2017年9月12日火曜日

8月に読んだ本

8月の読書メーター
読んだ本の数:4
読んだページ数:762
ナイス数:23

新装版 手鎖心中 (文春文庫)新装版 手鎖心中 (文春文庫)感想
「バカだねー」と面白がって読み進めると、やがて哀れを通り過ごして怖くなる。『手鎖心中』は勘三郎さんが歌舞伎『浮かれ心中』に仕立てた作品で、…見ているはずなのにあまり覚えてませんでした。そんな分けではじめて読むような印象。『江戸の夕立ち』は江戸版ひょこりひょうたん島じゃないけど、どこまで行くんだよ〜おいおい的な面白さがあり。若旦那清之助の性、太鼓持ちの桃八の性、もうどっちもどっちで徹底的にしょうがない人たちだね、もう好きにおやり!って感じっなんだけど、でも憎めない愛嬌が作品の魅力でしょうか。
読了日:08月31日 著者:井上 ひさし

贋作・桜の森の満開の下贋作・桜の森の満開の下感想
野田歌舞伎「桜の森の満開の下」を拝見して、小劇場版「贋作・_」とどんな風に変えていたんだろうと興味を持って, Kindle版で読みました。Kindle版便利だなー。言葉遊びの充満した野田芝居、一回見たくらいでは煙に巻かれたみたいになってしまいます。しかも、歌舞伎演出のためにだいぶ改訂した…と伺っていたけれど、セリフにとても既視感があり、ほとんど変えていないんじゃないかと思うほどでした。いろいろお芝居の記憶が蘇ってきました。
読了日:08月20日 著者:野田 秀樹

桜の森の満開の下桜の森の満開の下感想
野田歌舞伎『桜の森の満開の下』をみて、まずは原作読んでみたいなと思い、青空文庫の内蔵版で読了。中世時代のあやかしが棲むような神秘性に加え、女の本性は鬼か…と底知れぬ怖さがありましたが、幼女の残忍性という面では他の作品にモデルがあったのかも。というわけで『夜長姫と耳男』も読まねば…と青空文庫の坂口安吾の書棚を検索したら、すごくぎっしり入っていて、読みたい作品いっぱいだ。
読了日:08月15日 著者:坂口安吾

おばちゃんたちのいるところ - Where the Wild Ladies Areおばちゃんたちのいるところ - Where the Wild Ladies Are感想
タイトルはM.センダックの「かいじゅうたちのいるところ」をひねったものみたい。どこか覚めていて、したたか(というか太々しくもある)女性たちの日常に、怪獣ならぬ物の怪や幽霊たちが明るく当たり前みたいに入り込む、ちょっと奇妙な短編集。幽霊が元気なおばちゃんだったり。それぞれのお話のモチーフが古典落語や歌舞伎だったりするところも、なかなか楽しめました。
読了日:08月14日 著者:松田 青子

読書メーター

2017年9月6日水曜日

夏休みレポート①_仙台から会津経由で浅草まで行ってみた。

いつもお世話になっているK老人が言うんですよ。
「虫六さん、会津から浅草まで直行便の電車が走っているの知ってるか?あれは一度乗ってみたほうがいい」と。
〵(=゚ω゚=;)/ なんですと!いきなり浅草に着くんですか?浅草に!

…なかなか東北にお住まいじゃない方はイメージしにくいかもしれませんが、新幹線を使わずに、仙台から“会津まわり”で東京に行くって、とお〜っても回り道、しかも決して安上がりでもないときて、二の足を踏んでいたんですが、夏休みに虫六子のところに行くついでに、思い立って実行してみることにしました。

虫六子の帰省に付き合うのに青春18きっぷ(5日間普通列車が乗り放題。特急には乗れないけれど、複数人で利用することも可能。もちろん大人でも使えます。)を持っていたので、行きの在来線はこれを利用することにして、時間節約のために、郡山までは新幹線を利用することにしました。仙台ー郡山新幹線Wきっぷを金券ショップのばら売りで購入。

郡山から先は、こんな行程でございます。

会津若松駅に着いたら、会津鉄道のリレー号が入って来ました。会津鉄道も初乗りなんですよね。…ん、ということは西若松から先は青春18きっぷは使えないのか…、出発前に車掌さんに声を掛けたら、浅草まで買った方がお得ですよと、車内補充券で発券してくれました。

よく知らないけど、もしかしてコレ、なかなかレアな車内補充券では?
検札の車掌さんに見せたら、「ほう」って顔をされたので、『銀河鉄道の夜』のジョバンニにでもなった気分でした。へへへ。まぁ、思い込みですけども。

お、映画『Railway』を地でいく見習い車掌さんだ。(さきほどの車掌さんとは別の方です。)

絶景かな、会津!
途中で降りてみたい駅が沢山ありました。

会津田島駅で乗り換え。待っていたのは『リバティ会津』。東武の新しい特急車両です。
実は、この列車、東武のホームページで指定の予約を入れたまではいいのですが、きっぷを受け取るのに、東武の旅行代理店か東武の駅でないと受け取れない上に、どちらか選ばなくてはならないのでした。で、S市で代理店があるのかどうかもわからないので、連絡時間が20分あるから、会津田島で受け取ればいいと思っていたのですが…。

駅について、調子よく写真なんか撮って、さあ予約した切符を受け取りに行こうとしたら、窓口は長蛇の列…うげげっ、しかも、地元のおじいちゃんとパソコン不慣れっぽい駅員さんがずーっと何やらやっていて、並んでいる人たちも相当イライラモード。
…そうこうしているうちに、『リバティ会津』の改札が始まってしまったよぉおおおお!!!!
で、そのおじいちゃんの対応が終わったら、「さぎに特急の人の分やっから、以外の人はあど」って。ひぃ。…そしたら3人くらいになって、汗汗。はやくぅ〜。

やっと順番がきまして、予約のプリントを出して指定特急券を買おうとしたら、「あれ?」って怪訝な感じになり、奥にいってパソコンに慣れた駅員さんを呼びにいっちゃった。
で、「あー出発15分前で、予約が取り消されちゃったねー」って。
まじかー ○|_| ̄ =3 ズコー これはオイラのせいなのか???

納得できないまま茫然としていると、「席に余裕があるから、指定取り直してやるから、浅草駅にいったら窓口で断ってください」と。
お盆繁忙期でしたが、逆コースだったのが幸いしてなんとかなりましたが。大丈夫なのか?これでいいのか?

こちらから『リバティ会津』を利用される際は、ネットではなく、旅行代理店で予約することをお薦めします。とりあえず。

なにわともあれ、ローカル線の旅番組にでるような駅弁(緑屋・松茸二段弁当)を食べながら三時間半の特急電車の旅。

鬼怒川温泉とか東武ワールドスクエアとか経由しながら、会津の景色を楽しむつもりが、前の座席を、通路を挟んで小さい子ども2人連れの母親と「おじちゃん」と呼ばれる男性1人のグループが(空いているのをいいことに)占領。なにやら複雑な人間関係なのかしら?「おじちゃん嫌い」とか「おじちゃんなんでそっちに座んの?」とかおこちゃまの声が響き渡っております。そして、そんな子どもを向こうの座席において、前の席で「おじちゃん」とイチャつく母親…とか。

なんで、この席…開放的な旅気分はたいぶ侵害され、東武のインターネット予約システムを恨む虫六でありました。

そうこうしているうちに、電車は住宅街に。都心に近づいて来たわいな。

なぜここに「クレヨンしんちゃん」のラッピング電車がいるの?と思ったら、ここは春日部駅でした。(*^-^)

あ、東京スカイツリーが見いる!浅草が近づいているよぉお。

でかっ!東京スカイツリーでかっ!先端が雲に隠れております。

いやはや、本当に浅草に着いちゃいましたよ。
嘘じゃなかった。

東武の駅、こんな風景だったのは知ってましたが、いま自分が会津からやってきて着いた駅かと思うと、感慨深いものがあります。

浅草寺に「おかげさまで着きました」とご報告。(* ̄ー ̄*)
お盆でも観光客で賑わう浅草よ。

で、この日の本来の目的地は、実は三軒茶屋の世田谷パブリックシアター。
ぎりぎりでしたー!
「杉本文楽・女殺油地獄」ね。この話はまた。

後日談)
仙台に帰ってから、会津ー浅草の旅についてK老人に報告したところ、
K「なに、虫六さん本当に行ったのか!?偉いなぁー、すごいなぁー」
虫「すごいなぁーって、Kさんもやったんでしょ?」
K「いや、俺は鬼怒川温泉までしか行ったことないの」
虫(人に勧めといて、まだ未踏だったんかーい!(*`ε´*)ノ)


2017年8月31日木曜日

野田歌舞伎の復活『野田版 桜の森の満開の下』

朗報です。野田歌舞伎が復活しました。

8月納涼歌舞伎といえば、恒例の三部制。勘三郎さんや三津五郎さんが工夫を凝らして作ってきたんですよね。その歌舞伎座で、そのご子息たちががんばっておりますので、お盆だったけど、役者の魂もお家に帰る前に小屋にお立ち寄りになっていらっしゃることでしょう。きっと。

 っていうか、お孫ちゃん世代もがんばっております。

ん?…っん!!!!これは千之助君、ちょっと見ぬ間にイケメンに…。
この方が、「吉田屋」の伊左衛門とか、「女殺油地獄」の与兵衛とか、脂ののったお芝居を見せてくださるころまで、我が黒翅は元気で保っておきたいものですな…。(しばし妄想)長生きしたいよ〜。

いやいや、うっかり横道にそれてしまいました。話は舞台に戻しましょう。

十八代目中村勘三郎が作り出した新しい歌舞伎の中でも野田歌舞伎『研辰の討たれ』は、平成時代の歌舞伎の金字塔だと、虫六、個人的には思っております。なので、勘三郎さんが亡くなって、野田歌舞伎も無くなってしまうのかなと、喪失感をいだいておりましたが、『贋作 桜の森の満開の下』を歌舞伎に…という勘三郎さんとの生前の約束を果たす形で、今回の野田歌舞伎復活となったそうです。

坂口安吾作品集より
野田秀樹 作・演出
『野田版 桜の森の満開の下(さくらのもりのまんかいのした)

耳男     勘九郎
オオアマ   染五郎
夜長姫    七之助
早寝姫    梅枝
ハンニャ   巳之助
ビッコの女  児太郎
アナマロ   新悟
山賊     虎之介
山賊     弘太郎
エナコ    芝のぶ
マネマロ   梅花
青名人    吉之丞
マナコ    猿弥
赤名人    片岡亀蔵
エンマ    彌十郎
ヒダの王   扇雀

予定が立たずチケット撮り損ねておりまして、幕見しかないと諦めていたんですが、N姐さんとご一緒することになり、なんだかんだでS席でみることができました。(うれし)
予習が出来なかったので、開演前に筋書きを読んだけれど、カタカナが多くて、さっぱり頭に入ってきません…。うんにゃあ、成り行きでみるしかないか。

そんなわけで、あらすじはこちら参照
小劇場版の『贋作(にせさく)桜の森の満開の下』は、Kindle版でも脚本が読めます。

『研辰_』は歌舞伎脚本を野田さんが改訂して演出したものでしたが、『桜の森のー』はもともと夢の遊民社(小劇場運動の第三世代における代表的な劇団)のお芝居として書かれた脚本なので、それを歌舞伎に仕立てるのは難しそうです。
畳みかけるような言葉遊びのセリフ回し、ゴムボールがはじけるようなスピード感、時空を綯い交ぜに行き交うカオス感が、遊民社の芝居の持ち味。歌舞伎に慣れた頭で見るとついていけないになって、野田さんのお芝居を見慣れた頭だとスピード感が物足りないと感想が別れそうです。
でも、虫六の率直な感想は、「さすが!」と思いました。さすがです、野田さん。

いくつか佳いなと思ったところ。

①音楽の使い方。
劇中に印象的に登場するテーマ曲には、2つの西洋音楽が使われていて、他はすべて下座音楽でした。
1つはオペラ『ジャンニ・スキッキ』のなかのアリア『私のお父さん』で、もう1曲はウェールズ地方の子守歌『SUO GAN』という曲だそうです。

耳男が満開の桜の花の下で背中の鬼と対話する、冒頭の場面で、『私のお父さん』が流れると、この作品全体が勘三郎さんに献げられているのか??と思いたくなりますが(いえ、関係されたみなさんの実際の思いとしてはあったと思いますが)、この曲は初演の時から使われていたようです(*1)。その偶然に感嘆します。のっけで桜の森に誘い込まれてしまいました。会場のどこかに勘三郎さんがいるような。

*1)ニコニコ動画に夢の遊民社が上演した『贋作 桜の森の満開の下』がアップされているとフォロワーさんから情報を得まして、拝見しましたが、間違いなくこの曲が使われていました。
また、こちらのブログでは初演時の音楽について詳しく書かれていらっしゃいます→「ごめんね、日常」[noda]僕の好きな音楽~「贋作・桜の森の満開の下」編

『SUO GAN』は、夜長姫が桜の花びらの中に消えて衣1枚が残るエンディングの場面で、それまで流れていた『私のお父さん』からスイッチで流れますが、この透き通るような合唱に深い余韻が刻まれます。この曲は、第1幕の、古代のクニづくり遊園地のカニのメリーゴーランドのところでも明るい編曲で流れてました…(って、見てない人はなんのことやらですね)

象徴的な音楽が西洋音楽だったのと、『研辰_』の時に竹本を面白くつかったみたいな地方さんによる派手なパフォーマンスはなかったけれど、他の劇判はすべて下座がやっていましたし、それも歌舞伎らしい合方が入っていて、良い感じでした。
嘘の三名人が弥勒菩薩を彫るノミの音が調子をもって、いつのまにかお囃子みたいになるところとか、染五郎が得意の鼓を打ったりして可笑しかった。
サントラを出してほしいくらいです。

②七之助の好演。
もとより七之助贔屓の虫六ではありますが、この役は“はまり役”だと思います。
鬼女の本性を肚にもち、童女のような無垢な凶暴さを、輝く姫の姿で振る舞う夜長姫。純情可憐・清廉潔白な早寝姫とは一対で(イタロ・カルヴィーノの『まっぷたつの子爵』みたい)、夜行性で、太陽が照る青空の下には人が右往左往する様子ばかりを見つけてしまい、それをみて大喜びしているという、恐可愛い複雑な人格を、歌舞伎の型を使って演じるのだけど、これが自意識が出過ぎないし、とても綺麗に決まっていました。
「女形でなければ表現出来ない役」とすら思えてしまったのでした。

七之助が、これまで、演じてきたいろいろなお役が結実しているんだと感じました。
『妹背山婦女庭訓』のお三輪など歌舞伎の役柄はもちろん、いのうえひでのりが演出した歌舞伎NEXT『阿弖流為』(2015年)での立烏帽子と鈴鹿の演じ分けや、シアターコクーンでの「ETERNAL CHIKAMATSU ―近松門左衛門『心中天網島』より―」(2016年)の小春役(おー、このとき共演したのは野田MAP版『贋作 桜の森_』の夜長姫を演じた深津絵里だったりして)の舞台もフラッシュバックしました。
他にも思い出されるお芝居いろいろありましたが、それらとも違う芝居。

七之助がついに化けた、と感じました。

会場のどこかにいた(と思う)勘三郎さんも、おもわず唸ったのではないかな。
そして、それを引き出したのは野田秀樹さんでしたね。

③最後の場面の完成度
野田さんも、歌舞伎版に改訂するにあたって、歌舞伎要素をいろいろ入れていました。いつの間にか「鬼」のレッテルを貼られ、追いつめられた耳男が夜長姫の手を引いて逃げる場面では、花道に入ったら、今度は姫が先に立ち耳男の手を引っ張って引っ込んだりして「曽根崎心中」の有名な場面がオーバーラップしました。そのあとの大団円は、桜が満開で、ピンクの布が道のように交差しつつ張りめぐらされて、実に見事でした。その中で、耳男が、鬼女となった夜長姫を殺しますが、これは「殺し」というより「情死」の場面でのようでした。いえ、耳男は死にませんでしたが。

家に帰って、『贋作 桜の森の満開の下』の脚本を読んで見たのですが、これが驚くほどセリフに既視感がある。実はほとんど変えていないのでは?と思うほど。演出って凄いんだなぁ。

さて、この見事な舞台装置は、堀尾幸夫さんが手がけていて、堀尾さんはこれまでの野田歌舞伎やNODA・MAP、三谷歌舞伎、スーパー歌舞伎『ワンピース』も手がけている舞台美術家です。たしか、中島みゆきの「夜会」の舞台美術も堀尾さん。
今回の桜の花は、「歌舞伎のいつもの桜あり、新しいお芝居のための特別な桜もあり。舞台が桜に満ちていて、なかなかの風景でした。」(歌舞伎座舞台装置株式会社ホームページ)という現場の声もあり、なるほど、歌舞伎座にあった歌舞伎らしい桜とこの芝居のために作られた桜が融合していたんだと知りました。
歌舞伎そのものへのリスペクトも感じさせる美術でした。

実は、余りにも余韻を引きづり過ぎて、他の部を見る気になれず(虫六としたことが珍しい)、2日後に予定していた幕見並びを取りやめて、新宿に講談を聴きにいったのですが、

その帰りにふらふらと東銀座にきてしまいまして、そしたらちょうど幕見の席を片付けるところで、札止めが掛かるところだったのを滑り込んで、また見てしまいました…(゚m゚*)
110番なので、当然立ち見です。4階の立ち見。

2回みたけど、2回目も面白かった。今度は筋が入っていたので、見切りがあっても着いていけましたしね。

初見では、勘九郎の耳男に勘三郎の姿が重ならず、ああ、いよいよ勘九郎も当代の芝居をするようになったなぁと感慨が深かったのですが、2回目遠くからみていたら、ときどき野田さん風の芝居が入ってました(笑)。わざとか?

個人的には、勘九郎のニンではマナコの役の方が似合うような気がしました。座長なのでなかなかそういう分けにはいかないと思いますが、再演する時は、特別マチネで「勘九郎=マナコ」でキャスティングいかがでしょう。
壁・ドン・オオアマは染高麗で決まり。エナコ芝のぶさんも好演でした!

…で、耳男は誰に?…巳之助クンなんかどおですか?
(ハンニャ役、小粒な役ながらすごく存在感ありましたよ!)

別の日にシネマ歌舞伎の撮影隊が入っていたという情報もありましたので、上映されるようになったら、また見に行きたいと思います。

2017年8月11日金曜日

7月に読んだ本

7月の読書メーター
読んだ本の数:4
読んだページ数:869
ナイス数:3

役者七十年 (1976年)役者七十年 (1976年)感想
昭和50年に朝日新聞に連載された十三代目片岡仁左衛門の随筆集。東京と上方で活躍した十一代目を敬愛し、尊敬しながらしんなり成長していく御曹司の少年時代、「片岡俳優養成所」のこと、青年歌舞伎時代、関西歌舞伎不況時代の危機感から一家をあげて挑んだ「仁左衛門歌舞伎」と、ご本人の随想なのでいろいろ興味深く読めました。巻末の年表もうれしい。それにしても十三代目って嫌みのない良い人だなぁ。若い頃の美少年ぷりも麗しい。
読了日:07月28日 著者:片岡 仁左衛門

茶色の朝茶色の朝感想
普通に友人との会話を楽しみ、朝のコーヒーを味わっているような日常に、じんわりと染みてくる「茶色」。深く考えずに目先の「安心」や「安全」のために「茶色化」を受け入れている内に、自由を奪われ取り返しの付かない事態に追い込まれていく。やんわりした寓話なのに底知れない怖さがありました。西ヨーロッパに極右運動が広がっていくのをみて、あるフランス人が「茶シャツのヨーロッパ」と名付けたそう。フランス人は敏感だな。いま、私たち日本の暮らしも茶色に染まりはじめていることを自覚しなければならないと、ぞっとしました。
読了日:07月20日 著者:フランク パヴロフ,ヴィンセント ギャロ,藤本 一勇,高橋 哲哉

日本会議の研究 (扶桑社新書)日本会議の研究 (扶桑社新書)感想
何やらいつの間にか右傾化していく日本。やばすぎる現政権のバックボーンを知っておかねば…の気持ちで読みました。
読了日:07月15日 著者:菅野 完

帰る場所 (ビームコミックス)帰る場所 (ビームコミックス)感想
まだ駆け出し時代の近藤先生の短編集。まだ中世説話の世界観ではありません。いまならもっと筆を省略しているなとか、初々しさを感じる部分もありますが、コントロール出来ない心の陰を描き出す鋭さや、得も言われぬ神秘性など、紛れもない近藤先生の作品だと思いました。
読了日:07月09日 著者:近藤 ようこ


読書メーター

重森三玲の庭園_岸和田城「八陣の庭」

せっかく大阪まで来たのですが、虫六には時間がありません。翌日の2時には関西空港第2ターミナルで搭乗手続きをしなければならないので。
でもせっかくなので、大阪と関空の間に何かないかなということで探したところ、あった!重森三玲の庭園がありました!

岸和田市の中心(?)岸和田城。天守閣は文政10(1827)年に落雷で焼失し、維新期には櫓・門なども破壊され、近世以前からの構造物は堀と石垣だけだそうです。石垣、凄く立派でした。天守閣が再建されたのは、戦後の昭和29年です。

そして、このお城の庭が重森三玲が作庭した「八陣の庭」。重森の作品の中でも最大級のスケール。しかも、作られたのは、天守閣が復元される以前の昭和28年だったそうです。
じっくり見たかったんですが、雨がね…。

戦後間もない時期だったので、二度と戦争のない平和な世界を願って、『三国志』で名高い軍師・諸葛孔明の守りの兵法「八陣の兵法」をテーマにしたとのこと。
天守閣が再建されることが決まっていたのと、飛行機が飛び交う時代の到来を考えて、天守閣や空からの眺望を意識して作られたんだそうです。網越しがちょっと残念ですが、スッキリした概観は捉えることができました。
(「重森三玲の庭案内」平凡社 2014年 より)

ひえー、雨が、雨が襲ってくるよー!っていうんで、慌ててピーチに乗り込みました。(舞台でも雨が降っていたなー、と)仁左衛門の余韻に浸りながら、大阪、さらばー。



2017年7月17日月曜日

大阪松竹座7月、仁左衛門『盟三五大切』

しつこいですが、もう1回貼り付けておきましょう。このポスターを。




大阪松竹座新築開場二十周年記念 七月大歌舞伎
関西・歌舞伎を愛する会 第二十六回
 平成29年7月3日(月)~27日(木) *虫六観劇日は4日

【夜の部】
一、舌出三番叟(しただしさんばそう)

 三番叟 鴈治郎
 千歳 壱太郎

四世鶴屋南北 作 郡司正勝 補綴・演出 織田紘二 演出
通し狂言
二、盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)
序 幕   佃沖新地鼻の場/深川大和町の場
二幕目   二軒茶屋の場/五人切の場
大 詰   四谷鬼横町の場/愛染院門前の場

 薩摩源五兵衛   仁左衛門
 笹野屋三五郎   染五郎
 若党六七八右衛門 松也
 芸者菊野     壱太郎
 ごろつき勘九郎  橘三郎
 仲居頭お弓    吉弥
 富森助右衛門   錦吾
 芸者小万     時蔵
 家主くり廻しの弥助/出石宅兵衛 鴈治郎
 同心了心     松之助


『盟三五大切』は、江戸時代後期に活躍した戯作者・四代目鶴屋南北(大南北)の作品で、『忠臣蔵』の外伝として作られヒットした『東海道四谷怪談』の、そのまた続編として書かれた作品だそうです。南北お得意の“綯い交ぜ”の世界観。

あらすじはこちらをご参照ください。(Kabuki on the web >盟三五大切

昭和51年に国立小劇場で、辰之助の源五兵衛、孝夫の三五郎、玉三郎の小万で、136年ぶりに上演され復活しました。仁左衛門が源五兵衛を演じるのは平成20年(歌舞伎座)、平成23年(松竹座)以来、3度目とのこと。はまり役のイメージでしたので、もっと沢山やっているのかと思っていました。

とはいえ、虫六のわずかな観劇経験ではこの作品を観たのはたった1回、平成21年の新橋演舞場(染五郎の源五兵衛、菊之助の三五郎、猿之助の小万)のみで、その時はこんな面白い芝居もあったんだと喜んでいたのですが、前年の歌舞伎座の大本命舞台は見逃していていたわけで_| ̄|○ 個人的に…待ちに待っていた公演だったわけです。

【ここからネタばれ】(これから観られる方はご注意を)

感想を率直に表現すると、『盟三五大切』とはこういう芝居であったのか!!!!!という衝撃。歌舞伎は、役者の解釈や演技力よって同じ型で演じても見え方が違うということは知っていましたが、こんなに奥深くまで面白さが凝縮した作品であったとは…。

主人公の薩摩源五兵衛(仁左衛門)は、元は塩冶家の侍で実の名は不破数右衛門(はい、「人切り」のフラグが立ちました)。盗賊に藩の預かり金を盗まれるという失態を犯して、浪人の身になっていたところに、あの殿中での事件が起きて藩がお取り潰しになってしまい、なんとかお金を取り戻して討ち入りの仲間に加わりたいという大願があります。
それなのに、「妲妃(だっき)」の異名をもつ芸者の小万(時蔵)に入れあげて、家財道具も売り払う始末…。しかし、小万には船頭をしている笹屋三五郎(染五郎)という札付きの悪い亭主がいるのです。女房を悪所に落として稼がせておきながら、ときどき舟で連れ出して乳繰り合っておるのです。

一方、源五兵衛のあばら屋には、六七八右衛門(松也)という若党がいて、旦那が大願を果たせるようにと心を砕きながら献身的に仕えています。

三五郎→源五兵衛→六七八右衛門→ついでにごろつきの勘九郎なんてもでてくる。双六みたいですね。上がりは小万か!大南北の遊び心でしょうかね。

さて、家財道具をすっかり持って行かれる場面では、仁左衛門は、源五兵衛に大らかな性格を覗かせます。八右衛門は困りはててお小言をいうのですが、気にせず横になって肩肘ついて小万のことでも思い出しているのか鼻の下を伸ばしています。
あぁ?このポーズみたことあるぞ、『女殺油地獄』の与兵衛が親からお小言をもらっているときに上の空で算盤はじいてる、あのポーズですね。与兵衛はぼんぼんで救えないような不良でしたが、源五兵衛はいい人そう。放埒な気質ながら、器量の大きい人物と感じさせます。前段では声のトーンもやや高め。

叔父の富森助右衛門から仇討ちのためにと源五兵衛が百両を受け取ったことを知り、この金をだまし取ろうと小万と三五郎はごろつき仲間と身請け話の下手な芝居を打ちますが、このお芝居の場面がドリフのコントのようで、劇中劇のようで、安っぽさが際立ってとても可笑しかった。
小万は腕に「五大力」(江戸時代に女性が恋文の封じ目に記すおまじないの言葉)って刺青をして、源五兵衛に本命愛のシグナルを送っていて、彼もそれを真に受けていたので、ここでは小万を自由の身にしてやり晴れて自分の女房にと、大切な金を渡してしまうのです。

…ところが、小万を連れて帰ろうとすると、「小万には、亭主がいるから夫婦にはなれねえよ。その亭主とはこの三五郎さ」と…。
「えっ?」(俺は美人局に引っかかっていたのか…)この張りぼての屋台が一瞬で崩れるような無情感。お金は失ってしまったし、取り返しつかないよ、…慙愧と悔しさの表情に飲まれて、場内一同息が詰まりました。

そのあとの五人切りは、凄まじい殺気でした…怖ぇえええ(||li`ω゚∞)

染五郎は、新橋(H21)では源五兵衛を演じていました(これは比較するのはやめときます)が、今回は三五郎。このお役は、新橋では菊之助でした。三五郎という役も役者で印象が随分変わるものですね。菊之助のはクールで色気があって腹が読めないような都会的なワルという印象だったのですが、染五郎のはもっと場当たり的で太々しいけれど根はそれほど悪い奴じゃないというか、ヤンキー臭い感じ?

三五郎にも実は正体があって、父・徳右衛門(松之助)は不破数右衛門に仕える家来で、いまはお岩稲荷勧進の僧了心となって、主人が討ち入りに加われるようにお金を工面してまわっているのですが、三五郎はその父に勘当された身で、だまし取った百両を渡して勘当を解いてもらおうとしていたのです。源五兵衛から奪った金は、実は源五兵衛へ渡すための金であったという皮肉。百両をめぐって回る因果、良くできた話ですね。

私は『義経千本桜』三段目「すし屋」の小悪党・いがみの権太を思い出しました。三五郎も「もどり」の役で、最後は…という場面があるのですが、そういう意味では染五郎の三五郎は破綻がないように感じました。

あの話は、すし桶に生首が入っていて取り違えがおきる話でしたが、三五郎と小万が引っ越して来た長屋(ここが『四谷怪談』でお岩さんが住んでいた部屋という設定)に二人が運び込んだ巨大な桶が異様でした。
筋書きには「四樽」とありますが、明らかに大きいし、風呂桶なのか棺桶なのか用途不明なのに狭い部屋にでーんと置いてある。
しかも、芝居の上ではこれは大変重要な小道具です。(あー、この中で人が死ぬんだなぁ)と。
「すし屋」の世界も綯い交ぜになっているんじゃない?というのは、虫六の私見ですけど、この歪なオーヴァーラップ感が作品を面白くしていると思います。

さて、仁左衛門ですが、大らかな男意気をみせていた前段と、騙されていたことを悟り、恨みを火種にした青白い炎みたいになる後段の落差が凄いです。

目がね…目だけがね、ギラギラしているんですよぅうう(||li`ω゚∞)。生気なんか感じられない蒼白な顔でいつの間にか現れて、でも、目だけはギロリと殺気を帯びていて、怖いなんてもんじゃない。
全体の照明も薄明るい絶妙な暗さ。嚇かす要素は何もないけれど、怖い。なんとも言葉にできない冷たい存在感。

この領域に達した役者を他に知らない虫六でした。

そういえば、この前段にもコントめいた場面がありました。お岩さんの幽霊長屋の大家・弥助(実は小万の兄)は、幽霊話の噂を流し、自ら幽霊に化けて脅かしては引っ越してくる住人から金を巻き上げていたのを、幽霊なんか怖くもない三五郎夫婦にばれてしまうという下り。怖いのは幽霊じゃないんだよ〜という。緩急の効いた芝居です。

そして、なんといっても一番の見せ場は、この長屋での、小万殺しの場面。

夫婦の毒殺計画に失敗して、小万の腕の刺青が「五大力」から「三五大切」に上書きされているのを見て、怒りを抑えられなくなり、凄惨な殺し。三五郎との間に生まれた赤子の命乞いをする小万に刀を握らせブスッ、帯も解かれて、髪も振り乱した小万を容赦なく首ごとバッサリ。(何度も唾を吞み込みました。)

そして、切り落とした小万の首を帯で包むと、それを懐に入れて花道にでます。雨の音が耳に入り、バッと一気に傘を開きます。(しかも、これ目の前なんですよ。虫六の席は…)この間が絶妙でした。はっと我にかえりました。
いや、もっと深いところに連れて行かれたのかも知れない。

…そして、小万の生首を大事そうに腕に抱え、じっと見入って、とてもとても愛しげな表情を見せるのです。(ああぁ、源五兵衛という人は本当に小万に惚れていたんだ。そして、その思いが源五兵衛をここまで追い込んでしまったんだな)と、そのやるせなさに涙腺ダム決壊。

最初に貼り付けましたポスターの黒い方がこの場面ですが、この写真では仁左衛門の表情はやや微妙で、そこまでの思い入れを見せていないように思えるのですが、虫六が見た日の舞台でのこの場面では、明らかにそういう表情をしていました。そして、その表情に深い感動を覚えました。仁左衛門の現代性、解釈の深さじゃないかと思います。

そして、この全ての所作が、姿が、美しいのです。

この度の公演は、他の役者さんも大変粒ぞろいでした。
染五郎の三五郎は上記しましたけれども、時蔵の小万も根っからの悪婆というよりは、悪に染まってはいるけれど、心根は惚れた男に一途な女という可愛いさが芯となっていて哀しさがありました。
そして、この芝居で殊勲賞を差し上げたいと思ったのは、松也の八右衛門。上手い!と思いました。旦那の身替わりでお縄になるところなんか、すごく良かった、感情移入しちゃいました。最初の頃のバタバタした場面も松也の演技で締まった感じになりました。実力がついていることが目に見えてわかり、とても頼もしく感じました。

最後は、三五郎の「もどり」があって、百両と吉良家の絵図面が手に入り、討ち入りの一味に加わることになって、ちょんと柝が入り、パッと地灯りがついて芝居が終わり、「本日はこれぎり〜」と。この幕切れの後味の良さね。
暗い夢の世界から釣り上げられたようでした。

客席を離れる列で、ご常連らしきご婦人たちが「『三五大切』ってこんないい芝居だった?素晴らしいなんてもんじゃないね…」と。同意でございます。


大阪に住んでいたら、どんな手を使ってでも再見していたであろう満足感いっぱいのお芝居でしたが、まずは、大事な舞台を見逃さなかった自分を褒めてやりたい気分で、帰りはビーフカツレツ定食を京都麦酒つきでおごってやりました。自分に。
(よくやったー!オレ)

*すみません。忘れたくないという思いで、長文の感想を覚書きしてしまいました。
歌舞伎座で掛けてくれませんかねー、松竹さん!