2013年8月28日水曜日

七之助の「春興鏡獅子」その1_歌舞伎座新開場柿葺落 八月納涼歌舞伎

虫六子の大学見学に付き合って上京したので、景気づけに2人で新開場の歌舞伎座八月納涼歌舞伎を見に行きました。



本来の目的の都合上たっぷり時間があるわけでないので、拝見したのは第1部のみでした。虫六子にとっては昨年3月の平成中村座以来の歌舞伎見物です。あの時の、雪だるまの勘三郎丈と平成中村座の舞台のバックヤードが開いてスカイツリーが見えた瞬間は今も忘れられないと言っておりました。(雪だるま…印象的だったらしい)


歌舞伎座新開場柿葺落八月納涼歌舞伎
平成25年8月2日(金)~24日(土)

【第一部】
新版歌祭文 一、野崎村(のざきむら)
   
  お光   福 助
  久松   扇 雀
  お染   七之助
  久作   彌十郎
  後家お常 東 蔵

二、新歌舞伎十八番の内 春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)
   
【2日~13日】  小姓弥生後に獅子の精 勘九郎
【14日~24日】 小姓弥生後に獅子の精 七之助
  胡蝶の精 虎之介
  胡蝶の精 鶴 松
  用人関口十太夫 宗之助
  家老渋井五左衛門 由次郎

ちなみに、【第二部】は「梅雨小袖昔八丈(髪結新三)」と「色彩間苅豆(かさね)」で、【第三部】は「江戸みやげ 狐狸狐狸ばなし(こりこりばなし)」と「棒しばり」だったのですが、今回は残念ながら見ることができませんでしたので省略。
(虫六子は「棒しばり」が見たかったそうな…、けっこう渋いですね。でも、また見る機会はあるでしょう)

…それにしても、この舞台の千穐楽後、休演を発表した三津五郎さんの容態が心配です。身体共に大きな負荷が掛かっていたのではないでしょうか。とにかくしっかり回復されることを心からお祈りします。ほんとにほんとにお祈りします。


「野崎村」は、
いつもはなんだかお光に感情移入のパターンですが、今回はそれぞれキャラが立っていて、良かったです。

お光(福助)が髪を整える場面で(なんの具合が悪かったのか)‘簪’がしっくり入っていかなかったようで途中で不安定な格好になりまして、そこを福助丈が何気なく抜いて、自然な小道具として使っていたのが、上手いなぁと感心しました。さすがだな。
それで観客としては、なんだか髪に目が行ってしまったわけなんですが、お染が登場すると髪には華やかなビラビラ簪…いかにも大店のお嬢様って感じが簪の比較で伝わってきて、物語を象徴しているような印象をもちました。髪だけでなく、着物や化粧や言葉使いなど対照的に造形されているわけですけども。
七之助のお染は、いいとこのお嬢ちゃんというだけなく、憎めない感じでかわいかった。
それにしても、福助丈はおきゃんなというか、こういう「びびびびびー!」な役がはまりますね。いそいそしたり焼きもち焼いたりして、いい娘なんだけど、恋では負けてしまうのよね…。
尼寺になんか行かなくていいぞ〜!人生は長いぞ〜(←お光に捧げるエール)

で、つまりは 七之助贔屓なんでしょ!?  と言われれば身も蓋もありませんが、なぜ【1部】を選んだかというと「春興鏡獅子」を見たかったからであります。今月は、勘九郎と七之助兄弟が中日で交代して演じるので、できれば両方見たかったけど、さすがにその願いは甘かったですかね。チャンスをうかがう間もなく今月前半はあっというまに過ぎました。
…しょうがない。
虫六子の予定に会わせると、なんと(!)千穐楽を狙うしかなくて、ここだけはなんとかゲットできました(奥の手で)。しかも前から四列目の真ん中やや花道寄り。…こんなところでラッキーを使ってしまっていいのか?俺たち親子。

何はともあれ、中村屋の鏡獅子であります!
この「春興鏡獅子」は、彼ら(勘九郎・七之助)にとって外曾祖父にあたる六代目菊五郎が初演し、祖父の十七代勘三郎に伝わり、父の勘三郎も襲名公演で、兄・勘九郎も襲名公演で演じたという、中村屋にとっては大事な演目のようです。兄の襲名公演では七之助は後見をしたんですよね。(みたかった〜!!)というわけで、満を持して七之助の七之助による「春興鏡獅子」なわけです。
(…と思ったら、平成17年に浅草公会堂の新春歌舞伎で亀治郎とのこれまた競演でやっていました。これも見たかったですね…)

舞踊のことは詳しくないので大ざっぱで恐縮ですが、「春興鏡獅子」のミニ解説。

前半は、舞台は大奥でお正月の鏡曳きの余興に、弥生さんという踊りの上手なお小姓が将軍の御前で舞を披露していて、いよいよお供えしてあった獅子頭を手にして踊り出すと、どこからともなく蝶々が現れ、その蝶々を追って獅子頭が勝手に動き出して押さえられなくなり弥生を向こうの世界につれて行ってしまう。
弥生が姿を消すと、胡蝶の精が現れて舞を踊り、また舞台の後ろには七枚七挺の長唄とお囃子が控えて、聞かせどころを演奏してくれます。
そのあと、大薩摩というお三味線のハイテク演奏が入り、お囃子の乱序となり、花道から後シテの獅子の精が登場して、華麗にして勇壮な獅子の狂いの舞を見せるというものです。

ちなみに、「唐獅子牡丹」という言葉がありますが、獅子(百獣の王)、牡丹(花にたまる露が寄生虫の特効薬と言われている)、蝶々の組み合わせは、中国由来の定型化された画題のようです。

同じ舞い手が、たおやかな弥生と勇壮な獅子の精を舞い分けるところに技量が必要とされるのだと思います。

ちなみに、「(なんとか)獅子」という演目は「石橋もの」と言われていて、能楽の「石橋」をオリジナルとして様々な作品が作られているのです。ヤクの毛で作ったふわふわの鬘をぶんぶん振り回すのが獅子の狂いですかね。「越後獅子」は石橋ものではありませんけど、晒しの合方などは、獅子の狂いの変型なのかな?と思うとちょっと興味深いですね。

以前に染五郎丈が演じたときに「ついに高麗屋にも弥生を演じる役者が出たか」と言われたという話を聞いたことがあるし、例の事件から復活した時の海老蔵も演じていましたね。虫六の地元で沢山のお弟子さんをもつ日舞の偉い先生一門の発表会を拝見したとき、大トリで代表の先生がこれを踊られたのですが、終演後に知り合いの地方さんの楽屋を訪ねたら、踊り終わった先生が這這の体で3人もの男衆に抱えられてやっと舞台裏に降りてきた光景を間のあたりにしたことがあります。それほどキツイ踊りなんだと思います。

あぁ、肝心の感想の前に蘊蓄が長くなってしまいました。
とりあえず、つづきはまた明日ってことで…。

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