2016年7月7日木曜日

京都66,902歩のマーチ(5)_重森三玲のお庭探訪・大徳寺瑞峯院

さて、松尾大社をあとに阪急嵐山線とか市営バスとか乗り継いで向かった先は、龍寶山 大徳寺
大徳寺は、京都市北区紫野大徳寺町にある臨済宗大徳寺派の大本山(正中2年(1325年)に正式に創立)で、京都でも有数の大きな禅宗寺院。境内中心には勅使門から山門、仏殿、法堂(いずれも重文)、方丈(国宝)と南北に並び、その他いわゆる七堂伽藍が完備しております。桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立、併せて寺領を寄進したことで、それを契機に戦国武将が競って塔頭を建立したということで、別院2ヶ寺、塔頭22ヶ寺が境内に立ち並んでいます。そして、その多くが美しい庭園を誇っています。

で、虫六が向かったのは大徳寺の塔頭のひとつ「瑞峯院」であります。
九州のキリシタン大名として知られる大友宗麟が自らの菩提寺として天文年間(1532 - 55年)に創建した寺院。そして、瑞峯院開祖400年遠忌の昭和36年(1961年)に65才の重森三玲が、日本庭園の研究会(京都林泉協会)30周年記念事業として会員から寄付を募って作庭した作品です。

重要文化財の方丈の南庭は「独坐庭」。雲門禅師の『独坐大雄峯』の禅語に因んで命名された枯山水庭園です。蓬莱の山脈にむかって点々と島が連なって、それを中心に大筋の砂紋が、やや粗粒な白砂で描かれており、波のうねりが荒々しく迫ってくるようであります。

少し斜め前から、奥に鎮座する蓬莱山の石組とそれに連なる島々の横石組。

「独坐庭」とは「一人この山に住み、座しているだけ」という意味だそうです。築山の刈り込みの丸い樹木の存在感が…達磨禅師のようです。( ̄◆ ̄;)…だるまさんは関係ないけど。

パノラマ撮影してみました。
海辺で波の変化をみていたり、空を渡る雲の成り行きをみていたりするのって、飽きない上に心穏やかになってしまったりしますけども、この縁側に座っていたら、なんだか安らかな気持ちになりいつの間にか時が過ぎていきました。けっこう他の観光客の方々もゆっくり座り込んでいました。

「独坐庭」の西側は茶室の前庭になっていて、苔と白砂に飛び石のみの構成です。

くるりとまわって北側の庭は、7つの石を十字架に配したという「閑眠庭」。大友宗麟の菩提寺として創建された寺院ではありますが、宗麟が晩年にキリスト教の洗礼を受けたことに因んだそうです。飛び石が手前にありますが、頭の出た石が十字に見えます。知らないと見逃してしまいそうな控えめなデザインです。

南庭に比べて狭いけれど、こんなお庭も見たことないですね。キリスト教をテーマにした日本で初めての日本庭園だそうです。この直線の白州は何を表現しているのでしょうか…。
大徳寺にはほかにも拝見したいお庭は沢山あるのですが、なかでも大仙院庭園はぜひ見たかったのですが、この日は拝観日でなかったので、悔し涙を飲み込んで、そろそろ帰途につくことにしました。

家人Tとの待ち合わせは、京都河原町丸太町の書店「誠光社」
なんじゃーこの棚は!!?新刊と中古本が混在するエキサイティングな棚構成。
こんな本が出ていたのかと誘惑されるままにうっかり買いそうになるけど、う、ここは京都だぜ…と書名を暗記してブレーキ踏みました。
凄い本屋があったもんだ。

まぁ、今日中にS市に帰らなければなりませんから、晩ごはんは新幹線の中で。いつもは鯖寿司…ってパターンですが、今日は鱧天丼でしたー。うまー。

帰宅してぱんぱんの足のむくみに限界を感じながら、今日何歩あるいたかな—と見てみたら、18,573歩でした。

京都の3日間で歩いた歩数、合計 66,902歩。
がんばったなー。

参考文献:
「重森三玲の庭案内」別冊太陽の地図帳026(平凡社 2014年)
「重森三玲 永遠のモダンを求め続けたアヴァンギャルド」シリーズ京の庭の巨匠たち1(京都通信社 2007年)

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