2011年4月3日日曜日

ガス復旧率33%_4月2日現在

全国のガス局職員の方々が、今、3000人来仙して、S市のガス復旧に尽力してくださっています!
虫六の近所でも最近「大阪ガス」の作業車を目にする(ご苦労様です!)んですが、まだ虫六の住まいまでは復旧工事の順番が回ってきません。

で、
水が冷たいので、洗い物も貯め水使ったりして、洗髪もバケツにお湯をためて1シャン。お風呂にも入れないので、バケツお湯で行水か蒸しタオルで拭くにとどめてるわけです。

そんな生活に慣れてきて、同じ服でも気にならなくなって、なぜか洗濯の回数も減っております。

つまり、ガスが通らないので自然に節水しているわけなんですが…。

いまS市周辺は、津波で下水処理場が壊滅しているのです。復旧には3年という見通しだそうです。汚水をなるべく流すなと市からお達しがあるのですが、すでに多賀城市周辺では、あちこちのマンホール120箇所で汚水が逆流しているとか。津波で町が浸水し、その上汚水の異臭で苦しめられているとそうです。

壊れた町が治るまで、まだまだ時間が掛かりそうです。

ガスが治ればみんな水を使うでしょう。お風呂入りたいし…。
どこまでどんな風に節水すればいいか、具体的に広報して欲しいものです。

家族の尿は3回分くらいためてから流せとか(瀑)



S市、消費生活回復の実感_4月2日震災23日目

今度の震災で、我が家のペット金魚の諭吉も被害を被っていました。地震で水槽の水がこぼれて1/4位まで減り、かつ、停電でエアポンプも止まった状態で数日放置されたままだったのでした。3日目に一時的に水道が復旧したときに水こそ足しましたが、それ以来掃除してもらえることもなく、劣悪な環境で我慢させられてました。恨むなよ〜。

ところが、昨日水槽用の照明ランプが切れてしまいまして…。
で、意を決して(←大げさ)郊外のホームセンターまで車を出すことにしました。

市内にガソリンが潤沢に回るようになってきたのか、震災後のまとめ買いなのか、このホームセンターを含むショッピングモール(スーパー、ドラッグストア、靴や、ユニクロがあります)の駐車場は車でいっぱい。
店内も人が入っていました。棚にも随分品物が揃っているようでした。
家具の転倒防止用グッズなどはすっからかんに何も無かったですけどね。考えることは一緒です。
虫六子の高校に履いていく靴や衣服も買って帰って来たのですが。同級生なども同じように買い物をしていたようで、何度か声を掛けられていました。

並ばなくても、数量制限になしに、車で買い物ができる…。S市の消費生活が回復してきたと感じました。


金魚の諭吉も辛い水槽で我慢させたので、水槽を掃除して、新しいランプとエアポンプ&フィルターも交換してやりました。スッキリしたかな。

ま、人間の方はまだガスが通らないので、お風呂はお預けのままなんですがね。


2011年4月2日土曜日

お知らせ_くにたち紙芝居チャリティーライブ

くにたち紙芝居が、「福島第一原発周辺地域・生活支援チャリティーライブ」を開催します。

福島第一原発周辺地域・生活支援チャリティーライブ

[日時] 2011年4月3日(日)13:00~16:00

[場所] 大学通り/スターバックス国立店前緑地帯

[出演者]
13:00〜
宮野裕司(フェビアン・レザ・パネとのデュオなど、いぶし銀のアルトサックス)
立花泰彦(新宿ピットインの大晦日、トリを務める凄腕ベーシスト)
泉邦宏(身体ごと鳴っているような音をもつ、元渋さ知らズ看板サックスプレーヤー)
柳家小春(粋曲を三味線で弾き唄い、婦人公論や東京人などのイラストも手がける)
佐々木遊太(昭和の街頭紙芝居&インターネットによる即席紙芝居)
15:00~
STRANGE:POE(ストレンジ:ポー)
フジロックフェスティバル’08に出演したモンテリマの、VO.G半田将之とBa時川大輔を中心に、鍵盤ウイリアム(柳沢耕平)、ドラム杉達彦を迎え、2010年秋頃結成。
ストレンジなエドガーアラン”ポー” 国立を拠点に活動中。
春先に1stアルバムリリース予定。


相馬できいたこと(2)

昨日緊急回覧がありましたが、南相馬市市長桜井氏がYouTubeに載せたコメントが世界から反響を呼んでいるそうです。兵糧攻めのような追い詰められた現状を必死で訴えられていました。

その一方で、いわき市の平競輪場には全国から集められた支援物資がうずたかく積まれたまま、被災地に届けられることなく指示待ち状態だという映像(3月30日)が、同じくYouTubeに載っていました。一般ボランティアの方が運搬を申し出たのに断られたとのこと。
(http://www.youtube.com 「いわき 支援物資 平競輪場」で検索)

福島県は義援物資については十分な数量が確保されているので受け入れを断っている状況のようです。
いわき市も同様。(国土交通省東北地方整備局HP 「被災された市町村臨時掲示板_いわき市3月28日付)

いわき市まで山ほど物資は届いているのに、行政は何をしているのでしょう。


先日相馬に行ったときに、「1度配給があってもらいに行ったが…」という話も聞きました。
私が足を運んだのは、避難所ではなく津波被害は逃れた一般家庭ですが、食事は米や野菜は自宅の備蓄食材が十分にあるので困っていないよ…ということでした。

「配給するという回覧が回ってきたので、貰いに行ったら、米5キロ渡すと言われたのに3キロくらいしか入れて貰えず、でも無くて貰いに行くわけではないからと文句言わずに帰ろうとしたらパック入りのご飯を少し渡された(でも、美味しくなくて食べられなかった)。そのほかに、非常用の小さい毛布と缶詰とカレールーとお菓子を貰ったの」と。

あまり悲壮感ない言い方であるところからすると、穀倉地帯の相馬市では米や野菜の備蓄は家庭毎にあるのかも知れません。避難所に行かずに済んでいる住民は自宅の食材を食べてしのいでいるのでしょう。虫六が足を運んだ30日にはスーパーが開くようになったと言っていましたが、これも店舗の自助努力で開いてくれたということでしょう。そして、相馬市ではまだそれが出来るけれど、南相馬市はそれも出来ない状況ということなのでしょうか。
(桜井市長のコメントは24日に撮影されているようです。現在の状況はどうなのでしょう?)
ガソリンがあれば南相馬市の人も自分たちで買い出しが出来るのでしょうが、たぶんそれができません。

そもそも、有り余る支援物資を山積みにして、行政は何をしているんでしょうか。このまま南相馬市民を見殺しにするつもりなのでしょうか?


2011年4月1日金曜日

相馬で聞いたこと

これは、3月30日現在、噂噺として相馬市民に聞いたことです。少し不正確な部分もあるかもしれません。

○相馬市海浜の磯部地区では地盤沈下のため津波の水が引かずに沼のように残っているところがあって、堰を切ると水は流れるけど、遺体も流れてしまうからと自衛隊が連日水をポンプでくみ上げているが、なかなか水が引かず難航しているということ。
(そのほか、津波被害の猛威についてもいろいろ聞いたのですが、これは見たわけでないのでイメージが膨らみ過ぎるかもしれないので記載を控えます。)

○この数日でやっとスーパーが開くようになった。震災直後、地元のスーパー「キクチ」が支店の営業が無理と判断し、それぞれの店の在庫を本店に集めて市民に販売した。その後、南相馬市や鹿島町など、物資が届かない地域へシャトルバスを日に何度か往復させて、買い出しができるように計らった。

○福島原発の30キロ圏内は、住民がほとんど避難してしまったので、遺体確認も瓦礫の撤去も全く手つかずということ。発表されている各県の「死者・行方不明者」などの人数も、福島県に関してはそんな事情から実態が計れていない。実際にはもっと凄い数字になるはずだ。しかし、時間もかなり経っているので、身元確認は相当大変だろう。

○相馬市(福島原発の45キロ圏内)で、瓦礫撤去のために重機をレンタルしようと思ったら、重機が放射能で汚染されると使えなくなるから貸せないと断られたケースがある。

○相馬市では屋根が壊れた家屋が多い。瓦修理を頼んだら、2年後になると言われた。

○灯油は入手出来るようになってきたが、ガソリン不足のため配達はしてもらえない。自分でお店まで買いに来てくれと言われる。つまりお年寄りは買えない。

○子供たちの学校の問題は深刻だ。特に受験を控えた高校生などは、授業再開の見通しがない中で、転校も含めて見当しなければならない。生徒自身も親も悩んでいる。

○(聞いたのは70代男性)原発については決して楽観視していないが、いまのところ自分たちの土地を捨ててまで逃げたいとは考えていない。だが、普段しっかりした人だと思っていたような人がまだ退避命令も出ていないのにあっさり自分の土地を逃げ出したりして、意外なこともある…と。(とはいえ、原発に関しては希望的な見通しを期待していた。フクシマの人たちにすれば、それは当然だと思う)
*20キロ圏内で退避命令が出ている人たちや30キロ圏内の南相馬市の人たちが一旦待避した避難所から地元に戻っているという報道があった。ツイッターでは、「なんで?」とか「自己責任」とかいうコメントが重なっていたけれど、その土地で人生を真っ当してきた人たちにとっては、「何を今更」という気持ちが勝っているということも理解できるような気がする。

以上は相馬市で聞いた話ですが、待避命令が出ている、田村市、南相馬市、楢葉町、広野町、川内村、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村、飯館村、富岡町、いわき市の現状はもっと深刻なはず。
情報に注視して行きたいです。

【緊急回覧】
南相馬市長が緊急メッセージをユーチューブにアップしたようです。
  ↓




通常勤務に復活

様々な呼び名があってなんでかな?と思っていましたが、政府は今回の震災を「東日本大震災」とすることを今日の持ち回り閣議で決めたそうです。

気がつけば4月1日。
卒業式もないままに、沢山の若者が社会に巣立っていきました。
震災で何もかも欠損してしまった東日本ですが、早くリセット状態を解除して、まだ働き盛りの我ら世代が中心となり、将来を担う彼らと共により安全で暮らしやすい社会を創造していかなければと思います。
そのためには、仙台が中心になることが望まれます。この街が早くに日常を取り戻し、余力を持って、被災地が生まれ変わるための支援基地となることが大事です。


自宅待機が続いていましたが、今日から通常勤務になりました。
パソコンが復活したら、仕事が中断する前の、頭の回路が繋がりました。
(ま、その前に片付けでしたけどね)
やることはいっぱいありました。

職場の近くで桜が咲いているのを発見!
不安要素は山ほどありますが、とりあえず立ち止まっているわけにはいきません。