2014年10月16日木曜日

いまも線路がちぎれたままだった

10月初旬、テツ道ご指南役の皆さまと気仙沼線を走っているBRT(バス高速輸送システム)に乗ってきました。…という目的のツアーに参加して、なかなか足を向けるチャンスがない気仙沼を訪ねてみました。

 ツアーの出だしは、リゾート快速みのりで小牛田まで行きます。
リゾート快速、先日長野でも利用しましたが、お薦めです。

座席を回して、遠足気分で乗っていると、岩切あたり(はっきり覚えておりません)で、寝台特急カシオペアが急に車窓から見えて、車内のみなさん大騒ぎ!もうとっくに東京に着いてなければいけない時間なのに、側線に停まっておりました。機関車故障かナーとか、みんなドキドキしておりました。

戦隊ものみたいな顔つきのリゾートみのり(小牛田駅にて)。
あっという間でした。

 小牛田駅は、キハ車両の集合基地となっております。

東日本大震災の甚大な被害により、気仙沼線は柳津駅から鉄道は復旧されておらず、今も不通です。BRTというバスに乗り換えて、気仙沼まで行きます。
BRT*は、もともと線路だった専用道路と一般道路を乗ったり降りたりして進みます。鉄道で行くよりはだいぶ時間がかかるようです。私たちが乗ったバスは立派な低床ハイブリッドカーでした。
 *「BRT」とは、バス・ラピッド・トランジット(Bus Rapid Transit)の略で、連接バス、PTPS(公共車両優先システム)、バスレーン等を組み合わせることで、速達性・定時性の確保や輸送能力の増大が可能となる高次の機能を備えたバスシステムです。  …詳しくは、こちらを参考に。


一般道から専用道に入ります。
一般車両がまちがって進入しないようにハッキリ色分けしてあるようです。

鉄道線路があったところをタイヤで走る不思議な感覚。海を眺めながら、トンネルもくぐっていきました。

 あ、色分け道路だ、そろそろ専用道路から一般道へ降りる地点です。
ガランとして、何も無い土地という印象…。

ここは志津川駅付近の仮設商店街「南三陸さんさん商店街」。
今回は途中下車出来ませんでした。

あ、これは有名になった南三陸町の防災対策庁舎です。真横を通りすぎていきました。
更地に雑草が生い茂り、道路は工事されているけれど、殺風景な景色が延々と続いています。このあたり、震災前はどんな様子だったのかな。

 遠くの高架橋が途中で崩れていました。あぁ、線路がちぎれている。

うわっ、無残。
3年半、このままなのか…。国も、某巨大民間鉄道会社もなんとかしようとは考えていないってことなのだろうな。たぶん。

 本吉駅はまだホームがありました。
線路がここで切られて、ここから専用道路に入ります。

 瓦礫の山をみると、やっぱり心が冷えますね。まだまだこんなにあるんだ。

気仙沼駅に到着。
お隣は大船渡線のホームです。

 南町紫市場の特急寿司で、お昼をいただきました。

鉄道好きの親方。瓦礫の中から見つけ出したというOゲージ模型がカウンターにかざってありました。

K御大(86才)の付き添いで、御大のおばさま(95才)という方に会いにいきました。このあたりは、津波にさらわれてガランとしており、まわりは廃墟然とした建物が目立ちましたが、そのなかで営業しているお店や病院もありました。

「おばさん、若い時本当に綺麗で、おばさんに会いたいためによくお家にお邪魔したもんだった。でも、あいかわらずお若いね。」
「あらいやだ、Kちゃん、私ももう95ですよ。こんな普段着で失礼してごめんね」
    (まだまだお若いお二人でした…)

海の方に行ってみたい気もしたのですが、御大がご一緒だったので歩かせる分けにもいかず、タクシーで駅に戻りました。運転手さんに聞くと、気仙沼もだいぶ人が減ってしまって、がんばって仕事に出て来ている人のほとんどもまだ仮設暮らしなんだとのことでした。

 駅に戻ると、ポケモントレインが出発するところでした。

 1時間に柳津行き1本、本吉行き1本って感じですかね。

帰りは珍しいキハに乗って、一関経由で帰ってきました。S市についたら夜でした。

BRTという交通システムがどうかということはいろいろ評価が分かれているようです。
しかし、震災の生々しいキズを負った線路がずっと放置されている状況を間のあたりにすると、そのショックの方が正直大きかったです。地元の人は毎日これを見ているんですね。
復興の順番とか採算とかいろいろあるのかも知れないけれど、交通の問題は、国も「黒字民間企業に税金投入出来ないから、意見もできない」なんて投げ出さずに、国造りの問題としてリーダーシップを持って取り組んで欲しいと思った次第です。いずれ、まだまだ時間がかかりそうですが…。

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