2009年12月31日木曜日

私的お稽古おさめ

今年最後の先生のお稽古はすでに14日におさめていただいたのですが、今日は最後の自主練習をしました。
「チンチリレン」(娘道成寺の合方)にはじまり、「春興」に暮れた一年でした。
優しく厳しい先生と、優しく愉快な先輩たちに囲まれて、楽しくお稽古できたことに感謝です。そして、つたない私に使われながら、時に「本当はこんな音も出るんだよぅ」とハッとするいい音を奏でてくれる私のお三味線にも感謝。お稽古がはじまるととりあえずCDを止めてくれる家族にも感謝しておきましょう(^-^;

来年もがんばるぞ!(お三味線だけは前向き)

というわけで、ブログにおつきあいくださった皆さん今年1年ありがとうございました。
良いお年をお迎えください。

追伸:水槽掃除と栗きんとんはちゃんとやりましたよ〜(=゜ω゜)V

2009年12月30日水曜日

気がつけば…

「引越だぁ!」とうつつを抜かしていたら、なんともう明日は大晦日ではあーりませんか∑(゚∇゚|||)
31日に帰省すると宣言していたので、30日のうちにやらなくてはならないことが実は山ほどありました。荷物運びなどしているバヤイでは無かったのであります||Φ|(|゚|∀|゚|)|Φ||
断行していた荷物の引越を中断しなければならない現実に気がつきました。

今日中に片付けること:その1 年賀状作成

もう宛名書きは実家でやるとしても、プリントだけはなんとか今日中にせねばなりません!しかし、この期に及んで手の抜けない虫六でありまして、なんだか途中にいろんな雑用が入りつつも、手直ししたりしてやっとデータ完成。なんとか夕方までに家族分のプリント終了。投函は年明けの見込みです。(関係者のみなさん、毎年のことながら、どうぞご了承のほどを…汗)

その2 お土産の買い出し 
かまぼことか、いろいろ…大混雑のデパ地下ほか、ぐるぐる。最後に給油しにGSに寄ったら、ちょうど散歩中のガスパール君と親方に会いました。良いお年を。

その3 ブルーレイ・レコーダーの配線設定。
ビデオデッキが壊れて以来、ずっと虫六&虫六子がテレビ録画機器の新規購入を訴えていたのにも関わらず、なかなか岩は動く気配がなかったのですが、ここにきて家人Tが急にデッキを買うといいだし、衝動買いの勢いで、昨夜、我が家にブルーレイ・レコーダーがやってきました!
どうやら、お正月のビートルズ特集を録画したかったらしい…。
(ま、私は歌舞伎中継撮れるから歓迎ですけどね〜 ┐(´-`)┌)
しかし、これを配線したり、マニュアル読んで録画設定したりするのは、我が家では虫六の仕事になるのでした ( ̄◆ ̄;) 別に、私が得意だから!というわけではありません。必然的にそういう役回りになってしまっているのです。今後は虫六子を電気系に強く養成したいと秘かに思う虫六でした。

その4 諭吉(金魚)の水槽掃除
明日の朝、決行。

その5 栗きんとんの作成
明日の朝、決行。

なぜ、こんなに時間がないの?
今年も慌ただしいまま、散らかった部屋のまま、年越しを迎えてしまうのかぁ。進歩がなさすぎる(;;;´Д`)ゝ 

2009年12月28日月曜日

片付け断行!

年末も押し迫り、我が家の片付かなさも臨界点に達してしまった。虫六子に1部屋要求されるも、まだ片付け切れない親の荷物(主に書籍)が陣取っていて、いまだベッドも入れられない状況でありました。

で、某氏の助言で、首都圏では「段ボール何個!」で格安で預かってくれる倉庫やさんがあるという情報を得たので、早速調べて見たのですが、どうやらS市周辺までは営業範囲でないことが判明。仕方がないので、格安のトランクルームというセンでネット探ししたところ、けっこう都心部でビルごとトランクルームという物件を発見!年末ギリギリの最後の営業日でしたが、滑り込みセーフで下見見学に行きました。

預けたい荷物のほとんどは書籍なので、黴や湿気や虫などが心配な分けですが、ビル内なので、野外にコンテナ型のトランクルームよりはだいぶ安心です。聞けば、T北大学の先生方なども沢山利用しているとか…。みんな困っているんですね。
で、予算としては、0.5坪で月5000円くらいと思っていたんですが、その大きさのスペースはすでに空きがなく、次は1坪(畳2畳分)とのこと。予算も倍です (。>0<。)
「でも、うちに足りなかったのは物置だったのだ!物置を外に借りたと思えばいいのだ」と発想をちょっとねじ曲げて、家人Tの顔色も見ずに即決。だって、今日決めないと年明けだし、我が家パターンだとそれは春休みまでずれ込んでも“有り”…なので。虫六名義で契約してしまいました。
契約すると、その日から24時間いつでも利用可能とのことだったので、さっそくうちに戻って片付け大会を決行!
子供部屋にこっそり置かれていたものから、その辺りに床置きされていたものから、書棚からはみ出し気味に引っかかっていたものから、とりあえず、「自宅に残す」「倉庫にしまう」「マゼラン(古本やさんです)に出す」と3つのカテゴリで仕分け作業開始しました。

初回の運び込みで段ボール10個くらい運び込んだんですが、まだ家が片付いた気がしません…(爆)いったいどんな家に住んでいるんだ \(*`∧´)/




2009年12月26日土曜日

さよなら、あべひげさん

午後は、あべひげさんの告別式。

昨日のお通夜に参列するつもりでスーツ着て職場に行ったのでしたが、結局残業になり、またお顔をみたら崩れそうだなと思い、告別式だけ参列しました。
本当に凄い数の人でした。
あらためて、あべヒゲさんがどんなに沢山の人たちに慕われ、愛されていたかを思い知りました。心のこもった弔辞を聞いて、長い長いご焼香の列を眺めながら、思い出すのは、自分(たち)があべさんに迷惑を掛けたことや、我が儘を聞いてもらったことや、励ましてもらったことや、そんなことばかり…。
本当に言葉にならないのですが、

 深くて広い愛をありがとうございました。

サク、サク、サクサクサクサクー、「先生!」「おうぅ、蕎麦屋か」


昭和歌謡の巨星である三波春夫と村田英雄。お互いを生涯のライバルとしていた言われる二人の対照的な人生を追った番組でした。
浪曲の世界から転身したお二人、浪曲では芽が出ず意を決して自ら歌謡曲の世界に身を投じた三波さんは、明るい声が当時の国民に指示されてあっという間に売れっ子になり、一方村田さんは浪曲時代はコンテストも総なめの将来を期待されたサラブレットで、大御所・古賀政男さんにヘッドハンティングされて鳴り物入りでデビューするものの、なかなかヒット曲に恵まれずに苦悩する時期を送り、3年目にして「王将」がやっとヒットしたということでした。お二人の初めての競演となる「ふたりのビックショー」の司会をなさった山川静夫アナウンサーがリハーサルの異様な緊張感を思い出してコメントしていました。大御所時代のお二人しか知りませんが、「浪花節から歌謡曲への転身」…いろいろあったのでしょうね。興味深いです。

三波さん、虫六子も「『二十世紀少年』の元ネタでしょう…?」とか言ってしまうくらい、圧倒的な存在感あります。8月の歌舞伎座で連続公演を打っていたとか、昔の人ならみんな知っていたんでしょうか。ちなみに、村田さんのことは「石原軍団の人?」って( ̄◆ ̄;)誰だよ、それ…。中学生じゃ知らないよね。

有名な浪曲歌謡『俵星玄蕃』もフルコーラス放映してくれました。(うひょ〜、これ録画すれば良かった〜!)やっぱり、凄く、凄くいいです。あまりに良くて、背筋がゾクゾクしました。いいもの見せていただきました。しかし、この浪曲歌謡もどちらかといえば、晩年のヒット曲だったそうです。(ゾクゾクが収まらないのでYou Tubeで探したら、なんとフルバージョンが出ていました。(*≧m≦*) )


お二人は、晩年、自分たちのオリジンでもある「浪曲」への回帰ともいえる仕事をするようになったそうです。三波さんの歌謡浪曲もそうですが、村田英雄さんもご病気で余命を感じられた時に、昔得意だった浪曲の演目を録画して欲しいとNHKに申し入れて、1曲唸ったのだそうです。この映像も気迫が込められていて圧倒されました。再放送して欲しいです。


三波さんがその生涯最後に挑戦なさった新曲は永六輔さんに作ってもらった唄で『明日花咲くつぼみに』という曲。どうしても力を込めて歌ってしまう三波さんに「90才、100才の人でも、車いすに乗った人でも歌えるような力の入らない唄にしてください」と要求したそうです。しかし、そのとき三波さんもガンを患い、限りある命をかけた挑戦だったとのことで、「そのことを知っていれば、あんな残酷な唄は作らなかった」という永さんのコメントが印象的でした。そして、テレビで流れた三波さんの歌声は、それまでのイメージをうち破った新鮮で、かつ、この上なく優しいものでした。

2009年12月24日木曜日

RICOH GR DIGITALⅢ ゲットぉー!

クリスマスプレゼントに新しいカメラを買ってもらった。

というか、本当は「今年はiPod」という方向性があったのでしたが、どうしてもこのカメラが欲しいので自分で資金補填する(結果、半分以上出しました…が)ので、これでお願いしますと家人にねだってみたのでした。

で、ゲットしたのは、じゃーん!!「RICOH GR DIGITALⅢ」であります( ̄ー+ ̄)

デジタルカメラを使うようになってから腕が落ちた!との、痛い評価に甘んじていた虫六ですが、くそ〜、今後はそうは言わせないぞ。やっぱりカメラは単焦点レンズが基本でしょう。
contax T2で修行した初心に還って、カメラ道をやり直します。

今後のブログ写真にご期待あれ!

とか言っていたら、折しもkurokitiさんからクリスマスプレゼントに、とても良さげなカメラ本をいただきました。ありがとう!ナイスです。勉強します!

ちなみに、別売りの後付けファインダーとかワイドコンヴァージョンレンズとかフードアダプターとか欲しいオプションもあったんですけど、すでに予算オーバーなので、ここはぐっと我慢。1コ1コ買いそろえていくことにしま〜す。

ほっほ〜(v^ー゜)

2009年12月23日水曜日

杵勝会・歳末チャリティー長唄演奏会にて、今年の聴き納め_その2

気を取り直して、杵勝会・歳末チャリティー長唄演奏会のレポートを。


この演奏会は、財団法人・杵勝会が、朝日新聞厚生文化事業団の後援をうけて、歳末の助け合い事業として毎年恒例で開催している演奏会のようです。去年、先生とはじめて聴きにいって、その満足度の高さから、今年も!と万難を排して伺ったのでした。

演奏会は2時から夜の8時半までぶっ通しで、全14曲を、家元をはじめ杵勝会の名取の先生方が次々に演奏します。これで入場料5000円とは!電車賃は高いけど、杵勝会には罪はありません。

プログラムは、以下の通り。

1)舌出し三番叟
2)多摩川
3)外記猿
4)風流船揃
5)俄獅子
6)梅の榮
7)土蜘蛛(切禿)
8)勧進帳
9)吾妻八景
10)時雨西行
11)松の翁
12)石橋
13)三曲糸の調
14)廓丹前

たっぷり(*≧m≦*) 

初っぱなの「舌出し三番叟」は露払いのご祝儀曲ですが、これが凄い!
立三味線の杵屋勝幸恵師匠を中心に三味線方7名と唄方7名(立唄は杵屋勝良師匠)女流の演奏家の方々がお揃いの黒門付きでずらりと並び、前列には囃子方6名。
勝幸恵師匠の「ハッ!」という息一つで、一糸乱れのない演奏を奏でます。この統率力、テクニックの水準の高さ…す、すご〜いヾ( ̄0 ̄;ノ
長唄は歌舞伎音楽ということなので、どうしても檜舞台に上がり、スポットライトを浴びるのは男性奏者ですが、実は女流の層も厚いのですね。それぞれお弟子を取るような実力者揃いなので、本当に巧い。いろんな人にもっと聞いてもらいたいです。
1曲目からノックアウトでした。

今回の演奏会で特筆すべき演目は、まず「風流船揃」でしょう。
杵勝の若手の注目演奏家で構成、立三味線は虫六が最も(!)注目している杵屋勝十郎さんが務めます!!ついに立三味線を受け持ちましたか。本当に将来が楽しみです。がんばれヽ(´▽`)/ ちょっと吉岡秀隆さんに似てますね( ´艸`)
そして、唄方、立ては勝彦さん、『伝の会』のゲストでS市にも来ていただいたことがありましたが、ご自身で『彦音会』を主宰したり若手のリーダー的存在なのでしょうね。風格を感じるようになりました。〈乗り鉄〉との噂も。
そして、唄方では杵屋巳津也さんが次席を務めました。その細身のお体からどうしてこんな声が出るのかと思うようないいお声です。地方公演でも見かけることがあり、注目していたのですが、やっぱり光っていました。

お囃子が賑やかな曲も聞き応えがありますが、私たちは三味線の人たちなので、どうしても唄と三味線だけの曲に聴き入ってしまいます。「梅の栄」「吾妻八景」「松の翁」は、三味線の聞かせどころがあり、面白いです。自分たちも演奏するつもりになって聞いてしまいました。(といっても、虫六はまだまだですが…(;´Д`A )

この会は、今年の5月に、家元が七代目杵屋勝三郎から、ご子息の杵屋清治郎さんが八代目勝三郎を襲名して引き継いだお披露目の会でもあり、「時雨西行」はその八代目が立三味線を務める演奏でした。若い家元を中心に、立唄は勝四郎、利光、東音味見純、禄丈、三味線が勝正雄、勝十郎、寿浩と、今後の長唄会の中心となって支えて行くであろう若い実力者が固めました。勝四郎さんの美声はますます芳香を増し、勝正雄、勝十郎ががっちり演奏を支え、寿浩さんの上調子が美しすぎて涙が出ました。寿浩さんは三味線を弾く佇まいが、なにしろ美しいのですよ(* ̄ー ̄*) この世の存在に思えません。

そして(!)このために聴きにきましたとも言うべき眼目の一曲は、板東玉三郎さんの『壇浦兜軍記 阿古屋』でも一挺一枚のご指定がかかるという、直吉・勝国コンビの「三曲糸の調」であります。今回はそれぞれ松永忠次郎(唄)と勝松(三味線)が加わり厚みを増した演出でしたが、これはもう言葉にならない満足度。心が無になる、音だけになる至福を味わいました。
玉三郎丈また『阿古屋』かけてくれないかなぁ。一生のうちにこの演奏をもう一回聞いてから死にたいです(爆)
あんな素晴らしい到達点に及ぶとはとてもとても想像がつきませんが、いつか、自分が「三曲」を弾けることがあるんだろうか。先は長いけど、がんばりたいと思います(常に前向き)

そして(!!)おおとりは、七代目勝三郎改め勝作元家元が立三味線、杵屋禄三改め東成師匠が立唄の「廓丹前」。華やかな演奏でした。元家元の華奢な身体から放たれるエネルギーに脱帽。みんなこの方を目指して精進しているんですね。東成師匠の声は深みがあって色っぽく、日本人の声って美しいなぁとお聞きするたびに思います。

様々な音楽が行き交う現代ですが、日本の男性歌手で一番美しい声を出せるのは長唄の方々でないかと、虫六は秘かに思っています。聴ける機会があまりにも少ないのが本当にもったいないです。姉弟子Cさんが言ってましたが、この長い演奏会をもっと短くして、聞きやすい値段で(この会は内容に比して破格だと思いますが)機会を増やせばいいのに…と。私もそう思います。若手の演奏家には個性的な演奏活動をしている人たちもいるのに、どうも浸透してこないのは何がいけないのかぁ?彼らの修行の障害にならないで、芸を育てていける環境を保ったまま演奏活動を充実させ、かつ、普及していく方法…。
しかし、先だっての事業仕分けでは、芸術家の国際交流等(芸術家の国際交流、伝統文化こども教室事業、学校への芸術家派遣、コミュニケーション教育拠点形成事業)は大鉈を振り切られてしまいました。何考えているんでしょうか(○`ε´○)

個々の芸人さんたちが一生を掛けてやっと維持しているこの芸能のレベルを下げさせるようなことにはならないで欲しいと、圧倒的な芸を耳にして、一層強く願うのでした。

あ、来年は新しい家元の「八代目杵屋襲名披露記念全国大会」が、国立大劇場で9月22日(水)に開催されるそうです。いまから楽しみです。


記録【杵勝会・歳末チャリティー長唄演奏会】
平成21年12月20日(日)午後2時開演予定
有楽町マリオン朝日ホール
入場料5,000円(学生優待3,000円)


2009年12月22日火曜日

あべひげさんの訃報

昨日、S市の演劇人・舞台関係者に悲しい知らせが行き交いました。
居酒屋「あべひげ」の親父こと阿部立男さんが亡くなったという知らせでした。
阿部さんがいくつも病気と闘っていて、とくに去年(というか今年の初めですか)に大きな手術をうけて、体力を落とされたことも知っていましたが、夏には痩せてはいたけどいつもどおりの阿部さんにお会いし安心したりして、お店も続けられていたので、もう大丈夫なのだと思い込んでいました。
急な知らせでとにかくびっくりです。

S市の文化関係者であべひげさんを知らない人はもぐりです。
それくらい、地域の文化を、身の丈以上の包容力で、底辺で支えてきた方です。
私自身も数え切れないくらいお世話になりました。

本当に本当に、心からご冥福をお祈りしたいと思います。

あべさんのご葬儀日程等については、近しい方が「あべひげ」のHPにお知らせしてくださるそうです。

合掌

2009年12月20日日曜日

杵勝会・歳末チャリティー長唄演奏会にて、今年の聴き納め_その1

今日はずっと楽しみにしていた「杵勝会・歳末チャリティー長唄演奏会」を聴きにいくため、師匠と姉弟子に同行しました。

先生たちは「大人の休日倶楽部」が使えるのでゆっくり「はやて」でいらっしゃるのですが、虫六と姉弟子Cさんはまだ倶楽部会員の年齢に達していないためその恩恵に預かることができないので、えきねっとの「お先にトクだね・3割引切符」で一足先の「やまびこ」で東京入りし、東京駅で待ち合わせました。

が!
前日の飲みが尾を引いて、虫六はここ1年くらい経験がないくらいの二日酔い。それほど過ごしたつもりもなかったのですが、7号酵母が強烈だったか、体力が落ちていたのか…。とにもかくにも、朝からむかむか、お風呂に入っても酒は抜けず、水しかノドを通らない最悪の体調で、本当に無事に行って帰ってこれるのか?また演奏を楽しめるのか?不安なまま車中の人となったのでした。

これだけは避けたかったのでしたが…(||li`ω゚∞)
万全の体調で聴きに行きたかったのでしたが…(´;ω;`)ウウ・・・
後悔してもはじまりません(爆)

でも、車中でC先輩と話をしているうちに、どうやら落ち着いてきて、師匠たちと合流してお昼を食べるころには、通常並みの食欲も戻り一安心でした。やれやれ。

というわけで、いざ、有楽町朝日ホールへ!
この大満足の長唄演奏会のレポートは、たっぷりなので、また明日。


あ、そういえば。
私たち余りに浮き足だって、東京駅から有楽町に行くのに、間違って快速に乗ってしまったんですが(爆)、浜松町から慌てて引き返す電車の窓から(どの駅か忘れましたが)、平成中村座の「マックカフェ」の大きな看板を発見!!!盗みたいわ〜、あのポスター。S市じゃテレビCMも流れてませんよ。どなたか見つけたら写メを…人( ̄ω ̄;)

2009年12月19日土曜日

一足先にメリークリスマス、てか?

秋田から運んできた一升瓶を持ち込んで、例により、ガスパール家でご馳走に預かることになりました。わぁ〜い。
これまた恒例、関白家のご両人もご一緒で、楽しい家のみとなりました。いちばん奥にガスパール君が鎮座ましましてるんですが、関白家の奥様にイコイコされて、すっかり潰れて見えませんね。

今日は、お酒は白爆の7号酵母特別純米原酒。芳醇にして旨・辛口。
関白氏がなんと「活き鮑」をお土産に…肝醤油でいただきました。超贅沢な一品。
そのほか、烏賊大根や、ブロッコリーとカリフラワーのサラダにはアーリオ・オーリオ風の熱いドレッシング、〆はハリハリ鶏鍋と、「居酒屋ガスパパ」の自慢料理に時を忘れて舌鼓でした。
こんなに、あからさまに居酒屋メニューなのに、乾杯の音頭は「メリ〜クリスマス!」ですと(爆)
ま、いいか。

というわけで、今夜もごちそうさまでした!来年もよろしく!!!

2009年12月17日木曜日

さすがにクリスマスの前には雪は降るのね

今年は暖冬とか言われていましたが、北国S市にもやっと冬将軍が到来しました。

仕事のあと髪を切る予約を入れていたのですが、職場の建物を出たらいきなり雪が舞っていて、しかも、降り方に勢いをつけていたので焦りました。というのも、虫六御用達の美容室がどか雪になると帰宅途中の在人たちが道に車を乗り捨てていくので知られている、山中の住宅街にあるからです。2時間もしたら積もってたりして…と、髪を切っていただく間も気が気でありませんでしたが、なんとか無事に帰れました。

帰り道、城趾の石垣にも雪が積もっていました。

明日の朝はだいぶ積もっているでしょう…。車出せるかなぁ。

2009年12月16日水曜日

『みやぎ工芸美術の歩み』

虫六はこの夏から秋にかけて、とある本作りのお手伝いをしました。

『みやぎ工芸美術の歩み』と言うタイトルの自費出版の書籍です。

この本は、S市在住の陶芸家・高倉健先生が、こつこつと1年を掛けて古い新聞記事や展覧会のカタログやパンフレットなどを紐解き、時に作家に取材をして、宮城県の工芸美術の歴史をまとめたものです。昨年、先生は地元の新聞社が主催する文化賞を受賞されたのですが、その副賞として賞金をいただくことになり、それを地域の工芸美術のために還元できないかと今回の出版を思いつかれたそうです。

内容は、昭和初年のころ市内にあった国立の施設・工芸指導所(指導者としてブルーノ・タウト氏が赴任した)の理念を産業工芸だけでなく、工芸美術の嚆矢でもあったと位置づけて、その後、県内で開催された工芸美術の展覧会をたどりながら、それを展開した研究会活動やサークルを取り上げた第一章。さらに、地元での発表にとどまらず中央展での入賞などを果たした作家たちを紹介した第二章。そして、河北工芸展や新翔工芸会展、みやぎ秀作美術展など平成以降に宮城県で開催された歴史の新しい展覧会や、海外交流展や他ジャンルとのコラボレーションなど、最近の美術工芸の取り組みを綴った第三章…という構成になっています。先生の独善的な芸術論というような記載は一切無く、個人的な回想でもなく、淡々と客観的な事実を列記するような内容であることが特徴的です。

実は、第二章あたりから先生自身が当事者ですから、ご本人としては書きにくいこともあっただろうと思いますし、それでこのような書き方になったのだろうと想像もするのですが、全体を読み渡してみると、鄙の都・S市で芸術家としての道を選んでしまった作家たちの困難や格闘、矜恃というべきものが、先生の価値観として、この本の行間に浮き出てもいるのです。

虫六がまだ青二才の美術専攻の学生だった頃、自分たちよりも一回り上の世代の先輩たちが中央展に入選することに血道を上げているのを斜にみて、否定しきって、個展を重視する風潮などもあったかに思うのですが、そういうことすらもすでに歴史の中に収まっていくんだなぁと、原稿を読みながら考えたりしました。もっとも、いわゆる美術と工芸では、作家としての有り様はだいぶ違うようなのですが。

しかし、このような地道で、かつ、とても基本的な仕事というのは、一人の作家が自腹を切って果たして行かなければならないことなのだろうか?と、虫六は素朴な疑問を持つのです。

工芸と云う分野について知識もあり、客観的な立場にいる研究者が、S市にも少なからずいるわけで、そういう方々が自分の所属する機関の報告書や紀要などにまとめていっても罰はあたらないんじゃないのかな?と。


2009年12月13日日曜日

「ケンジの散歩道」in 銀杏坂

チボリの瀧原君が劇判出演するというので、杜の都の演劇祭プログラムD「ケンジの散歩道」を見に行きました。

http://www.morigekisai.com/stage_info/D/d_about.html


このプログラムは、紙芝居でもお世話になっている演出家で俳優のなかじょうのぶさんがディレクターをしています。実はのぶさんのお芝居見るのも久しぶり(スミマセン! (;´Д`A ```)だったので、楽しみにしていました。

会場は、「Waiting Bar 銀杏坂」というバーで、外飲みをほとんど行わない虫六は行ったことないお店。っていうか、上杉通りは銀杏坂って言うの?S市じゃないみたいです ( ´艸`)

受付して店に入ると、サービスのドリンクを注文します。すでに入場していた妙齢のご婦人たちは白ワインなどを飲んでいましたが、虫六は自動車で行ったのでコーヒーを。おつまみとして出されたのは、なんと!和菓子!!う〜む、アルコールに和菓子は辛いでしょ…。常識的に。ちなみに隣のおじさんは、ロックのウィスキーを注文して、和菓子が出てきて戸惑っていました。掻き餅とかならね、せめて。

で、和菓子を食べるタイミングを伺っているうちに、出演者が入ってきて、公演が始まりました。

出演者は、なかじょうのぶさんと絵永けい さん( TheatreGroup"OCT/PASS")で、音楽が瀧原文法くん(この場合、「タトラ」ドラマー)。

公演は、宮澤賢治の作品と彼の評伝を組み合わせた構成で、「虔十公園林」「雪渡り」「よだかの星」、それから井上ひさしが宮澤賢治の何かの書籍のあとがきに書いたらしいエッセイ(シロツメクサの話)などが朗読され、60分ほどの内容でしたが、ウェルメイドな作品に仕上がっていました。

のぶさんと絵永さんの声がとても耳障り良く響いてきました。

「虔十公園林」は20年も前に読んで印象に残っていた作品で、当時ヒットした「木を植えた男」というアニメーションなどもかぶって思い出されたりしましたが、今こうして聞くと印象はだいぶ違ってました。賢治が農業の人がだったという観念があって、虔十は人に馬鹿にされても将来の森の育成をイメージして杉を植えたと当時は理解していたのですが、もっと無垢な衝動だったのかな。そして結果としてできあがった「森」が喚起したのは、環境がどうのとか土地がどうのということよりも、森と関わりながら生きて築かれた人と人の記憶をつなぐ装置だったのですね。賢治の作品はその人その人の年齢や身の丈によって楽しめばいいと、公演の中の井上氏エッセイの前段でも語られていましたが、また10年くらいして読んで見ると、違うことを考えるのかもしれません。

かなり大人っぽい空間で、ある意味抹香くささもある賢治の作品を、重厚な語りで紡ぐ…という構成でしたが、瀧原くんのアドリブっぽいドラムがいい接着剤になってアーティスティックな作品にしていました。でも、公演の後で聞いたら、瀧原君が生出演したのは今日がはじめてとのこと、ラッキーでした。

今回の杜の都の演劇祭2009は、文学館が10-BOXの門を叩いてといういきさつで始まったそうなので、全体に文学色が濃厚なというか、文学×演劇というコンセプトだったようですが、リーディング×演劇だったら、例えば宮本常一の「土佐源次」みたいな文学の範疇に入らない名文なども作品として取り上げてみると面白いかも?などと思ってみた次第です。

2009年12月9日水曜日

石田珈琲店にてまったり

秋田の1日目、家人Tがホテルに戻るなり、「秋田で一番美味しい珈琲屋を見つけた!」と自慢そうにいうので、翌日みんなで行ってみました。

「東海林太郎音楽館」のほど近く、秋田市の歓楽街・川反(かわばた)通りの一角、大町交番のお隣にその珈琲屋=「石田珈琲店」はありました。


ここが入り口ですが、この青いドアは1階のギャラリーの入り口、石田珈琲店喫茶室は奥に入って2階にあります。


この学校の教室みたいなところです。珈琲のいい香りがしてきます。しかし、ここからは撮影禁止でした。

落ち着いたアンティークな木調のインテリアで、旭川に面した窓には長いカウンターがあって、友達と語りながら過ごしてももいいし、一人で川をながめながら珈琲を楽しんでもいいという感じ。

珈琲はやや深煎り系で、抽出方法を「ブレス式」と「ペーパードリップ式」から選べるようになっています。

そして珈琲をよりよく味わうために、注文した珈琲と一緒に「炭酸水」が1口分の小さいグラスで出されます。お口の中をさっぱりさせるためだそう。これ、はじめての経験でどきどきしました。でも、高級珈琲店にありがちな気取った感じも、もったいぶった感じもなく、いい雰囲気でした。若い人が多かったかな。

S市にあったら通うのにな。

「石田珈琲店」
http://ishida-coffee.petit.cc/pineapple1/


というわけで、室内撮影禁止だったので、久しぶりに心の一句

 かわばたの 木枯らしながめ お茶時間

 豆香り 北欧玩具ある 曇り窓

 

3階にはちょっと面白そうな書店が入っていましたが、お休みだったのでいけませんで、残念でした。1階のギャラリーといい、全体に古いビルを借りて若い人たちが同世代をターゲットにやっているような、おしゃれ空間ではありましたが、「石田珈琲店」はコーヒーがきっちり美味しかったのと、商売としてもちゃんとやっている印象があり、好感を持ちました。

2009年12月8日火曜日

東海林太郎音楽館と小沢昭一的こころ

公園を出て、お昼でも食べるか…とぶらぶら歩いていたら、「東海林太郎音楽館」という看板にぶつかりました。
(隣は「大鵬」の記念ギャラリーらしい。)で、なにやら予感がして入ってみることにしました。

東海林太郎と言えば、燕尾服にロイド眼鏡、直立不動の姿勢で唄う昭和を代表する大流行歌手ですよね。テレビでは見たことがありました。そういえば、公園のところにも記念碑が冬眠していました。秋田出身の歌手だったんですね。

入ってみると、これが小さいながらも様々な資料がぎっしり展示されていて、かつ、けっこう状態よく管理されていました。東海林氏が最後にきたタキシード、写真、等身大の油絵、レコード、文化勲章、直筆の掛け軸、年表、満州鉄道勤務時代に書いた調査研究論文まで、東海林氏の仕事と人となりを伝えるには十分な資料です。

また、室内にはボランティアで解説をしてくれる親切なスタッフもいて、いろいろと面白い話をしてくれました。

資料館の設立には、東海林太郎顕彰会という団体が母体となって県や市に働きかけたそうなのですが、結局、いい答えが得られず、小さいながらも自分たちで作ろうということになり展示室をつくり、ボランティアで受付を受け持って運営しているそうです。秋田の人は立派だな。

生前愛用していたという机には、東海林太郎の全楽曲をダビングしてあるというCD40枚のボックスセットが置かれていました。1000曲収録されているらしい ∑ヾ( ̄0 ̄;ノ 1000曲!まだまだあると言ってました。

そして!その横に「小沢昭一的こころ」の放送台本が置かれていたのをめざとく見つけてしまいました!!

小沢さん、昭和歌謡のCDも出してますからね、お好きなんですね、やっぱり。で、ずうずうしく「中を見てもいいですか?」と聞いてみると、「どうぞ、どうぞ」とお許しをいただいたので、ぱらぱらと拝見しました。ほとんどアドリブかと思うような、あの番組の語りですが、実はちゃんと台本あったんですね。意外にかっちり書いてありました。もっともその通りに読んでいるのかどうかは分からないですが…・しかも、1週間分まとまって綴じてありました。やっぱり1週間分まとめて収録しているんでしょうね。(当然か…)この回の放送を聞いてみたいと思い、帰宅してから虫六秘蔵の「小沢昭一的こころ」CDボックスセットを確認しましたが、入っておらず、残念でした(爆)

秋田の東海林太郎顕彰会のみなさんの心意気に感銘するところがあり、思わず記念手ぬぐいとブックレットを購入してしまいました。

秋田に行ったら、ぜひ「東海林太郎音楽館」へ。

2009年12月6日日曜日

冬枯れの千秋公園


秋田2日目。本当は、リゾートしらかみで弘前方面に行こうとか、男鹿の水族館に行こうとか、幻のプランはあったのですが、1日でこなすにはあまりにもアクセスがなく、今回はあきらめてゆるゆる・だらだらと市内観光のつづき…という一番消極的なコースになってしまいました(´・ω・`)

しかも、虫六子が持ってきた文庫本を読んでしまった(もともと読みかけだった)ので、帰りの本が欲しいといいだし、駅前のジュンク堂で朝から立ち読みタイム。なぜにぃ〜、秋田まで来てジュンク堂かぁ??…とか言いながら、なんだかんだで小一時間過ごしてしまいました(爆)

で、ぶらぶらとやってきたのは、佐竹藩・久保田城跡こと千秋公園。明治30年に完成した城跡公園で、城の遺構を生かして近代的な公園に整備した全国初の公園だそうです。

公園樹木も冬支度。ほとんど人もいません。

大手門。紅葉…すでに枯れております…。2.3週前ならみごとだったんでしょう、きっと。

あやめ園…のようです。ここも、その季節はきれいなんでしょう、きっと。

御隅櫓も冬期閉館中(12月1日〜3月31日)。冬眠する街、秋田。観光は11月までに済ませましょう。
突如雨に降られました。この時期、雨!?雪景色なら、絵になったかもですね。


夥しい数のカラスたち。お城はカラスたちのお宿と化しているようです。ヒッチコックの映画を彷彿しました。

わずかにアヤメの花弁が残っていました。

おぉ、光がかっこいい。

ゆるぅ〜〜っと公園を散歩して、このあと、秋田の隠れた名所を発見!つづきは明日!もとい、明後日!

2009年12月5日土曜日

秋田にて浅野梅若師匠の写真に出会う

なぜか秋田に来てしまいました。家人Tが仕事で秋田に行くことになって、秋田には義姉もいるので、久しぶりの再会も兼ねて、便乗家族旅行です。
今回は高速バスを利用してみることにしたのですが、食べたり話をしたりしにくい雰囲気で、電車の旅とはだいぶ勝手が違いました。一人旅向きですね、バスは…。でも、到着するのは秋田駅。なまはげ君がお迎えしてくれました。



家人Tは仕事に行ったので、虫六と虫六子は市内観光。さすがに12月とあって秋田は激寒でありました(((゚Д゚)))
ホテルの近くに県立美術館があったので足を向けて見たのですが、企画展等はなく、市民グループの写真展が開催中でした。なんでも秋田市内に迷い込んだ丹頂鶴が1羽いて、市内のカメラマンがこぞって望遠もって追いかけているという話を聞きました。お隣は平野政吉美術館で、こちらには藤田嗣次やロートレックの常設があったらしいのですが、写真展ですでに虫六子の興味は失せていて、観に行かせてもらえませんでした(u_u。)


千秋公園の入り口に歌手の東海林太郎の歌碑がありましたが、すでに冬支度で、スピーカー等にカバーが掛けられていました。

あまり目的もなく、民俗芸能伝承館にいきました。秋田の代表的な夏のお祭り「竿灯祭」をはじめとする民俗芸能の保存伝承や後継者育成のための練習発表のための施設だそうです。


展示ホールは吹き抜けで、竿燈や梵天、土崎神明社祭の曳山などが展示してあり、祭りを紹介したビデオが流れていました。練習施設ということで、実物の竿燈を持ってみたり出来るようになっています。竿燈のねぶり流し、究極の放下芸ですね。かなり面白そうに思えて、夏に来て本物を見たいなと思いました。


展示ホールの他に展示室もあり、郷土の芸能をいろいろ紹介しています。秋田万歳のマネキンや資料も展示され、ビデオも流れていました。秋田万歳は、三河万歳や尾張万歳が宗教的系統を引いているのに比べて、儀式的なカラーが強く、秋田弁丸出しのユーモラスな掛け合いなどしゃべくりが付くのが特徴だそうです。後継者はもういないのかな…。

そして!3階の展示室のいちばん端っこにひっそりと、秋田民謡の大家・浅野梅若師匠のお写真が展示されていました!しえ〜!!こんなところでお会いできるとは!

でも、このコーナー本当に場末感あるんですけど。

他にも、鳥井森鈴師匠や畠山浩蔵師匠など秋田民謡界の大御所の方々の写真や資料が数点展示され、どうも秋田民謡のコーナーのようだったんですけど、気合い入っていない感じでした。現代の津軽三味線の隆盛に比べて、秋田の三味線は一般的とは言えない感じですが、民謡界では秋田といえばレベルも人口も凄いらしいです。もっともっとアピールして欲しいです。他のコーナーみたいに、音源とか聞ける構成にして欲しいと思った次第です!

ちなみに、梅若師匠の「秋田荷方節」は本当にすばらしいです。目が覚めますです。白眉です。
こちらのCDで聞くことができますので、興味関心のある方はぜひ。
   ↓
「日本禁歌集 五 みちのくの戯れ唄 」
http://www.metacompany.jp/cd/offnote/AUR/AUR-18.html

「日本禁歌集」は全5集です。

http://www.metacompany.jp/special/nihonkinka/nihonkinka.html



2009年12月3日木曜日

今日は奇術の日

12月3日は「奇術の日」だそうです。

マジシャンの掛け声「1(ワン)、2(ツー)、3(スリー)」をもじって「1、2、3」の付く12月3日を「奇術の日」と日本奇術協会が制定したそうです。東京・大阪・名古屋で大々的なイベントも開催しているとか。
http://www.jpma.net/event/index.html#kijutu

なぜか1月23日ではなかったんですね。やっぱりクリスマスや年末年始の前の方がイベントにも勢い出るか?

ちなみに虫六はナポレオンズのぼけぼけのマジックが好きです(爆)

2009年12月2日水曜日

11月に読んだ本

11月の読書メーター
読んだ本の数:8冊
読んだページ数:1742ページ

きのう何食べた? 3 (モーニングKC)きのう何食べた? 3 (モーニングKC)
いつも心づくしの美味しいものを食べていても「サッポロ一番味噌ラーメン」が食べたくなる気持ち、分かる!そして、その「作る→食べる」時間はだれにも邪魔されたくないんだね。それは麺が延びるから?それとも大人の距離感?
読了日:11月25日 著者:よしなが ふみ

タモリのTOKYO坂道美学入門タモリのTOKYO坂道美学入門
以前から気になっていたのですが「ブラタモリ」見ていて堪らずポチってしまいました。東京は下町も、明治に開発された山の手でも、坂道だけは江戸の地形(と名前)がそのまま残っているそうです。タモリさん写真うまいですね、時空を超えて江戸の町が彷彿され不思議です。東京に住んでいると町歩きのガイドとして使えそうですが、私は硬派な編集の方が好みなので、お立ち寄りスポット(これ本当にタモリさんおすすめか?)より、江戸時代の地図とか大きめにしてほしかったかな。
読了日:11月16日 著者:タモリ

双調平家物語〈2〉飛鳥の巻(承前) (中公文庫)双調平家物語〈2〉飛鳥の巻(承前) (中公文庫)
飛鳥の時代にあって、厩戸皇子についてはほとんど語られないというのが、「日出ずる処の天子」世代の自分としては、え、そうなんですか?でありましたが、これは帝とそれを擁立する(たてる)勢力の物語で、そうなると物語の流れは蘇我氏を追うことになるんですね。帝の条件は「筋目が正しく、己を空しくする」ことが肝要だと蘇我の長・馬子は断じます。後半は「国とはなにか?」をはじめて問い、我が朝には「国」の体がないことを覚えて革命をおこした中大兄皇子と鎌足公の物語。二人が夏の河原で問答する場面がすがすがしい緊張感に満ちていました
読了日:11月15日 著者:橋本 治

きのう何食べた? 2 (モーニングKC)きのう何食べた? 2 (モーニングKC)
やや説明が勝っていた1巻に比べて、二人の会話の間合いや、エピソードのオチがいいところに届くようになって、ちょうど煮物に味がしみるようにいい感じになってきました。これははまるパターンです。レシピにもそそられるし。世間的にはイケメンで通りそうな史朗が、新宿2丁目あたりではモテ系ファッションからかけ離れていて、イケてないゲイだったというのが可笑しかった。
読了日:11月03日 著者:よしなが ふみ

きのう何食べた? 1 (1) (モーニングKC)きのう何食べた? 1 (1) (モーニングKC)
料理が得意なイケメンの弁護士・筧史朗とちょっぴりイーカゲンで頼りなげな美容師・矢吹憲二のゲイライフ。おうちご飯のメニューが食欲をそそります。40代と言う設定もなんだかいい。それにしても、美味しい晩ご飯を毎日キープするためには仕事は6時で片付けないとダメなんですね〜(涙)。自分がまともな暮らしをしていない気になりました。
読了日:11月03日 著者:よしなが ふみ

竹光侍 7 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)竹光侍 7 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)
いよいよクライマックス。邪気で膨らんだ木久地の黒い影がじわじわと宗一郎に忍び寄ってくる。ずんずん緊張感が高まるドラマ運びといい、雨の中の殺陣といい、こんなに時刻感をともなった濃密なマンガを見たことないです。映画のようで、それ以上の表現を漫画文化は持ちましたね。こんな凄い絵が描かれているのに、ネットマンガが主流になってモニターで見せられるようになっちゃたまらんな。
読了日:11月03日 著者:松本 大洋

竹光侍 6 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)竹光侍 6 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)
(再読です)旗本の冷や飯食い・御輿大三郎は「竹光侍」のもう一人の主人公でした。芝居がかった生き様は華々しく切なくて、胸に詰まります。「大三郎と源次」は本作の外伝ですね。
読了日:11月03日 著者:松本 大洋

双調 平家物語〈1〉序の巻 飛鳥の巻 (中公文庫)双調 平家物語〈1〉序の巻 飛鳥の巻 (中公文庫)
平家物語はずっと読みたかったのですが、橋本版が文庫で出ていると知り、思い切って挑戦。六波羅入道・前の太政大臣平清盛の栄華の甚だしきことをあたかも叛臣のごとく言う人もいるけれど、異朝唐土の弑虐とは比較にならないということで、まずは秦の趙高をはじめとして彼の朝の盛者必衰の叛臣列伝をたっぷり。次は飛鳥朝に至ったところで、第2巻へ。唐土の歴史として日本人が理解していることも、実は正しい伝聞ではなく我が朝の都合のいい部分だけを伝えられているらしい。早速はまりそうですが全部で16巻!ゆっくりいきます。
読了日:11月02日 著者:橋本 治

読書メーター

2009年12月1日火曜日

丸投げにも程があろう_ノフ○ぐったり

昨夜は帰宅午前1時半。なんとかオープンに間に合わせた。

しかし、カッターの使い方もままならない若者たちに技術指導しながらの作業は正直厳しいなぁ。指切って大事なパネル汚すし…。素人相手に旨くやれとも言えないぞ。それぞれ、それなりに一生懸命だし。分かっているよ、悪いのは君らじゃない!

かの上司は昼ごろ現れ原稿ひとつ置いて、それきり…。最終的にどうなるか、関心ないのかな?っていうか、どこまで私の仕事ですか〜あぁぁぁ?もしかして、あのままご帰宅ですかぁ〜?

仕事をなんとか片付けて家に帰ったら、お鍋にスープカレーが少し残っていて、深夜食堂のごとく真夜中に食しました。夜中のカレーは腹にもたれます。しかし、晩ご飯作りを放棄した虫六を救ってくれたのは函館の義母が送ってくれた缶詰の高級カレーでした。お母様、ありがたく利用させていただいてます。

というわけで、昨夜はみんなレトルトでした(;´▽`A``

朝、やっと起きたら虫六子が洗濯してから仕事へ行けと要求。うげ〜、こいつは鬼じゃ、鬼の子じゃ〜 ヾ(;□;)э …ってことは、鬼は私かね ( ̄◆ ̄;)

天に唾する昨今でございます┐(´(エ)`)┌

2009年11月28日土曜日

クマガイ節・啄木評伝

杜の都の演劇祭2009で、相棒クマガイ社長が啄木の評伝をリーディング劇に演出するというので、家族で見に行きました。
プログラムは、「金!〜評伝で綴る啄木〜」
http://www.morigekisai.com/stage_info/B/b_about.html

会場は、「晩翠草堂」。詩人・土井晩翠の旧居跡です。夜で、うまく撮れませんでしたが、周りはビジネスビルやショッピングビルが林立する通りに、時間が止まったように建ってる昔ながらの住居。戦前はこんな佇まいの家が建ち並んでいたのでしょうか。

土壁の部屋に、晩翠先生が息を引き取ったというパイプベッドが置かれています。その前に朗読者2名の椅子が置かれていました。今日は最終日で20名ほどの定員はすでに満席で、うしろに立ち見も出るかも…ということでした。

席に着くと、お茶とはっと汁が出てきました。ケータリングは、S文学館の名物レストラン・杜の小径から、店長のM山さんが作ってくださったもの。ちょうどおなかもすく時間で、寒いところを自転車で移動してきたので、暖かいはっと汁が五臓六腑に染み渡って旨かった。

朗読劇は、最終日ということもあってか、出演者のお二人もテンションが上がっていて、緊張感がありましたが、綱渡りの啄木と節子の人生と重なって伝わるものがありました。啄木って、生意気で才能はあるけど、情けなくて、エゴイストで、ちっぽけなヤツで、絶望と節子に対する執着やあがきが哀しい。そこがクマガイコウキの共感を得たのかな?まるで、クマガイさんが創造したような彼の世界観にはまる人物として浮き上がってきて、とても面白かったです。そして、清貧の中で「いちごジャム」を探して奔走する節子のどうしようもない健気さが美しいなぁ。
死に瀕した啄木と、トロリと甘露な「いちごジャム」との対峙が、クマガイコウキの詩人たる才能を感じるのでした。

そして、終盤の不協和音のように延々と読み上げられる節子の金銭出納帳の無機質な金額メモ…(クマガイさんベーシストだもんね)と、「ひこうき」全篇の朗読。秀逸な構成でした。

このところ仕事が切羽詰まっていて、うっかりするところでしたが、見逃さなくてホント良かった。

帰りは遅くなったので、外食!ってことで、久しぶりに「うまい鮨勘」一番町店へ。はっと汁で小腹が出来ているにも関わらず、ついつい食べてしまいました。いつ来ても、鮨勘は満足度高いです。

写真を撮っていたら、板前さんが卵焼きを1コサービスしてくれました。
うひょ〜、虫六子儲けましたな〜。

帰宅したら、家人Tはさっそく「渋さ知らズ」のCDで、室舘あやさんの「ひこうき」を聞き返してました。同じ詩なのに違って響いてくるのが不思議です。