2019年5月16日木曜日

吉備中央町に重森三玲のオリジンを訪ねる(前編)_こんぴら歌舞伎2019・帰り道

琴平町・金丸座の「こんぴら歌舞伎」への遠征(4月19日〜21日)の帰り道、岡山に途中下車して1泊し、吉備中央町に寄り道しました。吉備中央町…奥州仙台住まいの虫六には見当もつかない土地で、そこはいったいどこでしょう?って感じなんでございました。

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なぜにこの町に向かうことになったのか?と申しますと、
それは、昭和を代表する作庭家で、戦後の前衛芸術運動にも多大な影響を与えた重森三玲の生誕の地であり、処女作をはじめ所縁の作品が多く残っている土地だからであります。
重森三玲(1896年〜1975年)の作庭したお庭を巡ることをささやかなライフワークとしている虫六、機会をとらえてあちらこちらをお訪ねしております。

 ○木曽福島・興禅寺
 ○東福寺界隈
 ○重森三玲庭園美術館
 ○松尾大社
 ○大徳寺瑞峯院
 ○岸和田城「八陣の庭」

が、さすがにここまで行くのはハードルが高いと思っていたのです。
でも琴平の帰り足に1日休みがあったのと、一緒に行くはずの相棒が来れなくなり、ひとり旅となったので、ん!?今なのか?と足を伸ばしてみることにしました。

しかしあまりにも土地勘がないので、1日コースで行って来れるのか少々不安もあり、役場の方にしつこく問い合わせなどして交通手段などを検討…。
こんなコースを計画してみました。

往路)岡山 6:37→(JR伯備線)→備中高梁 7:29着・7:40発→(備北バス)→吉川(終点)8:42着 9:00開館の重森三玲記念館に入館 
 その先は現地で決める。
(ただし、町内ではタクシー以外の移動手段は無いとのこと…(゚∇゚|||)えっ)

復路)きびプラザ15:30→(中鉄バス)→岡山駅16:30着→ホテルに荷物を取りに…岡山17:53発のぞみ→21:13東京駅着/31:36はやぶさ乗り換え→仙台着23:07

町内の重森物件は7ヶ所。お昼を含めて所要時間は6時間半を確保しました。
とにかく、乗りものに乗り遅れないこと、特に町内の中心施設・きびプラザ発のバスに乗り損ねると仙台に帰れないという事態となるので要注意。なんだか緊張するなぁ。

早朝にホテルを出て岡山駅にやってくると、サンライズ瀬戸・出雲が入線してきて、向こうのホームで切り離しを行っていました。一昨日の朝はあれに乗っていたんだなと思うと、なんだか不思議な感じ。

伯備線の、通勤通学利用の人たちにまじって普通列車に揺られ、備中高梁駅まで来て下車、ここからは路線バスに連絡。終点まで乗りっぱなしなので、停車場を間違えてはいけないという緊張感も無く、ただ物珍しい車窓の景色をぼんやり眺めつつ、マイナスイオン満喫。仕事も忘れて解脱状態。どんどん山奥に入っていく感じ、ひとり旅楽しいなー。

2時間ほど電車やバスに揺られて、はい到着しました。吉川公民館の敷地内にある重森三玲記念館。今回の重森庭園探訪のスタート地点です。

おやさっそく枯山水があると思って見てみると、三玲のお孫さんの重森千青(しげもりちさを)さんが記念館の創設にあたり記念に作庭した庭でした。石組みは「三玲」の字を象ったそうです。そう言われてみれば、見えなくもないですね。
庭の前で写真など撮っていたら、ちょうど開館準備をしていた職員の方が声を掛けてくださったので、「仙台から来たんですけど、町内の重森庭園を見て回りたいのですが…」というと、ひぇ〜と1拍驚いて、親切に(本当に!)相談に乗ってくださり、公民館の館長さんも一緒になって、効率的なコース取りを決めてくれました。「外食するところもないから、お昼は道の駅「かよう」で…」という超重要情報も教えてくれました。

まずは、記念館の常設展で三玲が残した書画や茶器、手紙などの資料を眺めつつ、公民館の一角にはパネル展示室があったので、こちらで本日の予習。町内の重森物件のプロフィールを頭に入れました。映像もあって分かりやすかったです。

記念館の隣地(吉川八幡宮)には、三玲の処女作である茶室「天籟庵(てんらいあん)」が移築されています。(1つ前の写真の向こう側に見えている建物。撮影禁止なので、吉備中央町のリンクをご覧ください)

重森家はこのあたりの素封家で、三玲は祖父や父の影響で小さい時から絵や書を好み、生け花や茶の湯を学んでいたそうです。それで、18才の時にみずから茶室を設計し、それを実家の敷地内に父・元治郎が施工して建てたのが「天籟庵」です。
早熟にして、半端ない教養…。教養って余裕から生まれてくるものなんだよね、いまのIT素封家はお金持ちだけど教養はなさそうだなぁ。

1つの部屋に「真・行・草」を表す床の間がそれぞれ3つもあるという珍しい設計は、青年期からして既成概念にとらわれない「はみ出す才能」を感じさせました。18才の三玲少年はすでに茶道の世界観を自分のものにしていたのでしょうか。曲面が特徴の船底天井に、サルスベリという変わった材を用いた床柱もユニークですが、しかし、なんといっても変わっているのはオール・モルタルのお庭。これは茶室が昭和44年に宮社の境内に移築されるときに、三玲自身が新たに作庭したもので、過疎化が進む土地の状況に配慮して町民の負担にならずにメンテンナンスフリーで維持できるようにと、こういう造りになったそう。1本の草も木もない庭には正直度肝を抜かれましたが、吉川八幡宮が海の神様を祀った社であることに因んで、波の模様が大胆にデザインされ、最高級の鞍馬石や鎌倉時代の手水鉢を配するなど、伝統とモダンが対峙していて斬新でした。
…いえ、何気なく書きましたが、庭を維持するには経費も人の手もかかるのです。このような発想自体が重森三玲のすごいところだと思います。

年に1度の地域のイベントの日には、この茶室も市民に開放されて、みんながお茶を楽しむのだそうです。

処女作の茶室もはみ出していたけれど、50年たって造ったこの庭も相当尖っているなぁーと、旅の初っぱなから三玲の個性に打たれました。

ちなみに、「天籟庵」だけでなく記念館や公民館のあるこの辺り一帯は、ぜーんぶ吉川八幡宮の敷地内だったそうです。この宮社は京都の石清水八幡宮の別宮として永長元年(1096年)に創建されたという由緒も古く、そうとう大きな神社だったようです。三玲は、地元の人たちも気づくことがなかったこの神社の文化財的価値を見いだして、「特別保護建造物」指定に取り組んだそうで、それを経て、現在は本殿が国の重要文化財に指定されているのです。

神社を見ている間にタクシーを呼んでいただき、到着した車に乗り込んで、次の目的地に…。
参考までに、公民館の方に「歩いて行ったりはできますか?」と聞いてみたら、「絶対に無理です!」と即答が返ってきました。「町内は基本的に山道なのでアップダウンが激しくて大変ですよ、自転車も無理、18才くらいなら止めませんけど…」って。

次に訪れたのはいま拝見した「天籟庵」が元々あった場所、つまり三玲の生家跡です。
見学者用の案内板もあり、自由に入ってみることができます。建物の基礎部分も残っていて、建築のことは詳しいこと知りませんが、相当大きな家であったことはわかりました。
松(?)の樹形が大変なことになってました。

お若いタクシーの運転手さんがまだ成り立てとかで、「あの場所だと思うんだけど…」とか言いながら入口を見つけられずに遠回りしてくれたのには、胃が縮む思いでしたが。

茶室は移築されたけど、茶庭はその場所に残っていて、その痕跡をみることができます。大正14年に、三玲が京都の大徳寺大仙院をリスペクトして初めて作庭した枯山水。枯滝石組や立石などが当時のまま残っています。
遺跡の様な、いまは手入れする人のいない庭の跡を眺めながら、若々しい三玲の気概など感じながらも、まだまだ先がある…とりあえず次の目的地へ。

そこから、ぐるーっと町の反対側へ走ってもらって着いたのが、吉備中央町賀陽庁舎。京都友琳会館の庭園(昭和44年作庭)を平成14年にここへ移築した「友琳の庭」。

「友」は友禅染の完成者・宮崎友禅斎から、「琳」は尾形光琳から、京都を代表するデザイナーへのリスペクト。ひゅるんと伸びた白い形状は熨斗を表現しているそうで、池泉鑑賞式の庭園です。

紀州和歌山の海の石を使っていて、移築の際に三玲の弟子さんが工夫して、水面にいつもぴらぴらとさざ波が立つようなしくみに改良したそうです。ぼこぼこわき上がる水が温泉のようです。
上の方から全貌を眺め下ろしたかったけれど、庁舎を彷徨く勇気が出ず、また待たせたタクシー(のメーター)も心配なので、やや後ろ髪を引かれつつ庭を後にしました。

タクシーの運転手さんに、「レンタカー借りれば良かったですかね?」ってイジイジ聞いてみたら、「うーん、でもレンタカーって岡山だと空港で借りないとないんじゃないかな…」という答えが返ってきて、そうか、なんだかんだで最良の方法を踏んでいるのかオレと思ってしまいました。

そして次に辿りついたのは、大村寺にある茶室「功徳庵」。ここはうっかり予約していかなかった(というか、役場でも聞かれなかったので一般公開してなかったのかもしれません)ので、茶室の中には入れませんでしたが、ぐるりとお庭を拝見。

功徳庵は三玲64歳の作品。昭和38年に岡山市内の個人宅(立岡皓男氏宅?)のために築造し、立岡氏から寄贈を受け大村寺へ移築(平成11年6月)されました。北山杉、長岡竹、鞍馬石と材料を吟味して建築された茶室は相対美が美しく、三玲の最高傑作とも言われているそう。

低く作られた垣根越しに、推定樹齢350年のクロマツ(錦松)を臨むことができます。
瀟洒な建物は、もともとあったお屋敷とはどんな感じでおかれていたのかなとか、その庭からはどんな借景を楽しんだのかな…とか、いろいろ想像。

この石は…なんだろな、石臼の石かな。

うーん、この石も何かの廃材かもしれないな…。
とか、勉強不足をやや反省しつつ、大村寺を後にして、さきほど教えていただいた道の駅「かよう」まで連れていっていただき、お昼タイム。

で、ここでいったんタクシーを精算して、手放すことに。

ここまでのタクシー代、10,100円!…100円はおまけしてくれました。
 (;´д`)
ひい、正直いってお安くない〜、吉備中央町広い〜。
っていうか、財布に万札入っていて良かった。

さて、このあと虫六のひとり旅はいったいどうなるのでしょうか…(つづく)