今年は閏年で1日儲けました。
いろいろ整理のつかないことばかりでブログに手が伸びませんでしたが、自分の備忘録として、メモ書き。
2月13日〜15日。函館帰省。
本当は進学した虫六子が夏休みに忙しかったので、夏の予定を延ばしてひさびさのゆっくり帰省の予定だったのですが、事情が変わってしまった。先月、義母が転んで入院、そのまま立てなくなり介護施設に入ってしまい、義父が独居状態になってしまったので。
家人Tが先月緊急帰省で役所の手続きとかなんとかいろいろやってきて、今回は虫六子もつれて、お見舞いとか家の片付けとか、関係者へのお礼参りとかもろもろ…。とてもとても3日間では焼け石に水でしたが…。
新青森ーと函館を往復していた「スーパー白鳥」も乗り納めか…とか思っていましたが、これからは単身赴任さながらに北海道新幹線を利用しなければならないのかな。
18日。
翌日(19日)早朝から取材の仕事があり、福島市の飯坂温泉駅最寄りの宿に宿泊していたところへ、クマガイさんから講談師・神田陽司師匠の訃報を受け取る。我々が制作した21世紀紙芝居「蛇蝎姫と慙愧丸」の語り手としてかけがいのない方だった。2年くらい前に入院したということを聞いたりして体調のこと心配していたのだが、帰らぬ人となってしまい無念。骨髄線維症という難病だったことを知る。
お葬式はご実家のある尼ヶ崎市で行われるということで、クマガイさんに「仙台二十一世紀紙芝居一同」でお悔やみを手配していただいたけれど、ご焼香にいけないことが悔やまれる。とてもとてもお世話になった方だった。
21日。新宿の梅。
1本の木にだけ、沢山の小鳥が集まっていた。
22日 国立小劇場 文楽
豊竹嶋大夫引退興行の千穐楽を、N姐さん、虫六子と見る。
昨年10月に人間国宝に認定されたばかり。住大夫さんが引退して、実力人気とも十分の嶋大夫さんが次の時代を牽引していくと思っていたのに、突然の引退会見がネットで流れて呆然とした。引退の理由は、少なくても健康問題ではないらしい。
最後の床を目に焼き付けたいと思っていたけれど、小さいお体から朗々と湧き出る張りのある艶声はその日出演していた誰よりも声量があり、また、情感に溢れており、なぜ今引退なのか謎は深まるばかり。
演目は「関取千両幟」で、嶋大夫さんは掛け合いのおとわ役。おとわの人形は蓑助さんが遣った。三味線は寛治さんで、演目中の場転で寛治さんのお孫さんの寛太郎さんがアクロバチックな曲弾きを披露…。でも、嶋大夫さんの語りにたっぷり浸りたかった私はかなり興醒め。どうして劇場は、引退興行にみんなが望むような切場語り・嶋大夫の得意な演目でなくこんな演目を選んだのか。
住大夫さんの引退の時の大騒ぎに比べても、謎に包まれた嶋大夫さんの引退劇をマスコミや芸能評論家も真っ当に取り上げていないところに、素人の私でさえ文楽協会に広がる闇を感じざるを得ないのであった。
芸は人が身につけ人が育てていくものだけど、それだけに、人の態度や感情に左右され、時に政治が作用して、生かされも殺されもする。ほんとうにめんどくさい。芸能史を紐解くと、人気や実力があるものが円満な芸能人性をおくっているとは限らない。今回の一件についてもいつかその真相に光があたり、芸能史に刻まれることがあるのかな。せめて門下のお弟子さんたちが見事に成長して、ちゃんと活躍できますようにと心から願わずにいられない。