2009年9月30日水曜日

プロ配布

一昨日のお稽古で、秋のお浚い会のプログラムが渡された。

印刷されてましたなぁ、…我が名が。
会場…有栖川「清水」…どこよ、ここ?

なにやら人前でやらなければならないというのが、現実味を帯びてきました。

当面は、どうやって練習時間を確保するか??が最大の課題なのですが、このところ(っていうか慢性的に)忙しくて、帰宅は8時…。集合住宅なので、夜の練習はやはり無理だし、豚児がぶうぶう言いながら晩ご飯を早く作れと待っている。当然だよね。ということは、早起きして出勤前にやるしかない(!)のですが、いま練習部屋を虫六子が寝床として占領しているので、家族が起きる前にやるというのも難しい。結局、朝のバタバタに翻弄されて、出勤時間を迎えてしまいます。何より、寝坊の私には早起きが…つらいヽ(;´Д`ヽ)

けさは何とか20分確保したのですが、ケースのふたを開けたら糸が切れていて、それを張るのに半分も時間をとられてしまいました(爆)

しかし、やらねばどうにもなりません。
よし!明日から、タイトル通りにお三味線お稽古日誌にしよう!有言実行ってことで。

2009年9月29日火曜日

国際浅草学プロジェクト「浅草見世物 奥山の風景」

浅草雑芸団の上島さんから、「大道芸アジア月報」の最新号が届いたら、国際浅草学プロジェクトのチラシも入っていました。


国際浅草学プロジェクト「浅草見世物 奥山の風景」

2009年10月4日 14:00開演(13:00開場)
台東区生涯学習センター ミレニアムホール
入場無料(ただし要予約_台東区にぎわい計画課まで 03-5246-1141)

第一部:「講演」
(1)記念講演「浅草と見世物、大道芸」 川添 裕
(2)講演「紙芝居と街路の文化様式 −その広がりと日韓比較−」 姜 竣

第二部:「実演」
(1)最後の見世物・人間ポンプ(故・安田里美氏の「人間ポンプ」の映像と安田春子氏へのインタビュー)
(2)「ろくろ首」(浅草雑芸団)
(3)日本手品「蝶のたはむれ」「金輪の曲」(東京イリュージョン・藤山新太郎)

展示・実演
(1)絵看板
(2)竹田からくり人形(桐生からくり人形芝居)
(3)21世紀のからくり人形「踊る!和ロボット」(舞台芸術21ネットワーク・和のメソッド)

企画:構成:上島敏昭(浅草雑芸団)
主催:国際浅草学プロジェクト(台東区・明治大学)
協賛:(財)台東区芸術文化財団/下町風俗資料館

お問い合わせ
台東区にぎわい計画課 03-5246-1141
明治大学研究・知財事務室 03-3296-4327

ということです。

へへへ、もう予約しちゃったもんね (◎´∀`)ノ 
上島さん、よろしくお願いしま〜す。

2009年9月27日日曜日

おやじカフェ

慙愧丸プロジェクトの相棒、クマガイコウキさんが「おやじカフェ」(Sメディアテーク)のゲストで出るというので、覗いてみました。

「おやじカフェ」というのがどういう催しなのか知らずに、心の準備もなく参加したところ、ちょっと当節はやりの婚活セミナーのようなコミュニケーション型イベントでした。

主宰の尾崎行彦さんによると、「いまは自分たちの青春時代にはあった『喫茶店的コミュニケーション』がなくなった」というところから、発想された企画だとか。うたい文句は、「相談のります。」「説教させてよ。」「相談ごとがなくても気になったら気軽に寄ってね!お茶飲みだけでも歓迎」とのこと。

たしかに私にも大学とバイト以外のほとんどの時間を過ごしていた喫茶店がありました。(今は無き「Goodman」だし)。書籍に関する情報の多くをバイト先(今はなき「八重洲書房」だし)で収集し、映画に関するほとんどの情報をその喫茶店で得ていたのでした…(遠い目)。あの書店も喫茶店も無くなって久しいです。そういう空間もあったけど、なけなしの薄い財布の中身をほぼ書籍と映画に散在していた自分という存在もいましたよ(´;ω;`)。

そして、何かと話を聞いてくれる大人や自分の10年後や20年後にこういう大人になっていたいと思うようなイメージを与えてくれる大人が、身の回りにいた幸運を感じる今日この頃であります。

尾崎さんの言いたいこともよく分かる気がします…。でも、何かが違うこのイベント…。

まず、ひとりひとりにネームプレートが渡され、自分の名前(ニックネーム可)を首から提げる。今日のゲストの正体は広報されているので、話を聞きたい、相談ごとがあるという目的意識を持った人がやってきます。もちろん、回数を重ねているイベントなので常連さんもいるみたいですが…。場の空気的に、カウンターの脇の方で珈琲など飲みながら、そこで語られている話題にふふふとこっそり聞き耳を立てる、などというポジションは許されないのでした。自分はどういう人間か明かしつつ、積極的にコミュニケーションすることを暗黙のうちに求められている感じ。

クマガイさんは映像作家なので、このテーブルでは映画とかマンガとか、そういうクリエイター志向の若者の就職相談のような内容が濃かったかな。(チラシに「映画監督して成功するには?」というコピーもあったのですが)。さまざまな経験をもった老荘男女が若者に檄を飛ばしたりもしていてそれはそれで面白かったですが、なんていうか若者の悩みって、20年くらい時代が下って時代は変わっているとか言われても、本質的にあんまり変わらないのですね。

全体にまじめな直球なやりとりでしたね。

でも、喫茶店で交わされる会話なんて、基本的にどうでもいい蘊蓄話とか、無責任な噂噺や、やたらと回りくどい話だったような気もするわけです。なんとなく感じた違和感は、その辺りに起因するのでしょうか?いずれ異世代との出会いをこういう形でセッティングしないと無い!というのは、なんとも行き詰まり感を感じますね。

それにしても、クマガイさんのお話は相変わらず面白かったです ( ^ω^ )。

そういえば、話の途中でいつの間にかテーブルについたと思ったら、突然、話の流れ関係なしにヒューマンカウンセリングがどうしたという話でブレイクしだした自称?「人間鑑定士」なる人物もいましたな。聞けばその方も「常連」だそうな。…なるほど〜、「おやじカフェ」、次回は11月29日だそうです。要予約です。

2009年9月24日木曜日

金魚のえさ

お稽古日。(飲んだくれていた日々よ、さようなら。)

月曜日がお休みだったので、お稽古日が今日にずれました。10月31日のお浚い会が目前に迫ってきて、先生のお教示もびしびし厳しくなってきました。まだまだ、撥の使い方がなってないし、勘所を押さえる手も見ないようにと…。

まずいです!後1ヶ月で仕上がるんでしょうか、わし!(;;;´Д`)


ところで、先日ビール祭りにいたときに、ガスママさんに「(虫六の)ブログにいって、金魚にえさあげてるんだ!」というご教示を受け、雷もんのショックΣ(`0´*)を受けました。

このブログの左の方に張り付いている金魚のフラッシュ、マウスでポインタを持って行ってクリックすると餌があげられるときたもんだ!ぜんぜーん知らずに、飢え死にさせるところでした。しかも、何度かあげていると、ポインタを動かしただけで金魚が寄ってくる!!凄い!

というわけで、さすがゲームの女王!使い慣れている人は説明なくても分かってしまうのね。恐れ入りました。ありがとうね。これ、面白いね。(さっそくはまってます)

2009年9月23日水曜日

じだらくな飲み会、じだらくな連休

とりあえず、出かける用事はクリアしているものの、この連休でいっちょ片付けるか!と思っていたあれやこれやについては、まったく手がつかないままSWも過ぎていく気配で…、情けなくもあり…。

とにかく、こびりついた藻が緑色から茶色に変色しかかっていた金魚の水槽の掃除を決行。ユキチ(金魚の名前)、気持ちいいか?済まなかったね…。

ということで、連休終盤の22日の夜は20年来のお友だちYさん宅で、これまた20年来のお友だちらと飲み会とあいなりました。この会の名称は「じだらくの会」。本当は「じだらく山の会」という、映画の自主上映で知り合った仲間同士で、山頂でのお昼を最大の楽しみにしつつ登山をするというのが会の目的だったのですが、だんだん山抜きの飲み仲間となって、現在に至っております。それでもこんなに一堂に集まるのは(と言っても残念ながら全員ではなかったけどね)久しぶりでありました。




Y夫人の手作り料理とワインと地ビールに舌鼓。中でも、挽肉にマッシュポテトをのせて焼いたメインデッシュ(料理名分からず…爆)は激ウマで、虫六子がツボってしまい、今朝ほどから「あれ作って!」攻撃開始であります。

この飲み会は、家人Tがこの9月から昇格することになったので、Yさんが新築披露を兼ねてお祝いにと企画してくれたもので、亭主の給料がいくらなのかも把握していない嫁はけっこう他人事のように無頓着に過ごしていたのですが、みんなにお花とかお祝いとかいただいてしまって、何だか吃驚。みんなもそれぞれエラクなったりしているのであろうに、こんな風に祝ってくれて恐れ多いことであります。お友だちって有り難いなぁ。これからもよろしくね!


Y家の飼い猫ルー。このほかに、Y家には2匹の黒猫(マメとクーちゃん)がおります。虫六子は、可愛い猫たちにもツボって「猫飼いたいねー」も連呼してましたが、うちのマンションは犬猫禁止です。ユキチで我慢しなさい。またに水槽の掃除もして欲しいものであります。

2009年9月21日月曜日

ビール祭り・オクトーバーフェスト

人形歌舞伎のあと、いつも連んでいるO夫妻と、いまS市で開催中の「オクトーバーフェスト」に行ってきました。

さっそくデボジットで大きめのビアグラスを借りて、ドイツの代表的なビール、エルディンガー・ヴァイス(明るい方)とエルディンガー・ヴァイスビア・デュンケル(黒い方)で乾杯。会場中に鳴り響くバンド演奏と、ビールと極太ソーセージで、否応なくテンションあがります。

こちらは、ゲーテが愛したビール「ケストリッツァー」。黒いけど清涼感のあるビールです。

これはいちばん好評だったパウラーナー・ヴァイスビア。クリーミーな口当たりのオクトーバーフェスト公式ビールだそうです。実はもっといろいろと吞んでましたが、どうぞ現地でお試しください、楽しいですよ。



豪快なソーセージの盛り合わせなども食べたのですが…、気がついたら食べた後で、ラビオリとハムの写真しか残せませんでした。かたじけない(爆)

陽気なバンド演奏と、ビールと、酔っぱらいの哄笑で、錦町公園の夜は更けていくのでした…。
来年もこよっと。

倉沢人形歌舞伎

「れきみん秋祭り2009」のプレイベントで倉沢人形歌舞伎の上演があったので、虫六子と見てきました。

倉沢人形歌舞伎は岩手県花巻市東和町倉沢地区に伝承される人形歌舞伎で、岩手県の指定無形文化財です。

創始は以外に新しく、現在の代表・菅野芳治さんのおじいさんの菅野常次郎氏で、明治27年とのこと。常次郎氏16才の頃だそうです。常次郎氏の本業は彫刻師だったそうですが、大正期は年に20〜30ヶ所に呼ばれて公演をしていたそうですから、なかなかの人気だったのでしょう。戦時中はさすがに上演は減ったものの、それでも年に10〜20ヶ所の依頼があったそうです。特に浄瑠璃や三味線の後継者問題などもあったようですが、戦時中に横浜から疎開していた方が偶然、娘義太夫として活躍していた「竹本津賀広師」という方で、その方が舞台出演と同時に後進の指導にもあたって、現在の会員に繋がっているようです。


今日の演目は、
1.三番叟
2.本朝廿四孝 十種香の場
3.傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段
4.景色

歌舞伎おなじみの演目ながら、語りには花巻弁が混じった郷土芸能らしい素朴な人形芝居でした。去年までは、「マチゲキ」のエントリーで野外上演でしたが、こういう屋根あるホールで見る方がいいですね。やはり芸能はそれぞれの演じるべきフォーマットというのが大事だと思いました。座敷芸や舞台芸を野外舞台でやるのはやはり乱暴な部分がありますね。


「傾城阿波の鳴門」は義太夫が一人語りです。太棹を操りながら、意外に軽い調子で語ります。娘義太夫の往時に想像を膨らませました。

倉沢人形歌舞伎の本公演は、11月23日、地元・倉沢人形歌舞伎伝承館で開催されるそうです。

2009年9月20日日曜日

ヒゲの未亡人S市に出現!!

「ヒゲの未亡人」のライブがあるというので、Sメディアテークに出かけました。

メディアテークでは、いま毎年恒例の「ショートピース!仙台短編映画祭」を開催中でして、「ヒゲの未亡人」ことスタディスト・岸野雄一さんの「映画音楽ってなんだろう?」という講座がプログラムの1つになっていたのです。「ショートピース!仙台短編映画祭」も今年9回目を数えるそうです。


メディアテークのオープンスクエアを会場に、「映画音楽ってなんだろう?」というテーマで講座が開かれました。岸野雄一さんは、俳優・音楽家・著述家でもありますが、それらの仕事を包括して「スタディスト(勉強家)」という肩書きを名乗っています。講座では、大きなスクリーンにさまざまな映画の一場面を投影しながら、映画音楽の秘密を解き明かしていきます。

映画で使われる音楽には大きく2つの領域があるそうです。

一つは作中に音楽のソースのありかが明示され、登場人物にも聞こえている音楽…これを「第一の領域」とします。もう一つは、登場人物には聞こえていないけれども、観客には聞こえている音楽で、映画では「アンダースコア」という技法として確立しているもので、登場人物の心理や置かれている状況などを強調したり補強したり暗示したり…することを目的として、映像の叙述と並走する音楽…これが「第二の領域」だそうです。(この他、ミュージカルなどに使われたりしている、さらにファンタジーの階層が深くなると、ソースの明示はないけれど、どうやら主人公だけには聞こえているらしい音楽…「第三の領域」?…というのもあるらしい。)

特に映画音楽として発展してきたのは「第二の領域」ということになりますが、この映画音楽の機能を実例をあげながら、面白いように分析していきます。また、「第一の領域」から知らず知らずのうちに「第二の領域」に移行したり、また戻ってきたり…なんてことも。(いえ、まだまだ面白い解説はあったのですが)映画は、音楽によって観客の意識を巧妙にナビゲートしていたのですね。

…いいように操られていました(爆)

何回かの連続講座でききたいような内容でした。




レクチャー後の交流会では、黒いドレスにお召し替えした岸野さんもう一つの顔「ヒゲの未亡人」のライブが行われました。

今日のライブ(仙台メディアテーク 2009年9月20日)は、

1.登場曲
2.毎日
3.誰が教えたの?
4.三十路の小娘
5.I Married Myself(スパークスのカヴァー)
6.神様はサディスト
7.未亡人の休日
8.退場曲

の全8曲!

ムード歌謡 meets バート・バカラックとでもいうのでしょうか。テーマは「LOVE」で、シャンソンあり、米バンド「スパークス」のカヴァーあり、パフォーマンスの独特のダンスは日本舞踊の素地から来ているとか…よく、わかりませんが。いかがわしさと優しさが混在した何とも言えない存在感で、面白いを通り抜けて、すごくクールだなぁと心が震えました。

実は、岸野さんと家人Tは、2年前に「スパークス」の日本公演を岸野さんがコーディネイトしていた時に、少し仕事をお手伝いさせていただいた関係でお友だちだったので、我が家には「ヒゲの未亡人」関係の音楽がよく流れているのですが、本物のライブはやっぱり圧倒的に面白いです。特に、なるほど映像の使い方はコミカルな部分も含めてよく出来ていて、音楽とバック映像がこんなに効果的にマッチしたライブを見たこと無いなぁと思いました。

ちょっと興味の出た方は、こちらで映像をみられますのでどうぞ。

「ヒゲの未亡人の休日」

「神はサディスト」


「登場曲」

「退場曲」



最後に、「岸野さんのサイン入りショートピース映画祭のポスター」をゲットするジャンケン大会。
なんと勝利したのは、Kガイさんでしたー。

それにしてもこんな面白いのに、参加者が少ないのがもったいなかった!

みなさん、「ショートピース!仙台短編映画祭」まだやってますよ。どうぞ足を運んでくださいまし。
http://www.shortpiece.com/

2009年9月19日土曜日

マグロか抜けがらか

今年からシルバーウィークというのが出来たらしい。
またおカミが勝手にへんてこな名前を命名したのでしょうか。
虫六は今日も変わらず仕事でしたがね(爆)

ところで、スキューバダイビングって季節関係ないのかな?

2009年9月16日水曜日

妖怪文化の伝統と現代


紙芝居でお世話になっている京都の堀田穣先生から、興味深いシンポジウムのご案内が来ました。

「2009年度京都学園大学人間文化学部・特別招聘客員教授シンポジウム
  妖怪文化の伝統と現代
ー中世の絵巻から現代のマンガ・映画までー」

●日時 2009年10月11日 13:30〜17:30
●会場 子どもの文化研究所
●定員 先着70名
●入場 無料

http://www.kyotogakuen.ac.jp/NXT/News/Info/081801.php



京都学園文化大学のサテライト講座のようですね。
会場は東京です。
10月は催し物が目白押しですね。

2009年9月15日火曜日

鉄分(Fe)濃縮ツアー その3

荒砥運転所をあとに、メンバーの方々のお待ちかね、長井鉄道の列車撮影会となりました。
荒砥鉄橋の辺りが有名な撮影ポイントのようで(列車の撮影では「撮り鉄」の方々の間では有名な撮影ポイントがいくつもあるらしいのです)、見晴らしのいい最上川の堤防までマイクロバスで移動しました。

堤防に着くやいなや、各自ベストポジションをゲットするため、みなさん身軽に動き回ります。

あの鉄橋から出てくる車両を狙うわけです。

ありゃりゃ、点にしかみえませんが、そんなとこまで、撮影場所を探して移動するメンバー。
とにかく素早い…。
すでに70歳をゆうに超えている長老格のメンバーも、狙いを定めています。
お若い!


仕事のため、途中早退のメンバー。
線路の向こうにタクシーを待たせてありました。分刻みの参加ですね。
お疲れ様でしたー。と、思ったら、まだ諦めてませんでした!!!ど、貪欲です…。

ツアーの最後は、月山酒造資料館に静態保存されている「三山鉄道」の車両を見に行きます。
先日、湯殿山に行く途中で脇を通ったのでしたが、素通りでした。
三山は「出羽三山」のことですね。
出羽三山への参詣客の輸送や、鉱山との物資輸送などを目的に1926年に営業を開始しました(当初は省線左沢線羽前高松駅ー海味駅間8.8Km)。
湯殿山にむかう途中の道に「海味」という標識があり、なんでこんな山の中に海なのか?と思っていたのですが、「海味(かいしゅう)」という駅があったんですね。
寒河江川水流の水力発電による豊富な電力資源を背景に安定した経営で、地域住民や出羽三山参詣客の足として親しまれ、周辺鉱山からの産出資源輸送にも活躍しました。1943年の戦時統合により、(先に訪れた)高畠鉄道、尾花沢鉄道、さらに山形県内陸地域の各バス会社を合併して山形交通と社名変更。同社の三山線となりました。
しかし、相次ぐ鉱山の閉山や、モータリゼーションの進行で経営が悪化、1974年に全線廃止となったのだそうです。


保存されている車両(モハ103)。塗装もきれいで保存状態が良い感じです。
二軸の電車だそうです。乗り心地悪そうだなぁと、走っていた時代にみなさん思いを馳せていました。

ここでも、撮り鉄は果敢です。
三山鉄道の保存車両を撮影して、本日のツアーのメニューは全行程クリア。
月山酒造資料館では、試飲コーナーがあり、みなさんたっぷり味見してお土産の選定にも余念がありませんでした。
お疲れ様でしたー。

そして、帰りの仙山線ですが…。
ツアー自体は山形で解散だったのですが、みんな同じ電車で帰るので、まだ続いているわけです。
で、とりいだされたのが、K谷さん制作の「三山鉄道」のオリジナル車両模型。
これまた色めき立つメンバーの方々…、いくら鉄分を補給しても、しすぎるということは無いようです。

なんともうらやましい限りです。

ということで、鉄分濃縮ツアーのご案内はこれまで!

2009年9月14日月曜日

鉄分(Fe) 濃縮ツアー その2


山形鉄道の赤湯駅につくと、そこはJRの赤湯駅でもありました。
2つの駅をつなぐ架橋には、列車の往来を見続けている大蜘蛛が立派な巣を広げておりました。


すでに長井線のホームには乗り込む列車が待っているのですが、まだ出発までには30分も時間がありました。

待っている間に、山形新幹線が2本通過していきました。

反対側の車線に長井線の車両が到着。
急に人が出てきて、撮影大会です。おぉー。

長井駅まで試乗して、山形鉄道の本社に到着。
そこで、さきごろ公募によって社長に就任した野村社長と昼食をとりながら懇談しました。


地元・長井地方の食材を満載した駅弁「あがっておごやえ」を賞味。
「鯉のやわらか煮」「行者菜ウィンナー塩胡椒炒め」「車麩の揚げ煮」「ヒョウ干しの胡桃和え」「レインボー野菜」と、美味しく、素材のバランスの良いお弁当で、とても好評でした。何よりご飯が美味しかったのでした。
昼からてんこ盛りと思ったのでしたが、ぺろりと完食してしまいました。

おなかも満たされ、和やかな雰囲気で野村所長との懇談会。
長井鉄道の活性化のアイデアをいろいろと提案して欲しいとのことでしたが、その場では十分な時間がとれず、各自レポートを出し合って、まとめてご提案するということになりました。
みなさん日頃から鉄道のことを考えている方々ばかりなので、「一人10個だせば100アイディアだ!」とか、帰りのバスで言っている会話を聞いてしまいました。

長井駅から荒砥駅までは、朝倉課長さんがガイド役を務めてくれました。
朝倉さんの山形弁の案内はフラワー長井線の名物です。

何あろう、この方はあのヒット映画「スイング・ガールズ」で、上野樹里らの女子高生が線路の上を歩いていると向こうから車両がやってきて命からがら逃げるシーンの、あの列車を運転していた方なのでした!!

そして、荒砥駅では朝倉さんの案内で車両基地を見学。

なんと、CTC管理室も見学させていただきました。
色めき立つ、鉄の方々…!
JRの駅では、同じように見学ツアーを申し入れてもなかなかここまでは入れてもらえないそうです。
担当の長谷川さんもいい人でした。

そのあと、ツアー一行は産業遺産・荒砥橋鉄橋の撮影ポイントへ…!!

つづきは明日。

2009年9月13日日曜日

鉄分(Fe)濃縮ツアー その1


お仕事でいつもお世話になっている鉄道ファンの方々の所属する会が主催する「山形鉄道(フラワー長井線)」の施設車両を見学するツアーに参加してきました。
初めての鉄ヲタ遠足…。
今日のレポートはかなりこってりです、ご覚悟を。

私もそれなりに生きてきて、自分も含めて、マニアとかヲタクとか言われる人々の生態を知らないわけではありません。洋楽、カメラ、アニメ、リカちゃん…私の周りにも愛すべきオタクたちがいっぱいいます。ね!
しかし、これまで「鉄道」が趣味という人たちと接触したことは無かったのでした。当然のことながら、その分野に関心を持ったこともありません。

今日ご一緒させていただいたのは、鉄ちゃん歴70年以上とか、世界20ヶ所以上の鉄道を訪れているとか、そういう凄腕の方々。提供される話題に対して共有すべき知識量が圧倒的に足りないので、ただただ、お教え願う…そういう感じですね。まったく。この企画は、「山形鉄道」という赤字運営のローカル線を応援しようという意図の基に、山形鉄道とその周辺の廃線になった路線の保存駅舎や車両をも巡るという内容のツアーです。
しかし、私にとっては「正しい鉄ヲタの生態を知る」という別テーマが立ってしまいました(爆)すみません。


最初に訪れたのは、山形交通の旧高畠駅(元・奥羽本線糠ノ目駅)。
高畠駅は、高畠町で発展した製糸業の製品輸送のために大正10年に敷設された路線(高畠鉄道)の駅で、昭和18年三山電気鉄道、尾花沢鉄道と合併して、山形交通となりました。戦後トラックの発展で鉄道は役目を譲り、昭和49年に廃線となったそうです。
石造りのシックな駅舎が残っていて、その周りは公園になっています。

保存車両は、凸型電気機関車ED1(1両)、貨車(1両)、電車モハ1(1両)。3両いました。
でも、以前に来た方の証言では、もう1両あったのに…と。

駅舎や車両を撮影しながら、台車の構造や、保存状態など、いくつかチェック項目があるみたいです。
時間をかけて、いろんな部署を、様々な角度から(嬉々として)撮影しています。

電車(モハ1)は、けっこう塗装がはげて、屋根からは松の枝が生えて来ていました。

やはり高畠石で作られた、変電所の跡や丸通の倉庫なども見て、いよいよ、赤湯駅からフラワー長井線に乗り込みます。
このつづきは、明日。