ラベル 紙芝居 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 紙芝居 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016年5月8日日曜日

慙愧丸P観桜会2016_桜の下で陽司師匠を偲ぶ会

当日雨降り確実で中止の噂もささやかれながら「決行」を押し切った恒例の慙愧丸プロジェクト観桜会。きっと午後には晴れるはず…と少し開始時間を遅らせてはじめることにしましたら…

ほらね、晴れてきましたよ。ふぉっふぉっふぉ。

ほんのわずかながら、桜も残っておりました。

まぁ、時期的にはもう藤が満開の季節となってしまいましたが …。

今年も各自持ちよりのお花見会です。
まだみんな集まっていないけど、はじめるよ〜。

今年の観桜会は、二十一世紀紙芝居「蛇蝎姫と慙愧丸」の演じ手であった故神田陽司師匠を偲ぶ会となってしまいました。観桜会のお知らせをすると、いつも残念がって「いつか参加したい」と必ず返事をくださっていた陽司師匠。2年前には「何か奇跡がふたつ分くらい起こったら飛び入り参加させていただくかもしれません。」なんてメールをくださっていたのですが、そのころ深刻な健康問題を抱えていたなんて想像もできず、言葉の意味を推し量ることもできませんでした。陽司師匠、やっと参加出来ましたね。今日は楽しんでいってください。そして、どうぞやすらかにお眠りください。

予定のメンバーもほとんど揃い、やや大きな輪となりました。
午後からはぐんぐん気温もあがり暑いくらいの陽気。(撮影:虫六子)

 まわりを見渡しても宴会しているグループはわれらだけで、いつものように歌は飛び出さず、ノリも今年は大人しめでしたが、のんびり話などしながら気分良く飲みました。虫六は病身なので、酒は少々控え気味で。(撮影:虫六子)

…と夕方近く、突如姿をあらわすフリスビー犬・シャーロック。
おー、Dグウジ君遅いじゃないか!笑(撮影:虫六子)

シャーロックのフリスビーの妙技で、急に盛り上がる一同。
やっぱり余興に飢えていたのか、この人たち…。
「俺はフリスビーをする犬が、犬の姿のなかでいちばん好きなんだ!」と撮影に興じる監督。

 いつもは盛り上げ隊長のYさん。なぜか今年は大人しいなーと思ったら、暗くなってきたら少し元気になってきました。藤棚ベンチをみつけてご満悦。(撮影:虫六子)

 人見知りのシャーロック君ですが、綺麗なお姉さんは別みたい。I川ちゃんにこちょこちょされて目が嬉しそうであります。ショージキですねー、チミ。(撮影:虫六子)

【おまけ】虫六子が発見したシャーロックの癖。(撮影:虫六子)

今年もみなさまご参加ありがとうございました。
また来年もよろしくねー。

さて、後日談…。
帯状疱疹でこの連休を情けなく過ごしていた虫六。8日には神田の古書センターで「神田陽司を偲ぶ会」という追悼の講談会が予定されておりました。しかし、体調のこともありいけるかどうか決めかねていたのですが、前日になりやっぱり行こう!と決心して監督に連絡、新幹線の予約などしていたら、急に携帯にこんなメールが…


ええええぇぇぇぇええええええ????


2016年2月29日月曜日

2月にあったこと振り返り、自分の備忘録として

ぼやっとしていたわけでは無いけれど、気がつけば2月が終わってしまいました。
今年は閏年で1日儲けました。
いろいろ整理のつかないことばかりでブログに手が伸びませんでしたが、自分の備忘録として、メモ書き。


2月13日〜15日。函館帰省。
本当は進学した虫六子が夏休みに忙しかったので、夏の予定を延ばしてひさびさのゆっくり帰省の予定だったのですが、事情が変わってしまった。先月、義母が転んで入院、そのまま立てなくなり介護施設に入ってしまい、義父が独居状態になってしまったので。

家人Tが先月緊急帰省で役所の手続きとかなんとかいろいろやってきて、今回は虫六子もつれて、お見舞いとか家の片付けとか、関係者へのお礼参りとかもろもろ…。とてもとても3日間では焼け石に水でしたが…。

新青森ーと函館を往復していた「スーパー白鳥」も乗り納めか…とか思っていましたが、これからは単身赴任さながらに北海道新幹線を利用しなければならないのかな。


18日。
翌日(19日)早朝から取材の仕事があり、福島市の飯坂温泉駅最寄りの宿に宿泊していたところへ、クマガイさんから講談師・神田陽司師匠の訃報を受け取る。我々が制作した21世紀紙芝居「蛇蝎姫と慙愧丸」の語り手としてかけがいのない方だった。2年くらい前に入院したということを聞いたりして体調のこと心配していたのだが、帰らぬ人となってしまい無念。骨髄線維症という難病だったことを知る。
お葬式はご実家のある尼ヶ崎市で行われるということで、クマガイさんに「仙台二十一世紀紙芝居一同」でお悔やみを手配していただいたけれど、ご焼香にいけないことが悔やまれる。とてもとてもお世話になった方だった。

 21日。新宿の梅。

1本の木にだけ、沢山の小鳥が集まっていた。

22日 国立小劇場 文楽
豊竹嶋大夫引退興行の千穐楽を、N姐さん、虫六子と見る。
昨年10月に人間国宝に認定されたばかり。住大夫さんが引退して、実力人気とも十分の嶋大夫さんが次の時代を牽引していくと思っていたのに、突然の引退会見がネットで流れて呆然とした。引退の理由は、少なくても健康問題ではないらしい。
最後の床を目に焼き付けたいと思っていたけれど、小さいお体から朗々と湧き出る張りのある艶声はその日出演していた誰よりも声量があり、また、情感に溢れており、なぜ今引退なのか謎は深まるばかり。
演目は「関取千両幟」で、嶋大夫さんは掛け合いのおとわ役。おとわの人形は蓑助さんが遣った。三味線は寛治さんで、演目中の場転で寛治さんのお孫さんの寛太郎さんがアクロバチックな曲弾きを披露…。でも、嶋大夫さんの語りにたっぷり浸りたかった私はかなり興醒め。どうして劇場は、引退興行にみんなが望むような切場語り・嶋大夫の得意な演目でなくこんな演目を選んだのか。
住大夫さんの引退の時の大騒ぎに比べても、謎に包まれた嶋大夫さんの引退劇をマスコミや芸能評論家も真っ当に取り上げていないところに、素人の私でさえ文楽協会に広がる闇を感じざるを得ないのであった。

芸は人が身につけ人が育てていくものだけど、それだけに、人の態度や感情に左右され、時に政治が作用して、生かされも殺されもする。ほんとうにめんどくさい。芸能史を紐解くと、人気や実力があるものが円満な芸能人性をおくっているとは限らない。今回の一件についてもいつかその真相に光があたり、芸能史に刻まれることがあるのかな。せめて門下のお弟子さんたちが見事に成長して、ちゃんと活躍できますようにと心から願わずにいられない。


2016年1月18日月曜日

大衆紙芝居ネットワーク10年目の、翠風苑公演

虫六の仲間がつくっている街頭紙芝居系の団体「大衆紙芝居ネットワーク」。今年度満10周年を迎えまして、「ますます、それぞれ頑張ろうなー!」と無責任な気合いを入れていたのですが…


メンバーから「自分たちの10年を振り返る意味で、ネットワークの原点ともなった井上藤吉さん(仙台で最後の紙芝居師)に所縁の翠風苑で上演会をしたい」との声があがり、久しぶりで上演の機会をつくらせていただきました。

仙台市にある特別養護老人ホーム ・八木山翠風苑は、井上さんが最晩年に入所なさっていた施設で、所蔵なさっていた紙芝居の一部をご寄贈になり、それを虫六が調査させて頂いたご縁で、ネットワークの活動に絵を利用させて頂いたり、また井上さんがご存命の頃には何度か出前上演をさせていただいていました。

そんなわけで久しぶりの上演会。井上さんゆかりの紙芝居をメンバー4人が上演しました。

入館前に近くのファミレスでお昼を食べながら仕込み作業。
昔書かれた裏書き(紙芝居の絵の裏に書いてあるセリフの台本)はそのまま実演できないいろんな事情などありまして、今は上演者が独自に改良した台本を作りますが、手前にあるのはそれを貼り付けるマスキングテープ。再利用するうちに糊の成分も弱まって裏紙への影響も緩和するので使いやすくなるそうです。ある意味職人技ですね。

今回の番組は、
 さとうひるね 「まんだら時計」
 和田佳「赤胴赤鬼金之助」
 恩部だっこ「ハリケンPちゃん」「クイズ」
 のんきやあやや「権八たぬき漫遊記」

ギャラリーは入所者の方とスタッフの皆さんで20人に満たないくらいでしたが、とてもいい上演会でした。なかなか打てば響くというわけにはいかないお年寄りのみなさんを前に、無理せず、反応を見ながら柔らかに余裕を持って演じるメンバーの姿を見て、(上手くなったなー!)と心から実感。感心しました。
少し絵が小さくて暗いということがあり、絵が見えてないのかな?と反省点もあったのですが、そんな状況でも、うんうんと頷きながら食いついてくれ、また、クイズにも積極的に参加していただき、終盤では掛け声までかけていただいて、優しいお年寄りの皆さんに感謝です。また、受け入れ体制を作ってくださった翠風苑のスタッフの皆さんにも感謝です。

実演したメンバーそれぞれは10年目に原点の舞台に立って、どんな感慨を持ったのだろうか。
 
東京から駆けつけたのんきやあややちゃん。
さすがに公園や横浜市博物館でかなり実戦を積んでいるので実力つけてます。 危なげない余裕の演技、かつ、面白れー。
いやいや、他の皆さんも本当に上手。10年続けるってこういうことなんですねー。

終演後に打ち上げしました(定例会もしましたが)。
充実感のあるとても良い笑顔なので、モザイクなしです。あしからずー。

追伸:打ち上げの席で、「和田佳」の芸名が、もともと愛称の「カオリン(かおりん)」に変名することになりました。

2015年9月8日火曜日

【訃報】紙芝居師・梅田佳声さんに心よりありがとうを

東京の紙芝居師・梅田佳声さんが、8月27日にご逝去されたとのお知らせをいただきました。87才だったそうです。

2015年2月4日 八王子市の公園にて
以下は、私的な回想です。

思い出すのは、2003年11月10日の仙台駅近くの今は亡き喫茶店「goodman」で梅田さんと過ごした時のこと。

その前日、8-9日に私たちが主催した“長編紙芝居『猫三味線』”という3時間におよぶ紙芝居公演を、2ステージ、大熱演で出演していただいての翌日のことで、お帰りになる新幹線が来るまでと、コーヒーを飲んで過ごしていただいたのでした。当時、梅田さんは75才。まだまだお元気でしたが、さすがに連日大舞台を踏んでいたので、お疲れだったのでしょう。昨日の余韻に浸りながら口数少なにポツポツと会話をしていたのですが、ふと何かを思い出したように微笑まれ、「しかし、人の人生というのは面白いね。70を過ぎてこんな面白いことが待っていたなんて…」と愉快そうにおっしゃってくださいました。その時、私もそれまでの人生で味わったことのない胸のすく感慨を覚えたことが思い出されます。

二十世紀が終わる頃に「街頭紙芝居」というカオス怪物みたいな手強い大衆文化をテーマに研究をはじめた私は、実演者を求めて梅田さんとの出会いがあり、一からいろいろと教えていただきました。絵があっても実演がなければ、演奏されない楽譜と同じだということを実感したのは、梅田さんの実演に出会ったからでした。当時、仙台市にはもう現役の紙芝居屋さんはいなかったのですが、絵の保存と実演の伝承をセットで“動態保存”していかないと文化は伝えられないという基本的な考えも、梅田さんとの交流の中ではぐくまれていきました。

梅田さんは、飴売りはせず、紙芝居を芸として高めてみたいとおっしゃっており、その芸風は、かつて紙芝居をはじめ大衆演劇や漫才をされていた経験に裏打ちされ、さらに落語や講談、小唄…など芸事に精通された教養があふれ出てくるような紙芝居でした。大衆の中に豊穣な芸事の地盤があればこその紙芝居文化だったんだ、ということを実感させてくれる実演でした。そしてその思いが結集した舞台が『猫三味線』だったのです。

『猫三味線』は梅田さんの長年の持ちネタで、それまで日本橋亭や四ッ谷・石響で長編ライブに挑戦されていました。その演目をなんとか仙台で上演できないかと、市の企画コンペに応募した結果、採択されて、ようやく形にすることができました。仙台では240人定員のホールで、本物の紙芝居舞台の他に、原画を大小のスクリーンに投影し、三味線・箏のプロの生演奏(山本昌子さん)を劇判としてつけました。大写しになった紙芝居絵(ケイ・タジミ画)の臨場感と梅田さんの外連味たっぷりな語り、加えて当意即妙の三味線のからみが絶妙で、サイレント映画のようでもあり、見世物のようでもあり、また舞台と満杯の客席の一体感も昂揚するもので、ステージ・エンターテイメントとして新鮮な衝撃がありました(これが紙芝居の水平線をみる経験となり、私たちが自前で二十一世紀紙芝居『蛇蝎姫と慙愧丸』をゼロから作っていくきっかけにもなったのは、また別なお話です)。

この公演の前後には、数年にわたり10−BOXなどの会場を借りて、もう少し小さい規模のライブを何回かやっていただいたり、また「まちげき」にも出演していただいたこともありました。地元の俳優・小畑次郎さんとの仙台での古い紙芝居の上演活動にもいろいろお導きをいただきました。また、梅田さんを慕う若者たちが街頭紙芝居に手を染めはじめるということもあり、仙台での梅田さんの影響力は非常に大きいものがありました。

もちろん梅田さんは東京を中心に活躍されていたのですが、全国でもひっぱりだこで、その上演の巧さは、いわゆる教育・手作り系の紙芝居の方々からも高く評価されていました。そのような意味で、昔から溝が深かった教育系と街頭系の、二系統の紙芝居の橋渡し役としても、たいへん大きな存在だったといえます。また、玄人の演芸関係者にもファンはいらしたようで、生前には梅田さんのインタビュー本やDVDの発売計画もあったように噂には聞いています。私たちは親しみを込めて気軽に「梅田さん」とお呼びしていましたが、もっともっと畏敬の念をもってお相手させていただくべき方だったのではないかと思います。

しかし、人を選ばず丁寧にお相手してくださる方でしたので、心のこもった手紙で力をもらった経験は、きっと私だけのものではないでしょう。

そんな梅田さんですが、ご本人の芸歴にはブランクがありました。健康を害し、また、家庭を持つために芸人の道をあきらめて堅気の仕事についたと伺っています。その間も好きで寄席に通ったり、講談落語研究会に参加したり、国立劇場の脚本コンテストで入賞したこともあったそうです。定年にさしかかる頃に、上野の下町風俗資料館で紙芝居の展示をみて、ボランティアではじめた実演。喫茶店でのつぶやきは、そんな人生を振り返っての一言だったのではないかと思います。

昔のような商売は成り立たない社会に、紙芝居を復活させるのは容易ではなかったはずです。飴売りをしないかわりに、資料館やお祭りなどのイベントでギャラをもらって上演するというスタイルの確立に努力なさっていたし、絵も上手なので新作の制作にも精力的でした。晩年、体力が落ちていったり、苦しい闘病生活のなかで、絵の保存や後継者のことなど行く末にいろいろ悩むことは多かっただろうし、胸の内で闘っていることも少なからずあったのではないかと思うと、何のお役にも立てなかった自分の無力が残念です。今年7月7日の七夕の日に、子どもの文化研究所の「紙芝居3賞」の授賞式に病を押してご出席された梅田さんにお会いできたのが、今生の別れとなりました。最後に拝見した紙芝居は、『恩讐の彼方に』でした。

軽妙洒脱な江戸前の語り口、自分で突っ込みを入れながら突いて出る替え唄、あの明るい舞台をもうみられなくなったのは、本当に寂しい。まさに名人芸でした。

弟子は取らない主義だったとはいうけれど、梅田さんを慕い、紙芝居を続けている後継者たちは頑張っています。せめてその紙芝居師の皆さんのことを、梅田さんにかわって応援していきたいと思います。

心から、心からご冥福をお祈りします。

2015年7月10日金曜日

梅田佳声さん、第1回右手賞おめでとうございます。

7月7日の七夕の日に、子どもの文化研究所の「紙芝居3賞」の授賞式があり、我らが梅田佳声さんが第1回の右手賞を受賞されたということで、馳せ参じました!


体調を崩され、定期の上演をお休みなさっている梅田さんですが、今日は久しぶりで実演をなさるということで、『恩讐の彼方に』の名調子を聴かせていただきました。

梅田さんの授賞をお祝いして、東京のお弟子さんたちをはじめとした紙芝居関係者のみなさん、大阪の三邑会のみなさん、飯野和好さんなどの紙芝居作家の方々、それから上演でお世話なっている資料館や博物館の関係者も駆けつけて、梅田さんを囲みました。

梅田さんが上野の下町風俗資料館で展示されていた街頭紙芝居を見て、上演のボランティアを買ってでたのはもう35年も前のことだそうです。以来、雨の日も風の日も台風の日も日照りの日も毎月かかさず紙芝居を演じてくださったと、資料館のHさんはスピーチしてました。35年…やれそうで、できることではありません。

35年前には、もう、博物館のガラスケースの向こうにしかない存在に、なりかけていた(東京や大阪にはまだ実演者がいらしたので)街頭紙芝居を、首の皮一枚で我々世代に伝えてくれた梅田さんのご功績は、とてもとても大きいものがあったのです。
そして、紙芝居がこんなにも上質な作品性を獲得することができるんだということを教えてくれた、長編紙芝居『猫三味線』。私にとっても、あの作品を制作させていただいた経験は宝物です。
芸人肌質の粋で軽やかな語り口は、まだ誰も真似できていないと思うけど、目標にしている紙芝居師は多いと思います。

図書館や児童館で紙芝居を読むのとは違って、いま、街頭紙芝居を志す人たちは、想像以上の規制の中で格闘しています。絵をどう調達するか、著作権付きの文化財となってしまった作品をどう活用させていただけるか、公園などでの実演をどう実現するか、60年も前の差別表現をどう扱うか、ボランティアが当たり前の社会通念からどう仕事にしていくか…。そんな、問題に、おそらく最初に直面して、教育系と街頭系の紙芝居をつなぐ立場になっていったのも、梅田さんでした。

紙芝居は、絵や話があっても上演されなければ作品じゃないと、右手和子さんは常々おっしゃっていたそうですが、様々な意味で、梅田さんが第1回のその賞を受賞されたことは意義あることだと思います。

そして、そのことを実現してくださり、お祝いの会にお声がけくださった、子どもの文化研究所の皆さんにも心からお礼を申し上げます。忘れられない会となりました。

梅田さん、本当におめでとうございます。
また、お会いできる日を楽しみに!

2014年5月12日月曜日

慚愧丸プロジェクト観桜会2014

何がなくてもこれだけは外せない、慚愧丸P観桜会であります。今年も、みんなそれぞれ忙しい中、万障繰り合わせて集ってくださいました。世知辛い世間にあって、この一団に限ってはいい人ばっかりで涙がでるね、感謝です〜。

そんなわけで、開始時間の12時になったのに、幹事グループ(クマガイ一家、N良J、虫六家)以外、まだ誰も来てないぞ。でも、もう始めちゃうもんね。
今年の出だしメニュー、熊谷家オードブル(いぶりがっこチーズのせ、牛タンスモーク、草団子、「岩切」、パンセのパン)、虫六家飯もの(ハム巻、お稲荷さん、イカめし、卵焼き、松風焼)と乾杯用シードル、N良Jの秘蔵吟醸酒「作田」、にて開始。

監督の実家のヨモギで作った草団子。 素朴な懐かしい一品。

N良J特製ベーコン!! 居酒屋やれし!

とかとかやっていたら、いつの間にかみんな集まってきましたよ。
お天気よくて良かったね。T家のパパとYちゃん(お母さんがお仕事のところ父娘で参加…)ありがとね。去年は赤ん坊でおなかの上で昼寝していたYちゃん、おっきく可愛くなりました。


突如はじまったKりんの紙芝居実演コーナー。「ハリケンピーちゃん」「8ちゃん」「おのみたしクイズ」で(実演者そっちけで)盛り上がったあと、横浜某所の上演に貸し出している「蛇蝎姫と慚愧丸」の、4〜5巻を…!!(おー、おー、おいらたちの前でこれをやるとは度胸があるねー!その肝っ玉に座布団1枚だ!てか)
でも、なんだかライトなキャラになっちゃった龍之介に、監督が妙にうけて、オッケイの評価でした(笑)

母親が冷や汗かきながら紙芝居している最中も、「鳩追い」に夢中の野生児。
あー、この遊びを教えた悪い大人がこの中にいます…。

N良君の特製「猿酒」ことサルナシ焼酎…これが魔酒でした。

恒例、ミュージックコーナー。
Cもつ君が持ってきた、一人で聞く三線。

あ、聞こえるねー。
一人暮らしのアパートで楽しむにはいいかもね。心の曲を…。

 誰かが立方体の石を見つけてきたら、さっそくサイコロに加工されました。…で?

それっ!
体壊しますよ、監督!! あさって筋肉痛がきます。

酒、第2弾「萩の鶴」。もう花は終わってましたけれども、桜ラベルでお花見気分をなんとか盛り上げましょう。

なんでもないんだけどさ、N良くん、ほんとうに手がでかいね。

 あ、ガスだ!

ガスパ家登場。
遅いじゃないか〜、ちみたち。俺たちもう出来上がっておるよぅ。

そこに、どこだかで草笛修行をしてきたYさん登場。
挑戦してその場でならせるようになったのは初めてだとか、10人に1人しかならせないと、お墨付きをいただいてきたとのことで、ぴーぴー調子に乗っております。

しかし、この音が犬の聴覚に触るらしく、にわかに機嫌が悪くなるガスパール。
(うえっ〜〜〜!やめろその音、やめてくれって言ってんでしょ…)と、全身緊張気味に毛を逆立て、牙むいてシグナルだしているのに、草笛おじさんやめないもんね。
おかげで負傷者続出。

フリスビーで気分を紛らしつつ、やっぱりいつもと様子の違うガス王子です。
なんだろね、ガス。

フリスビー、穴だらけ。ぐるる。
しかし、「おれはフリスビーを追いかける犬ほど好きなものはない」とかなんとか、その様子を喜んで愛でる監督。

そこに、マッコリ持って真打ち登場Sばらさん!
待ってました!

役者がそろったところで、また飲むぞ〜!

Cもつ君の愛車「お父さんバイク」(実は当たっちゃったものの、恥ずかしくてあまり乗っていなかったらしい)

ウクレレタイム。
「う、チューニングがあってない。なんで弦が6本もあるんだ…」
今年のアイドルYちゃん。めいっぱいかわゆい。

恒例、爆睡。

爆睡その2。

さすがに連休最終日なので、八重桜も終わってます。
この姥桜感がなんとも言えません。

憑依・三上寛!
いろいろリクエストするけど、歌う方も、聞いている方も酔っぱらってます。
みんな監督の唄を楽しみにしているのです。

子供ら(監督妻含む)は、なぜかシャットアウト。
あーあ、ジッパー閉めちゃった。
この中でどんな会話があったのかは不明。

日が落ちてきて、ちょっと寒くなってきました。
我らの熱を感知してか、ユスリカの群れが頭上に蚊柱を作っております。

監督「鳴子温泉の地獄谷で唯一生きて行けてるのは、ユスリカだけなんだ。こいつら、血を吸うわけでもないし、何も悪いことしないんだよ。」
虫六「監督、去年もユスリカの話してましたね…」
監督「え、うそ!全然覚えてないなー。」

蚊柱を見入る忘我の人、Iちゃん。
Kりんの紙芝居クイズでもらった水飴を半分眠ったまま嘗めている恍惚の人、Yさん。
Cもつ君、靴下はいてないけど、寒くないの?

いよいよ暗くなってきたので、片付けしていたら、向こうの方で花火が始まったよ。
けっこうきれいだったけど、写真は失敗しました(すみません)

記念撮影。今年もよろしくお願いします…。

と、すべてが終わりかけたところで、急に「なんかやろうか」の具体的な話が噴出して、もりあがり、立ち話が始まってしまいました…。
来年あたりは何か面白いことをしているかもしれません、私たち。ほほほ。