ラベル アート の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル アート の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2019年5月22日水曜日

吉備中央町に重森三玲のオリジンを訪ねる(後編)_こんぴら歌舞伎2019・帰り道

さて、
そういえば、その日の朝は出発が早くてホテルの朝食に間に合わず、なんだかんだで朝ご飯抜きだったのです。この先も何が起きるか分からないし、ここはがっつり食べておいた方がよさそうだと思い、ヒレカツ定食をオーダー!

このお肉、とーっても柔らかくて、衣もサクサクっ。(←ケンジ調 by きのう何食べた?)
地元産の野菜たっぷりのサラダバーで、このところの野菜不足も補っちゃいました。

うぉーし、午後の部行くぞ〜!と、先ほどのタクシー会社(賀陽交通)さんに再びお願いしますとお電話すると、
「はいはい、じゃあ20分くらいお待ちください」と! ∑(゚∇゚|||)
「えぇえ、20分ですか?」
「はい、いまから出ても遠いからそれくらいかかりますから…」と。
…ひい、しくじった、想定外のロスタイム。そーなのか、そーなのか、早めに時間を決めて予約しておけば良かった…と思うも、後悔先に立たず。
「道の駅」だったので、産直の野菜とかなんとか見ながら時間を潰すけれど、コレ、どんなに新鮮でも今買うべきものではないわけだよ。

やっとタクシーが迎えに来てくれたと思ったら、午前中のお若い方ではなく、さきほど電話にでてくれた(と思われる)ベテランの女性の方でした。
これから向かう小倉邸もよくご存じのようで、いろいろお話も弾んで、なんだか不安感が解消。
「小倉さんのお宅から、次の西谷さんのお宅は歩いて行けるので、15時に西谷さんの下で待ってますから。30分あればきびプラザまで間に合いますので…」と段取ってくださり、帰り足を確保して、いざ、小倉邸へ。
「こんにちはー」と母屋に声を掛けると、迎えてくださったのは身支度もきちんとした上品な佇まいの老齢のご婦人で、役所から予約の連絡が行っていたらしく、「はいはい、どうぞ中へ」とお庭に誘ってくださいました。

そして、なんと縁側から床の間に上がるようにうながされ、お邪魔すると、「ゆっくりして行ってね」と、抹茶を点てておもてなしくださったのでした!w(゚o゚)w
予想外のことになんだかとっても感激…。
午前中のマキマキ・押せ押せの気分をすっかり忘れて、図々しくも小倉さんのお家でまったりしてしまいました。

床の間の掛け軸は、重森三玲直筆の「曲嶌庭」の揮毫。

「曲嶌庭」は、昭和26年、三玲の父・元治郎と親交のあった施主のご当主・小倉常太郎さんと息子の豊さんが、吉川周辺の花崗岩や北白川の砂を準備して三玲に作庭を依頼し、図面無しで2日で造り上げた庭。三玲55才の作品だそうです。

今は常太郎さんのお孫さんの末子さんがおひとりでお住まいで(?)この庭を守られているそう。とても奇麗に管理されていました。借景は、近くに山が迫っていて新緑の柔らかい色が爽やか。

「戦争が終わって間もない頃だったので、何もなかったから、母にしてみれば、庭を造るくらいなら台所を直してくれって思いだったらしいけれど、ーそれはそうだわよねー、でも、父(豊さん)は三玲先生に庭を造らせたいって、近くの石やなんかをいろいろ集めて依頼したそうです。」
「でも、この石がね、素朴でなんとも言えない味わいがあるって言われます。」

お茶をいただきながら、小倉さんのお話をいろいろ聞くことが出来て、いやー、このお話を伺うために此所まで来たんだな、私…と思いました。

「曲嶌庭」は、3つの石組みと苔、白砂で構成された石庭。蓬莱神仙の世界観を表現しつつも、3つの石組みは処女作の茶室で見たのと同じく、それぞれ「真(楷書)・行(行書)・草(草書)」を表しており、それはすなわち人生の三段階のことなのだそうです。

一番奥の、切り立った岩を中心に8つの石で構成されているのが「真(=人生の初期)」の石組。

向かって左の、ごろごろした7つの石で構成されているのが「行(=人生の中年期)」の石組。

そして右の、角の取れた低い石など5つで構成されているのが「草(=人生終期)」の石組。

戦争が終わって、改めて表現への意欲に満ちた時期でもあったでしょうし、また「天籟庵」を拝見したあとでは初心に還る思いもあったのかなとも感じました。華道家の中川氏も参加した「白東社展」をはじめるのは昭和27年、その1年前に、故郷の地でどんな思いを込めてこのお庭を作られたのでしょうか。

もうすぐ90才になるという小倉さん曰く

「いまは山が緑色で爽やかな景色ですけどね、これが夜になると山が真っ暗で見えなくなってね、家の灯りで石がライトアップされたように光を帯びるんですよ。それがね、石が語りかけて来るようで、存在感が極まるんですよ。私は草の石組とね…、私はあんなに丸くなれたかしらってね。近頃は100才の人が書いた本ばっかり読んでいるんですよ。ふふふ」

「それから冬が一層きれいですよ。辺り一面雪で覆われて、そこに石が剥き出しになって、すこし雪を被ってたりしてね、それもとても風情がありますよ…」

うわー、真夜中にも雪深い冬にもたぶんお邪魔出来るってことはないと思いますが、そのお話だけで、いっぱい想像が膨らみます。(´;ω;`)
それにしても、そんな風景を独り占めできるお家に暮らしているとは、なんて贅沢なことでしょう。言われてみれば、我が家はマンションなので庭がない、庭のあるお家に暮らしたいものですねー。

とはとはいえ、小倉さんがお元気だからこそ、このお庭は存在しているのですよね。
今日お庭をお訪ねしたことも、末子さんとお会いできたことも、一期一会の奇跡のようなものだったのかも知れないと思いました。

さて、そろそろ西谷家へ行かねばということを思い出して、お暇すると、なんと小倉さんが自ら道案内をしてくださり、畦道をふたりで散歩。っていうか、サンダル履きでスイスイ歩く健脚に二度びっくり。

小倉家から10分ばかり歩いた見晴らしのいい高台に、西谷家はありました。2色の椿、その向こうに山桜…。吉備中央町はまだ春でした。

この個人邸のために三玲が庭を造ったのは昭和4年。「旭楽庭」と名付けられています。
三玲33才の作品で、自宅の庭の次に古い作品だそう。ここでもご主人が「庭を見にきたんでしょ?」と迎えてくれました。(こちらも役所経由で予約が必要です)

右方の立てられた巨石を中心にした石組みは滝石で蓬莱山も表現しているそう。そこから連なる低めの石組みは山の連なりだそうです。向こうのリアル山並みと呼び合っているみたい。
ご主人が、「三玲さんは借景を取り入れない庭が多いらしいけれど、この庭は別の場所に移されたらダメだね」とおっしゃっていました。また格別に見晴らしがいいんだ、このお宅は。

白砂の海には、蓬莱に向かう舟石(左)と、灯台を表す石(右)が…。

母屋を取り囲むようにL字型にぐるりと庭があります。植栽が育って、たぶん当初よりそうとう大きくなっているのでしょう。

また、生活空間にあるので、納屋の増築の際に石をずらしたりして、三玲が作庭したころとは、少々変えてしまったところもあるそうです。上の写真は、ちょっと崩れちゃった鶴亀石…だそうです。
「枯山水じゃないから、樹を枯らすわけに行かないからね。でも、100年近く持ったんだから立派なもんだよ。」と、西谷さんは笑っていました。息子さんは、この庭にはあまり興味がないんだとか…。あらら、もったいない。

気持ちの良い山並みなど見ながら、ご主人と世間話(近くに若い彫刻家さんが住み着いて制作しているので、ときどき珍しい木材なんかを持って行ってやるんだとか…)をしていると、下にタクシーが到着する音が聞こえて、ちょうどお時間となりました。

タクシーできびプラザに運んでもらって予定通りのバスに乗車。無事に帰路につきました。

この日のタクシー代は締めて15,880円(100円おまけ)。
怒濤の1日でしたが、吉備中央町は出会った人がみんな親切でしたし、また重森三玲の大事な作品を見ることが出来、さらに旅のスリルも味わえて、はるばるやってきた感がありました。振り返ってみると、どのお庭でも料金を取られていないのですよ。これもすごい。なんだか豊かなものを恵んでいただいたような…。そう考えると、この交通費はけっして高くなかったなと思った次第です。

親切にしていただいたみなさんに心から感謝でございます。ありがとうございました。


【おまけ】 岡山駅前の桃太郎。家来が増えておりました。

2019年5月16日木曜日

吉備中央町に重森三玲のオリジンを訪ねる(前編)_こんぴら歌舞伎2019・帰り道

琴平町・金丸座の「こんぴら歌舞伎」への遠征(4月19日〜21日)の帰り道、岡山に途中下車して1泊し、吉備中央町に寄り道しました。吉備中央町…奥州仙台住まいの虫六には見当もつかない土地で、そこはいったいどこでしょう?って感じなんでございました。

GoogleMap
なぜにこの町に向かうことになったのか?と申しますと、
それは、昭和を代表する作庭家で、戦後の前衛芸術運動にも多大な影響を与えた重森三玲の生誕の地であり、処女作をはじめ所縁の作品が多く残っている土地だからであります。
重森三玲(1896年〜1975年)の作庭したお庭を巡ることをささやかなライフワークとしている虫六、機会をとらえてあちらこちらをお訪ねしております。

 ○木曽福島・興禅寺
 ○東福寺界隈
 ○重森三玲庭園美術館
 ○松尾大社
 ○大徳寺瑞峯院
 ○岸和田城「八陣の庭」

が、さすがにここまで行くのはハードルが高いと思っていたのです。
でも琴平の帰り足に1日休みがあったのと、一緒に行くはずの相棒が来れなくなり、ひとり旅となったので、ん!?今なのか?と足を伸ばしてみることにしました。

しかしあまりにも土地勘がないので、1日コースで行って来れるのか少々不安もあり、役場の方にしつこく問い合わせなどして交通手段などを検討…。
こんなコースを計画してみました。

往路)岡山 6:37→(JR伯備線)→備中高梁 7:29着・7:40発→(備北バス)→吉川(終点)8:42着 9:00開館の重森三玲記念館に入館 
 その先は現地で決める。
(ただし、町内ではタクシー以外の移動手段は無いとのこと…(゚∇゚|||)えっ)

復路)きびプラザ15:30→(中鉄バス)→岡山駅16:30着→ホテルに荷物を取りに…岡山17:53発のぞみ→21:13東京駅着/31:36はやぶさ乗り換え→仙台着23:07

町内の重森物件は7ヶ所。お昼を含めて所要時間は6時間半を確保しました。
とにかく、乗りものに乗り遅れないこと、特に町内の中心施設・きびプラザ発のバスに乗り損ねると仙台に帰れないという事態となるので要注意。なんだか緊張するなぁ。

早朝にホテルを出て岡山駅にやってくると、サンライズ瀬戸・出雲が入線してきて、向こうのホームで切り離しを行っていました。一昨日の朝はあれに乗っていたんだなと思うと、なんだか不思議な感じ。

伯備線の、通勤通学利用の人たちにまじって普通列車に揺られ、備中高梁駅まで来て下車、ここからは路線バスに連絡。終点まで乗りっぱなしなので、停車場を間違えてはいけないという緊張感も無く、ただ物珍しい車窓の景色をぼんやり眺めつつ、マイナスイオン満喫。仕事も忘れて解脱状態。どんどん山奥に入っていく感じ、ひとり旅楽しいなー。

2時間ほど電車やバスに揺られて、はい到着しました。吉川公民館の敷地内にある重森三玲記念館。今回の重森庭園探訪のスタート地点です。

おやさっそく枯山水があると思って見てみると、三玲のお孫さんの重森千青(しげもりちさを)さんが記念館の創設にあたり記念に作庭した庭でした。石組みは「三玲」の字を象ったそうです。そう言われてみれば、見えなくもないですね。
庭の前で写真など撮っていたら、ちょうど開館準備をしていた職員の方が声を掛けてくださったので、「仙台から来たんですけど、町内の重森庭園を見て回りたいのですが…」というと、ひぇ〜と1拍驚いて、親切に(本当に!)相談に乗ってくださり、公民館の館長さんも一緒になって、効率的なコース取りを決めてくれました。「外食するところもないから、お昼は道の駅「かよう」で…」という超重要情報も教えてくれました。

まずは、記念館の常設展で三玲が残した書画や茶器、手紙などの資料を眺めつつ、公民館の一角にはパネル展示室があったので、こちらで本日の予習。町内の重森物件のプロフィールを頭に入れました。映像もあって分かりやすかったです。

記念館の隣地(吉川八幡宮)には、三玲の処女作である茶室「天籟庵(てんらいあん)」が移築されています。(1つ前の写真の向こう側に見えている建物。撮影禁止なので、吉備中央町のリンクをご覧ください)

重森家はこのあたりの素封家で、三玲は祖父や父の影響で小さい時から絵や書を好み、生け花や茶の湯を学んでいたそうです。それで、18才の時にみずから茶室を設計し、それを実家の敷地内に父・元治郎が施工して建てたのが「天籟庵」です。
早熟にして、半端ない教養…。教養って余裕から生まれてくるものなんだよね、いまのIT素封家はお金持ちだけど教養はなさそうだなぁ。

1つの部屋に「真・行・草」を表す床の間がそれぞれ3つもあるという珍しい設計は、青年期からして既成概念にとらわれない「はみ出す才能」を感じさせました。18才の三玲少年はすでに茶道の世界観を自分のものにしていたのでしょうか。曲面が特徴の船底天井に、サルスベリという変わった材を用いた床柱もユニークですが、しかし、なんといっても変わっているのはオール・モルタルのお庭。これは茶室が昭和44年に宮社の境内に移築されるときに、三玲自身が新たに作庭したもので、過疎化が進む土地の状況に配慮して町民の負担にならずにメンテンナンスフリーで維持できるようにと、こういう造りになったそう。1本の草も木もない庭には正直度肝を抜かれましたが、吉川八幡宮が海の神様を祀った社であることに因んで、波の模様が大胆にデザインされ、最高級の鞍馬石や鎌倉時代の手水鉢を配するなど、伝統とモダンが対峙していて斬新でした。
…いえ、何気なく書きましたが、庭を維持するには経費も人の手もかかるのです。このような発想自体が重森三玲のすごいところだと思います。

年に1度の地域のイベントの日には、この茶室も市民に開放されて、みんながお茶を楽しむのだそうです。

処女作の茶室もはみ出していたけれど、50年たって造ったこの庭も相当尖っているなぁーと、旅の初っぱなから三玲の個性に打たれました。

ちなみに、「天籟庵」だけでなく記念館や公民館のあるこの辺り一帯は、ぜーんぶ吉川八幡宮の敷地内だったそうです。この宮社は京都の石清水八幡宮の別宮として永長元年(1096年)に創建されたという由緒も古く、そうとう大きな神社だったようです。三玲は、地元の人たちも気づくことがなかったこの神社の文化財的価値を見いだして、「特別保護建造物」指定に取り組んだそうで、それを経て、現在は本殿が国の重要文化財に指定されているのです。

神社を見ている間にタクシーを呼んでいただき、到着した車に乗り込んで、次の目的地に…。
参考までに、公民館の方に「歩いて行ったりはできますか?」と聞いてみたら、「絶対に無理です!」と即答が返ってきました。「町内は基本的に山道なのでアップダウンが激しくて大変ですよ、自転車も無理、18才くらいなら止めませんけど…」って。

次に訪れたのはいま拝見した「天籟庵」が元々あった場所、つまり三玲の生家跡です。
見学者用の案内板もあり、自由に入ってみることができます。建物の基礎部分も残っていて、建築のことは詳しいこと知りませんが、相当大きな家であったことはわかりました。
松(?)の樹形が大変なことになってました。

お若いタクシーの運転手さんがまだ成り立てとかで、「あの場所だと思うんだけど…」とか言いながら入口を見つけられずに遠回りしてくれたのには、胃が縮む思いでしたが。

茶室は移築されたけど、茶庭はその場所に残っていて、その痕跡をみることができます。大正14年に、三玲が京都の大徳寺大仙院をリスペクトして初めて作庭した枯山水。枯滝石組や立石などが当時のまま残っています。
遺跡の様な、いまは手入れする人のいない庭の跡を眺めながら、若々しい三玲の気概など感じながらも、まだまだ先がある…とりあえず次の目的地へ。

そこから、ぐるーっと町の反対側へ走ってもらって着いたのが、吉備中央町賀陽庁舎。京都友琳会館の庭園(昭和44年作庭)を平成14年にここへ移築した「友琳の庭」。

「友」は友禅染の完成者・宮崎友禅斎から、「琳」は尾形光琳から、京都を代表するデザイナーへのリスペクト。ひゅるんと伸びた白い形状は熨斗を表現しているそうで、池泉鑑賞式の庭園です。

紀州和歌山の海の石を使っていて、移築の際に三玲の弟子さんが工夫して、水面にいつもぴらぴらとさざ波が立つようなしくみに改良したそうです。ぼこぼこわき上がる水が温泉のようです。
上の方から全貌を眺め下ろしたかったけれど、庁舎を彷徨く勇気が出ず、また待たせたタクシー(のメーター)も心配なので、やや後ろ髪を引かれつつ庭を後にしました。

タクシーの運転手さんに、「レンタカー借りれば良かったですかね?」ってイジイジ聞いてみたら、「うーん、でもレンタカーって岡山だと空港で借りないとないんじゃないかな…」という答えが返ってきて、そうか、なんだかんだで最良の方法を踏んでいるのかオレと思ってしまいました。

そして次に辿りついたのは、大村寺にある茶室「功徳庵」。ここはうっかり予約していかなかった(というか、役場でも聞かれなかったので一般公開してなかったのかもしれません)ので、茶室の中には入れませんでしたが、ぐるりとお庭を拝見。

功徳庵は三玲64歳の作品。昭和38年に岡山市内の個人宅(立岡皓男氏宅?)のために築造し、立岡氏から寄贈を受け大村寺へ移築(平成11年6月)されました。北山杉、長岡竹、鞍馬石と材料を吟味して建築された茶室は相対美が美しく、三玲の最高傑作とも言われているそう。

低く作られた垣根越しに、推定樹齢350年のクロマツ(錦松)を臨むことができます。
瀟洒な建物は、もともとあったお屋敷とはどんな感じでおかれていたのかなとか、その庭からはどんな借景を楽しんだのかな…とか、いろいろ想像。

この石は…なんだろな、石臼の石かな。

うーん、この石も何かの廃材かもしれないな…。
とか、勉強不足をやや反省しつつ、大村寺を後にして、さきほど教えていただいた道の駅「かよう」まで連れていっていただき、お昼タイム。

で、ここでいったんタクシーを精算して、手放すことに。

ここまでのタクシー代、10,100円!…100円はおまけしてくれました。
 (;´д`)
ひい、正直いってお安くない〜、吉備中央町広い〜。
っていうか、財布に万札入っていて良かった。

さて、このあと虫六のひとり旅はいったいどうなるのでしょうか…(つづく)

2016年9月20日火曜日

国立近代美術館「トーマス・ルフ展」

竹橋の国立近代美術館では「トーマス・ルフ展」が開催されています。

最近、現代アート系にはなさけないほどアンテナが立ってなくて、この作家の名前は知りませんでしたが、なんとなくこのポスターにひかれるものがあり、たまたま日帰りの切符をもらったので上京して(すみません、TYO大好きです)、虫六子と美術館巡りで寄ってみました。ちょうど、奈良良智さんが選ぶMOMATコレクションという企画展もやってたしね。

会場に入ったら、巨大なポートレート写真がドドーン。トーマス・ルフが最初にブレイクした「Porträts(ポートレート)」というシリーズだそうです。普通3×4cmくらいにプリントして履歴書なんかに貼る証明写真ですね。ルフの友人たちをモデルに撮影した写真だそうですが、それが人よりも大きいサイズでずらりとど迫力で並んでいました。いまですと、こんな巨大カラープリントというフォーマットは珍しくないですが、この作品は現代写真の先駆けだったのだとか。
大人しく見ていたら、何やら場内で大胆に写真を撮りだす人がいたのでびっくりしたんですが、条件付きで撮影OKでした。遠慮気味に虫六もスマホのシャッター切りました。

トーマス・ルフは、1958年ドイツ生まれで、「デュッセルドルフ芸術アカデミーでベルント&ヒラ・ベッヒャー夫妻に学んだ「ベッヒャー派」として、1990年代以降、現代の写真表現をリードしてきた存在」(MOMATホームページより)だそうです。ん?ベッヒャー夫妻って知ってるぞ、その昔、『給水塔』って静謐な風景がしぶい写真集を買ったことがある。
思い出してネットで検索してみたら、ヒラ夫人は昨年10月10日に81才で、ベルント氏はもっと以前に逝去されたことを知りました。彼らのお弟子さん達が現代の写真界をリードする存在になっていたんですね。
 
ベッヒャー夫妻は、ドイツの溶鉱炉や給水塔など、近代産業によって作られた歴史的建造物、今でいうなら近代産業遺産を、無名の(アノニマスな)彫刻として、曇天というほぼ同じ光の下で、同じ機材を使い、正面から撮影することで、カタログ的に収集、展示することを行った。それらは同じ機能と形を持つ建造物のバリエーションであり、人工物の形態学だといえる。彼らはその手法を類型学(タイポロジー)と名付けた。
(写真をアートへ導いた大きな流れ「ベッヒャーとその教え子」三木学)

そして、確かにポートレート写真につづくシリーズ「l.m.v.d.r.」は、ドイツの有名な建築家ルードヴィッヒ・ミース・ファン・デル・ローエが作った近代建築をカタログ風に撮影したという、師匠の作品を彷彿させるものでした…が、そのアプローチは、すでに作品化しているミース建物の「写真」を分析・研究して、そのイメージに近づけて自ら撮影したり、時にはデジタル処理までしてその巨匠建築家の視覚的イメージを探求するという、こだわりのあるものだったようです。

そのあとの「andere Porträts(アザー・ポートレート)」ってシリーズでは、ちょっと不思議な写真が並びます。
最初にみた友人達の写真を素材に、ドイツの警察が犯人捜査のために使っていたモンタージュ写真合成機をつかって作った、実際には存在しない人物の写真。
うーん、コンセプチャルだなー、好みだぞ。

さらに、この向かいの壁にあった作品のシリーズ「Zeitungsfotos(ニュースペーパーー・フォト)」では、ギョッとしました。
新聞や雑誌に掲載された写真を切り抜いて、額に入れて展示するという…。(ルフはこういう写真を2500枚もアーカイブしていたらしい)もう、写真作品というより、真っ向から現代アート!!これは、こちらが期待していた器から溢れだしているぞ。
職業柄、写真を扱う時はそれが誰がいつ撮ったものかが気になるし、とりあえず著作権とか二次使用とか無視できないつうか、新聞社に使用許可取って使用料払って…という発想しかできない体質になっていたよ…と、スクエアな我が脳みそを自覚( ̄◆ ̄;)。正直、これは禁じ手というか死角を突かれたようなショックを受けました。(あまりにも狼狽して、写真を撮り損ねました)

で、次はこれですよ。「jpeg(ジェイペグ)」のシリーズ。
我々が毎日みているネットその他に溢れているデジタル画像は、いちばん標準的な画像圧縮フォーマットであるjpegで処理されているものが多いわけですが、その圧縮をかけ過ぎるとブロックノイズが起こってしまうという、画像つかっている人ならけっこう見慣れたあの荒れた画像をこれまた巨大プリントで現出。あの事件で目にした場面も、あのニュースで流れた歴史的な写真も、我々が見ていたものはこんなガサガサの画像構造をしていたのです、ね。ルフ先生。
…そうか、この作家は一貫して“アノニマスな(無名の)”イメージの構造を追求しているってことなのか。なにかストンと落ちました。

そうなるとルフ先生の発想はとどまるところを知りません。しかも、自らは写真も撮りません。
物理学や数学の数式がつくる線形を3Dプログラムで解析して、まるで抽象画のドローイングのように描き出したり…(この作品、カッコいいです)

新聞社の資料室に眠っている写真を、裏書きの記述や押印と合成して、大きく引き延ばしてみたり…

NASAの探査船が地球に送ってインターネットで公開されている土星や惑星の写真をデジタル処理で着色してみたり…。などなどなど。

インターネットでは、大量の…(展覧会では「もはや計測することすら不可能な量」と表現してました)画像が氾濫していて、それがなにがしかの現実を表象しているのかどうかも釈然としない現代において、私たちがみている写真(画像)ってなんだろう。実態と作られたイメージの境目にあらためて意識の針が振れる展覧会でした。いやはや面白かった。

トーマス・ルフ展をあまりにじっくり見すぎて、奈良良智セレクションの企画展を見る時間がなくなってしまい、駆け足で《Harmless Kitty》をなんとか見つけ出して見た親子でした(汗)


2016年8月22日月曜日

卓球と「大妖怪展」

日本の卓球男子がブラジルの地で、巨石・中国卓球界を大いに焦らせた18日早朝のオリンピック決勝戦をみるために、その日は黒い翅をのばしにTYOに行く予定だったのを、ついつい出発を遅らせた虫六です。(夏休みだかんねー)

これまでの人生でオリンピックにもスポーツにもはまったことがない虫六でしたが、面白かったなー。三回も形態進化した「シン・ゴジラ」のごとく、一試合ごとに強さが増す水谷選手!奇跡が起こってしまいそうでドキドキしましたが残念でした!水谷君、今後はマークされて大変かもしれませんが、4年後は中国を打ち砕いて金メダルとってください。

てなわけで、遅ればせながらTYOに到着してみれば、どしゃ降り。お友だちの銀子さんちに荷物をおいて、夕方近くになっていましたが、江戸博で開催中の「大妖怪展」を見に行きました。

遅くに入館したのが幸いして、思ったより混んでもいなくて、けっこうじっくり見れました。

「大妖怪展」は8回にスケジュールを分けて展示替えしているみたいで、この日はラストステージのようでしたが、真珠庵版の「百鬼夜行絵巻」(伝土佐光信)は見られたのでラッキーでした。
太古の昔から人の心の隙間に現れる物の怪や幽霊、きも可愛い妖怪や付喪神…。なにしろ土偶の時代から人はそういうイマジネーションを形に変えて来たのだそうです。

「針聞書」や「姫国山海録」の妖怪図鑑は、ユニークだしキャラが立っているので出版したら絶対売れる!と思ってみていたら、ミュージアムショップにたっぷりグッズになったの売ってました。石蟲のクッションとか4500円もして高かった。
で、思わず一筆箋買ってしまいましたが…(゚m゚*)

北斎、国芳、国貞、芳年と、錦絵になった妖怪もたっぷり堪能。中外産業の所蔵品が状態が良くてきれいでした。
銀子さんは逃げていったけど、夢にでそうな幽霊図もきれいなのが出てました。

圓福寺の「熊野勧心十界図」が出ているの知らなかったので、ちょっと上がりました。モノスコープ持ってくれば良かったなーとか思いながらじろじろ拝見。
その他、九相圖とか地獄絵図、六道図とかエグイのもありましたが、面白くてやっぱり時間が足りませんでした。

土偶と妖怪ウォッチは別に無くても良かったけどね。

「大妖怪展」はこのあと大阪(あべのハルカス美術館)で巡回展をするようです。

2016年7月7日木曜日

京都66,902歩のマーチ(5)_重森三玲のお庭探訪・大徳寺瑞峯院

さて、松尾大社をあとに阪急嵐山線とか市営バスとか乗り継いで向かった先は、龍寶山 大徳寺
大徳寺は、京都市北区紫野大徳寺町にある臨済宗大徳寺派の大本山(正中2年(1325年)に正式に創立)で、京都でも有数の大きな禅宗寺院。境内中心には勅使門から山門、仏殿、法堂(いずれも重文)、方丈(国宝)と南北に並び、その他いわゆる七堂伽藍が完備しております。桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立、併せて寺領を寄進したことで、それを契機に戦国武将が競って塔頭を建立したということで、別院2ヶ寺、塔頭22ヶ寺が境内に立ち並んでいます。そして、その多くが美しい庭園を誇っています。

で、虫六が向かったのは大徳寺の塔頭のひとつ「瑞峯院」であります。
九州のキリシタン大名として知られる大友宗麟が自らの菩提寺として天文年間(1532 - 55年)に創建した寺院。そして、瑞峯院開祖400年遠忌の昭和36年(1961年)に65才の重森三玲が、日本庭園の研究会(京都林泉協会)30周年記念事業として会員から寄付を募って作庭した作品です。

重要文化財の方丈の南庭は「独坐庭」。雲門禅師の『独坐大雄峯』の禅語に因んで命名された枯山水庭園です。蓬莱の山脈にむかって点々と島が連なって、それを中心に大筋の砂紋が、やや粗粒な白砂で描かれており、波のうねりが荒々しく迫ってくるようであります。

少し斜め前から、奥に鎮座する蓬莱山の石組とそれに連なる島々の横石組。

「独坐庭」とは「一人この山に住み、座しているだけ」という意味だそうです。築山の刈り込みの丸い樹木の存在感が…達磨禅師のようです。( ̄◆ ̄;)…だるまさんは関係ないけど。

パノラマ撮影してみました。
海辺で波の変化をみていたり、空を渡る雲の成り行きをみていたりするのって、飽きない上に心穏やかになってしまったりしますけども、この縁側に座っていたら、なんだか安らかな気持ちになりいつの間にか時が過ぎていきました。けっこう他の観光客の方々もゆっくり座り込んでいました。

「独坐庭」の西側は茶室の前庭になっていて、苔と白砂に飛び石のみの構成です。

くるりとまわって北側の庭は、7つの石を十字架に配したという「閑眠庭」。大友宗麟の菩提寺として創建された寺院ではありますが、宗麟が晩年にキリスト教の洗礼を受けたことに因んだそうです。飛び石が手前にありますが、頭の出た石が十字に見えます。知らないと見逃してしまいそうな控えめなデザインです。

南庭に比べて狭いけれど、こんなお庭も見たことないですね。キリスト教をテーマにした日本で初めての日本庭園だそうです。この直線の白州は何を表現しているのでしょうか…。
大徳寺にはほかにも拝見したいお庭は沢山あるのですが、なかでも大仙院庭園はぜひ見たかったのですが、この日は拝観日でなかったので、悔し涙を飲み込んで、そろそろ帰途につくことにしました。

家人Tとの待ち合わせは、京都河原町丸太町の書店「誠光社」
なんじゃーこの棚は!!?新刊と中古本が混在するエキサイティングな棚構成。
こんな本が出ていたのかと誘惑されるままにうっかり買いそうになるけど、う、ここは京都だぜ…と書名を暗記してブレーキ踏みました。
凄い本屋があったもんだ。

まぁ、今日中にS市に帰らなければなりませんから、晩ごはんは新幹線の中で。いつもは鯖寿司…ってパターンですが、今日は鱧天丼でしたー。うまー。

帰宅してぱんぱんの足のむくみに限界を感じながら、今日何歩あるいたかな—と見てみたら、18,573歩でした。

京都の3日間で歩いた歩数、合計 66,902歩。
がんばったなー。

参考文献:
「重森三玲の庭案内」別冊太陽の地図帳026(平凡社 2014年)
「重森三玲 永遠のモダンを求め続けたアヴァンギャルド」シリーズ京の庭の巨匠たち1(京都通信社 2007年)