先週末、所用で上京することがあったので、前乗りしてこまばアゴラ劇場の木ノ下歌舞伎を見て来ました。(セブン@赤坂歌舞伎、玉様@歌舞伎座、ごめんなさい!)
こまば…はじめて降りましたが、ここ澁谷から本当に2駅か?っていう下町感でした。
この日は1日雨模様で、少し早めに着いたら劇場の待合室に入れてもらいました。
○「心中天の網島」木ノ下歌舞伎
東京公演 2015/9/23〜10/7 こまばアゴラ劇場
作|近松門左衛門
監修・補綴|木ノ下裕一
演出・作詞・音楽|糸井幸之介(FUKAIPRODUCE羽衣)
出演|伊東沙保 小林タクシー 島田桃子 武谷公雄 西田夏奈子 日髙啓介 若松朋茂
音楽監修|manzo
まだ20代の演出家によるいわゆる歌舞伎役者を使わない現代の歌舞伎。興味湧きますね。
浄瑠璃を現代に翻訳するということのようで、基本的に音楽劇でした。(浄瑠璃は音楽というより語りですけどもね。)伴奏は録音でしたけども(たぶん)、すべて糸井幸之助さんのオリジナル。役者さんはミュージカルのようにずっと歌っていて、セリフは義太夫調の床本フレーズと現代語でくすぐりが入ってるような感じ。
まず感心したのは、舞台装置。平均台のようなものが敷き詰めてあって、役者はその台の上を踏み歩きながらお芝居していました。当然ながら不安定なので足もとがおぼつかなくて危なっかしく移動します。ときに両手でバランスをとりながら。油断をすると、踏み外してズブっと落ちたり…。(小春の足には青胆がついてました。)わずかに大和屋の場面だけにはコンパネの床が出現するけれど、それも、舅の五左衛門が現れて修羅場の末に女房おさんを連れて帰ると、治平みずからが自棄になって解体してしまったのでした。
初恋の相手と夫婦になって、親の商売を引き継いで、かわいい子どもも生まれて(原作2人ですが、ここは赤ちゃん1人になっていましたが)、正直に真面目に生きていけば良い塩梅の人生なんだろうけれど、それもコンパネの如くかりそめの安定。誠に人の生き様は危なっかしい。良くないこととは分かっていながら、妙な落とし穴に足を踏み入れて、のっぴけならぬ事態を招いてしまうんだナー。「端から端まで愛と死」なんて、お芝居では歌っていたけれど、けっこうストレートに受け取ってしまいました。
そして、平均台みたいな柱の組み合わせが、最後、水門で自害するシーンに繋がって行くのは、なるほどなーと納得したのでした。
でも、この舞台装置は役者にはとんだ不自由をもたらしてしまいます。足運びに制約がかかり、不安定な身体性を必要以上に見せてしまって、軸の弱さが逆に気になりました。もしかしたら踊りの鍛錬が出来ている歌舞伎役者だったらここまで下半身がぶれたりはしないんじゃないかな…と思いながらみてました。そのせいかもしれないのですが、役者さんたちの音程がうわずっていたのも気になったかな。音楽劇なのでここは音感は鉄板の俳優を望みたいところ。せめて主役のお二人くらいは…。お芝居はよかったのに…残念。いや、この危なかっしさこそ役者の身体を使って表現したかったと言われると、ちょっとツライが。
とはいえ脚本はよく練られていて、たしかに「心中天の網島」です。古典劇では見逃していた近松浄瑠璃の意味もよく分かる。あの音楽も、見て数日たってからでも耳に残っていて、気がついたら鼻歌が突いて出る。上出来なんだと感じました。最近、小劇団系のお芝居には積極的に足を向けていなかったのですが、思い出すものがいろいろありました。機会があったら、次のお芝居も観てみたいです。
このお芝居、もしかしたら宝塚系の俳優とか、歌がいける歌舞伎役者とかのキャスティングを得たりすると、演出家の企てはもっとよく伝わるのだろうか…などと、ちょっと妄想してしまったのでした。