猿舞座の村崎修二さんが『愛猿奇縁 猿まわし復活の旅』(解放出版社・2015/4/15)という本をまとめられました。
猿舞座とは虫六も浅からぬ縁があり、編集に加わった上島さんを通じて1冊いただいたのでさっそく拝読させていただきました。思い入れもあるので、客観的な書評は書けないですが、少し長い感想文を忘備録として書き付けておこうと思った次第です。文中、村崎修二さんは「修二さん」、村崎耕平さんは「耕平君」と表記します。
あ、ちなみに長いので興味のない人は読み飛ばしてください。これよりもどうぞ本書を読んでください。
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まず、表紙の写真に向かいます。ん?…修二さんの顔が何やらしんどそうで、30年の艱難辛苦を象徴しているということなのかと、初っぱなから苦笑いであります。あーあ、仙水君(かな?)、ちゃんと箱山に登らないで、修二さんの手の上に腰掛けてさぼっているし…。
さてさて。
本書は、雑誌『部落解放』に不定期連載されたという対談と、2012年に国立小劇場で実現した小沢昭一さん・織田紘二さん・村崎修二さんによる鼎談の載録を核に、長年猿舞座の旅に同行してきた上島敏昭さんの「同行記」、そして大阪人権博物館の学芸員で本書のホスト役でもある太田恭二さんの猿まわし復活における回想と解説文、そして猿舞座年表という構成になっています。
対談は、修二さんの猿まわし復活の旅を精神的・理論的に支え先に導いた伴送者と言うべき方々との対話です。
猿まわしは、鎌倉時代から馬の厄を祓うという信仰とともに江戸時代を通して伝承されていた芸能でしたが、戦後ほぼ絶滅していました。しかし、かつて猿飼いの集落があった山口県光市にはまだ数人の猿使いが高齢ながら存命していて、それを発掘したのが俳優の小沢昭一さんです。小沢さんの熱意ある働きかけでその復活に取り組んだのが村崎義正さん修二さん兄弟を中心とする村崎一族であり、この復活劇に果たすべき使命を与え、導いたのが民俗学者の宮本常一さんと動物学者の今西錦司さんでした。二人の巨星が動いたことで、猿まわし復活プロジェクトは、「芸能」活動の枠を超えて、「民俗学」や「歴史学」、また「サル学」などの自然科学という学問体系(しかも超一流の)から研究対象としての支援を受けて動き出すことになります。一方、猿まわしに限らないわけですが日本の芸能は被差別階級の人たちが担ってきた歴史があり、もともと遣り手の人権活動家であった修二さんにとっては猿まわしの復活も同じバックボーンに支えられての取り組みだったという側面もあります。また、修二さん自身が若い頃は役者志望だったという経歴や人なつっこいキャラクターも芸人として外せない大切な個性で、それらの人的な交流も大きな支えとなっているようです。
1匹の芸猿というパスポートを連れて、修二さんは芸能と自然科学、都市と在郷、現代と過ぎ去った時代…を自在に横断できる現代社会においては希有な存在です。このような、ある意味“異様な立ち位置”にあることの経緯と意義が今回の対談の内容として繰り返し語られています。
普段から修二さんはとても話好きで、すこし関わりをもったことのある人ならこれらの話の断片を聞かされた経験はあると思うのですが、ぽんぽんと登場する名前もどこかで聞いたことのあるビッグな人だったりするので、それが芸能者にありがちな“盛られた話”なのか、どこまで本当なのか判別がつかないことがあったりします。でも、このような本の形になり整理していただくと、ほとんどは意外にも(?)リアルな話だったのか!と合点することも多いと思います。
対談の最初のお相手は、“猿まわしを初めて論文にした人物”である織田紘二さんで、猿まわしの歴史や復活のいきさつのところから語っています。国立劇場のプロデューサーで『桜姫東文章』や歌右衛門の『阿古屋』を玉三郎に渡すなど復活歌舞伎の仕掛け人でもあり現代の伝統芸能を牽引している人物が、実は猿まわしからスタートしているということを知ると感慨深いものがありますし、とても勉強になる内容でした。また、チンパンジーのアイ・プロジェクトで有名な浅野俊夫先生は、当時、京都大学霊長類研究所と猿まわしの共同研究に参加していたという関係。サル学者たちが猿まわしの何に興味をもっていたのかが浮き彫りになりましたし、研究所との関係のなかで、修二さんの『おサルの学校』という風変わりなプログラムができていったその種明かしのような話でもありました。長年共演してきた高石ともやさん、芸能の上で密接な関係を持ってきた佐渡の太鼓集団「鼓童」の青木孝夫さんとも話題は尽きません。
さらに、国立劇場小劇場での鼎談の採録は、猿まわし復活の切っかけをつくった小沢さんの最後の証言となっていてとても貴重です。本当はもっと語って欲しいことが沢山あったのだろうけれど小沢さんが亡くなってしまった今ではかなえることができず残念でしかたがありません。個人的にはこんな舞台があったのに見にいけなかったのがこれまた悔しかったな。(悔し紛れに、いまこの感想文を書きながらCD版『日本の放浪芸』を聞いてます。小沢さんの声、若っ!)
ところで、ここまでの話は、なぜ本仕込みの猿まわしを復活しなければならなかったのか、の“大義”というか“いきさつ”に関わる内容が中心で、現代の猿飼いである村崎修二が見て来た世界がどんなものだったのか、猿まわしを現代に復活するということはどういうことだったのかという核心部分への言及はあまりない気がします。そういう意味では、修二さんがまとめるべき仕事はその先にあるのだろうし、それはなかなか他の誰かが手を出せない領域という気がします。
かわいいい猿まわしだけ見てもなかなか判らないけれど、常に猿と共に生きなければならない猿飼い芸人である修二さんの人生は、とても制約されていて、それは家族にも及ぶものです。また、個性の違う1匹1匹の猿の成長にあわせて、仕込む芸も違ってきますし、それにより演じる内容も変えなければなりません。大切に育てた芸猿との死別も経験せざるを得ません。それは積み重ねた芸の資本を失うことでもあります。
さらに、なにより野生動物である日本猿を飼い慣らすのはとても大変です。修二さん自身も命にかかわるような危険な目にあっています。観客の安全を確保しなければならない緊張感を常に抱えながら、しかし猿が受けるストレスをケアしつつ、人前に連れ出し上手に芸をさせる。そして、どんな芸態なら猿が自然で可愛くみえるか、複雑で手間のかかる「本仕込み」にこだわって、修二さんは悪戦苦闘しながら、ながい修練の旅をしてきました。猿まわしでなければ見えないことが沢山あるんだろうなと思います。
(そして、そんな大変な仕事を後継しようと決心した耕平君の勇気も素晴らしいと思っています。)
だから、浅草雑芸団の上島敏昭さんがまとめている「同行記」はとても貴重で読み応えがあります。旅の内側からみた実際が感じられ、難しさや試行錯誤が伝わってきます。それでいて上島さんの客観的な視点もいい。もしかしたら、当事者である修二さんではこうはまとめられないのではないか…とすら感じました。想像以上の艱難辛苦、まさに表紙の写真のあの表情が語る仕事なんですね。
(後編につづく)
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