2016年12月31日土曜日

『この世界の片隅に』 アニメに描かれなかった原作のエピソードについて

クラウドファンディングで資金を集めたアニメ映画『この世界の片隅に』がいよいよ完成して、11月12日に封切られました。


まんが原作の大ファンだった虫六も、アニメ化のデモ画をみて、これは原作に惚れ込んでいる絵だと直感してわずかばかり一口のりました。

以来、このプロジェクトは制作の過程を細かにレポートしてくださり、また、主人公すずさんから四季折々に葉書が届いたりして、本当に出来上がりが楽しみにしていましたが、虫六も初日の深夜上映に足を運びました。
震災以後、このようなクラウド・ファンディングも一般的になり、いくつかのプロジェクトに投資もしましたが、これほどやった甲斐があったと思うものはありません。

原作の『この世界の片隅に』という作品は、戦時下という狂気の時代を舞台にしていますが、イデオロギーでも、美談でもなく、その時代の広島に生まれて成長し、海軍工廠があった呉で慎ましく暮らしていく北條すずさんという一人の女性を描いた物語で、こうの文代さんの傑作まんがです。
虫六も支援者の一人としておすすめまくりの口コミ大作戦に協力しておりましたが、マスコミでも紹介されていたように、想像以上に話題となり、上映館もまだ増加中だということなので、製作者のみなさんの苦労も報われたと、良かった良かったと喜んでおります。

「すずさんが動いたー!」これがまずは素直な悦びです。

そして、アニメを初見した時から気になっていたことを、そろそろ時間の経過も満たされたかと思い、覚え書きしておこうと思います。


さて、ここからは少々【ネタバレ】になりますので、見てない人はご注意ください。(登場人物のさんづけも省略)


アニメ版『この世界の片隅に』は、原作を十二分に尊重し、その世界観を壊さないよう丁寧に丁寧に作られていたという感想は、原作を知っている人ならみんな持たれたと思います。

例えば、まんがでは基本的(*)にペンで描き分けられていた“すずが描く”鉛筆画や水彩画のなどは、アニメでは原作がそうだったと勘違いするほどにイメージにマッチしたもので、この作画力は凄いと思いました。
*とはいえ原作の方もとても実験的な表現を意欲的に取り入れているマンガで、サイレント映画のようにネームなしで描いたり、歌の歌詞と組み合わせて挿画風に描いたり、絵葉書風にだったり、ペン以外の鉛筆や毛筆や口紅(?)などで描いてみたりして決して平凡な作品ではありません。そういうところも、アニメでは上手に動画に仕立てていました。

聞けば実に精緻な考証に基づいて原作の裏を取りながら作成されたというアニメ版は、現実感を伴って立体的に立ちあがり、また、のんさん(元・能年玲奈)がすずの声を担当したことも話題になり、その声は想像以上に生き生きとしたものだったので、作品に生命が吹き込まれるってこういうことかと感服しました。

そこまで原作を尊重して、いえ、それ以上に作り込まれたアニメ版ですが、1つ描かれなかった、とても重要なエピソードがありました。


「りんどう柄のお茶碗」のエピソードです。


すずが闇市に砂糖(水甕に隠して溶かしてしまった)を買いにお使いにでて帰り道がわからなくなり、遊廓街に迷い込んで巡り会う白木リンという女性。
彼女は、幼い時に草津の祖母の家で西瓜の皮をしゃぶっていて「座敷わらし」といわれた、あの子供だったということがなんとなく知れますが、アニメ版ですと、リンについては深く描かれず境遇の違う女性同士の友情というかそんな印象になっています。でも、原作を読んでいる人は、この女性が周作の(すずと結婚する前の)ワケありの恋人だったということを知っています。
それをすずが悟ることになるエピソードが納屋の2階で「りんどうの柄の茶碗」を発見する場面で、アニメでは省略されていました。

すずというキャラクターは、緊張した時代の空気をほどいてくれるような間の抜けたおっとりした性格で、それでいて「絵が巧い」ということ(これは意図したと言うより作者の特性が反映して…とこうのさんが言っていました)があるわけですが、18やそこらで育った町を離れて嫁いできた若い女性です。
1人の人物の中には、子供っぽさが抜けない未熟さを残した部分(晴美の相手をしている時や憲兵に叱られたところもそうですね)、家族や共同体のなかで役割を果たし大人になろうとする部分、そして、周作とリンの間で女性として目覚めていく部分があり、その入り交じった感がちょっと色っぽく好ましい魅力と感じていました。
しかしアニメでは、そのうち一つがやや省略されて、むしろ「戦争」の日常という部分が強調されたように感じます。しかし、すずの魅力が減らなかったのは、のんの声の力が大きかったと思います。

「普通」とは言うけれど、すずの現実がどういう風に「普通」だったかはその時代を経験していない自分には正直わかりません。東北でも、学校を出てすぐ嫁いでいった女性もいれば、男子が少なくなっているから嫁ぎ先がないまま軍需工場で働いていた人たちや子どもがいる家庭に後家に入った人も少なからずいたと聞きます。また、戦前は家が貧しく学校にも行けずにリンのように遊郭などに売られてしまったり、小さいうちから子守奉公に出されたりする女性もいました。当時、学校を出て普通にお嫁に行けた女性は比較的恵まれた境遇だったのだと思います。リンやテルにも戦時の現実があったことを原作は同じまなざしで描いていると思います。

少し話がそれますが、私が高校の新聞部だったときに、戦時下の先輩たちがどう暮らしていたか興味を持って取材したことがありました。
高校を出てすぐ「顔も見たこともない親が決めた人」に嫁ぐのは当たり前で、話の中心は「ものがないので苦労した話」。ドングリを拾って粉を挽いて食べた…という話を昨日のことのように教えてくれました。
当時は「戦争に反対」とかそんなことを考えるようなことは全く無かったと聞いてちょっと拍子抜けしたというか、戦時下の実感というものはそういうものなのかなと、そんな違和感を持つのは自分が戦後教育で身につけた感性だったんだということを思ったりしたのを、この作品を読んだ時に思い出したものでした。

なので、あの話をしてくれたお婆ちゃんたちの青春時代に重ねて見てしまうのですが、こうのさんは、そんな時代にすずが女性として成長していく物語を、すず・周作・リン・水原の4人の関係の中にとても巧妙に組み立てていました。その意味で、これを省略しては物語のピースが嵌らないじゃないかな?というのが、私の初見の時のひとつ気になった感想でした。

原作のこうのさんが「公式アートブック」(宝島社 2016.9)のインタビュー(P.59)で、本作の連載が決まっていたので、その前に主要な登場人物の子供時代を単発で読み切りで描いたとおっしゃっていました。それは、人攫いの駕篭の中で周作と出会う話(「冬の記憶」月刊まんがタウン 2006年2月号)、お婆ちゃんのうちで西瓜の皮をしゃぶるりんに出会う話(「大潮の頃」漫画アクション 2006年8月15日号)、水原の代わりに白い波のうさぎの絵を描いた話(「波のうさぎ」漫画アクション 2007年1月9日号)の3話のことで、大筋を決めていたあとでこの物語を描いたと考えると、いろいろ想像が膨らんで面白いと思います。

本編の最初に描かれるのは、草津の祖母の家で海苔を取る作業を手伝っている最中に、江波の自宅から電話が入り、突如嫁入り話が持ち出されるエピソード。
「海苔の商いをしてた浦野すずという名の少女」という手がかりで嫁探しをして、浦野家はすでに海苔養殖を辞めていたので探すのが大変だったと親同士の会話があり、窓越しにその様子を眺め周作をみとめるものの会った記憶のないすずは「困ったねぇ、…いやなら断わりゃええ言われても、いやかどうかも分からん人じゃったねえ…」と山の中で独りごちます。

前段に人攫いのプロットがあれば、すずは周作の初恋の人だったのかと考えたくなるけれど、後にリンとの関係があったことを知ると、遊女との結婚を反対された周作が親・親戚を困らせるか結婚話をスムーズにさせないために、幼い時に会ったすずの記憶を持ち出したのかとも想像できるわけです。しかし、すずは探し出されてしまって、周作のもとに嫁に来てしまいました。

若い夫婦として互いの関係を深めていく日常に、そんなエピソードが挿入されると、周作の後ろめたさや、すずのわだかまりも加わり、なかなか陰影を深いものにします。

後段で、水原が入湯上陸ですずの元にやってきて、けっこう大胆に既に人妻であるはずのすずにべたついていることに、夫の周作がなんとなく遠慮がちに接し、あげくに「自分の女房を兵隊さんに捧げる」かのごとく納屋の2階に2人を追って母屋の鍵を閉める場面も、水原がいくら死と隣り合わせの兵隊さんだからといってギョッとする行為です。しかし、自分がそんな事情ですずを嫁にしてしまったことへの後ろめたさが心の裏側にあるのかと思うと、少し腑に落ちる部分もあります。周作は、水原をすずの「本当に好きだった人」と思い諮り、すずのことを不憫に思ったのだろうかと想像も膨らみます。
しかし、すずの心はとうに周作にあり、さらに嫁としての自負も芽生えていたので、むしろこういう行為で傷ついてしまったわけですが。

本編で、とても重要なセリフのいくつかは、周作とリンの関係があってこそ深みを増すものになります。

その一つは、すずが周作にノートを届けに行って映画に誘われ“しみじみニヤニヤした”エピソード。
2人で映画をあきらめて橋の上で周作が「すずさん、あんたを選んだんはわしにとって多分最良の現実じゃ」という場面。その前に、「過ぎたこと、選ばんかった道、みな覚めた夢と変わりやせんな」とつぶやくセリフ。(そして、このあとの展開で、周作とリンの関係が輪郭を顕すのですが…)
さらに、リンも、すずが周作の嫁であることに気がついたあとに、お花見にいった場所で偶然にすずと出会い、2人で桜の木に登り、亡くなったテルちゃんの口紅を形見に渡しながら「ねえすずさん、人が死んだら記憶も消えて無うなる。秘密は無かったことになる」という切ないセリフ。
また、晴美の手を引きながら利き腕ごと時限爆弾に吹き飛ばされてしまい、深い喪失感の中に自分の居場所を見いだせなくなったすずを導くことになる言葉は、リンの「だれでもこの世界でそうそう居場所は無うなりやせんよ」というセリフ。

アニメはリンの存在をはっきり描いていないので、こういう言葉は少し意味合いが変わってしまっています。

リンは登場人物のなかでは北條家の家族などに比べても重い存在としては登場しませんが、周作との関係を示す「名刺大に切り抜かれた周作のノート」は何気なくありましたし、空襲後にリンの消息を確かめるために朝日遊郭へ向かう場面にオーバーラップされた「口紅で描かれたリンのおいたち」もエンドロールのアニメにされて、原作を知っている人は分かるという作りにはなっていました。が、原作ファンとしてはもったいないと思ってしまいます。しかも、エンドロールの方は「クラウドファンディングに支援した人」の名前が流れるところで、私も初回は自分の名前を探すのに必死で見逃してしまい、これは、私も(ああ、ここに…)と2回目にみて確認しました。

そこには片淵監督のアニメ化にあたっての意図があったとは思うし、それが無くても多くの人が作品を絶賛するほどの完成度であったことは文句の言いようもありませんが、でも、原作を知らない人にはなかなかこの機微は伝わらないだろうなと思いました。やはり、原作は原作、アニメはアニメということなのでしょう。

まだまだ、原作を読めばさらに、アニメをみればさらに、気がつくことはあるのだと思うのですが、まずは自分が引っかかったところを覚え書きしました。
この日記を最後まで読んでくださった方がいたら感謝です。そして、ぜひ原作まんがを読んでいただけたら嬉しいです。

他人の見方を入れたくなかったので読むのを控えていましたが、同じ点を気にした方も少なからずいたんじゃないかと思います。
公式アートブックと映画パンフレットのこうのさんのインタビューを読んだきりで、数々の感想ブログや批評などを「積ん読」しておりましたが、そろそろ解禁してみようと思います。
手始めに「ユリイカ」の特集号でしょうかね…。年が明けても、『この世界の片隅で』マイブームはしばらく続きそうです。

2016年12月11日日曜日

11月に読んだ本

2016年11月の読書メーター
読んだ本の数:5冊
読んだページ数:925ページ
ナイス数:14ナイス

「この世界の片隅に」公式アートブック「この世界の片隅に」公式アートブック感想
映画『この世界の片隅に』の4冊目の原作という感じ。買ったまま積んで、晴れて映画を観ることができたので読みました。こうの先生の原作秘話(?)も面白かったです。もう1回見に行かねば…。
(とかいって、もう3回見に行ってしまいました…爆)
読了日:11月15日 著者:




この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)感想
映画を観て、どうしても読みたくなって再読です。
読了日:11月13日 著者:こうの史代







この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)感想
映画を観て、どうしても読みたくなって再読です。(読書メーター始める前に初読みのようでした)
読了日:11月13日 著者:こうの史代







この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)感想
映画を観て、どうしても読みたくなって再読です。(読書メーター始める前に初読みのようでした)
読了日:11月13日 著者:こうの史代






緑の光線緑の光線感想
期待を膨らませて読み始めたわりに、けっこう手こずってしまいました。実はヴェルヌ初読みです。裕福な育ちのミス・キャンベルの夢見がちの奔放さ。それに振り回される二人の叔父メルヴィル兄弟のコント。勇敢な青年オリヴァー・シンクレアとの恋。…しかし道化役(適役?)ウルシクロス氏の困難なキャラクターがいちばん面白かった。「緑の光線」を見るための冒険なのに、焦らして焦らして最後は▲○♤*▽※●☆□ですか〜〜c(>ω<)ゞ それにしても、この物語から映画『緑の光線』を作り出したエリック・ロメールはやっぱり天才ですね。
読了日:11月6日 著者:ジュール・ヴェルヌ

読書メーター

2016年12月9日金曜日

事情により少々薄暗く過ごしております。

人生半ばを過ぎますと、老いが向こうから大股でやってくるとか言いますが、気がつけば友達との話題は、体調不良と病院の話ばかり の今日この頃、…みなさまご健勝でお過ごしでいらっしゃいますか?
元気?良かったね。

虫六は最近、文字通り、露出アンダーな日々を過ごしております。

というのも、先日までの過酷労働の最中、急に視界に糸くずのような影がわさわさと舞うようになりまして、これが例の加齢性の飛蚊症か?とも思ったのですが、どうも突然だったので(も、も、もしや網膜剥離…)とぞっとしまして、とはいえ、寝る暇もないほど忙しかったので、医者にいくような余裕は微塵も無く、(仕事で失明させられる〜〜〜!)と恐怖感を抱きつつ我慢して、やっと昨日近所の眼科に行ってみたところ…。

まずは瞳孔をひらいて硝子体の精密検査をすると言われて診察室に入りましたら、先生が、「いやまてまて、虫六さん若い時よく見えていたでしょう。そういう人は閉塞隅角になりやすいんだけど、貴女の場合はだいぶ進んでいるようだから、このまま瞳孔開くと急性緑内障を発症しかねないよ。まずはレーザー手術で虹彩に穴をあけて予防処置してからでないと精密検査できないね…」とおっしゃる。で、まずはレーザー手術をすることになりました。

その準備として、虹彩を薄くしておく点眼薬というのをいただきまして、それを注しているんです。…が、なんだか暗いんですわ、世の中が。
虹彩を伸ばすっていうのが、つまり瞳孔を小さくするということだから、カメラでいえば露出を絞っているわけで、見えているものがなんだかアンダー気味なのですね。

で、トートツに気がついてしまったのですが、視力や聴力に個人差があるように、瞳孔の感度(?)によって私たちがみている照度感も個人差あるんだろうなということ。精神的な意味でなく、やや暗めに世の中を見ている人と、明るめに見えている人がいるといいますか、明るさに対する感度ってのも、それぞれ微妙に違うですよね、きっと。いや医者じゃないから正確なところは分かりませんが。

そんなこと考えて、不思議だなーと思ってしまいました。
(*ちなみに、写真はイメージ映像です。実際は、心持ち暗いかな?って感じです。)

来週から眼帯生活かー。
っていうか、飛蚊症はどうなるんだー?!網膜剥離は?

2016年11月23日水曜日

中村勘九郎・七之助 錦秋特別公演2016

中村屋の今年の錦秋公演に行ってきました。
本日のご同伴は、シャーママさん。


○中村勘九郎・中村七之助 錦秋特別公演2016
  11月21日(月) 昼の部12:00 夜の部16:00
  東京エレクトロンホール宮城

「歌舞伎塾」
「汐汲」 中村七之助 長唄連中
「女伊達」中村勘九郎 長唄連中

楽しみにしている公演なのですが、だんだんチケット取りにくくなってきたなと思っていたのに、…当日券売ってました。そうか平日夜の部16:00開始じゃね、働いている人たちはとりあえず行けないっスね。虫六はたまたま定休日、シャーママさんは早退してやってきたのですよ。

それはそれとし。

「歌舞伎塾」は、楽屋を再現しつつ歌舞伎のいろはを説明しながら、役者が化粧(かお)や衣装をつけて行く過程をみせちゃうという趣向で、中村屋の和気あいあいとした雰囲気が伝わって楽しく親しみやすいコーナーでした。サンプルになったのは、立ち役がいてうさん、女形が鶴松君。兄弟の解説付きで、化粧や衣装の意味や、黒御簾の効果音のことやらをクイズ交じりで紹介。いつもの質問コーナーも挿入。なんだかすごくリラックスしていましたな。

前回(1年半前の新緑公演)の時に、楽天の試合を見に行って勘九郎さんがファンになった、特にウィリー・モー・ペーニャ選手のファンになったと言ってましたが、それ本当だったみたいで、すでに戦力外宣告で球団を離れているのに、質問者全員に「ペーニャ好きですか?」と逆クエッション。自らは、ペーニャタオルを頭に被って(←買ってたよ!そして、わざわざ仙台まで持ってきましたよ!笑)、ヒュー・ドロドロで幽霊みたいに登場して、鶴松君に(馬鹿だね—)ってつぶやかれている…この方は中村屋の親方…
 ( ̄◆ ̄;)
笑い声絶えずに1時間たっぷり。
しかも、兄弟は後半の着替えのために、あとは國久さんと小三郎さんに任せたぞ!って、いなくなっちゃいました。
小三郎さんが天然ボケで、小山三さんのポジションになってました。( ´艸`)
任された國久さんは良い仕事してました!笑

今回の錦秋公演で、他の会場では嵐のファンが来ていて、質問コーナーで松潤のことを聞いてきたりして顰蹙買っているという噂が流れておりましたが、仙台公演ではそういう輩もなく、「踊りの他に楽器とかやってますか?」とか、「舞台でした最大の失敗は?」とか聞かれておりました。…鶴松君が、「阿古屋」を目指して三曲(三味線・琴・胡弓)をお稽古しているというのが心のメモ帳に残りました。さすがだなー。いつか鶴松君の阿古屋を拝見したいものです!

後半は二人の踊り2題。歌舞伎塾がたっぷりだったので、あっという間に終わっちゃった感じ。踊りだったせいもあるかな?虫六は長唄2つ聞けたので良かったけどね。
勘九郎丈の『女伊達』は、『夏祭浪花鑑』のお辰姐さんを思い出しました!

お二人の錦秋公演は12年前に始まったそうですが、虫六が通い始めた頃は他流試合っていうか、親元をはなれていろいろトライアルしているっていう感じでしたが、今回の公演を見た印象は、もう“彼らの中村屋”になってるんだなという印象でした。ファンとしては、リラックスしている二人も面白いけれど、地方公演だからこそ挑戦している姿もみたいものですね。

何はともあれ、チーム中村屋がんばれ!


 

2016年11月3日木曜日

長唄・松の会2016

10月29日(土)は、松永圭江先生が主宰する長唄「松の会」のお浚い会でありました。我が忠美恵一門も恒例の賛助参加。今年はお名取のOさんが体調不良で参加出来ず、番組に掛かるのは3番だけで寂しいのでありました。

今年の会場は、一昨年と同じ赤坂の料亭「金龍」。この建物風情があって好きです。ずっと守っていただきたいなぁ。

1年ぶりのこんにちは。思わず去年の松島「牡蠣」爆食ツアーがフラッシュバック。みなさんお元気そうで何よりでございます。

本当は、早めに終わって皆さんの演奏をゆっくり拝聴したかったのですが、今年の出番は後ろから3番目…。虫六の出し物は『春の調』であります。

去年あんなに練習不足を後悔したのに、なんだかんだで余裕なく結局ぎりぎりまで楽屋でお浚いしているような始末で…(;´д`)トホホ…。

『春の調』は、箏の手事風の合の手が入るのが特長の長閑やかな曲で、「ゆったり」と弾けというのが先生からのご注意。弾けるようになるとついテンポが上がってしまうのですよね。例により、無我夢中で演奏終了…ホワイトアウトこそなかったけれど、う〜む。
本当は、圭江先生に気持ち良〜く唄っていただけるよう余裕を持って弾けるようになりたいのでありますが、まだまだ自分の演奏でいっぱいいっぱいの虫六に、果たしてそんな日がくるのでありましょうか。

演奏のあと、翌日早朝から仕事があるんで本日中に帰仙せねばならず、急いで着物を脱いで、お三味線を片して帰り支度…皆さんの演奏が聴けず、残念無念。こういう時間の使い方は良くないよなー。

今年の会のスペシャルゲストは、寄席でも活躍している粋曲の柳家小菊師匠。
虫六は落語も好きだけど、それ以上に色物が好き。とても楽しみにしていたので、これだけは〜!と滑り込みセーフ!椅子席の根っこに座り込んで、楽しく聴かせていただきました。
端唄、俗曲、都々逸…など、次から次に飛び出す唄と、さらさら冗談交じりに繰り出すお話に引き込まれて、さきほどまでの緊張もどこへやら。ひえ〜、どんだけネタが引き出しに入っているのかなー。最初は新内のお師匠さんについたという小菊師匠、粋が着物着て歩いているよ。浅草演芸ホールが鼠対策に猫を飼った話や「両国風景」の言葉つなぎの早口には舌を巻きました。そして、さのさを歌えば、客席からは良い調子の手拍子と掛け声が…あらら、なんて気持ちのいい。自然に芸の息が合うって良い気分です。小菊師匠も「長唄の会なんてのに呼ばれて、はじめはやりにくいのかなーと思っていたけれど、お世辞ぬきでいいお客さんでした」と。今度は寄席に小菊師匠を聴きに行かなくちゃ。

会のあとは、美味しいお料理をいただいて(お楽しみ)、姉弟子Cさん(←お医者さん。前日急患でバタバタだったらしい)と2人で新幹線でとんぼ返りしましたー。
「私たち、忙しすぎるよねー」「ですねー」

2016年11月2日水曜日

松竹大歌舞伎秋季巡業_猿が化け猫でへびが早替わり…いや、へびが猫…

久しぶりで、秋田県鹿角郡小坂町の「康楽館」にやってきました。
全国巡業中の、猿之助丈の『獨道中五十三駅』を見るため芝居小屋見物ご指南役のN姐さんとKコトラさんとご一緒させていただきましたのだ。

小坂町の康楽館は、小坂鉱山の繁栄とともに明治43年に建てられた洋風意匠のハイカラな芝居小屋で、国指定重要文化財です。普段は常打ち芝居として大衆演劇の公演をしながら施設見学も受け入れています。(康楽館のご紹介はまた別立てで)

大歌舞伎秋季巡業、猿之助一座の出し物は一昨年秋に新橋演舞場で4代目猿之助が初挑戦した『獨道中五十三驛(ひとりたびごじゅうさんつぎ)。宙乗りと早替り、見せ場が2つありますが、それぞれを猿之助と板東巳之助のダブルキャストで演じます。スーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』で、ゾロ役、ボン・クレー役、スクワード役でハンパない存在感を印象付けた巳之助に、4代目が白羽の矢を立てたということなのでしょう。これは当然どっちも見たい!どっちも見なくちゃ面白さの本質は体感できません!
いずれにしても秋田なのでお泊まり観劇ツアーとなりました。(泊まったお宿はなんと!寝台列車ブルートレイン「あけぼの」号の客車です。これも別立てレポートをまて!)

急に決まった小坂訪問だったので、お席はあまり贅沢言えませんが、2階の花道上あたり。地元のお婆ちゃん達が楽しそうに占拠していて、椅子じゃないので膝が痛くて足が曲げられない人もいて座布団2枚分に足を伸ばしたりして自由な姿勢でみてました。年をとるとお座りも出来なくなるんだな—…てか、このあたりは無法地帯か?

四世鶴屋南北 作 奈河彰輔 脚本・演出 石川耕士 補綴・演出 市川猿翁 演出
三代猿之助四十八撰の内
獨道中五十三驛(ひとりたびごじゅうさんつぎ)

京三條大橋より江戸日本橋まで
浄瑠璃 お半長吉「写書東驛路」(うつしがきあずまのうまやじ)
市川猿之助・坂東巳之助 宙乗りならびに十三役早替り相勤め申し候

 おさん実は猫の怪/由留木調之助
  市川 猿之助(Aプロ)坂東 巳之助(Bプロ)

 丹波与八郎/丁稚長吉/信濃屋娘お半/芸者雪野/長吉許嫁お関/弁天小僧菊之助
 /土手の道哲/長右衛門女房お絹/鳶頭三吉/雷/船頭浪七/江戸兵衛/女房お六
  市川 猿之助(Bプロ)坂東 巳之助(Aプロ)

 重の井姫  市川 笑也
 半次郎女房お袖  市川 笑三郎
 丹波与惚兵衛/赤星十三郎  市川 寿猿
 やらずのお萩  市川 春猿
 赤堀水右衛門  市川 猿弥
 石井半次郎  市川 門之助
   ほか

『東海道中膝栗毛』のバリエーションなので、狂言廻しは弥次さん喜多さんです。弥次郎兵衛は猿三郎さん、喜多八は喜猿さん。普段はセリフの少ない脇の役者さんですが達者ですねー。肝心な場面に何度もとぼけた調子で登場して大いに沸かせていただきました!いいコンビネーションでした。澤瀉屋は部屋子さんの層も厚いんだな。

狂言半ばで、やらずのお萩役の春猿さんと与惚兵衛役の寿猿さんの口上が入ります。
ここまでにお姫様が着ていた十二単衣の打掛と、盗まれたお家の重宝・九重の印が登場して人々の間を巡り、敵討ちも加わって、基本的な筋立てが揃いました。そういうことを粋な姐さん姿の春猿さんが説明、死んだはずの与惚兵衛さん(寿猿)が生き返って、セリフど忘れしたりして“まったり”ウケをとります。寿猿さん、なんと85才で地方巡業!拝めるだけで有り難いなぁと手を合わせたくなりました。
が、それはまあ置いといて、芝居としての見どころは「十二単衣を着た化け猫」と「13役19回の早替わり」。こういうのを「みどり狂言」というらしいです。よりどりみどりの「みどり」だって。

はじめに見た夜の部は、猿之助が化け猫で宙乗り、巳之助が13役早替わりであります。

第2幕は元の顔が分からないくらいの老け作りで猿之助登場。魚油を舐めたり、猫を踊らせたり… 化け猫の正体を顕すと在所の娘・おくら(段一郎)を操って食べちゃいました。段一郎の操られ方がぴったり息があっていて見事でした。
康楽館には掛け筋はないけれど、舞台の下手から上手に宙乗りの装置が仕込まれていて、宙乗り。やんやー。

そして、幕間に場転。上からみていると、すっぽんを仕込んでいる手際の良さに、期待感高まります。それにしてもこの花道の幅、広くないスか?脇が余ってますけど。

そして、いよいよ大詰め。この幕は「お半・長吉『写書東驛路(うつしがきあずまのうまやじ)』という常磐津浄瑠璃を舞踊で仕立てた構成になっており、巳之助が13役早替わりをつとめます。みっくん、大奮闘!!確かに完璧とは言わないけれども、毎日勝手の違う小屋で初めての大役。汗だくなのも、桟敷の向こうからバタバタという駆け足の音がするのもご愛敬です。むしろ舞台裏を想像して“じん”ときましたね。踊りで鍛えた体躯はしなやかで、土手の道哲なんかは水を獲た魚かな。いつもは立役が見慣れたお役ですが、粋な芸者姿とかすごく似合ってました。女形もいけるんでないですか?…この公演中に痩せたのかな?
『ワンピース』のボン・クレーの振り切った演技でも仰天しましたが、見るたびに大きくなっている役者をみるのは気持ち良い。彼の背中を押した猿之助の器量にも脱帽です。

そして、翌日はダブルキャストの役代わりで、化け猫宙乗りが巳之助、早替わりが猿之助でした。
それぞれ個性が違うので、ほんと面白く見れました。巳之助の老婆は猿之助より声が太いので、けっこう凄みがありましたし、猫を操るくだりなども所作を変えていて、自分なりの工夫をしているのがわかりました。

そして、猿之助の早替わり。三代目の舞台は見ていない虫六に言う資格はないかもですが、もう早替わりさせたら当代随一ですね。衣装が着崩れることもなく涼しい顔で登場します。なによりも猿之助は姿が良いね。別な役で出てくる度に、舞台の空気が変わるのも凄い。早替わりもお見事ならば、踊りの所作も面白かった—!

で、もう定式幕が締まる前から客席は歓喜のカーテンコール乗りの手拍子だったのですが、これが強情なくらい幕は開かず、すぐに地明かりがつきまして、客だしのアナウンスがしつこくしつこくしつこーく流れ…猿之助だったら幕を開けてくれるだろうと思っていたお客さんは気を削がれましたな。せっかく満たされて終わったのに…。小屋が悪いのか、舞台監督の気が利かないのか、どこに原因があるかは分かりませんが、勘三郎の襲名の時は、同じ康楽館で3回も幕が開いたのに…と、諦めの悪い虫六でございます。

******

ところで、虫六はなんと千穐楽の仙台公演もこの舞台を昼夜見てしまったのさ。(はいはい全4公演です。お財布破綻しています。真っ黒くろすけですよぅ。)

もとより地元開催のこちらについては、姉弟子さんからのお誘いもあり夜の部チケットをゲットしておりまして、康楽館が後づけでした。

康楽館は古い芝居小屋で、お客さんは小屋に入った瞬間から暖まってるようなポテンシャルの高い磁場であるわけですけれど、猿之助のすごいのは(前回の襲名巡業_2013年4月、7月_でも感じたことですが)、地方の文化センターみたいな会場でも全然手を抜かないってことです。
そういう意味で、東京エレクトロンホール宮城での公演はなんていうか夢のようでした。

かつて、このホールで宙乗りや13役早替わりなんて公演を誰が見たでしょう。『義経千本桜』の「四の切」で大喜びしていましたよ、少なくてもおいらは。海外公演に工夫を凝らした演出を採算度外視でかける役者は数多いるでしょうけれど、地方公演に宙乗りの装置を持って来ましたよ、猿之助さんは。常識破りもいいところです。
早替わりするにも毎日舞台の寸法や構造が違う分けですから、同じ小屋で1ヶ月かけるのとは分けが違いますよね。実際、康楽館ではすっぽんを使っていた“駕籠で登場するお半”の場面、仙台では舞台上の書き割りを使っていました。そういうこと、確認だけでやれてしまう歌舞伎役者って凄い。やろうと思った猿之助も凄いけれど、よくぞ巳之助ついて来たな!と思いました。

仙台公演は虫六けっこう前の方の席で、巡業千穐楽の夜の部は最前列でした。

お隣で見ていたご夫婦ぽい男女が「巳之助っていまいち華がないよね」とか言いながら(あくまでも個人の感想です)見ておいででしたが、長七とお半が傘と茣蓙(ござ)で身を隠しつつすれ違いざまに入れ替わる「昆布巻き」と言われる早替わりを見せたとき、夫婦で「おそーい」ってハモってた。最前列で。確かにちょっと間が狂ったんだけども、(猿之助の客、怖ええぇええ)と思いました。
(もちろん、昼の部の猿之助の方は瞬きする間に変わっていました…)

とはいえ、この度の巡業は巳之助を十二分に鍛えたと想像します。今後の活躍に大いに期待だな。原石を磨いて大輪の華を咲かせてください。

そして、次なる猿之助の羅針盤には何が示されているのでしょうか。気になる気になる。




2016年10月11日火曜日

文楽平成28年地方公演_「妹背山婦女庭訓」「近頃河原の達引」

毎年恒例の文楽地方公演がやってきました。
今年は公演日が月曜日だったので、個人的には休みをとらずして昼夜公演を遠慮なく拝見できて嬉し。

はいはい、入り口ではいつものお人形さんがお出迎え。みなさん、ごいっしょに写真を撮ろうと順番待ちでしたが、自分は入らなくていいのよ〜と脇からカメラを構えらたら、こちらに視線をくださいました。ありがとう蓑紫郎さん。若手がんばれ!

というわけで、今年の演目は …

【昼の部】
妹背山婦女庭訓
  杉酒屋の段
        豊竹 呂勢大夫
        鶴澤 清介
  道行恋苧環
    お三輪 豊竹 呂勢大夫
    求馬  竹本 文字久太夫
    橘姫  豊竹 芳穂太夫
        鶴澤 清治
        鶴澤 清志郞
        鶴澤 寛太郎
        鶴澤 清公
  姫戻りの段
        豊竹 芳穂太夫
        竹澤 團吾
  金殿の段
        豊竹 英太夫
        竹澤 團七
    
  (人形)
    橘姫       吉田 勘彌
    求馬 実は 藤原淡海 豊松 清十郞
    お三輪      桐竹 勘十郎
    ほか

【夜の部】
「近頃河原の達引」
  四条河原の段
        竹本 文字久太夫
        鶴澤 清志郞
   (人形)
     横淵官左衛門 吉田 幸助
     仲買勘蔵   吉田 文哉
     井筒屋伝兵衛 豊松 清十郞
     廻しの久八  吉田 一輔

  堀川猿廻しの段
        竹本 津駒太夫
        鶴澤 藤蔵
      ツレ 鶴澤 寛太郎 
   (人形)
     稽古娘おつる 桐竹 勘次郎
     与次郎の母  吉田 蓑一郎
     猿廻し与次郎 桐竹 勘十郎
     娘おしゅん  吉田 勘彌
     井筒屋伝兵衛 豊松 清十郞
     ほか

『妹背山婦女庭訓』は、たしか去年の国立劇場9月の演目で掛かっていたと記憶していて、見たくても見られなかったので、去年から楽しみにしていました。でも、通しではなく「杉酒屋の段」から「金殿の段」まで…。地方公演なのでやむなしかも知れませんですけども。
でも、初っぱなから呂勢大夫さんと清介師匠の「杉酒屋」ですよー。上がります。清治師匠率いる「道行恋の苧環」は、緊張感ある4挺三味線、あり得ないくらい揃ってたな、格好良かった。清治師匠のご出演は最近こういう合奏しか聞けてないような気がしますが、それでも地方まわりにも必ず来てくださって、本当に嬉しい。これだから昼の部外せないんですよね。太夫も、呂勢・文字久・芳穂と若手の実力派が勢揃い。それぞれ個性が違っていて面白いですね。芳穂太夫の美声が冴えていました。大注目です。

面白かったのは『近頃河原の達引』。猿まわしが主人公の物語りなので、ずっと気になってたのですが、やっと拝見することができました。

目の見えない母親をいたわりながら、猿まわしで暮らしをたてている与次郎。昔の芸人の暮らしぶりが垣間見えて興味深かったけれど、本当に貧乏だったなー(涙)。
仕事から帰って、梅干し一つで残してきたおむすびをササッと平らげてお腹を満たしていたり、廓勤めから戻って来た妹(おしゅん)のために自分の来ていた着物を掛けて床を作ってやって、自分は寒そうに煎餅布団にくるまって…、与次郎さんどこまでもいい人だ(涙)。
投げ銭を数える場面では、砂利やゴミなんかもいっしょに袋に入っているのをゴザに広げて、お金だけ拾って数えて、ゴミはほかしてた。猿は、家の中に飼育檻があって、壁の下の方に猿用の入口をこしらえてました。中で仔猿が待ってたよ。へぇえ、細かなところまで様子が伝えられるものですね。

恋人の伝兵衛がトラブルで人を殺めてしまったというので、おしゅんを道連れに心中でもしかねないと、はらはら心配。「ついて行かない」と約束させて退き状を書かせるけれど、哀しいかな与次郎は字が読めないし、母は目が見えない。おしゅんの気持ちは「伝兵衛と死ぬ覚悟」と決まっていて、書いた手紙は母兄への遺言状。案の定伝兵衛がやってきて二人のやり取りを聞いていた母兄はおしゅんの気持ちを察して、二人が一緒に出て行くことを許し、はなむけの猿まわしを見せて見送る。
悪い人いないけど、切ない話。

お名前でませんが、お猿の芸をさせる人形遣いさん、いい仕事してました。

で、分かってしまった。これは三味線弾きに聞かせどころ満載の名作だったのだ!
最初に、盲目のお母さんとお稽古にきているお嬢ちゃんが『鳥辺山』(!←心中はこの時点で暗示されてました)を弾く場面も、陰三味線も含め、よく人形の振りに合うもんだと感心しましたが、最後にたっぷり用意されていた三味線のみの聞かせどころ…。堪能しました。すごいわ、藤蔵師匠。汗ぐっしょりの大熱演、段の途中で糸を張り替えるの2回も見てしまったよ〜。堀川猿廻しの段、凄い!
そういえば、昼の部でも夜の部でも、開場のときに藤蔵師匠がロビーに姿を現してお客さんの様子を見ていました。こんな演奏の序章だったとは…お疲れさまでした。

それにしても、今回の地方巡業はお三味線方はいいとして、太夫方も人形方も主要な皆さんがあまりご出演になってないのが気になりました。柱を欠いているという印象で、その理由は分かりませんが、手元に一昨年のパンフレットがすぐ出て来たので比較して見ましたら…。

 これは平成26年の地方公演の出演者。

で、これが今年(平成28年)。
ややや、どうしたことだ…。
(こんな小姑みたいなことはしたくないんだけども、この力の削ぎ方は気になりませんか…)

先日、医学生理学賞に大隅良典・東京工業大栄誉教授が選ばれた時に、某理系の名誉教授の方々が3人ばかり立ち話をしているのに居合わせて、「ノーベル賞なんか2020年以降は全くとれなくなるから。いまの文科省のもとでは…」と言う話を聞いて、説得力あるなーと思ったのですが、それを思い出してしまいました。

2016年10月2日日曜日

9月に読んだ本

2016年9月の読書メーター
読んだ本の数:6冊
読んだページ数:1190ページ
ナイス数:32ナイス

おれは たーさん 1 (ビームコミックス)おれは たーさん 1 (ビームコミックス)感想
いつもの朝倉世界一節っちゃーそうなんですけど、このゆるゆる大好きだから新刊うれしい。ジャングルから(なぜか)豪華客船でクルージングしてきたターザンが、お客のテーブルクロス抜きした布を身体に巻いてジャンプ。つかみはOK。次の場面では都会生活に馴染んでぽっちゃりした「たーさん」になっちゃってました(笑)。孫悟空キャラクターの会社とか、お隣さんはゾンビ化エキスを開発する理系女のマドンナ・コダマちゃん(ゾンビ)。コダマちゃんの頭にのっけているベレー帽みたいな物体が脳みそに見えるのがいちばん気になるところです。
読了日:9月22日 著者:朝倉世界一

ふたがしら 7 (IKKI COMIX)ふたがしら 7 (IKKI COMIX)感想
完結巻。時代劇のオノ先生の描線はカリカリしてる。魅力的な登場人物で先が楽しみだったんですが、ハラハラするようなでっかい仕事ってあったっけ?というぼんやりした記憶で、最後はちょっと失速感が…。並びがしらはいつか別れるんだろうとはおもっていたけれど、弁蔵…そうなりましたか。最初から読み返してみないとかな?
読了日:9月22日 著者:オノナツメ


レディ&オールドマン 1 (ヤングジャンプコミックス)レディ&オールドマン 1 (ヤングジャンプコミックス)感想
Kinde版で読了。新しいシリーズの舞台は50年余前のロサンゼルス。100年も刑務所に入ってたというロブは不老不死のドラキュラか?いつにも増して謎に包まれた書き出しなのでした。主人公のシェリー嬢の金髪碧眼でチャーミングな表情に、オノ先生の絵の冴えを感じます。特に眼が良い。
読了日:9月15日 著者:オノ・ナツメ



花に染む 7 (クイーンズコミックス)花に染む 7 (クイーンズコミックス)感想
続刊中ですが、Kindle版に切り替え。本心が見えにくいのでまわりはいろいろ振り回されているのであるが、陽大はあんまりぶれていないのであろう…という気がした。今巻では。
読了日:9月10日 著者:くらもちふさこ






かわいい仏像 たのしい地獄絵かわいい仏像 たのしい地獄絵感想
「国宝・重文へのお勝手口からの挑戦状」という帯、妙味が効いている。京都を遠く離れた北国で大事に信仰されている素朴な仏像や、ちっとも怖くない地獄絵図。確かに教科書にでてくる美術品とは違うけど人々の心が入った造形だ。でもこれも美術だと言われると、ちょっと待って!かな。こういう造形ってむしろ「限界芸術」の領域にあるんじゃないかな。仏像や地獄絵というモチーフが隅々に浸透して技術拙くても作られるようになったってことで。編集も変わってる。こんなに自由に切り貼りしたり突っ込んだりができる緩さも、国宝では許されないすね。
読了日:9月5日 著者:須藤弘敏,矢島新

殴られた話殴られた話感想
古本屋で見つけて、詩人・平田俊子の小説!と、即買いしました。でも普段はこのテの本は読まないのでしばらく積んでおいたんですが、移動中の新幹線で読んだら一気読み。読みやすさとスピード感があってました。どろどろの不倫関係、どいつもこいつもダメダメな人たちなんだけど、当事者女性の一人称で綴られると情けないけど、どうにもならない心情が共振してきて痛い。友達の、隠している傷を偶然見てしまったようなヒリヒリ感。たぶん10年前なら無理だったかもしれないけれど、今は受け入れられるような気がします。人って成長するんだな。
読了日:9月3日 著者:平田俊子

読書メーター

2016年9月20日火曜日

国立近代美術館「トーマス・ルフ展」

竹橋の国立近代美術館では「トーマス・ルフ展」が開催されています。

最近、現代アート系にはなさけないほどアンテナが立ってなくて、この作家の名前は知りませんでしたが、なんとなくこのポスターにひかれるものがあり、たまたま日帰りの切符をもらったので上京して(すみません、TYO大好きです)、虫六子と美術館巡りで寄ってみました。ちょうど、奈良良智さんが選ぶMOMATコレクションという企画展もやってたしね。

会場に入ったら、巨大なポートレート写真がドドーン。トーマス・ルフが最初にブレイクした「Porträts(ポートレート)」というシリーズだそうです。普通3×4cmくらいにプリントして履歴書なんかに貼る証明写真ですね。ルフの友人たちをモデルに撮影した写真だそうですが、それが人よりも大きいサイズでずらりとど迫力で並んでいました。いまですと、こんな巨大カラープリントというフォーマットは珍しくないですが、この作品は現代写真の先駆けだったのだとか。
大人しく見ていたら、何やら場内で大胆に写真を撮りだす人がいたのでびっくりしたんですが、条件付きで撮影OKでした。遠慮気味に虫六もスマホのシャッター切りました。

トーマス・ルフは、1958年ドイツ生まれで、「デュッセルドルフ芸術アカデミーでベルント&ヒラ・ベッヒャー夫妻に学んだ「ベッヒャー派」として、1990年代以降、現代の写真表現をリードしてきた存在」(MOMATホームページより)だそうです。ん?ベッヒャー夫妻って知ってるぞ、その昔、『給水塔』って静謐な風景がしぶい写真集を買ったことがある。
思い出してネットで検索してみたら、ヒラ夫人は昨年10月10日に81才で、ベルント氏はもっと以前に逝去されたことを知りました。彼らのお弟子さん達が現代の写真界をリードする存在になっていたんですね。
 
ベッヒャー夫妻は、ドイツの溶鉱炉や給水塔など、近代産業によって作られた歴史的建造物、今でいうなら近代産業遺産を、無名の(アノニマスな)彫刻として、曇天というほぼ同じ光の下で、同じ機材を使い、正面から撮影することで、カタログ的に収集、展示することを行った。それらは同じ機能と形を持つ建造物のバリエーションであり、人工物の形態学だといえる。彼らはその手法を類型学(タイポロジー)と名付けた。
(写真をアートへ導いた大きな流れ「ベッヒャーとその教え子」三木学)

そして、確かにポートレート写真につづくシリーズ「l.m.v.d.r.」は、ドイツの有名な建築家ルードヴィッヒ・ミース・ファン・デル・ローエが作った近代建築をカタログ風に撮影したという、師匠の作品を彷彿させるものでした…が、そのアプローチは、すでに作品化しているミース建物の「写真」を分析・研究して、そのイメージに近づけて自ら撮影したり、時にはデジタル処理までしてその巨匠建築家の視覚的イメージを探求するという、こだわりのあるものだったようです。

そのあとの「andere Porträts(アザー・ポートレート)」ってシリーズでは、ちょっと不思議な写真が並びます。
最初にみた友人達の写真を素材に、ドイツの警察が犯人捜査のために使っていたモンタージュ写真合成機をつかって作った、実際には存在しない人物の写真。
うーん、コンセプチャルだなー、好みだぞ。

さらに、この向かいの壁にあった作品のシリーズ「Zeitungsfotos(ニュースペーパーー・フォト)」では、ギョッとしました。
新聞や雑誌に掲載された写真を切り抜いて、額に入れて展示するという…。(ルフはこういう写真を2500枚もアーカイブしていたらしい)もう、写真作品というより、真っ向から現代アート!!これは、こちらが期待していた器から溢れだしているぞ。
職業柄、写真を扱う時はそれが誰がいつ撮ったものかが気になるし、とりあえず著作権とか二次使用とか無視できないつうか、新聞社に使用許可取って使用料払って…という発想しかできない体質になっていたよ…と、スクエアな我が脳みそを自覚( ̄◆ ̄;)。正直、これは禁じ手というか死角を突かれたようなショックを受けました。(あまりにも狼狽して、写真を撮り損ねました)

で、次はこれですよ。「jpeg(ジェイペグ)」のシリーズ。
我々が毎日みているネットその他に溢れているデジタル画像は、いちばん標準的な画像圧縮フォーマットであるjpegで処理されているものが多いわけですが、その圧縮をかけ過ぎるとブロックノイズが起こってしまうという、画像つかっている人ならけっこう見慣れたあの荒れた画像をこれまた巨大プリントで現出。あの事件で目にした場面も、あのニュースで流れた歴史的な写真も、我々が見ていたものはこんなガサガサの画像構造をしていたのです、ね。ルフ先生。
…そうか、この作家は一貫して“アノニマスな(無名の)”イメージの構造を追求しているってことなのか。なにかストンと落ちました。

そうなるとルフ先生の発想はとどまるところを知りません。しかも、自らは写真も撮りません。
物理学や数学の数式がつくる線形を3Dプログラムで解析して、まるで抽象画のドローイングのように描き出したり…(この作品、カッコいいです)

新聞社の資料室に眠っている写真を、裏書きの記述や押印と合成して、大きく引き延ばしてみたり…

NASAの探査船が地球に送ってインターネットで公開されている土星や惑星の写真をデジタル処理で着色してみたり…。などなどなど。

インターネットでは、大量の…(展覧会では「もはや計測することすら不可能な量」と表現してました)画像が氾濫していて、それがなにがしかの現実を表象しているのかどうかも釈然としない現代において、私たちがみている写真(画像)ってなんだろう。実態と作られたイメージの境目にあらためて意識の針が振れる展覧会でした。いやはや面白かった。

トーマス・ルフ展をあまりにじっくり見すぎて、奈良良智セレクションの企画展を見る時間がなくなってしまい、駆け足で《Harmless Kitty》をなんとか見つけ出して見た親子でした(汗)


2016年9月12日月曜日

壊れる、壊れる、壊れる

残暑もそろそろ落ち着きそうな今日この頃、皆さま体調管理は万全でしょうか。

この夏はおむずかりも起こさず良い子だった愛車トゥインゴでしたが、9月の始めに、家人Tを早朝最寄り駅まで送っていくことになり運転していましたら、急に走行中にクラッチが切れなくなり…切れたと思ったら今度はギアが入らなくなり…、パニック(←私がですが)走行。最後は信号停止でエンストしてしまう事態となったのですが、その時はなんとかエンジン掛かりなおしたので駅までは辿りつき、家人Tはそのまま滑り込みセーフで(←これしか心配しとらん(○`ε´○))予定の列車に乗って出かけてゆきました。

で、後に残された虫六は、JAFさんのお世話になりながら愛車を工場へ見送ったのでした。
もう10万キロ以上走ったので、これが今生の別れになるのかなーと、なんともいえない気分になりました。

その3日後。
コンピューター診断されたものの特に所見が発見できず、修理されることもなく帰って来た我が愛車。心配ならばクラッチユニット全取っ替えをオススメしますとの50万の見積もり書付きで戻ってきました。…なんともいえない気分だぞ。
そしてリスクを抱えたまま、相変わらずいまだ乗りまわしているのでありましたー。


壊れたのは車だけではありません。
虫六が自転車通勤をしていたある日…

愛用のメガネがこんな事態に…。 (||li`ω゚∞) ぎえ。
2、3日我慢してましたが、やっぱり不自由なので仕事帰りに眼鏡やさんに持って行ったら、

ネジ1本で直してくれました。ほっ。

ついでにもう一つ…。
虫六の愛用カメラと言えば、「RICOH GR Digital3」なんでありますが、これが最近よく撮れない。どうもピントが甘いというのが気になっておりまして、このところブログの写真もiPhonの方がキレイに写ってるからこれ使おう、とか、コンデジと言えどGRはけっこう重く、さらにズームもないので旅行に行くときはiPhonあればいいか…という由々しき事態となっておりました。

それもこれも、思ったほど良い写真が撮れないからです。

その思いが頂点に達したのが春の京都旅行。自分の撮影技術がここまで地に落ちたか、と凹んでいたら、ふと「故障じゃね?」と棚上げ発想がもたげてきまして、いろいろネットで調べて見たら、どうやら壊れて修理している人いるみたいなのね。

で、リコーはピックアップリペアサービスっていうのをやっていて、近くに修理を受け付けるサービスセンターがなくても、申し込めば指定場所にカメラを受け取りに来てくれて、点検、見積もり、修理をしてくれるのだそうです。

そういうことなら直して使おう…と、さっそくネットで申し込んでみました。
けっこうサクサク登録完了して、指定日に職場にヤマト運輸さんが専用の引き取りBOXを持って取りに来てくれて、発送完了。
数日後にサービスセンターから電話があって、「ピント合わないのに加えて、レンズ動作不具合と異音もするので、レンズブロックの交換が必要で、見積もり合計21,816円」とのこと。中間マージンを取られていないのでこれは据え置きの修理費だと言う気がするし、このクラスのカメラで買い換えすれば7〜8万円はしそうなので、これは直そう!と即決、修理をお願いしました。

申し込みから2週間ほどで、代引き宅急便で帰ってきました。
受け取りは自宅を指定、例の専用BOXで。
修理費21,816円の内訳は、
工料6,800円、部品12,400円、ピックアップリペアサービス料1,000円、消費税1,616円
でした。

こちらはレンズブロック全取っ替えで蘇った愛機。ピントもばっちり合いました。
大事に使いましょ。

そんなわけで、あれもこれも壊れたり調子が悪くなったりする昨今ですが、いろいろご自愛ください。夏の疲労でエンジンがかかり難くなっている身心もメンテナンスしたいところですね。ほんとだよー。



2016年9月4日日曜日

8月に読んだ本

2016年8月の読書メーター
読んだ本の数:6冊
読んだページ数:1187ページ
ナイス数:12ナイス

11 eleven (河出文庫)11 eleven (河出文庫)感想
kindle版で。近藤ようこの「五色の舟」の原作というので興味を持ちました。文学のための言葉をつかって、精密でナイーブな世界を構築しているという印象でした。「五色の舟」がいちばん面白かったです。四谷シモンの人形をつかった表紙は綺麗。
読了日:8月26日 著者:津原泰水




月影の御母 (ビームコミックス)月影の御母 (ビームコミックス)感想
Kindle版で。夏休みに近藤ようこ作品を連続注入。お猿を肩に乗せて旅する姿は「母をたずねて三千里」のマルコみたいですが、筋はだいぶ違って、母を求める少年の前に現れるのは、母の姿をまとった妖かし達。そして本当の母は…。中世ものの摩訶不思議感や残酷感、それと、情感が、淡泊な線で表現されていて近藤作品らしい秀作と思いました。
読了日:8月18日 著者:近藤ようこ


説経 小栗判官 (ビームコミックス)説経 小栗判官 (ビームコミックス)感想
Kindle版で。スーパー歌舞伎や義太夫、舞踏にもなった説教節の「小栗判官伝説」。元の話が知りたいなと思っていましたが、この漫画はストーリーがすんなり分かりました。小栗判官って地獄から蘇った男の話でした。地獄の様子が熊野勧進十界曼荼羅のまんまで面白かった。P144の照手姫はステッカーにして欲しい。そして第3の主役は鬼鹿毛でしょう。
読了日:8月18日 著者:近藤ようこ


宝の嫁 (ビームコミックス)宝の嫁 (ビームコミックス)感想
kindle版で。中世の説話にはリアルにとらわれない大らかな不思議さ面白さがあって好きです。標題「宝の嫁」は、古事記にでてくるコノハナサクヤヒメとイワナガヒメの話を思い出しました。お話ってこういう感じに変わりながら伝わっていくのかというのと、どこまでが近藤先生の創作なのかな…などといろいろ妄想しながら読みました。
読了日:8月16日 著者:近藤ようこ


猫の草子 (ビームコミックス)猫の草子 (ビームコミックス)感想
1993年に刊行された短編集の新装版をkindle版で。「猫の草子」は中世版「八日目の蜩」みたいな…。お伽噺って大人の読み物だったんだ。
読了日:8月15日 著者:近藤ようこ





妖霊星―身毒丸の物語妖霊星―身毒丸の物語感想
身毒丸と言うからには説教節「しんとく丸」…と期待してポチリましたが、あれれ?こんな話だっけとちょっとモヤモヤ。あとがき漫画を読んだら、2つの説教をモチーフにしているオリジナルだったそうです。しかも、「妖霊星」は能の「弱法師(よろぼし)」の語呂合わせで「ようろうぼし」って読むそうな!気がつきませんでしたー。なる程。漫画の方は、やや辛かったかな。弟姫の行動原理がちょっと突飛すぎるというか、理屈っぽいというより心病み的な感じがして感情移入できず、物語的にも全体的にもついていけずに終わった感じ。
読了日:8月3日 著者:近藤ようこ

読書メーター

2016年9月2日金曜日

お江戸日本橋に女義(じょぎ)を聴きにいく

夏休みTYO黒羽ツアー最終日、虫六が向かったのは日本橋。
ここで「女義(じょぎ)」こと、女流義太夫の演奏会を初体験で聴いてまいりました。
ホテルを出るときは泣きたくなるほどのどしゃ降りだったので、憂鬱な気分で日本橋で時間をまぶしておりましたら、午後からはお天気回復しました。本当にお天気不安定でまいりますね。


「女流義太夫・納涼浄瑠璃公演」
お江戸日本橋亭
平成28年8月20日(土) 午後1時〜

『桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)
 ・六角堂の段
   浄瑠璃  竹本 越京
   三味線  鶴澤 駒治
    細   鶴澤 弥々
 ・帯屋の段
   (前) 浄瑠璃  竹本 越孝
       三味線  鶴澤 三寿々
   (後) 浄瑠璃  竹本 綾之助
       三味線  鶴澤 寛也

『播州皿屋敷(ばんしゅうさらやしき)
 ・青山鉄山館の段
   浄瑠璃  竹本 土佐子
   三味線  鶴澤 津賀花

DVD書籍(***では観たり読んだりして期待が膨らんでいましたが、やっと本物に出会えました。
(* ̄ー ̄*) 
女流の義太夫なので声量とかどのような感じかとドキドキしましたが、意外とすんなり耳に入ってきました。そうか、女性の方が声域が高いから聞き取りやすいのか…と何げに納得。『桂川ー』はなんてったって「帯屋」の前段のチャリ場が愉快ですが、越孝師匠の語りとても面白く、またお絹の心情とかビンビン伝わってきて入り込んでしまいました。女性の声、良いね!色っぽいし。お三味線の演奏も確かで、しっかりお稽古なさっているんだなぁと背筋が伸びました。
後半の『播州皿屋敷』は女流義太夫演奏会では初めての上演とのことで、偶然ですが珍しい演目を聞くことができました。…TYOツアー、幽霊にはじまり幽霊におわりますか。
語りも怖かったけど、振り下ろされた刀の切っ先をも感じさせる三味線が凄かった。

みちのくS市ではほとんど接する機会のない「女義」ですが、会場に入ったら客席はほぼ満席でファンの方がこんなに沢山いるんだなと、ちょっとカルチャーショックでした。演じる方の大夫さんや地方さんもけっこう若い人もいて、まだまだ発展しそうです。考えてみれば、男性しか正式な舞台に立てない伝統芸能が多いなかで、「女義」は女性が自ら舞台にたてる芸能なんですよね。もっと聴ける機会があるといいのになぁ。

余談ですが、舞台の皆さんをみて、ぴりっと結い上げた洋髪がかっこええなぁと、もう髪伸ばしちゃおうかな…と、小学4年生以来ショートカットの虫六の心は揺らぐのでありました。

2016年8月29日月曜日

歌舞伎座8月納涼歌舞伎_第三部「土蜘」「廓噺山名屋浦里」

つづきまして、そのまま劇場にとどまり第三部を。
幕間に観劇のお楽しみで生写真を買いに行ったら、なんと!写真コーナーはあるものの、猿之助以外の主要俳優の写真がまだ出ていない…えぇええ、なんで?もう19日だよぅ。そういえば、写真付きの筋書きも出てないぞ…なにかあったのか?(…ってことがありました)

【第三部】
一、新古演劇十種の内 土蜘(つちぐも)

叡山の僧智籌実は土蜘の精   橋之助
平井左衛門尉保昌       獅童
源頼光            七之助
巫女榊            児太郎
渡辺源次綱          国生
坂田主馬之丞公時       宗生
碓井靭負之丞貞光       宜生
卜部勘解由季武        鶴松
太刀持音若          團子
石神実は小姓四郎吾      波野哲之
番卒藤内           巳之助
番卒次郎           勘九郎
番卒太郎           猿之助
侍女胡蝶           扇雀


二、新作歌舞伎 廓噺山名屋浦里(さとのうわさやまなやうらざと)

酒井宗十郎       勘九郎
花魁浦里        七之助
牛太郎の友蔵      駿河太郎
留守居役田中      亀蔵
留守居役秋山      彌十郎
山名屋平兵衛      扇雀


『土蜘』。第二部でもブツブツ言ってしまいましたが、橋之助ファンの皆さんにも申しわけないのですが、何が悪いっていう訳は説明出来ねど、どうも退屈に感じてしまうのですよね、成駒屋さんの踊りは。立派さは感じるけれど、物の怪らしい禍々しい存在感は感じられないのでありました。(*あくまでも個人の感想です。)

そんな感じだったので、間狂言に猿之助丈と勘九郎丈が出て来た時のご馳走感はたまらんでした。巳之助丈と児太郎丈も加わって、見応えがありました。猿之助丈の踊りは柔らかくて面白い。猿之助・巳之助のダブルキャストでやってくる秋の巡業が楽しみであります。
この間狂言にはもうひとつお楽しみがありました、それは勘九郎丈の次男・哲之くんのお披露目。仮面を被ってじっとしている役だったけど、お利口にお勤めを果たしていました。子役が大活躍の夏芝居です。

そういえば、前日、虫六は江戸博の「大妖怪展」で、国芳が描いた「土蜘蛛」の錦絵を拝んできたばかりでしたよ。源頼光さまは化け物退治のスペシャリスト!妖術で病まされているけど勇ましいのでありました。絵を見たときは(このお小姓、誰!?)と思いましたが、お芝居をみて分かりました。僧智籌の正体を見破る太刀持ちの音若で、いい役どころ、團子クンはここでも好演です。扇雀丈の胡蝶も風格があって良かったです。


最後は『廓噺山名屋浦里』。タモリさんの話から笑福亭鶴瓶さんが落語にした廓噺を勘九郎さんが新作歌舞伎に仕立てたってことで、だいぶ話題になっておりました。
虫六は鶴瓶さんの落語を聞いていないので比較出来ませんが、お芝居だけの感想としては面白かったです。

堅物な田舎侍・宋十郎(勘九郎)が花魁を同行できずに留守居役仲間に馬鹿にされている御茶屋に、「花魁道中がこっちにやってるぞー、ここに入ってきたぞー」と声をかけて、舞台中央の襖が開くと、そこに浦里(七之助)が現れる場面なんか最高でした。
助六やら籠釣瓶やらを知っている観客は、想像を膨らませてワクワクするわけですが、それを裏切らない絢爛豪華な花魁オーラ全開の七之助。痺れるほど美しい〜!この存在感は、話から己が脳内でイメージするような陳腐な創造力では補えない説得力がありますね。
隅田川に屋形船がやってきて、見初めの場面で花火!なんかもキタキタって感じです。
芝居の寸法にあうってこういう事だよね。

でも、特に勘九郎丈が演じる宗十郎役には、正直なところ感情移入しにくい違和感が残りました。
…だって例えばですよ、東京営業所に配属になった県職員が懇親会で他県職員に馬鹿にされたくないからって、綾瀬はるかの事務所に「お金ないけどはるかさん一晩貸してください」っていうような話でしょ。極端な話。しかも浦里の方から間夫になって欲しいだなんて…。寓話だと思っても、こういう男はどおよ?でした。

もちろん、歌舞伎にはありか?それ?というような破綻した人格の人も、おめでたい展開もありますが、芝居的なリアリズムと役者の魅力で持って行かれてしまうってことありますので、其れを言っちゃあーお終いよ、という野暮な意見ではありますが。このついていけない感、なんでかなー?

花魁がズーズー弁で身の上話をしたり、女郎屋の親父が実は情に厚いいい人だったとか、ズッコケるような宋十郎の堅物ぶりも、落語の中のやりとりなら面白いんだろう、ホロッとくるんだろうと想像できるところも、役者の身体を伴ってしまうとその軽やかさが失われてしまうことってある。それが宋十郎の魅力を損なうことになってしまったような気がするのでありました。もしかしたら、元の話に芝居に仕立てて堪えるだけの人物造形がないのかもしれないけれど、そうだとしたら今後この人物をもっと魅力的に作っていくという方向にこの芝居の伸びしろはあるのかな。そういう意味でまだまだ面白いお芝居になりそうな作品だと思うので、うまく育てて行って欲しいと思うのでした。

本当は、見初めの場で二人とも一目惚れしていたのにね。
(…「恋」がなせる技で、周囲のみんなが出汁に使われていたという筋書きだったのかな?分かりにくいけれど。)

コクーンの『四谷怪談』も面白かったし(←すいやせん、ブログサボりましたが観てました)、中村屋には小さいエラーに臆せずトライし続けて欲しいです。