公文協の巡業歌舞伎、仙台公演がやってきました。
今回は姉弟子Nさんとご一緒して、2階席の最前列で拝見します。
平成28年度(公社)全国公立文化施設協会主催 東コース
松竹大歌舞伎
平成28年6月30日(木)~7月31日(日)
『ご挨拶』 市川染五郎
『晒三番叟』 中村壱太郎
『秀山十種の内 松浦の太鼓』
松浦鎮信 市川染五郎
大高源吾 中村歌昇
宝井其角 嵐橘三郎
源吾妹お縫 市川高麗蔵
『粟餅』 市川染五郎
中村壱太郎
しかし、夜の部の開始17:00って早いよね?そのせいか、ちらほら空いた席が気になります。最前列に空きがあるって、招待席じゃないの?無駄にしてんのどこの偉い人ですかー。ぷんぷん。
今日の構成は、舞踊(長唄)+お芝居+舞踊(常磐津)という地方公演にしては贅沢な組み合わせで、かつ、省略のないたっぷり所帯の一座です。染五郎丈、公文協の座長ははじめてなんだとか。それも意外な感じですな。染五郎(松本流)も壱太郎(吾妻流)も舞踊の大きな流派の家元なので、このたっぷりは見応えありますね。
『ご挨拶』は、座頭の染高麗がスーツ姿でご当地トーク。今日は『松浦の太鼓』に因んでか、話の中に5・7・5が折り込まれておりました。でもね、よく聞いてみると、要は「牛タンは食べたけど、フカヒレが食べたかった」ってことのようでした ( ̄◆ ̄;)
地方公演の楽しみといれば、やっぱりご当地の美味しいもの食べるくらいですもんね。
ちなみに本公演は出ずっぱりの昼・夜なので、染五郎丈も壱太郎丈も楽屋入りしたら終わるまで外には出られなかったりするらしい。壱太郎丈はお昼もコンビニの唐揚げ弁当だって…役者は大変じゃのう。
『晒三番叟』は「三番叟もの」でも珍しい女形が踊る演目。世界は源平合戦の頃で、盗まれた源氏の白旗と「布晒し」(新体操のリボンみたいに長い布をひらひらさせて踊る)を組み合わせたちょっと変わった志向の舞踊です。壱太郎丈、吾妻徳穂さんに似ていますね、やっぱり。
『松浦の太鼓』は、忠臣蔵のスピンオフ作品。吉良邸の隣に住む松浦公が、赤穂の浪人たちがなかなか討ち入りをしないのでイライラしていて、腰元の赤穂浪士・大高源吾の妹にも八つ当たり。松浦公は俳諧が趣味で、師匠の宝井其角が煤竹売りに身をやつした源吾が読んだ句を伝えると、謎解きのようにブツブツ考えて討ち入りがあることを悟る…という筋書き。染五郎丈、初役での演目。初代吉右衛門の当たり役とのことで、播磨屋さんに教えてもらっての挑戦とのこと。無邪気で、いかにもお殿様らしい鷹揚さ、そしてくどくない茶目っ気が、憎めない感じの松浦公でした。そして、今回の配役は実はオール初役だったそうで、歌昇丈がやった大高源吾役は、かつては染五郎丈が勤めていた役とのこと。こうして、歌舞伎の芸は役者から役者へ伝承されていくので、そういうことも楽しんでくださいと、座長は解説しておりました。
『粟餅』は、踊り達者な二人の舞台。身体のサイズやバランスもちょうど似合っていて、現代的な感じでした。いなせな江戸の風が吹いてくるようでありました。…眼福。
染高麗の舞台は見終わったあとの満足感が非常に高いのですが、会場が満杯になっていないのが不思議です。もったいないですよー。
で、翌日は休みだったのでMOVIXへ上映中のシネマ歌舞伎「阿弖流為」を見にいきました。(染高麗漬けの週末ですな…ほほ)
しえ〜、蘇る蘇るぅ、あの時の感動がフラッシュバック!シネマ歌舞伎、ありがたいですー。
歌舞伎などのお芝居や邦楽、さらに大道芸、雑芸などなど、身体と視覚と聴覚が一体となった日本の伝統藝能が面白いなぁと、みちのくS市からウォッチングしております。 (近頃は体調不良のため夜更かし禁止令が出て、更新がままなりませんが、Twitterでは短めに黒い羽根伸ばし(観劇)ネタなども…)
2016年7月26日火曜日
2016年7月7日木曜日
京都66,902歩のマーチ(5)_重森三玲のお庭探訪・大徳寺瑞峯院
さて、松尾大社をあとに阪急嵐山線とか市営バスとか乗り継いで向かった先は、龍寶山 大徳寺。
大徳寺は、京都市北区紫野大徳寺町にある臨済宗大徳寺派の大本山(正中2年(1325年)に正式に創立)で、京都でも有数の大きな禅宗寺院。境内中心には勅使門から山門、仏殿、法堂(いずれも重文)、方丈(国宝)と南北に並び、その他いわゆる七堂伽藍が完備しております。桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立、併せて寺領を寄進したことで、それを契機に戦国武将が競って塔頭を建立したということで、別院2ヶ寺、塔頭22ヶ寺が境内に立ち並んでいます。そして、その多くが美しい庭園を誇っています。
で、虫六が向かったのは大徳寺の塔頭のひとつ「瑞峯院」であります。
九州のキリシタン大名として知られる大友宗麟が自らの菩提寺として天文年間(1532 - 55年)に創建した寺院。そして、瑞峯院開祖400年遠忌の昭和36年(1961年)に65才の重森三玲が、日本庭園の研究会(京都林泉協会)30周年記念事業として会員から寄付を募って作庭した作品です。
重要文化財の方丈の南庭は「独坐庭」。雲門禅師の『独坐大雄峯』の禅語に因んで命名された枯山水庭園です。蓬莱の山脈にむかって点々と島が連なって、それを中心に大筋の砂紋が、やや粗粒な白砂で描かれており、波のうねりが荒々しく迫ってくるようであります。
少し斜め前から、奥に鎮座する蓬莱山の石組とそれに連なる島々の横石組。
「独坐庭」とは「一人この山に住み、座しているだけ」という意味だそうです。築山の刈り込みの丸い樹木の存在感が…達磨禅師のようです。( ̄◆ ̄;)…だるまさんは関係ないけど。
パノラマ撮影してみました。
海辺で波の変化をみていたり、空を渡る雲の成り行きをみていたりするのって、飽きない上に心穏やかになってしまったりしますけども、この縁側に座っていたら、なんだか安らかな気持ちになりいつの間にか時が過ぎていきました。けっこう他の観光客の方々もゆっくり座り込んでいました。
「独坐庭」の西側は茶室の前庭になっていて、苔と白砂に飛び石のみの構成です。
くるりとまわって北側の庭は、7つの石を十字架に配したという「閑眠庭」。大友宗麟の菩提寺として創建された寺院ではありますが、宗麟が晩年にキリスト教の洗礼を受けたことに因んだそうです。飛び石が手前にありますが、頭の出た石が十字に見えます。知らないと見逃してしまいそうな控えめなデザインです。
南庭に比べて狭いけれど、こんなお庭も見たことないですね。キリスト教をテーマにした日本で初めての日本庭園だそうです。この直線の白州は何を表現しているのでしょうか…。
大徳寺にはほかにも拝見したいお庭は沢山あるのですが、なかでも大仙院庭園はぜひ見たかったのですが、この日は拝観日でなかったので、悔し涙を飲み込んで、そろそろ帰途につくことにしました。
まぁ、今日中にS市に帰らなければなりませんから、晩ごはんは新幹線の中で。いつもは鯖寿司…ってパターンですが、今日は鱧天丼でしたー。うまー。
帰宅してぱんぱんの足のむくみに限界を感じながら、今日何歩あるいたかな—と見てみたら、18,573歩でした。
京都の3日間で歩いた歩数、合計 66,902歩。
がんばったなー。
参考文献:
「重森三玲の庭案内」別冊太陽の地図帳026(平凡社 2014年)
「重森三玲 永遠のモダンを求め続けたアヴァンギャルド」シリーズ京の庭の巨匠たち1(京都通信社 2007年)
大徳寺は、京都市北区紫野大徳寺町にある臨済宗大徳寺派の大本山(正中2年(1325年)に正式に創立)で、京都でも有数の大きな禅宗寺院。境内中心には勅使門から山門、仏殿、法堂(いずれも重文)、方丈(国宝)と南北に並び、その他いわゆる七堂伽藍が完備しております。桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立、併せて寺領を寄進したことで、それを契機に戦国武将が競って塔頭を建立したということで、別院2ヶ寺、塔頭22ヶ寺が境内に立ち並んでいます。そして、その多くが美しい庭園を誇っています。
で、虫六が向かったのは大徳寺の塔頭のひとつ「瑞峯院」であります。
九州のキリシタン大名として知られる大友宗麟が自らの菩提寺として天文年間(1532 - 55年)に創建した寺院。そして、瑞峯院開祖400年遠忌の昭和36年(1961年)に65才の重森三玲が、日本庭園の研究会(京都林泉協会)30周年記念事業として会員から寄付を募って作庭した作品です。
重要文化財の方丈の南庭は「独坐庭」。雲門禅師の『独坐大雄峯』の禅語に因んで命名された枯山水庭園です。蓬莱の山脈にむかって点々と島が連なって、それを中心に大筋の砂紋が、やや粗粒な白砂で描かれており、波のうねりが荒々しく迫ってくるようであります。
少し斜め前から、奥に鎮座する蓬莱山の石組とそれに連なる島々の横石組。
「独坐庭」とは「一人この山に住み、座しているだけ」という意味だそうです。築山の刈り込みの丸い樹木の存在感が…達磨禅師のようです。( ̄◆ ̄;)…だるまさんは関係ないけど。
パノラマ撮影してみました。
海辺で波の変化をみていたり、空を渡る雲の成り行きをみていたりするのって、飽きない上に心穏やかになってしまったりしますけども、この縁側に座っていたら、なんだか安らかな気持ちになりいつの間にか時が過ぎていきました。けっこう他の観光客の方々もゆっくり座り込んでいました。
「独坐庭」の西側は茶室の前庭になっていて、苔と白砂に飛び石のみの構成です。
くるりとまわって北側の庭は、7つの石を十字架に配したという「閑眠庭」。大友宗麟の菩提寺として創建された寺院ではありますが、宗麟が晩年にキリスト教の洗礼を受けたことに因んだそうです。飛び石が手前にありますが、頭の出た石が十字に見えます。知らないと見逃してしまいそうな控えめなデザインです。
南庭に比べて狭いけれど、こんなお庭も見たことないですね。キリスト教をテーマにした日本で初めての日本庭園だそうです。この直線の白州は何を表現しているのでしょうか…。
大徳寺にはほかにも拝見したいお庭は沢山あるのですが、なかでも大仙院庭園はぜひ見たかったのですが、この日は拝観日でなかったので、悔し涙を飲み込んで、そろそろ帰途につくことにしました。
家人Tとの待ち合わせは、京都河原町丸太町の書店「誠光社」。
なんじゃーこの棚は!!?新刊と中古本が混在するエキサイティングな棚構成。
こんな本が出ていたのかと誘惑されるままにうっかり買いそうになるけど、う、ここは京都だぜ…と書名を暗記してブレーキ踏みました。
凄い本屋があったもんだ。
帰宅してぱんぱんの足のむくみに限界を感じながら、今日何歩あるいたかな—と見てみたら、18,573歩でした。
京都の3日間で歩いた歩数、合計 66,902歩。
がんばったなー。
参考文献:
「重森三玲の庭案内」別冊太陽の地図帳026(平凡社 2014年)
「重森三玲 永遠のモダンを求め続けたアヴァンギャルド」シリーズ京の庭の巨匠たち1(京都通信社 2007年)
2016年7月3日日曜日
5月6月に読んだ本
2016年6月の読書メーター
読んだ本の数:3冊
読んだページ数:705ページ
ナイス数:39ナイス
日本の10大庭園 (祥伝社新書 336)の感想
枯山水や大名庭園を見る機会に、何やら深い意味めいたものがあるんだろうとは感じることはあり、それが分かればもっと面白いのだろうな…と思っても、なかなかそれを新書1冊くらいでまとめた本なんかないだろうと思っていたら、この本がそうでした。日本庭園の「基本のキ」みたいなところから、水の使い方、石組の意味、植生…といった庭要素の勘所を、誰もがよく知る(つまり修学旅行で行くような)有名庭園を教科書に解読。日本庭園って作庭当時のオーナーの理想郷ミニチュアテーマパークみたい。勉強になったしこの10庭園はあらためて見たい。
読了日:6月29日 著者:重森千靑
昨夜のカレー、明日のパンの感想
木皿泉のドラマはよく見てましたが、初めての小説でKindle版で読了。ひとりひとり登場する人物がそれぞれ人間くさい魅力に溢れ、ややしんどい日常を柔らかく過ごしてる。25才で病死した一樹は、テツコにとってはかけがいのない夫で、ギフにとっては最愛の一人息子。大きな喪失がある家庭で、義理の親子が7年の間に築いた居心地の良さ。そして、すこしづつ一樹の死を受け入れて、岩井の居場所を作って(お茶碗を買って)あげるくだりが、岩井が遠慮していちいち持ち帰るところがなんだか微笑ましかった。
読了日:6月23日 著者:木皿泉
ACCA13区監察課(5) (ビッグガンガンコミックススーパー)の感想
ついに物語の背景が姿を見せました。加速してきた!面白い!はやく次が読みたい!アーベントって…、髪の長さが時を感じます。とりあえず、あの2人の関係が知りたいです。
読了日:6月5日 著者:オノ・ナツメ
読書メーター
<5月分おまけ> *うっかりして先々月分まとめ忘れ…
名妓の夜咄 (文春文庫)の感想
小学校出てすぐに新橋の芸者屋で丸抱として仕込まれ雛妓(おしゃく)のお披露目をした最後の「ほんとうの芸者」・鯉喜代こと渡辺喜代さんの貴重な聞き書。伝統芸能の質の維持と繁栄の基盤を支えていたのは芸者衆だったと納得。大物を手玉にとって演舞場をこしらえ、「東おどり」の公演を成功させてきた菊村さんは古曲復活にも大きな役割を果たした大人物。6代目菊五郎が門下の尾上菊之丞と西川鯉三郎を指名して新橋見番の公認師匠とし芸者衆の教育環境が整ったとか、新橋芸者として看板借りしていたブレイク前の武原はんのこととか、興味尽きず。
読了日:5月 30 日 著者:岩下尚史
死者の書(下) (ビームコミックス)の感想
一気読み、下巻。東大寺の四天王立像や、当麻寺曼荼羅への見方は確実に変わった気がする。とりあえず原作も読まなくちゃだが、近藤先生の他の古代・中世ものに興味大。
読了日:5月 5 日 著者:近藤ようこ
死者の書(上) (ビームコミックス)の感想
店頭で下巻を発見して「上巻は?」と聞いたら在庫なく注文入荷もあやしかったので、Amazonでポチって入手。上巻届くのを1日待って通しで一気読み。原作をしっかり読んでいないので大きいことは言えませんが、近藤先生が折口の描いた古代の世界感を大切に丁寧に紡ぎ出そうとしていることは伝わってくる。神々しい常乙女として育てられた姫が智慧を求めて仏の姿を見いだしていく光の世界と、謀反の罪で斬首された大津皇子の闇底から届く言霊とが混じり合う。そして、教科書的な史実もこう絡むのか…と、ファンタジーとも違う濃い味わい。
読了日:5月 5 日 著者:近藤ようこ
大奥 13 (ジェッツコミックス)の感想
書店で新刊を見つけて、Amazonに予約してるの忘れててレジに持って行ってしまいました。待てませんから。家慶の変態ぶりが治済DNAを感じさせて恐ろしい。その虐待を受け入れながら自分であろうとする家定には阿部正弘や瀧山でなくとも感情移入してしまう。男子が政権をとってまだ日が浅いっていうのにもう女子が蔑視されているのもなんだかな…だけど、そんななか大局から人の情の機微まで目を行き届かせ、鮮やかに仕事を片付けていく阿部伊勢守の頭の涼しさがカッコいい。そして再興された男子大奥に蘇るように現れた篤姫のその面差しは…
読了日:5月 3日 著者:よしながふみ
読んだ本の数:3冊
読んだページ数:705ページ
ナイス数:39ナイス
日本の10大庭園 (祥伝社新書 336)の感想
枯山水や大名庭園を見る機会に、何やら深い意味めいたものがあるんだろうとは感じることはあり、それが分かればもっと面白いのだろうな…と思っても、なかなかそれを新書1冊くらいでまとめた本なんかないだろうと思っていたら、この本がそうでした。日本庭園の「基本のキ」みたいなところから、水の使い方、石組の意味、植生…といった庭要素の勘所を、誰もがよく知る(つまり修学旅行で行くような)有名庭園を教科書に解読。日本庭園って作庭当時のオーナーの理想郷ミニチュアテーマパークみたい。勉強になったしこの10庭園はあらためて見たい。
読了日:6月29日 著者:重森千靑
昨夜のカレー、明日のパンの感想
木皿泉のドラマはよく見てましたが、初めての小説でKindle版で読了。ひとりひとり登場する人物がそれぞれ人間くさい魅力に溢れ、ややしんどい日常を柔らかく過ごしてる。25才で病死した一樹は、テツコにとってはかけがいのない夫で、ギフにとっては最愛の一人息子。大きな喪失がある家庭で、義理の親子が7年の間に築いた居心地の良さ。そして、すこしづつ一樹の死を受け入れて、岩井の居場所を作って(お茶碗を買って)あげるくだりが、岩井が遠慮していちいち持ち帰るところがなんだか微笑ましかった。
読了日:6月23日 著者:木皿泉
ACCA13区監察課(5) (ビッグガンガンコミックススーパー)の感想
ついに物語の背景が姿を見せました。加速してきた!面白い!はやく次が読みたい!アーベントって…、髪の長さが時を感じます。とりあえず、あの2人の関係が知りたいです。
読了日:6月5日 著者:オノ・ナツメ
読書メーター
<5月分おまけ> *うっかりして先々月分まとめ忘れ…
名妓の夜咄 (文春文庫)の感想
小学校出てすぐに新橋の芸者屋で丸抱として仕込まれ雛妓(おしゃく)のお披露目をした最後の「ほんとうの芸者」・鯉喜代こと渡辺喜代さんの貴重な聞き書。伝統芸能の質の維持と繁栄の基盤を支えていたのは芸者衆だったと納得。大物を手玉にとって演舞場をこしらえ、「東おどり」の公演を成功させてきた菊村さんは古曲復活にも大きな役割を果たした大人物。6代目菊五郎が門下の尾上菊之丞と西川鯉三郎を指名して新橋見番の公認師匠とし芸者衆の教育環境が整ったとか、新橋芸者として看板借りしていたブレイク前の武原はんのこととか、興味尽きず。
読了日:5月 30 日 著者:岩下尚史
死者の書(下) (ビームコミックス)の感想
一気読み、下巻。東大寺の四天王立像や、当麻寺曼荼羅への見方は確実に変わった気がする。とりあえず原作も読まなくちゃだが、近藤先生の他の古代・中世ものに興味大。
読了日:5月 5 日 著者:近藤ようこ
死者の書(上) (ビームコミックス)の感想
店頭で下巻を発見して「上巻は?」と聞いたら在庫なく注文入荷もあやしかったので、Amazonでポチって入手。上巻届くのを1日待って通しで一気読み。原作をしっかり読んでいないので大きいことは言えませんが、近藤先生が折口の描いた古代の世界感を大切に丁寧に紡ぎ出そうとしていることは伝わってくる。神々しい常乙女として育てられた姫が智慧を求めて仏の姿を見いだしていく光の世界と、謀反の罪で斬首された大津皇子の闇底から届く言霊とが混じり合う。そして、教科書的な史実もこう絡むのか…と、ファンタジーとも違う濃い味わい。
読了日:5月 5 日 著者:近藤ようこ
大奥 13 (ジェッツコミックス)の感想
書店で新刊を見つけて、Amazonに予約してるの忘れててレジに持って行ってしまいました。待てませんから。家慶の変態ぶりが治済DNAを感じさせて恐ろしい。その虐待を受け入れながら自分であろうとする家定には阿部正弘や瀧山でなくとも感情移入してしまう。男子が政権をとってまだ日が浅いっていうのにもう女子が蔑視されているのもなんだかな…だけど、そんななか大局から人の情の機微まで目を行き届かせ、鮮やかに仕事を片付けていく阿部伊勢守の頭の涼しさがカッコいい。そして再興された男子大奥に蘇るように現れた篤姫のその面差しは…
読了日:5月 3日 著者:よしながふみ
2016年7月1日金曜日
京都66,902歩のマーチ(4)_重森三玲のお庭探訪・松尾大社
京都3日目。今日の目的地の一つ目は西京区嵐山の松尾大社です。
松尾大社は、京都最古の神社で創祀は上代に遡るそうですが、文武天皇の大宝元年(701)に至り、秦忌寸部理(はたのいみきとり)が勅命で松尾山の神霊を山麓の現在の社地に神殿を造営して遷座しました。1300年も前のこと。
特に平安時代には、「賀茂の厳神、松尾の猛霊」と並び称せられ、洛西の皇城鎮護の神として位置づけられていました。
本社殿は、国の重要文化財で、屋根が側面から見ると前後同じ長さに流れており、この形式は「両流造」とも「松尾造り」とも呼ばれる独特な形式なのだとか。松尾大社では50年ぶりのご遷宮があるそうで、平成30年12月竣工予定で傷みの激しい部分を修復する計画だそうです。
境内のあちらこちらに亀がいました。
社の背後に「亀の井(かめのい)」と呼ばれる松尾山からの湧水の泉があり、この水を酒に混ぜると腐らないというので、室町時代ごろから醸造家がこの水を持ち帰るようになったのだそうです。
そんなわけで、松尾大社は、醸造祖神として全国の酒造家をはじめ醸造関係者から篤い信仰を受けている神社になっております。御輿庫には全国の酒蔵から奉納された酒樽が積み上げられており、見覚えのある銘柄のも沢山ありました。
松尾大社の庭園は重森三玲の最後の仕事、昭和50年三玲79才の絶作です。
先に出会うのは「曲水の庭」。
これまで見て来た庭園は枯山水が多かったのですが、この庭は池水庭園で、遣水が重要な要素になっているようです。というのも、この庭は「曲水の宴」という平安時代に貴族の間に流行した遊び(上流から流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を読み、盃の酒を飲んで次へ流す行事)をイメージしたものとのことなので。
コンクリートでモザイクのように固められた緑泥片岩の小石が水の流れを誘うように人工的な曲線を描いているのが、いかにも昭和の庭(!)という印象で、一方、ちょうど満開に咲き誇ったツツジがなんだか平安貴族の華やかさをこれでもかーって表現しているようでした。ランダムにおかれた(ように見える)石組が微妙な均衡を保っています。平安の次元から盃が流れてきそうです。
咲き乱れたツツジは社殿のガラス戸に反射して2倍華やかに見えました。
そして、社殿の渡り廊下の下をくぐって次の庭にでると、目に飛び込むのは清々しいミヤコ笹の緑!補色対比の世界です!これが「上古の庭」。
「上古の庭」は笹と石だけ。
石は何を見立てているかと言えば、神そのもの、なのです。
思い思いの態勢で侍る神々が坐す庭の前には白州がずずーっと広がっていて近づくことができません。舞台をみるような距離感があります。
そして、この庭の借景(といっていいのか分かりませんが)は、後方にそびえる松尾の山々で、その山中の頂上近くに「磐座(ばんざ)」あるいは「磐境(いわさか)」と呼ばれる神霊の宿る巨石があり、それを祀ったのが松尾大社の起源なのです。
中央の2つの巨石は、松尾大社の御祭神の男女二神(大山咋神(おおやまぐいのかみ)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと))を表し、
そのまわりの石は、随従する諸神を表しているそうです。
伝統を熟知し、前衛を切り開いてきた稀代の作庭家が最後に辿りついた無我の境地。これまでまるで見たことのない空間でした。
人の形をまとった神像を示されるよりも、石の方が表情を感じるのが不思議です。この日はお天気もよく神様たちは上機嫌でのんびり過ごしているように見えました。雨の日も木枯らしの日も雪の日も、この神々はこの庭に立っているのだなぁ。四季折々の表情をみてみたいと思いました。
松尾大社は、京都最古の神社で創祀は上代に遡るそうですが、文武天皇の大宝元年(701)に至り、秦忌寸部理(はたのいみきとり)が勅命で松尾山の神霊を山麓の現在の社地に神殿を造営して遷座しました。1300年も前のこと。
特に平安時代には、「賀茂の厳神、松尾の猛霊」と並び称せられ、洛西の皇城鎮護の神として位置づけられていました。
本社殿は、国の重要文化財で、屋根が側面から見ると前後同じ長さに流れており、この形式は「両流造」とも「松尾造り」とも呼ばれる独特な形式なのだとか。松尾大社では50年ぶりのご遷宮があるそうで、平成30年12月竣工予定で傷みの激しい部分を修復する計画だそうです。
境内のあちらこちらに亀がいました。
社の背後に「亀の井(かめのい)」と呼ばれる松尾山からの湧水の泉があり、この水を酒に混ぜると腐らないというので、室町時代ごろから醸造家がこの水を持ち帰るようになったのだそうです。
そんなわけで、松尾大社は、醸造祖神として全国の酒造家をはじめ醸造関係者から篤い信仰を受けている神社になっております。御輿庫には全国の酒蔵から奉納された酒樽が積み上げられており、見覚えのある銘柄のも沢山ありました。
松尾大社の庭園は重森三玲の最後の仕事、昭和50年三玲79才の絶作です。
先に出会うのは「曲水の庭」。
これまで見て来た庭園は枯山水が多かったのですが、この庭は池水庭園で、遣水が重要な要素になっているようです。というのも、この庭は「曲水の宴」という平安時代に貴族の間に流行した遊び(上流から流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を読み、盃の酒を飲んで次へ流す行事)をイメージしたものとのことなので。
コンクリートでモザイクのように固められた緑泥片岩の小石が水の流れを誘うように人工的な曲線を描いているのが、いかにも昭和の庭(!)という印象で、一方、ちょうど満開に咲き誇ったツツジがなんだか平安貴族の華やかさをこれでもかーって表現しているようでした。ランダムにおかれた(ように見える)石組が微妙な均衡を保っています。平安の次元から盃が流れてきそうです。
咲き乱れたツツジは社殿のガラス戸に反射して2倍華やかに見えました。
そして、社殿の渡り廊下の下をくぐって次の庭にでると、目に飛び込むのは清々しいミヤコ笹の緑!補色対比の世界です!これが「上古の庭」。
「上古の庭」は笹と石だけ。
石は何を見立てているかと言えば、神そのもの、なのです。
思い思いの態勢で侍る神々が坐す庭の前には白州がずずーっと広がっていて近づくことができません。舞台をみるような距離感があります。
そして、この庭の借景(といっていいのか分かりませんが)は、後方にそびえる松尾の山々で、その山中の頂上近くに「磐座(ばんざ)」あるいは「磐境(いわさか)」と呼ばれる神霊の宿る巨石があり、それを祀ったのが松尾大社の起源なのです。
中央の2つの巨石は、松尾大社の御祭神の男女二神(大山咋神(おおやまぐいのかみ)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと))を表し、
そのまわりの石は、随従する諸神を表しているそうです。
伝統を熟知し、前衛を切り開いてきた稀代の作庭家が最後に辿りついた無我の境地。これまでまるで見たことのない空間でした。
人の形をまとった神像を示されるよりも、石の方が表情を感じるのが不思議です。この日はお天気もよく神様たちは上機嫌でのんびり過ごしているように見えました。雨の日も木枯らしの日も雪の日も、この神々はこの庭に立っているのだなぁ。四季折々の表情をみてみたいと思いました。
せっかくなので松尾山の磐座を参拝できるというところまで行ってみました。たぶん、このずっと奥の方にあるのだと思うのですが…よくわかりませんでした。もっと予習していけば良かったな(;´Д`A ```
参考文献:
「重森三玲の庭案内」別冊太陽の地図帳026(平凡社 2014年)
「重森三玲 永遠のモダンを求め続けたアヴァンギャルド」シリーズ京の庭の巨匠たち1(京都通信社 2007年)
重森千靑「日本の10大庭園 」(祥伝社新書 2013年)
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