映画『国宝』の公開初日(6/6)に、さっそく見て来た友人Mちゃんからメールが入った。「虫六ちゃん、『国宝』観るでしょ?感想聞きたいから、観たらすぐ連絡くれ」。Mちゃんは私の知る限り地元S市では誰よりも映画を観ていて自らフィルムイベントを運営する強者である。ほほーっ、こりゃ期待だね。でも、その週はぱつぱつ忙しくて、虫六が観にいけたのは公開10日目の6/15だった。長いレビューなどは読まないようにして過ごしたその間にも、友だちからの「観たか?」というメールやついつい目に入るTL…、観た人誰もが「誰かと感想を話したくなる欲」で山脈ができていた。
てなわけで、自分の感想もまとめておこうと仮死状態だったブログを更新します。なお、ガチでネタばれです。
初見 6/15 TOHOシネマズ仙台
2回目 7/3 TOHOシネマズ仙台
*ちな、原作はまだ「積ん読」です。
◎喜久雄という人物造形
歌舞伎の「血」か「才能」か、が中心のテーマですが、その前に、喜久雄が侠客の家に生まれた御曹司(若旦那)だったという「血」のこと。これが、この映画の通奏低音なのだと思う。しかも、目の前で父親を惨殺されるという修羅場を経験し、自らも人を殺した(未遂だったけど)子どもが、身を隠すように入った世界が「歌舞伎」だったという特異性が、喜久雄の凄みとか怜悧性とか色気に複雑な陰影を落としている。吉沢亮が美しければ美しいほど陰影が深まるという印象。
実際、喜久雄が「見た事が無い景色」を求めていると言い、舞いながら恍惚を感じる場面で被ってくるオメージは、雪(紙吹雪)が舞っていて、父が殺された新年会の料亭の景色を想起させる。花火のようなものが加わるイメージもあったけど、拳銃の火花か血しぶきなんでしょう。
藤駒との出会いの場面で「長崎にも雪降るん?」って聞かれて、ゾワッとした。
「刺青をした役者」像も、今ではフィクションだから…という感じではあるけれど、戦後の頃にはもっと芸能界と任侠界は近しい関係だったんだろうとは想像できるし、若旦那であれば組が無くなっても、堕ちた先で守ってくれる人の繋がりなどもあったのでは?…などとも思うけれど、そういうところは描き出せなかったのかな、映画では。
…で2回目をみて、さらに思ったことは、映画ではあえて喜久雄の「孤児感」を強調しているんだなということ。
◎役者の身体性
誰もが驚嘆している、1年半のお稽古で『二人道成寺』や『鷺娘』を通しで誤魔化しなく踊れてしまう、吉沢亮・横浜流星の身体能力とセンスに脱帽であることは当然として、それが出来てしまったの何故だろうを考えてしまう。
聞けば、吉沢は剣道2段、横浜は空手で世界一のタイトルを取った実力の持ち主なんだそう。身体の重心の取り方や足の使い方など、すでに身に入っているものがあるんだろうな。(ダンスに詳しい友人は横浜流星の身体の使い方に目を奪われたそう、見る人みてもすごいのね)
岡田准一さんに『明鏡止水』で解説してもらいたいです!
ラストの『鷺娘』は、さすがに人間国宝の踊りかというと、どおよ?と言わざるを得ないけど、日乃本座の観客もCGじゃなくエキストラだったそうで、その前で3回通しで踊ったというのは…鬼の心臓ですね。プロって凄いよ。
それにしても、彼ら若く美しい役者が生の身体で“魅せて”くれたことは大きい。
スイッチが入った皆さんに、勘九郎や七之助の生の踊りをすぐに見に行ってほしい。凄いから。歌舞伎舞踊はいーよー。(あぁ、ここによだいめが健在だったら…大量網が掛けられたのに…泣き泣き…猿之助の『黒塚』思い出して…また泣き泣き)
逆にもし、これが同じ伝統芸能でも、歌舞伎(舞踊)ではなく、能狂言や邦楽の演奏家の映画だったら、ここまで人の心を動かせたのかな?と思ってしまった。伝統芸能に好ましい潮目がきたと捉えた人たちは、ここのところを分析する必要があるんだろうと思う。
屋上で喜久雄が舞うシーンは『さらば、我が愛/覇王別姫』がオーバーラップ。化粧(かお)が落ちた顔って色っぽい。横浜流星のお初の化粧落ちた顔も色っぽかった。
◎上方の匂い
あれ、上方歌舞伎界の話だったんだよね。上方の匂いを醸してたの鴈治郎さんくらいだった。あの頃の上方って低迷していたんでしたよね。13代仁左衛門さんが家屋敷を抵当に入れて「仁左衛門歌舞伎」を打ったりしていた時代のことでは?その辺りの時代背景は、原作読めば出てくるのかな?
そもそも、渡辺謙(半二郎)が渡辺謙の存在感で納得させられてるわけだけど、上方の匂いなく女形ってのにも無理ありませんか?半二郎って女形の名跡で、だから半弥も女形なんですよね(違った?)。あそこ、立ち役(せめて兼ねる役者)ではダメだったのか、とかもやん。
そう考えると、喜久雄と俊ぼんだって、どちらか立役で育てとけば安泰じゃないの。二人とも女形にしておく意味あるの?歌舞伎の家はそうしているよね。まぁ、物語としてはそうしなければ面白くないだろうけども。
上方も江戸も超越して、田中泯が歌右衛門だった。もう、文化庁は田中泯を国宝に指定してはいかがか?
◎『曽根崎心中』
劇中劇に『曽根崎心中』を持ってくるの秀逸だなぁと感心した。原作がそうなんですか?映像的に大成功に導かれたと思う。
最初の『曽根崎ー』のエピソードでは、お初役が抜擢で喜久雄にいって、客席でみていた俊ぼんが堪えきれずに外にでると、春江が追いかけてきて二人で出奔(道行)というのを被せてますが、『曽根崎ー』といえば、2代目中村扇雀(現坂田藤十郎)がお初役をやって大当たりを取った演目で、その時の芝居がもう死ななきゃならないくらい追い詰められているのは徳兵衛なんだけど、恋仲のお初は心中を覚悟したら「ついて行きます」ではなく、お初が徳兵衛の腕を引っ張って(リードして)引っ込む演出で、それが大評判になり当たったんですよね。それを踏まえると、舞台の上では喜久雄(のお初)が花道を下がる時に、覚悟を決めた春江が俊ぼんの手を取って出奔する…ってのは、もう死ぬ覚悟だろ!って思うがよー、歌舞伎ファンは。それが8年後に出てきてびっくりだったね。(死んだら話にならんけどな)
まぁ、舞台人として一度死んだってことなのかな。
冷静に考えれば、いくら一度くらい喜久雄に役を取られたからって、そこまで逃走しなくて良いわけで、俊ぼんにはいくらでも挽回のチャンスはあったわけだよ。それが『曾根崎ー』で納得させられてしまったね。
2回目の『曽根崎ー』は、“足”が重要な仕掛けになっていた。足が壊死して…って、こんなところで澤村田之助(脱疽で四肢を切断した美貌の女形)被せるのか〜無理矢理やんけと、(それを言ったら目が見えなくなった花井半二郎は13代仁左衛門なんだろうけど、まぁいいや)突っ込みを入れたくなるけれど、そうか、半二郎は糖尿病だったな、遺伝か…とこれまた納得させる脚本の妙。
でも、これは近松原作の丸本で、文楽の人形の女形はふだん足を見せないけれど、『曾根崎ー』ではあの場面のために足が出るという見方を芸能好きはするわけで、隠している片足はもう義足なのか(それも人形ぽい)と想像させておいて、いざあの場面に来た時に、俊ぼんの壊死しかけた生々しいつま先が見えて、涙腺崩壊でした。
その足を愛おしそうにすりすり…喜久雄と俊ぼんの人生の交点があの場面に結集してました。あの舞台、やりきれて良かったよ、俊ぼん。
全体的には、やっぱり喜久雄の物語で吉沢亮の演技は美しく上手いけど、けっして主役を食わない存在感で絶妙な演技をし続けた横浜流星を評価したい。二人がいないと成立しない映画だったし、吉沢亮のポテンシャルをMAX引き出したのも横浜流星であったと思う。『国宝』は吉沢の代表作になるよね。
◎筋目じゃない役者が名跡を継ぐこと
喜久雄に「花井半二郎」を襲名させておいて、襲名披露で吐血(縁起悪すぎ)、断末魔に「…俊ぼん…」って、どこまで喜久雄を墜とすかなーな鬼脚本。しんどかった。
でも大名跡をついだら普通は旦那になるわけなので、大部屋に堕ちるなんてことあるの?喜久雄は元々(侠客のだけど)御曹司なので、帝王学とか身につけていて一家のリーダーには向いてるんじゃないの?とも思うけれど、そうはいかない歌舞伎の世界…どろどろなのね。
後ろ盾がないと役がつかなくなるってことはよく耳にするけれど。部屋のない一代親方みたいなものか(急に相撲の例え)。
大きな名跡を筋目じゃない役者が継ぐことに対する界隈の意地の悪〜い空気、足の引っ張り合い、そして週刊誌のゴシップ追い打ち…。猿之助もそんな感じだったのかなぁなどとオーバーラップ。部屋子とか隠し子騒動で、現実の役者の名前も上がっていたかと思いますが、私はよだいめを思い出してしまった。喜久雄みたいに蘇って欲しい。(諦めてません!)
それはそうと、
三浦貴大(三友の社員・竹野)が良い仕事していたね。
子役の2人も良かった。
尽くしても、喜久雄の見ているところは自分じゃない3人の女性陣も、それぞれにサイドストーリーがありそうだった。
◎国宝
映画としてのクライマックスは半弥と半二郎の『曽根崎心中』だったのかな。ラストはちとピンと来なかった。「まさに順風満帆」って記者もピント外れているし(わざとでしょうか)、突然現れた大人になった娘の台詞も、(あぁ、それよく玉三郎さんがお話になるやつだね)、それを“求めていた景色”に落とし込むのもちょっと安直では?と物足りなさがあった。
そもそも重要無形文化財保持者(通称:人間国宝)に選ばれるのも政治的な面もあるわけで、喜久雄が本当に目指していたものは「国宝」(日本一の歌舞伎役者)になることだったの?神社で悪魔に魂売った件?本当に?
なんだか、私には自分の“人生”に対する敵討ちだったんじゃないかと思えるんですよ。
「曽我兄弟やぞ」
それでも求める景色はもう本人にしか分からないんだよね。
どうでもいいことですが、これからは「人間国宝」じゃなくて、「国宝」って言われるのかな。
さて、原作読むかー