時代の手水鉢を配するなど、伝統とモダンが対峙していて斬新でした。
…いえ、何気なく書きましたが、庭を維持するには経費も人の手もかかるのです。このような発想自体が重森三玲のすごいところだと思います。

年に1度の地域のイベントの日には、この茶室も市民に開放されて、みんながお茶を楽しむのだそうです。

処女作の茶室もはみ出していたけれど、50年たって造ったこの庭も相当尖っているなぁーと、旅の初っぱなから三玲の個性に打たれました。

ちなみに、「天籟庵」だけでなく記念館や公民館のあるこの辺り一帯は、ぜーんぶ吉川八幡宮の敷地内だったそうです。この宮社は京都の石清水八幡宮の別宮として永長元年(1096年)に創建されたという由緒も古く、そうとう大きな神社だったようです。三玲は、地元の人たちも気づくことがなかったこの神社の文化財的価値を見いだして、「特別保護建造物」指定に取り組んだそうで、それを経て、現在は本殿が国の重要文化財に指定されているのです。

神社を見ている間にタクシーを呼んでいただき、到着した車に乗り込んで、次の目的地に…。
参考までに、公民館の方に「歩いて行ったりはできますか?」と聞いてみたら、「絶対に無理です!」と即答が返ってきました。「町内は基本的に山道なのでアップダウンが激しくて大変ですよ、自転車も無理、18才くらいなら止めませんけど…」って。

次に訪れたのはいま拝見した「天籟庵」が元々あった場所、つまり三玲の生家跡です。
見学者用の案内板もあり、自由に入ってみることができます。建物の基礎部分も残っていて、建築のことは詳しいこと知りませんが、相当大きな家であったことはわかりました。
松(?)の樹形が大変なことになってました。

お若いタクシーの運転手さんがまだ成り立てとかで、「あの場所だと思うんだけど…」とか言いながら入口を見つけられずに遠回りしてくれたのには、胃が縮む思いでしたが。

茶室は移築されたけど、茶庭はその場所に残っていて、その痕跡をみることができます。大正14年に、三玲が京都の大徳寺大仙院をリスペクトして初めて作庭した枯山水。枯滝石組や立石などが当時のまま残っています。
遺跡の様な、いまは手入れする人のいない庭の跡を眺めながら、若々しい三玲の気概など感じながらも、まだまだ先がある…とりあえず次の目的地へ。

そこから、ぐるーっと町の反対側へ走ってもらって着いたのが、吉備中央町賀陽庁舎。京都友琳会館の庭園(昭和44年作庭)を平成14年にここへ移築した「友琳の庭」。

「友」は友禅染の完成者・宮崎友禅斎から、「琳」は尾形光琳から、京都を代表するデザイナーへのリスペクト。ひゅるんと伸びた白い形状は熨斗を表現しているそうで、池泉鑑賞式の庭園です。

紀州和歌山の海の石を使っていて、移築の際に三玲の弟子さんが工夫して、水面にいつもぴらぴらとさざ波が立つようなしくみに改良したそうです。ぼこぼこわき上がる水が温泉のようです。
上の方から全貌を眺め下ろしたかったけれど、庁舎を彷徨く勇気が出ず、また待たせたタクシー(のメーター)も心配なので、やや後ろ髪を引かれつつ庭を後にしました。

タクシーの運転手さんに、「レンタカー借りれば良かったですかね?」ってイジイジ聞いてみたら、「うーん、でもレンタカーって岡山だと空港で借りないとないんじゃないかな…」という答えが返ってきて、そうか、なんだかんだで最良の方法を踏んでいるのかオレと思ってしまいました。

そして次に辿りついたのは、大村寺にある茶室「功徳庵」。ここはうっかり予約していかなかった(というか、役場でも聞かれなかったので一般公開してなかったのかもしれません)ので、茶室の中には入れませんでしたが、ぐるりとお庭を拝見。

功徳庵は三玲64歳の作品。昭和38年に岡山市内の個人宅(立岡皓男氏宅?)のために築造し、立岡氏から寄贈を受け大村寺へ移築(平成11年6月)されました。北山杉、長岡竹、鞍馬石と材料を吟味して建築された茶室は相対美が美しく、三玲の最高傑作とも言われているそう。

低く作られた垣根越しに、推定樹齢350年のクロマツ(錦松)を臨むことができます。
瀟洒な建物は、もともとあったお屋敷とはどんな感じでおかれていたのかなとか、その庭からはどんな借景を楽しんだのかな…とか、いろいろ想像。

この石は…なんだろな、石臼の石かな。

うーん、この石も何かの廃材かもしれないな…。
とか、勉強不足をやや反省しつつ、大村寺を後にして、さきほど教えていただいた道の駅「かよう」まで連れていっていただき、お昼タイム。

で、ここでいったんタクシーを精算して、手放すことに。

ここまでのタクシー代、10,100円!…100円はおまけしてくれました。
 (;´д`)
ひい、正直いってお安くない〜、吉備中央町広い〜。
っていうか、財布に万札入っていて良かった。

さて、このあと虫六のひとり旅はいったいどうなるのでしょうか…(つづく)

2019年1月13日日曜日

2017年の観劇ベストテン(覚書)←いまごろ

寒中お見舞い申し上げます。
今年は、喪中につき年賀のご挨拶を欠礼させていただきました。

そして、年末に大掃除の傍ら整理しようとおもっていた去年の観劇関係の資料、手付かずで年を越してしまいました。あー、こーしてみると、本当にいかにブログをサボっていたかが知れちゃうなーと思いながら、本棚に仕舞い切れない筋書きの山をみる。正月から反省反省。(生写真の整理は未着手のまま)



そんなわけで、松も開けてしまったというのに
いまごろ(?!)な、2018年ベストテンなど…(以下観劇順)

『仮名手本忠臣蔵 七段目』(白鷗、仁左衛門、玉三郎)2月歌舞伎座
『神田祭』(仁左・玉)3月歌舞伎座
『絵本合法衢』(仁左衛門)4月歌舞伎座
『切られの与三』(七之助、梅枝)5月 コクーン歌舞伎
『盟三五大切』(幸四郎・七之助・獅堂)8月歌舞伎座
『助六』(仁左衛門・七之助)10月歌舞伎座
『実盛物語』(勘九郎)11月平成中村座
『隅田川続俤』法界坊(猿之助・右近)11月歌舞伎座
『壇ノ浦兜軍記(阿古屋)』(玉三郎)12月歌舞伎座
『二人藤娘』(梅枝・児太郎)12月歌舞伎座


<歌舞伎外>
「すしやの段」(駒之助)2月KAAT
まっちゃん祭り(神田松之丞ほか)11月読売ホール
文楽『勘助住家の段』ほか 5月国立小劇場

…ということにしておこう。

昨年は、ほとんど東京通いで遠征はなかったけれど、仁左衛門と玉三郎が顔を揃える舞台が色々堪能できて眼福でした。いつまでも元気で素晴らしい舞台をみせてください。
高麗屋の襲名は2月だけでしたが、歌舞伎座で拝見。幸四郎には色々窮屈でなくやって欲しいです。
また、七之助の躍進が本当に際立って今年はさらに大きくなるんだろうなぁという感じ。さらに、梅枝、児太郎の成長も楽しみ。特に児太郎は大注目ですね。っていうかずっと高感度が右肩上がりです。ベストテンには入いり切れませんでしたが、壱太郎も注目してます。
…今年は、三谷幸喜さんも新作歌舞伎(6月)にやるというし、ナウシカ歌舞伎(12月)もあるし、こんぴら歌舞伎(4月)は中村屋ですし…うぅ、破産するぅ。

話芸ものでは、柳家喬太郎(落語)や神田松之丞(講談)の高座を聞く機会が持てて嬉しかった。なかなか予定を合わせられませんが、寄席芸も聞く機会を増やしていけるといいなー。
…とはいえ、田舎住まいはやっぱり機会が少ないので、上京のチャンスをつかまなければならないのはハンディが大きいとますます実感するのでありました。
歌舞伎はまだ1ト月やってくださいますが、松之丞の連続読みなど、なかなかというか、定年退職でもしなければ長期滞在して聞くチャンスないんでないのかな…。
そういう意味では、ラジオでいいから連続読みやって欲しいです。

仙台でみた舞台では、文楽地方公演(『義経千本桜』「椎の木の段」「すしやの段」、『義経千本桜』(道行初音旅)、『新版歌祭文』)の若手の義太夫さんたちのがんばりが好感持てました。

そんなこんなで、歌舞伎の神様、今年もどうかよろしくお願いします。


【おまけ】←というか懺悔
*去年タイトルだけ付けて書かなかった日記

1)歌舞伎座11月公演_猿之助の「法界坊」
2)神田松之丞「まっちゃん祭り」
3)平成中村座11月_あるいは「長三郎劇場」を桜席で