2017年5月29日月曜日

長編ドキュメンタリー映画「歌舞伎役者 片岡仁左衛門」

ずっと見たかった十三代片岡仁左衛門の長編ドキュメンタリー映画。全編6部を、5月3日(水・祝)、12日(金)、16日(火)と3日に分けての上映会。

東京や大阪で上映して話題になっていたのは知っていたものの、あまりの長編ゆえに数日に分けて組まれる日程に上京する身としては諦めざるを得ず、また、マイナーな記録映画ではあるので仙台での上映はまず無いだろうなー(´O`)°゚と諦めていたのでしたが、まさかの全編上映!とりあえず休みをもらって万障繰り合わせて観て参りました。
これを見逃したら一生見られない(!)と思ひまして。
以下、ツイッターで覚え書きのつもりで連打してた内容とだいぶ被りますが霧散防止のためまとめておきます。

それから、基本的にネタばれの記録です。これから見る方はスルーしてください。
(ちなみに文末にご紹介しますが、なんと、この上映会が好評だったので、7月にアンコール上映会が決まったそうです!)



5月3日(水・祝)

会場の緑水庵はビルの谷間のお茶室です。和室にスクリーンを設えてのこじんまりした上映会。こんな形でも拝見することができて、主催者(「右岸の羊座シネマテーク」、実質的には「仙台映画村」とのこと)に感謝。お客さん、20人…いたかな?
(文中、十三代仁左衛門は「仁左衛門」あるいは「十三代」と表し、十五代仁左衛門は「孝夫」「十五代」「当代」としています)

第一部「若鮎の巻」
十三代が指導監修をしてこられた「若鮎の会」の稽古風景から本公演まで。音にこだわり、間を口伝えに、穏やかだけど厳しい指導。普段、脇役しか付かない家の出でない若い役者に丁寧に教える。芯の役をやった経験が脇に活かされるという仁左衛門さん。それを側で支える長男の我當さん。

一条大蔵卿の稽古をつける仁左衛門。公家言葉のニュアンスにこだわり、繰り返しダメを出す。若いうちに義太夫をやると早く飲み込めるんだが、今の人にはなかなかそこまで言えないと。3時間半ぶっ通しで稽古つけて、弟子に手をとられて稽古場を去る。

第二部「人と芸の巻 上」
仁左衛門晩年(84〜88歳)の3つの舞台映像。最初は「沼津」の絶品平作。相手方・十兵衛は孝夫。情に溢れた舞台で記録映画なのに泣きそうになった。この役は我當さんに継承されたんですよね。亡くなる前に十三代の「沼津」観たかった…。

次は国立劇場での『神子仕立両面鑑』「大文字屋」の場。舞台稽古と本舞台。義太夫が大好きだった十一代仁左衛門が舞台化した片岡家所縁の演目。舞台の下から演出をつけながら自然にセリフが出て手足が動く。身体が覚えた芸。国立なので織田紘二さんが舞台監督(?)してる。若っ!

最後は京都南座の顔見世『寿曽我対面』の工藤祐経。セリフ回しひとつで五郎役が演技しやすいようになるとの芸談。この年仁左衛門は南座の顔見世に35回連続出演を果たしたということで、劇場から表彰され、同時にそれを支えた功績で松嶋屋の番頭さんも表彰されるところまで。こういう終わり方は良い映画だなと。

それにしても、仁左衛門さんの眼鏡がおしゃれ過ぎる。インタビューのたびに違うのを掛けておりました。眼鏡の奥のちょっと垂れた優しい眼が当代にとても似てる。…でも、この頃はこの眼がすでにそうとう見えなくなっているんですよね( ≖_≖​) 


5月12日(金)

ドキュメンタリー『歌舞伎役者 片岡仁左衛門』第2回目の上映会。今日は第三・四部。楽屋での芸談、舞台をはなれた仁左衛門のご様子、片岡家の皆さんのインタビュー中心。

第三部「人と芸の巻 中」
始まり、カメラが追うのは仁左衛門の足。緑内障でほぼ失明状態でありながら舞台に立ち続けた仁左衛門。『寿曽我対面』の工藤の衣装を着けたまま舞台の寸法を歩いて測る。面をつける能役者もほとんど視覚を頼らないと聞くが、舞台寸法も大道具も変わる歌舞伎では至難の技に違いないと思う。

楽屋で化粧、水刷毛を使って白粉をしっかり塗る。「これは先代の歌右衛門さんに教えてもらったの。今の人は白粉が落ちるからって勿体無がって水刷毛使わないけど、これをやるとちゃんと付くの。ほら、手にも付かないでしょ」。うーん、そういえば白粉で襟を汚してる役者さん、よく見ますね。

十三代目の菅丞相に秀太郎の苅屋姫。扇の使い方が美しくて陶然とする。この扇を形見に渡してやるわけですが、その場面にもこだわりが。(舞台映像残ってないですかー!!キョロ(・_・ )( ・_・)キョロ)いやー娘は不憫だけど、菅丞相は重い立場にあったわけで、すべき仕事も役割も失ったわけで、そんな偉人の失意たるやいかに…花道を複雑な思いで悠然と下がって行かれ…!!ん、演技に引き込まれて、(仁左衛門が)見えてないこと忘れてました。
輝国役の福助時代の梅玉さんが美しかった…。

仁左衛門さんの三味線の腕前は相当らしい。秋山加代さんと祇園の芸子さんの話。サクッと『勧進帳』を弾かれて仰天したと。義太夫も上手くて『堀川の猿回し』を1人で語ったのが凄かったと。それを裏付ける祇園遊びの一コマ。秀太郎に語らせチャリ担当。(そういう素養が吉田屋に生きています。炬燵で夕霧を待つ場面で、別の部屋から聞こえてくる音曲(地唄の「ゆかりの月」の一節)にあわせてエア三味線をつま弾く場面がとても自然。)

仁左衛門さんの電車好きは有名。松本にお呼ばれして特急電車の旅を嬉しそうに満喫。歌舞伎座出演の時は、東京自宅の高輪のマンションとの間を地下鉄など使ってご出勤。仁左衛門さんが、京急の赤い電車を降りて階段登ってる。笑。

片岡家のお盆は大わらわ。12日の昼、お墓参りをして、盆火を焚いてお迎えすることをお知らせに。お供は我當さんと愛之助少年。帰宅したら一家総出で盆飾りを設える。お釜で大量のあんこを炊いて草鞋みたいなおはぎを作るそう。信心深い仁左衛門さん、手探りで蝋燭を立てる。手のアップ。(第三部は、足からはじまり手で終わる)

第四部「人と芸の巻 下」
『東海道四谷怪談』についての芸談。「怪談は全体がやっと見回せるくらいの暗さでみるのが怖いの。薄暗くて、おるか?なにかおる!?って。今は真っ暗にして、幽霊が出るところだけ明るくするでしょ。あれじゃ怖くもなんともないよ。お岩さんも、受けの宅悦の芝居で怖くなるんだよ。宅悦の役は面白いんです。」

番頭さんと家族が証言する十三代目。研究熱心な芝居本位の役者人生。性格は円満で温厚、我慢強い性格。眼が見えなくなって不自由な筈なのに、決して癇癪を起こしたり、家族に当たったりしないと口を揃える。(孝夫さんは1回だけ叱られたことがあるそうです。笑)。

そんな仁左衛門さんが家財を投じて家族を巻き込んでやり遂げた自主公演「仁左衛門歌舞伎」。上方歌舞伎にとってとても重要な出来事だった。支えた喜代子夫人の言葉が詰まる。優しいけれど、一度決めたらブレない人。仁左衛門さんが人生でいちばん嬉しかったのは?との質問に、初日の舞台挨拶で幕外に出たとき満場の拍手をいただいた時だったと感謝の言葉が返る。

『吉田屋』の伊左衛門は八代目の当り役で松嶋屋にとって大事な役。生涯に17回も演じた。紙治や徳兵衞とも違い、普通五本なら五本で始める最初の音を六本と高くして始めなけりゃいけない。83才で演じた伊左衛門みずみずしくて驚愕。そして当代が生き写しでまたびっくり‼️

5月16日

いよいよ最終回。今日は第五・六部。1989年歌舞伎座の『恋飛脚大和往来』の稽古と本舞台、最晩年の記録です。緑水庵、雨上がりで綺麗。

第五部「孫右衛門の巻」
水落潔さんのインタビュー風景。上方の芸について。役はいただいてから少し稽古するくらいのもんで、普段は三兄弟とも、踊り、義太夫、三味線、そういう稽古を欠かさずやる。孝夫「父と私の距離は“匂い”です。時代が変わって遊びの質が違いますからね。でも「芸風」は伝えていきたい。」と。

*このインタビューは、仁左衛門さんの写真集『風姿』のためのものだったみたいです。ドキュメンタリーの撮影と写真集の編集が同時期に進んでいたので、両方みると一層面白いかと。

地方さんやお囃子も江戸と上方ではだいぶ違います。今は東京から呼ばないとならないから求めきれないけども。我當さん「最後に大阪にいらした三味線の方が亡くなってしまはって、その方が弾いてる時は三味線が耳に入ってこなかったけど、いまは東京の方が弾かれるのは耳に障りますね。」

『恋飛脚大和往来』を仁左衛門の演出で歌舞伎座ロビーで稽古。忠兵衛・孝夫、梅川・雀右衛門、八右衛門・我當。みな素顔。仁左衛門さんは父親・孫右衛門でご出演。親子の名乗りが出来ないまま忠兵衛の背中を摩りながら今生の別れを惜しむ場面は、情が滲み溢れて、お稽古でも、本舞台の場面でも涙腺崩壊しそうになった。

本舞台の孫右衛門・仁左衛門さん。花道を、傘さして杖をついて舞台に向かって歩く。視覚障害が進行してほとんど見えていなかったという。花道のつけ根に目印に赤いランプがセットされていたけれど、近くまで寄ってもなかなか見えないようだった。花道の下から心配顔の我當さんが声をかける。本番が撮影された翌日、仁左衛門さんは花道から落ちたそうです。でも千穐楽まで舞台を休まなかったとか。恐るべし役者魂。

「封印切」は、忠兵衛・孝夫と八右衛門・我當の兄弟共演。このドキュメンタリーを見ていると、この場面は八右衛門役で面白さが違ってくるんだということが分かる。そういう意味で、我當さんの八右衛門は実に面白い。忠兵衛が悔しがってつい乗せられてしまうテンポが絶妙。


第六部「登仙の巻」
もうほとんど最晩年の十三代。自宅では、あまり身体を動かす事もないような過ごし方なのに、舞台に上がると、しゃんとして声を張りセリフをのべる。役者とは不思議な生き物なり。亡くなる94日前まで舞台に上がり、最後の2つの舞台は初役だったとは、ただただ恐れ入る。

平成4年12月の南座顔見世では、片岡家総出演の『菅原伝授手習鑑』「車引」。菅丞相が当たり役の仁左衛門さんに時平の役がつく。大道具の階段を5段登るのもやっと。お弟子さんに支えてもらいながら幕内で拵えを作る。兄弟が演じている装置の後ろで手を合わせ拝む十三代。

この年の顔見世の最中に結婚62年のお祝い会。せっかちな仁左衛門さんは挨拶しながら自分で乾杯の音頭をとってしまう。この時、孝夫さんの姿もありますが、この後の映画には登場しません。この会のあと大病されて闘病を余儀なくされたんですよね。そんな時期が重なってると思うと、ドキドキする。

片岡家の台所では、次女蓉有子さんと五女静香さん担当。「うちは毎日揚げものしてる!」と。天ぷら、フライ、昨日は鰻で、お肉も好きだし、刺身もマグロとか好きですしね…。食欲旺盛、パワフルなんです、十三代目。

久しぶりにお客さんを迎えて芸談。松王丸にもいろいろな型がある。父十一代目の作った型がどうも自分に合わないと悩んだ仁左衛門さん。父にそう訴えると、「しょうがねえな、じゃあ波野(播磨屋・初代吉右衛門)んとこ行って教わって来い!」で、播磨屋さんに教わりに行ったとか。でも、仁左衛門さんは六代目(菊五郎)の型が好きで、自分で納得がいくようにブレンドしてやっていると。

最最晩年、視覚を失ないながら命を削って立ち続けた舞台には、必ず息子や孫の姿があったのだけど、ただ1人孝夫さんは共演の舞台に立てなかった。父の耳には入れずに、病院の集中治療室で病気と闘っていたからです。映画では描かれていませんが、嵯峨野の自宅の椅子に大人しく座りながら、仁左衛門さんは孝夫さんに会いたい気持ちを我慢して飲み込んでいたのかな…などと想像して、胸が詰まった。

ドキュメンタリーを拝見すると、我當さんが若旦那としていかに十三代目を支え続けて来たかが瞭然ですが十五代目は孝夫さんが継いだ。このことの意味の大きさがスゴいと思う。上方歌舞伎の不振の時代を父と乗り越えた兄の決断。プレッシャーを引き受けた弟。父が託した希望。

思い出すがままの箇条書きですみません。もっともっと中身が凝縮した映画で、ぜんぜん書ききれませんが、願わくばDVD化して発売して欲しい。そして、公共図書館には1セットづつ収蔵してほしい内容だと思います。

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【朗報】
ドキュメンタリー『歌舞伎役者 片岡仁左衛門』は、好評につき、なんと7月14・15日に3巻づつせんだいメディアテークでアンコール上映することが決まったそうです。詳しくはせんだい映画村さんにお問い合わせくださいね。


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