2011年3月20日日曜日

市民は粛々と不自由な生活をやりくりする_3月17日震災7日目

ガスパ家にご厄介になるようになり、我々の食生活は普段より充実しています(爆)

朝ご飯。

少し雪が積もっているけど自転車で出発。
あちらのスーパーもこちらのスーパーもものすごい行列。しかし、立ち寄らずに帰宅。中学校からまだ連絡なし。テレビでみずほ銀行のシステムトラブルのニュース。ここで現金が下ろせないのは「弱り目に祟り目」。すかさず近くの銀行に走る。
銀行の近くのケーキ屋さんに人が並んでいたので聞いてみると、パンを売るという。とりあえず並んだら、最初に35個のライ麦パンを焼くというので整理券をもらう。ラッキー。
しかし、開店の時間まで30分以上あったけれど、いっしょに並んでいたご婦人達と濃密な情報交換。野菜を手に入れた八百屋さんとか、どこのスーパーではどういう売り方で何があったとか…。この難局を乗り切るためのいろいろ親切な知恵袋などもあり、なんだか人情厚いコミュニケーションだなぁ。
東北の人たちは我慢強いというか、理性的だと思う。

パン、ゲット!旨そうな匂いです。
今度は、家人Tが一番町の「仙台マルシェ」に山形の生産農家が野菜を売りに来るという情報を得て出かける。しかし、3キロもの列が出来ているということで、断念。別の野菜やの行列が比較的短いというので、そちらで買い物してくるとのメール。

ガスパママの会社で避難所の被災者に古着を送るというので、我が家の服を集めて供出することに。大きいビニール袋2つになる。このところ寒いので、一刻も早く届けて欲しい。

量もあるし、激込みのバスで運ぶのは無理と思い、直接会社に届けることにした。虫六子と自転車に1袋ずつ積んで出発すると、大雪。
なんで、いまごろこの気候ですかー。避難所の方々、どんなに寒いことか…。

途中で壊れたガラス窓や盛り上がった道路など、地震の傷跡を垣間見る。
でも、意外に倒壊したビルなどは市街地ではみない。宮城県沖地震に備えて、防振対策をしてきた効果なのではなかったか。その想定を遙かに超えた地震ではあったわけですが…。

市役所や県庁の脇を通っていくが、緊急車両やテントなどが見える。
高速バスのターミナルにもの凄い長蛇の列。人がごった返している。S市脱出ですか。

帰り道、ドラッグストアが開いていたので滑り込みで入店。花粉症用鼻クリーム、風邪薬、洗剤等を買っておく。

帰宅後、片付けのつづき。
仕事部屋をなんとか片付けて、パソコンをつないでみる。
無事に繋がって、一安心。良かった〜!

ガスパ家に雪道を歩いて買える。

今日の晩ご飯。カレーライス。

夕食中、兄から携帯に電話。
原発がどうなるか分からないが、いざというときは仙台方面に逃げるから、両親を受け入れろと。「なんとでもする」と返事。ガソリンが無くて、動くに動けないらしい。
胸騒ぎが収まらない。明日中に部屋に空間を作らなければ…。

明日明後日は、Tが出勤でY形県に行く。バスが動くのか、ちゃんと帰って来れるのか、それも不安だ。

原発が心配だ。日本はどこまで壊れてしまうのだろう…。



2 件のコメント:

  1. ブログ復旧、まずは、おめでとうございます。たいへんな状況下、肉声が聞こえるようなレポートで、真剣に読みました。テレビ報道ではわからないことばかりと感じました。でも着々といろいろなことが息を吹き返しているようで、こちらも元気がでてきます。まだまだ紆余曲折はあると思います。レポート、よろしくお願いします。

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  2. >zatugeiさん
    S市では不自由ながらもいろいろ工夫して元気を取り戻しています。ガソリンがないのが、暮らしや経済活動の復旧にブレーキをかけているように思います。でも沿岸部の被災地のみなさんに少しでも支援の手が届くように、こちらはもう少し我慢ですが、しょうがないと思います。
    それとは原発はそれとは別次元の恐怖です。

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